建設現場の卵

建設現場からのエッセイ。「建設現場の子守唄」「建設現場の風来坊」に続く《建設現場の玉手箱》現場マンへ応援歌。

風来坊登場

2025-02-17 08:22:39 | 建設現場 安全

 ―――――――― 《旅 行 帰 途》

「皆様、飛行機は間もなく名古屋空港に着陸します。お座席のシートベルトを今一度お確かめ
くださいませ・・・」

 この声をうつらうつらと耳にしているのはFビルの《竣工記念》として北海道旅行の帰途で
ある。
   ――――――
   思えば名古屋の市街地での8ヵ月の工事ではあったが、工程通り順調に完成し、
   無事故無災害での竣工に当たり、職長会の慰労会としての旅行である。 
     
   竣工打ち上げ兼解散式と云うと料亭か割烹で騒ぎ、二次会でつぶれてという何
    時ものパターンを打破しようと、工事途中に
   《無事故で竣工のアカツキには……》
       と計画を練っていた時には、実現出来るとは半信半疑であった。 

   職長さんと言えば二泊三日も仕事場を離れられないだろうし、各々の会社の社 
   長さんが参加を許可するだろうか――――との不安もあった。

   又、この様な旅行はかつて私自身行なった事はなく、予期せぬ所から邪魔が入
   り出発直前になって企画倒れになるかも知れない、との不安もあった。

   が、旅行は無事に終ろうとし、Fビルも終ったんだと感傷にふけっている。
   
  ―――――― (Fビルの工事は8ヵ月もあったンだと今思い起こせば苦労話にも
   ならない様な事も沢山あったなア、最高傑作の出来事は何だったかなア、色々な
   人々と新しく面識が出来たし、交際の輪が拡がっているンだ・・・・
       とボンヤリ思っている。 

     竣工して1ヵ月過ぎようとしているが、次の現場がまだ決まらない内に骨休め
   をしたつもりでいるが、そろそろ次の仕事の情報が入ってもいい頃だなァ・・・ 
   といつしか機内で仕事の事を考え始めていた―――――                

 飛行機は名古屋空港に無事到着し一応解散の音頭を行なった。
 これで一先ずFビルの工事仲間とのセレモニーは完了するが、また次の現場でもこのメン
バーが揃(そろ)うと楽しく仕事が出来るだろう。 

「所長、この度は有り難う………。じゃァ又―――。次は何処に行くの?」とI君。
「次の仕事は決まってないが、次の旅行は海外にしようヨ、パスポート持ってる?」
(大ブロシキ拡げおってエ………) 
 と自分でも笑ってる気楽なお別れの挨拶をし、迎えの車やタクシーに乗って帰宅の途に
つく人々を見送りながら、 
「楽しかった現場と楽しかった旅に乾杯!」  
と幹事役のM君とビールを飲んで空港を後にした。  



         ――――――――― 《次 の 現 場》

旅行から帰って2週間経っているが未だ私に《次の現場》は決まっていない。
年度替わりの季節はいつも仕事が途切れてしまう。
 特に官庁工事ではお決まりの3月末日迄の工期に対して突貫工事を余儀無くされていて、
がむしゃらに働いて年度末完成を見届けると、4月1日から仕事場さえないのが
《建築現場仕事》と云うものかも知れない。

 建物を創って施主に引き渡せば我々の仕事は終りで、又次の建物を創る事に翻弄(ほんろう)
される。
 船ならば進水式があって船が出て行って現場(造船所)はそのままだが、建物を完成さ
せると我々が去って行き、次の仕事場が何処になるのか不安である。

  通勤範囲なのか、単身赴任なのか、国内転勤、海外勤務か
『神のみぞ知る』
となっている。
  若手職員ならば1ヵ月位の応援とか、竣工目前の現場へ配属変更が引く手あまたであるが、
歳を食ったオッサンの現場所長となると、簡単に割り振りが出来ない面もあるだろう。
 受注目標として営業が頑張っていても《談合》だと勘ぐられる様だから、敢(あ)えて次の
入札物件情報に私が首を突っ込む迄もないと身を構えている。 
 
