ニシン場の華やかなりし頃、同世代のこまどり姉妹が、昨日釣り場の紹介をした銭函で幼少時代を送っていたことを今朝のテレビで知った。
その後、銭函にニシンも来なくなり、カラフトから引き揚げて職もない一家は、母親が双子の姉妹を連れて門つけに出て唄っていたという。並大抵ではない苦労を重ねて北海道を離れ、浅草で「ソーラン渡り鳥」などでブレーク。昭和36年から紅白に出る、それも連続7年。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/31/d1/1bc933da2180182da4aec4ec2e1b4865_s.jpg)
好事魔多く、妹が暴漢に刺されたり、30代の若さで悪性腫瘍での手術などから復帰した時には、過去の名声ではお客が来なくなり、地方回りになった。それが73歳で復活した。
老人施設の老人にも、若者にも不思議な感動を与えている。単なる昭和の語り部としてのトークではない。実際に生きて来た努力家であり、声も通る。話を聞いた聴衆が、自分の悩みは二人に比べればチッポケなものだと知れる。ドキュメントを見て、私も元気を貰った。「生かして貰っているのだから、毎日を楽しまなくちゃ申し訳ない」、今日も無事に生きていると確かめながら起きあがる身になると分かる言葉だ。
その後、銭函にニシンも来なくなり、カラフトから引き揚げて職もない一家は、母親が双子の姉妹を連れて門つけに出て唄っていたという。並大抵ではない苦労を重ねて北海道を離れ、浅草で「ソーラン渡り鳥」などでブレーク。昭和36年から紅白に出る、それも連続7年。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/31/d1/1bc933da2180182da4aec4ec2e1b4865_s.jpg)
好事魔多く、妹が暴漢に刺されたり、30代の若さで悪性腫瘍での手術などから復帰した時には、過去の名声ではお客が来なくなり、地方回りになった。それが73歳で復活した。
老人施設の老人にも、若者にも不思議な感動を与えている。単なる昭和の語り部としてのトークではない。実際に生きて来た努力家であり、声も通る。話を聞いた聴衆が、自分の悩みは二人に比べればチッポケなものだと知れる。ドキュメントを見て、私も元気を貰った。「生かして貰っているのだから、毎日を楽しまなくちゃ申し訳ない」、今日も無事に生きていると確かめながら起きあがる身になると分かる言葉だ。