ウールの紅のきものを買いました。
ぱっとみると無地のようにみえるのですが、よくみると緑色もすこし織り込まれていて、透かし模様のように複雑な織柄になっています。
そのあといっしょにごはんを食べたともだちが教えてくれたこと。
ひとつの色にはいろいろなバリエーションがあって、たとえば「赤」といっても、青みがかった赤や、茶色に近い赤、ピンク色がかった赤など、さまざまな「赤」がある。
だから、「わたしは赤が似合わない」とおもっていても、そのひとに似合う赤というものが必ずあるということ。
最近読んだカラーセラピーの本にも、同じようなことが書いてありました。
たとえば、目の前に色とりどりの洋服があったとき、多くの人が「これはわたしの色じゃない」と敬遠してしまう「思い込みの色」があるそうです。
その色は、ほんとうは自分の魅力を一番引き出してくれる色かもしれないのに、人生のどこかの段階で、「これは私じゃない」と封印してしまった色かもしれない、と筆者の方は書いておられます。
だから、似合う色を初めから自分で限定してしまうのは、人生を限定してしまうことに等しい。裏を返せば、すべての色が、そのひとを輝かせる色になる可能性を秘めている、ということです。
ひとつの色のなかに無限にグラデーションがあり、ほかの色と連続しているように、ひとりのひとのなかにもやはり無数の彩があり、ほかのひととつながっている。
買ったきものにどんな帯や羽織を合わせようか、わくわくしながら考えています。
ぱっとみると無地のようにみえるのですが、よくみると緑色もすこし織り込まれていて、透かし模様のように複雑な織柄になっています。
そのあといっしょにごはんを食べたともだちが教えてくれたこと。
ひとつの色にはいろいろなバリエーションがあって、たとえば「赤」といっても、青みがかった赤や、茶色に近い赤、ピンク色がかった赤など、さまざまな「赤」がある。
だから、「わたしは赤が似合わない」とおもっていても、そのひとに似合う赤というものが必ずあるということ。
最近読んだカラーセラピーの本にも、同じようなことが書いてありました。
たとえば、目の前に色とりどりの洋服があったとき、多くの人が「これはわたしの色じゃない」と敬遠してしまう「思い込みの色」があるそうです。
その色は、ほんとうは自分の魅力を一番引き出してくれる色かもしれないのに、人生のどこかの段階で、「これは私じゃない」と封印してしまった色かもしれない、と筆者の方は書いておられます。
だから、似合う色を初めから自分で限定してしまうのは、人生を限定してしまうことに等しい。裏を返せば、すべての色が、そのひとを輝かせる色になる可能性を秘めている、ということです。
ひとつの色のなかに無限にグラデーションがあり、ほかの色と連続しているように、ひとりのひとのなかにもやはり無数の彩があり、ほかのひととつながっている。
買ったきものにどんな帯や羽織を合わせようか、わくわくしながら考えています。