(何とかなるさ・・・転勤もないさ・・・) 
とボソボソ言っている今日この頃であったが、やっと電話一本で支店に呼び出されて
(釣り出されて)しまった。

一体次は何処なのだ・・・と云う不安を抱きながら、明日支店に出向く事となった。

                       (つづく)

 

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プロローグ(後)

2025-02-03 09:00:14 | 建設現場 安全

ならば、この建築現場に『明るい未来があるのか』と訊(き)きかれれば・・・・。

正直言って返答に困るし、イメージアップ計画に何をしますかと問われても、いい知恵は
浮かばない。

   

今、この現実を踏まえてこの環境にドップリと漬かっている私にしてみればイメージアップ
という〈錦の旗〉を振って世間にアピールするのは、現場の実態を隠した虚像だから、やが
ては更に、若者から敬遠されてしまうと確信する。

週休2日、大型連休、海外旅行とトレンディな一般サラリーマンに比べて
『日曜日位は休ませろ』『土休完全推進モデル事業場』
等と看板掲げているのが、現実なのだ。

しかも朝の8時には朝礼が始まり、現場の作業開始である。
7時半には門扉を開き、事務所の掃除が始まる頃には電話の4~5本も入って来る。

仕事の始まりはきっちりしているのに、一日の作業終了時刻の5時で退場出来る建設現場
なんぞ有りはしない。   
                     

 請負で仕事をこなしている業者の職人さん達は、日没まで平然と仕事に励んでいるし、照
明を灯(つ)けて頑張る人がめずらしくもない程よく働くものだ。

そんな中で現場を監督の我々が、
お先に失礼・・・。気を付けて残業しろよナ
と帰る訳にはいかないし、今日の作業内容の確認と明日の仕事の打合せを指示・連絡して
いれば、現場作業の終了後に2時間のデスクワークも重要な仕事になる。

工程が順調なら打合せ時間もスムーズだが、ひとたび歯車が狂えばどこ迄も現場で働かざ
るを得ないものだ(20時に業務終了なら早い方であろう)

働く事は良い事だ。
しかし、
「身を粉にして〈すりこぎの芯〉になるまで働きましょう、それが建設現場の生き甲斐です」
とCMでも流す勇気があれば、この業界の未来は開けて来そうだが、若者は見向きもしない
だろう。

 時代の流れに乗り遅れまいと遅ればせながらイメージアップを提唱するのは、なんら不満
は 無いが、若者を楽な方へと導くかの如く、軽率なる行動・軽薄なる情報が巷(ちまた)
氾濫(はんらん)している中で、建築現場もそれに倣(なら)う必要など全くのナンセンス
である。

現場の実態はキツイ仕事である。

しかしスポーツでもソフトなものがいくらでもあるのに、あえてハードな競技を好む人が

やはり長続きするし、ポリシーを持っている限りハードを苦労とは考えてはいない。

 イメージアップして軟弱なる若者を仮にこの世界に呼び込んでみても、本人を含めて発展
の道は無い。
 やはり汗水流して働き、建物竣工の時《男のロマン》を感じる職場が、建設現場の最大の
(よろこ)びである。
 そして一つの建物毎にドラマが見られ、対人関係が増えて行く渦の真っ直中にいて、次の
シナリオをまた自分で創っていく夢がある。

この事を理解出来る迄に若者が耐えられなくて、現場を去って行く。
又、建築・土木と云う学部を敬遠するのも、分からないではない。

 今、建設現場にドップリと漬かっている我々でさえ、現場が一番素晴らしいとは認識して
いない。

確かに5K(恰好悪い、汚い、休暇が無い、給料安い、危険)と云う問題もある。

何の為に働いているのか
と自問自答する余裕さえなく、朝も早くから現場に出向くのである。

「お早う、朝礼始めるからね」
集合用の音楽が流れ始めると、もう今日の仕事の『段取り話』がひそひそと聞こえて来て、
「今日は休んだ人がいて、予定通りに行かないから・・・」 
「昨日言っていたあの所は、もう少し待ってよ・・・」 
とラジオ体操の最中でも、打合せらしく小声で囁(ささや)いている。

