幼くして法定伝染病を二度患ったボクは、小学生の間、要注意
病弱児として過ごした。昭和20年8月に旧満州国の首都新京に
居たボクは突如津波の如く襲いかかってきたソ連軍から逃げる
ために、4歳児の弟を連れて南へ逃げた。母はその直前8月1日に
赤十字病院で急死したし、父は軍隊に召集されていたから、ボク等
兄弟は親の無い孤児として奉天で終戦を迎えた。
中国の内戦が始まり、内地への引揚げがその分遅れた。
父の故郷、淡路島南部は見知らぬ地であった。ボクの生活環境は
大きく変った。どこかに田舎の子になりきれぬボクが存在していた。
淡路島はボクにとって故郷とは思えない。
長じてドイツ勤務を命じられ、ハンブルグでの生活が始まったが、
戦前の満州の新京や奉天を思い出させる懐かしい町の風景が
そこにあった。
ハンブルグや、その後住んだウイーンがボクの故郷である。
幼児時代の二度の法定伝染病で、ボクの腎臓は痛んでいた。
95年の阪神・淡路大震災の直撃で、ボクの腎臓は一気に悪化した。
97年以来ボクは人工透析を受ける腎不全患者になっている。
子ども時代の病弱児がウソのように、ボクは活力に溢れ、透析患者
には見られない。
遠く南アフリカまで出張したのを皮切りに、ボクはおよそ400回ほど
飛行機に乗っている。大気中を飛んでいる間は、地球の自転・公転と
直接の関係を持っていない。その分だけ、地球上の人間の掟に縛られず、
だから、もうすぐ78歳になるのに自分に高齢者の意識は無い。
ボクの最近の血液検査のデータを示しておく。
血液総蛋白 6.7
GOT 8
GPT 8
γ‐GTP 15
総コレステロール 187
中性脂肪 55
尿酸 4.5
血糖値 78
(検査日:2012年1月11日)
肝機能も血中脂肪も、一般の健常者をも凌ぐ数値である。
はじめに戻る『1:身体中の細胞が疲れきっている』
明治維新まで獣肉をあまり食卓に乗せなかった日本人の身体を
作ってきたのは、主として魚介類と大豆製品の中に含まれる
タンパク質であった。
日露戦争を戦った、日本の陸軍兵士の身長は平均で160センチに
充たなかった。戦中戦後の食料難の時代に成長期を迎えたボク等の
世代は、同様に身長が低い者が多い。対して栄養豊富な時期に成長
した若者たちの身長は、世界の人類学でも異常と見られている。
09年の術後、およそ3ヶ月にわたり、味覚も食欲も失ったボクの身体は、
新陳代謝を補う細胞の生成も難しく、およそ8キロばかりの体重を失った。
明らかに栄養失調であった。
偶然のように入った鮨屋。そこで試みにクチにしたヒラメの鮨。それがボクの
味覚と食欲を覚醒させて、
たっぷりと食べたから、肝臓が喜んで大いに仕事をしたのであろう。魚類の
タンパク質がアミノ酸に分解され、それを材料に身体が求めていた各部に、
新たな細胞の供給があったとボクは信じている。
その日を境にボクは食欲の回復で、大いに食べそれが身についたと思う。
言語障害が回復し、漸く主治医との会話が出来るようになった。
起立障害と歩行障害からの立ち直りには時間が掛かった。室内でも室外
でも転倒を繰りかえし、頭を強く打って硬膜下血腫の手術まで受けた。
気力の回復に至ったのは11年5月ごろだ。脊柱管狭窄の手術から丸二年が
経っていた。頭脳が生きていると確信を持ってからも一年間の予備時間が
要った。その間を読書とブログを書くことで過ごした。
気力も戻ったから、硬式テニスも転倒に気を付けながら初めている。
まだ階段の昇降には苦労している。
ここまで来るのに、どれ程の代謝酵素を要し、肝臓がどれだけの酵素を
作ってくれたのか。ともかくボクは活気に溢れた人間として復活した。
その間に、何千種類の酵素が働いてくれたのか、身体中の壊れた箇所を
ほぼ全部直してくれたのだから。
ドイツの友人が送ってくれたアレ。小麦胚芽を発酵させ、冬の保存野菜として
珍重するザワークラウト(発酵キャベツ)やトロピカルフルーツの中にある
タンパク分解酵素を加えた[グラノザイム]の威力をボクは自分の身体で確認した。
ドイツで人気があって不思議ではない。
続きを読む『6:ボクの身体は若い』
人体は多くの栄養素を必要とする。
先ずは三大栄養素で、タンパク質・糖質・脂質だけがカロリー源となる。
食物中のカロリー源の体内燃焼で、人体は熱と動力を生み出している。
次に発見された栄養素がビタミン類とミネラル類である。これ等の働きに
ついては、まだ完全な研究がなされてはいない。例えばコラーゲンは肝臓で
アミノ酸を材料に合成されるが、触媒としてビタミンCが働く事は比較的に
最近の研究で分かった。マグネシウムが必須のミネラルだと日本政府が
発表したのも、90年以降になってからのことだった。
六番目に来た栄養素が食物繊維である。腸内のお掃除モップみたいな物で、
栄養価値はあまりない。ビタミン類やミネラル類と同様にカロリー源にはならない。
そして最後に来た、七番目の栄養素が酵素なのである。
消化酵素と代謝酵素の二群がある。消化酵素は比較的に単純である。
特に糖質と脂質は、専ら体内で燃焼しエネルギーを生み出すだけだから
数も多くはない。タンパク質だけは、人体の構造物すなわち細胞の主体と
なるから、糖質・脂質が炭素・酸素・水素だけで出来ているのに反しタンパク
質には窒素も加わる。三元素の生成物と、窒素を加えた四元素の物とでは、
分子構造がまるで違う。それだけに消化・分解の工程が複雑となり、酵素の
種類も何千種の単位となる。
酵素は一般にアミノ酸を材料に、肝臓で組立てられると栄養学の本には
書いてあるが、まだ本当のところは分かっていない。人体には例えば活性
酸素のラジカル攻撃に対抗するSODのように、生まれながらに持ち合わせて
いるものもあることが分かっている。すべてが組立てられるとは言いきれない。
しかも所要の種類は何千の単位である。組立ての材料はアミノ酸だが、これは
タンパク質として食べた食物を分解して得られる。コラーゲンを飲んでも、その
ままコラーゲンになるわけではないが、コラーゲンが分解されてアミノ酸となり、
そのアミノ酸を利用して肝臓がコラーゲンを再び作ることは有り得る。
ボクは09年に受けた手術に伴う麻酔の大量投与で、身体中の機能が麻痺して、
多機能障害に苦しんだ。そこからの回復に、肝臓がフル回転し、多種多様の酵素を
製造したことは疑う余地がない。
続きを読む『5:鮨屋で食べた魚のタンパク質がボクを救った』