最近、「表現する」ってなんだろうと思っています。
たとえば、容姿や、言葉や、声や、そのほかいろんな自分にまつわることを誰かに笑われたり、そのせいでいじめられたりすると、「自分」というものがとてもみじめで、いやなものになったりする。自分を表現することがとても怖くなって、みんなといっしょになれればいいのにと願ったりする。
だけど、その怖さをうけとめられたら、それまでいやでたまらなかった自分のいろんなことが、この世でたったひとりの自分にしかない、かけがえのないものだったことに気づくかもしれない。
「表現する」ことは、「自分」を表現することではなく、自分から逃げられない痛みをうけとめたうえで、誰かとの間に「在る」ということかなと思う。
以前にバリー・ハリスというピアニストが言っていたことでこころに残っている言葉があります。
"Music is not from you.Not to you. Music is through you.(音楽は君から生まれるものじゃない。君に届けられるものでもない。音楽は、君を通り抜けるものなんだ。"
表現することをつきつめていけば、自分や誰かを、風のように通り抜けるということなのかなと思っています。
風みたいなうたをうたえるようになりたいです。
たとえば、容姿や、言葉や、声や、そのほかいろんな自分にまつわることを誰かに笑われたり、そのせいでいじめられたりすると、「自分」というものがとてもみじめで、いやなものになったりする。自分を表現することがとても怖くなって、みんなといっしょになれればいいのにと願ったりする。
だけど、その怖さをうけとめられたら、それまでいやでたまらなかった自分のいろんなことが、この世でたったひとりの自分にしかない、かけがえのないものだったことに気づくかもしれない。
「表現する」ことは、「自分」を表現することではなく、自分から逃げられない痛みをうけとめたうえで、誰かとの間に「在る」ということかなと思う。
以前にバリー・ハリスというピアニストが言っていたことでこころに残っている言葉があります。
"Music is not from you.Not to you. Music is through you.(音楽は君から生まれるものじゃない。君に届けられるものでもない。音楽は、君を通り抜けるものなんだ。"
表現することをつきつめていけば、自分や誰かを、風のように通り抜けるということなのかなと思っています。
風みたいなうたをうたえるようになりたいです。