職人さん達は、こちらの意見・指示を待っていて、それから仕事に取りかかるのだから、
現場員はかなりアテにされている。

「やはり俺様がいなければ、この場は収まらないのか・・・・」
と口八丁手八丁になり手を打ち始めると、もう現場では渦の真ん中にいる様なものである。

何の為とか〈誰の為〉とかそんな恩着せがましい問題には構っていられない。
現場の段取りを付ける事が監督員の重要な仕事であるが、職人さんの絶対数が不足して
おれば今日の作業のみならず、工程表も予定表も全くのゴミの紙屑になってしまう。

建設現場は一つの業者が次の業者にタスキを渡して行く『駅伝マラソン』と同じである。

 何があっても、途中でケツを割る(ヤメル)事は許されないし、更にゴールするタイム
リミット(竣工日)も厳守せねばならない。

 スピードに乗らない業者の為に、後続の業者がかなり無理をする事になるが、後の業者は
タスキを受けた時は既に残り時間が少なくなっているにも拘(かか)わらず、当初の予定通りに
次の業者にタスキを渡そうと云う義務感は持っている。

が、義務感はあるがそのノルマを達成させるには、日数が限られている以上、人間の頭数
を増やすしかないのである。

 仕事は多人数で行なえば早く済むのは誰でも分かる。
分からないのは早く済むと儲けはどうなるのか、精度・品質は確保出来たのかと云う事であ
る。

 工程・安全・品質・原価管理に振り回されつつも建設現場が、何故面白いのかがようやく
分かり始めてきて、色々な話を書き綴(つづ)っていたらこの《風来坊》物語になっていました。

《建設現場の子守唄》の続編として楽しい所を書けば良かったのかも知れませんが、敢(あ)えて
厳しい面を本音で語ったので少し専門的な話にもなってしまいました。

 建設現場にとらわれず、あくまで《人間ドラマ》としてブログをUPしていきます。

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建設現場の風来坊

2025-01-20 08:53:10 | 建設現場 安全

お待たせしました。
《建設現場の卵》続編をブログアップしましょう。

―――プロローグ 

建築それは『建て築く』事である。 
もっともらしくて何ら味気のない言葉でもある。
しかし、一つの現場の中で物を《創る》という事《創り出す》という事は、言い換えれば
一つの仮囲いの中で、竣工に向かっての様々なドラマが繰り拡げられているのである。

 現場は工事着工以後、竣工落成に向かって毎日が時間との戦いに明け暮れる。
適正な工期であったかどうかは問題でなく、とにかく竣工引渡日を目標にして、現場所長
としては一刻も貴重な時間を、完成させるべく建物に向かい全神経を没頭させている。

 世間一般の企業からみれば未だに花形産業でありながら、現実はどうしてこの様に苦しい
仕事なのかを自責の念にかられる暇さえも無い。

だが、どうしても止(や)められない面白さがこの建築現場と云うものにある。

過去に痛いほど経験したミスをあっさり又、行なってしまったり、今度こそはと思いを入
れ込んでみても、結果にさえ現れない事もある。

自分一人で創っているワケではないのに、いつしか自分の娘の様にさえ思えて来る程、
建物を慈(いつく)しみ愛情を注ぎ込んでいる。

 風雨降雪に一喜一憂し泣いたり笑ったりしている内に、自分の魂を植え込んでしまって、
施主に引き渡すにはせつない程の感情を落成式に味わう時、協力業者の人々の御陰で創り
終えた幸せをかみしめる時、仕事を離れて《生き甲斐》が感じられて来る。

世界に一つしかない(似た物は多いが)建物になるのだから、真剣にならざるを得ないし、
自分の人生の一コマを地球上に永く残しておけるロマンもある。

これは苦労して出来上がった気持ちもさる事ながら、この建築物は施主を通じて世間一般
に見て頂ける、いわば現場建設マンとしての
「生き様さえも伝えるのだ」
との誇りを表現出来るのだから、この仕事に熱中出来るのである。

 しかし、本音を語れば・・・。

職人と共に汗水流して骨身を削り、やっとの思いで一つの工程が終わる直前に検査を受け
た時、監理者からやり直しの命令が下る事も多い。
施工図・承認図通りに仕上げていても、
「そこは設計変更になっているから・・・」
の一言で取り壊して再び製作のハメになっても、変更工事代金が頂けない場合さえある。

