にわとりのにわ a hen's little garden

歌うたい時々クラリネット吹きの日高由貴のblog。
ちいさなこころのにわの風景をすこしずつ書きとめていきたいです。

追悼

2009年01月08日 | 日々のこと
おもいがけない訃報に接した。

お会いした回数こそ少なかったけれど、修士論文が書けなくて苦しんでいたころに偶然お会いした先生で、資料館に連れて行ってくださったり、論文の感想を送ってくださったりと、その後もなにかと助けてくださった先生だった。

ひょろりとした風貌と誠実なお人柄の持ち主で、大風呂敷を広げず、地道な研究を続けておられた方だった。「こんなに素晴らしい研究が、なぜもっと評価されないのか」、というほかの研究者の方の無念さを帯びた賞賛の声もあるなかで、そんな声はどこ吹く風といった様子で、淡々と研究と授業に取り組んでおられた。名誉や出世のためでなく、純粋に研究を愛しておられたのだとおもう。

大切な方がまたひとり、この世を去られた。涙を流すほど、親しくしていただいたわけではないし、みずからの不勉強を思えば、こんな文章を書かせていただいているのもおこがましい気すらする。けれど、だからこそ余計に、こころのなかになんともいえない寂しさが通り抜ける。2ヶ月近く前に他界されたときに、なにも知らずにいたことが、どうしようもなかったこととはいえ、悔やまれる。

残された者にできることは、いまを一生懸命に生きること。目の前のひとを大切にすること。それしかないのだとおもっている。

「研究などという因果なことを続けていけるのは、どこかで、だれかと一緒に歩いていけるという希望があるからでしょう。」と、学問という営みの理不尽さや重み、先の見えない不安にもがき反撥して、「研究なんて」と自棄になりかけていたわたしをそっと諌めてくださった先生。

いまごろは、天国で、お好きだとおっしゃっていた聖画を眺めながら、ポルトガル語やスペイン語、そしてタガログ語の聖書の翻訳に頭を悩まされているのでしょうか。

この先の進路をどうしていくのかはこれからゆっくり考えていくつもりですが、どんな進路を選ぶにせよ、読んで下さった方々と一緒に歩いていけるような、そんな音楽のような研究を続けていきたいとおもっています。