 監理者の『承認印』がなければ、否、あっても《神の声》が発令されれば、黙って従うだ
けなのである。

「やってられっか!」
幾度となく言いたい言葉であるが、グッとこらえて耐え忍ばねばならないのである。

「所長さんはイイよ、黙って見てればイイだけだから・・・」
と聞こえてくるが、決して安閑(あんかん)としてはいない。

 確かにカナヅチを持って釘を打つ訳ではないから、監督さんは第三者からは気楽に見える
モノらしい。

 だが、偉そうに『所長風』を吹かしていても湖畔に浮かぶ水鳥の如く、水辺から見られて
いる時には優雅に振舞ってはいるものの、水面下では必死にモガイているのである。

 それは現場に於いての責任は全て持たされているが《決定権》がないからである。

 建物を創るのに何一つ権限を持たされていないから、監理者にお伺いをたてて《承認願い》
《検査願い》等を提出と云う面倒臭い書類が行ったり来たりするのである。

 そこに原価・工程・品質・安全という現場四監理なるものが、のしかかって来るのである
から、実際にはボヤッとしているヒマなんぞは全く無い。

 協力業者からの見積書は予算には納まらないし、職長会からは工事の遅れを指摘されるし、
監理者からは精度不良でやり直しを云われ、支店からは安全に厳しい注文が飛んで来る。

 まるで私は《袋に入れられた猫》であり、袋を目掛けて鉄の〈焼け火箸〉が四方八方から
突き刺されて来る様なものである。
抵抗したいけれども、袋から顔さえも出ないのである。           
 
所長が頑張らなければ、若手職員はこの建設業界に目標を見いだす事が出来ず、却(かえ)って若
者の夢をつぶす事になるかもしれないが、そうはさせたくない。

                                   

 ならば、この建築現場に『明るい未来があるのか』と訊(き)かれれば・・・・。

                  (続く)

 

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現場勤務最終日

2024-10-28 09:02:49 | 建設現場

 一月三十一日(水) 曇り

 今日でKビルと『さようなら』だ。
  N子とも『さようなら』だ。

お隣の自治会長さんにも別れの挨拶となった。
設計事務所とも喫茶店のママともオーナーさんともひとまずの『お別れ』だ。

今年になって今日の日が来るのを楽しみにしていた反面、寂しさが募(つの)ってくる。本当に
『嫁に出す』というのはこういう、これ以上の心境なのだろう。


私には娘が二人いる。
その時きっと泣かずにはいられまい―――と思える。

Kビルとは『さようなら』でなく、《また来るよ》の軽いオワカレでOKだ。
協力業者とはまた次の現場で、
「あれーっ!?、所長!!また今度も・・・」 
という顔が出て来るだろう。

N子、彼女はこれで退職する。   

                                                           

私が連れて行ける現場ならば、事務補助員として私も置いておきたいが、私の現場がどこに
決まるかによって、事務補助員を変更の場合もある。
私も次が市内の現場とは限らない。

そうなるとN子の通勤範囲の中で、他の現場所長の所へ勤めてもらう事になる。
だから、
「ここは楽しい職場(現場)だったので、この思い出を持って辞めたい……」
と年末頃から時々、話に出ていたものだった。

そんな時にN子の自宅のすぐ近くで、事務員兼務のトレース女性募集の話が来たのだった。
「私の所より給与もいいみたいだし、現場が終われば次の現場のアテも無い(自宅待機)の
場合もあるし、自宅から会社がすぐ近くというのもいいじゃない、N子なら出来るから
やってごらんよ」
と後から『背中を押した形』の助言をした。

これで一歩前に踏み出せなかったN子もその気になって、それ以来私も図面トレースを少しで
も練習出来る様な仕事をさせていった。
製図道具の使い方、図面の便利な書き方、テクニックを短期間で『伝授』したつもりだけれど、
これからは頑張って欲しいものだ。

 Kビルの私のいた部屋にあるもので、最後までポツンと残ったのは電話だけになった。

椅子も机もなく、床カーペットの陽当たりのいい所でN子と二人座って話になった。
「とうとう終わったなあ、全てが終わったね」
「本当ね、嘘みたい・・・」
「この部屋に長く居たから、仮設事務所の騒ぎとか、シート看板とかは、遠い昔の事みたいだね、
覚えている?」
「看板作らされている時、成功しなかったら何と言って……」
と思っていたそうだ―――が、結構楽しそうに作っていた様な気がしてたけれど……ネ。

この三階へ引っ越して来てからは、N子もホーキを持って全館掃除に行ったものだったネ。
その度に(三度に一度かな)バイト料代わりに昼食をしゃぶしゃぶのKとか中華レストランCへ
スタミナ回復に出かけたものだったね。(高いバイト料だったぜ全く)

それから左官工のOさんから、
「所長、仲のいい若い―――キレイな奥さんですね?」
と言われたのは傑作だったね。
俺も「N子、N子」と人の奥さんの名前を呼び捨てにしていた分、罪はあっただろうけれど、
仲のいいのは本当だったね。

N子の誕生日に花束プレゼントして、パパが焼きモチをやいた話、これも傑作だった。
「蟹を食べに行こう、あの蟹屋さんウチが作ったんだよ」と言ったら、
「あの、動く蟹さんも……?」
と言ったのも、何となく面白語録だった。
看板好きな私(会社)でも動くカニは作らない。

ホテルでの社内のクリスマスパーティはN子と子供まで連れ出して(時効だよ)好きなだけ食って
家族ゲームで遊んで、今年も内緒で招待してやっからな、子供をね。

「色々楽しかったなあ・・・Hな話とか馬鹿な事も沢山教えたしねえ」
「楽しかった想い出がいっぱいです―――所長」
と何だかセンチメンタルな気分になりそうだ。

ここで肩でも抱けば絵になるのだろうけれど、
「さあて、コーヒー飲みに行こうか、ここにはもう何もないから………」
立ち上がりながら、
「所長、次はどこですか?」
「まだ何も聞いてないよ、ホラあの電話が今度鳴ったら『支店へ来い、次は○○だよ』と言う
電話だろうよ、多分・・・」

だから電話線を差し込みのジャックから外しておいた。
今、N子と最後になって、ゆったり当時を語っている時に電話は邪魔だった。

 喫茶店でN子とさようならして、Kビルでは遂に一人になってしまった。
電話の線を繋いで、見つめていた。
もうすぐかかって来るであろうけれど・・・。

十分後、リーン、リーン、リーン、リーン。
寂しい音色だ―――取らなかった・・・。
リーン、リーン、リーン、リーン・・・。   

                        

                                                                                             (kビル・ドラマ 完結)

*****************   ***************   *****************     *************** 

  ―――飛び立って行った若者たちの
           最後の言葉に秘めたものとして―――――

T.S君 
  「考え込む前に電話します。今回で自信がつきました。次を見てて下さい」

M.H君 
       「現場が替わっても会いに行きます。楽しく仕事を覚えられました」

H.G君 
      「次の現場にも引っ張って行って下さい、回の教訓の成果をみせますから」

そして

T.F君 (Kビル)
    「とにかく最後迄やり通す事ができました、次は自信を持って挑戦します」

私から―――
   皆んなっ元気でやれよ!
    夢に自信を重ねて―――さあ
      「君たちの時代」
        今からスタートだ!!

                               (終り)
                                   

 

 

 

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竣工引き渡し日

2024-10-15 08:26:08 | 建設現場

  一月 十八日(木) 曇り

 官庁関係の検査は全て完了した。
エレベーター検査済証、使用開始、土木事務所道路乗り入れ復旧完了届、建設省借地完了・・・。
 確認申請検査の完了が1~2階テナント内装工事完了後に統一して行われるので、これが未決
のままとなった。
この件は設計事務所からオーナーへ連絡が入っているので、問題はなく引っ越しが行える。

 午後から昨年春に竣工させたAマンションのアフターケアー巡察に出かけた。
―――私は来週にはKビルを『さよなら』するだろう。
(次の現場はまだ未定だから、今の内に前オーナーへ挨拶に出向いておこう)
    という気持ちを、ここ数日持ち続けていたものだった―――

相変わらず花壇に散水しながら、何やら一人言を言って草を抜いておられた。
「おっかさん、来たよ。お元気そうだね」
「あらー、明けましておめでとうでもないわねエ」
「今日はネ、向こうのビルが終わったのでネ、こっちもどうなってるか見ておきたくてネ、何
か困った事はないですか?」
「建物はしっかりしててエエんじゃが、中の人がたった1年で二度も替わった部屋があってね
エ、あの部屋はオハライをしようかと思ってるのよ・・・」

「今はもう入居されてるのでしょ?」
「出たら次の週にはもう違う人が入っていますよ」
「ならいいじゃあないの家賃は入ってくるのだし……」

「出入りの度に畳やクロスを直しにいかねばならんので、キレイなのにモッタイナイ、バチが
当たる・・・」
「まあまあ―――そんな風に考えずに、気楽にいこうよ、おばーちゃん」

 来たついでに屋上に出て、ドレーンの周辺に飛んで来た枯れ葉とビニール袋を降ろしておい
た。
 私鉄沿線近くなのでレールの鉄粉が屋根に飛び込んで来て、錆が出た様に粉が集まってい
て、錆色の汚れも出ているが、これは仕方ないか―――。

 AマンションとKビルの二つの責任ある建物を終えて、比較している。
Aマンションの時は工期に余裕があったけれど、心の余裕は全くなかった。
途中で2週間ワケの分からない頭の病気で(失明か命を落とすか)という変な入院もした。

 Kビルの方は入院こそなかったけれど、11月中頃から今まで、ずっと風邪をこじらせてい
て、これもまともな健康体ではなかった。

 4階建てと6階建て、マンションとテナントビルの違いはあったものの、同じ様な請負金額
と、似た様な施工内容だった。

Aマンションでは工事中にも、F工事部長と言い争って、クソッと思ったり、ホロッと涙し
た事もあったが、Kビルではそこまで感情が入らなかった。
 しかし、電話ではかなりカッカと来て『怒り心頭に発す』となってはいたが、施工の難易度と
しては同じ程度のモノであった。

 それに毎週定例打ち合わせにオーナーが出て下さって、コミュニケーションとしては合格だ
ったのもよく似ている。

AマンションからKビルへと同じ協力業者の契約先もあって、工事もスムーズだった。
女子事務員はAマンションの時(Sさん)には遠慮勝ちに指示していたけれど、Kビル(N子)
は色々と実によく気の付く奥さんだったので、私は楽だった。

 配属員はAの時のG君、KビルのF君も、かなりの技術屋として成長してくれた。
多分、次の現場では私のシゴキコダワリに耐えた成果を発揮出来ると思う。
私自身の成長はないのか―――とまた、考えてみたくなった。

Kビルへ戻る途中、運転しながらそんな事をなんとなく……思い考えていた。


 一月 二十日(土) 晴れ

 大安吉日。今日は引き渡しだ。

 これでやっと私の仕事は終わりだ。
昨年2月28日に起工式を行って、今日竣工だ。

 長かったけれども、短かった様な一年間だった。
年末に製作していた、引渡し関係書類には全て社印が押してあり、後は引渡すだけとなって
いる。
最終請求書、追加工事請求書も提出準備が整っている。

 特別に引渡しだからといって、儀式的なものはない。
鍵(カード)のチェックとこれからの管理方法、2月1日から第一番目のテナントが引っ越し
て来る迄の管理、及び各社の入居に伴って電気、水道のチェック等をどの様にコンピューター
入力するかがポイントである。

 これから1週間は私もここへ残務整理に来るので、鍵、カードの管理はオーナーに替わって
行いましょうとなった。

「当分の間、全館クリーニングは毎日行わなくて可としましょう」
とオーナーとメンテナンス業者の打ち合わせ内容を、私はまとめているだけだった。

 私はもう残務整理、下請けとの精算払い打ち合わせと支店内への報告、それにこの仮事務室
の引き揚げを、ここ一週間で行えばいい。

今日はもう土休したい気分丸出しの休日感覚だ。

午後からM店舗と同じ様に機器の取扱い説明会を行った。
インテリジェントなだけに、使い方よりも感心する方が多くて、取り敢えずの説明で終わって
しまった。

「やっぱり何かあったら、私の所か緊急連絡先へ知らせて下さい。私の家には、例え深夜でも
結構ですから、飛んで来る時は飛んで来ますから」
と言ってオーナーに念を押しておいた。

引き渡しは終わった。
とにかくぐっすり眠りたい、今は・・・。

 

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竣工施主検査

2024-10-01 08:01:48 | 建設現場 安全

一月 十二日(金) 晴れ

 最後の打ち合わせ会というよりも『竣工施主検査』として集合して頂いた。

支店からはT工事課長、営業のO主任、設計事務所のA所長も来られた。
皆で検査と言うよりも、新築建物見学会の雰囲気になってしまった。

「気に入らない所がございましたら、この赤札付箋を遠慮なしに貼って下さい」
とA設計事務所の方々とオーナーの御家族にもお渡しした。

後から手直しする場合に、一目で分かる様に目印代わりに赤札(コメントも記入)を使うのが、
私の検査のスタイルである。


 いつぞやの検査時、ここに「汚れ」でベタッ、ここは「傷」でベタッ、これは「曲がってい
るみたい」でベタッ・・・と何でも、そう文字通り遠慮なしに貼られたお方もいらっしゃった
ものだが、さてさて今日はどうなる事やら―――と思って黙ったままで眺めている。

とあるデパートの部長さんの話で、
「1階から順番に見て行く人は、買わないけども、じっくり見る。エレベーターで最上階迄行
って降りながら見る人の8割は、単に見るだけで終わり」
この言葉を検査の時、私は有効に使わさせて頂いている。

スタート場所が1階でじっくり見られると検査のペースは確かに遅い。
最初の部屋だから全てのモノに手を触れてみて、どこを検査しようかという不安もある様だ。

私の使う手としては、建物の最上階へ一気に集合させる。
エレベーターに乗って上がると、室内の検査よりも、外の景色にばかり気を取られるのが、人間
の感性というものだ。

 別に検査を簡単に済まそうと言うのではなくて、あくまでスピードアップの方法として、使
っているだけの事だ。

 私は仕事上チェックの時は当然下から上の階へ順番に見て、更に降りながら確認する性格だ
けれど、竣工検査時に於いて上る時も見て、降りる時も調べてたら、とても一日ではチェック
が終わらない。

 今日迄全く何も見てないオーナーならば仕方無いだろうけれど、今までにも変更打ち合わせ
を行った部分は、その都度確認して頂いているので、別段目新しい事も出て来なかった。

 流石(さすが)にA設計事務所所長は、
「ここは私が描(か)いた設計図と違うね、変更したの?」
というポイントはしっかり見て下された。

「はい、変更指示を頂いて、その様になったのです」
「この方が、機能的に良かったのだろうか?」
「テナントがレイアウトの関係で△△を置くから、変えて頂ければという事でした」
「そうか、中島君は承諾してるんだネ」
「はい」

こんな会話が三度あった。
私自信も遠い昔に変更していて、それが当たり前(設計図通り)だと思い込んで創(つく)って
いたので『違うネ』の一言には
(えっ?・・何が?・・どう?―――)
と一瞬背中が凍り付いたのを、感じた。

建物の外観チェックとなった。      
「やっぱり手すりはアレで正解ですネ」
「良くなったわね」
さあて、アレとはステンレスかアルミか、又は着色塗装の件か・・・。
「アレで良かったんですヨ」と答えたが―――。

立体駐車場の取り扱い操作方法も私の車で、出入りのテストを行った。
機械自体は良いのだが、点検用出入口の為にオープンになっている所から、子供が誤って入
り込む危険性がある。
 一般使用の部分には赤外線センサーで緊急停止装置があるので問題はないが、この部分は
点検者用なのだから除外されている。

「ネットフェンスで高さは1.5m位の仕切りを作ったらどうか?」
とT建築課長。
「付けましょう。もうこの際サービスでネ」と私。  

この際とは、何故なのか一つ言っておく。
追加工事を12月に決めて頂いて、今後は追加はない(と思う)との取決めを行っている。

私も2000万円近くの追加工事の後で、20万とか30万円の第2回、第3回目の追加工事
見積書を作りたくない。

1回目の決定金額査定の時、後から多分50万円はサービス工事が出てくる雰囲気だったから、
それなりに含みのある金額で決定しようと約束してたのに、予想金額が下値でギリギリだった
から、今後追加工事は出ないものと信じていた。

その直後に3~4件追加を頼まれて、見積もれば合計80~90万円になっている。
これは予算内消化工事にしようと努力していたし、追加工事と本工事での減額工事のバランスを
丸く納めれば、オーナーも理解して頂けると思う。

この場に来てネットフェンス代は『最後の一枚』を取られたかの如く、丸裸になってしまっ
た。
官能小説風に言うと、
「○○子は明りを消しベッドに横たわり下半身に手を伸ばし、最後の最後まで女として大事に
残しておきたかったこの、白くて薄い一枚の・・・・」
となるのだ。
うん、私は次はポルノが書ける。ヘヘヘッ。

ネットフェンスの追加工事の件は、頭の中でソロバンの珠が激しく揺れ動くけれども、最終精算
見通し報告に赤字が出て来たら出たで何とかするしかあるまい。

検査は手直しと言う項目は出て来なかった。
フェンスもサービスで取り付けるという約束なので、残工事としては一応何もなかった。

手直し項目なし、残工事なし。                         
立派なものだ。

A設計事務所の所長から、
「引渡し前にカーペットのクリーニングをもう一度お願いしますね」
と頼まれた。了解。

『検査としては一体どこを検査したのだろう』
という感覚で終わってしまい、打ち合わせ室でN子の入れたコーヒーはことのほか美味かった。

これで現場担当者として、所長としての責任を果たせた事にもなるだろう。
無事故無災害で竣工出来た幸せを含め、
『生き甲斐』
を今頃やっと―――感じ始めている。

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仕事始めなのに

2024-09-17 07:31:24 | 建設現場 安全

一月  八日(月) 晴れ  

長いお正月休みだった。
4日には2時間程『仕事初め』の挨拶に出席して、Kビルを一巡り
しただけで、また休みだった。
(ついでに日曜日(昨日)迄休もうと決めていた)

 やっと今日から門を開いて、職人達も来る筈だ。
クニへ帰ってるヤツも元気に戻って来ているかな?F君は海外旅行をしたかな?・・・スキー
場かな?とボンヤリ思って車を走らせながらの出勤であった。

Kビルの正月休みにデーンと場違いな如く残っていた工事車両用ゲートを今日撤去した。
休み期間中の警備の為にのみ残していたものもなくなって、とうとう建物の周辺は『まる裸』
になった。

 道路から眺めても、建物自体が目に入り、完成したのだ…という雰囲気だ。
建設省から借地していた部分を整地してゴミの搬出をし、外柵を作れば建物外部は完了だ。

 明日が受電、夕刻からは設備機器の試運転開始だ。
エレベーターは明後日から最終調整を残すのみだ。
立体駐車場も受電によっての微調整を残しているものの、いつでも竣工OKの状況になった。
建築工事としては各階テナントの室名札に「正式会社名」の書き込みが残っている位だ。

昼過ぎて支店建築I部長より電話があった。
「この前言っていた件、F君を明後日、10日で返してくれないかい?」
「一応オーナー検査迄はこちらに置いていただけませんか?次は何処へ配属になるのですか?」
「市内のテナントビルだけど、所長はK君だがその下で働いてくれる若手職員が、F君に決定
している。もうKビルは君一人でいいだろう?」

「今度の金曜日は定例打ち合わせで、設計事務所もオーナーも来られますから『竣工検査』
予定していますので、それ迄――」
「別にF君がいなくてもいいのでは?」
「それは困ります―――」と言いつつも、
(こりゃダメだわい……)
と観念してしまった。

 人がいいと言うか同じ会社で困っている若手所長の下へ、助け船を出すのも《男気》があっ
ていいではないか、部長も困っている様子だし、願わくば昵懇(じっこん)の仲の所長の所へ
送り出したかったけれども、こちらの都合通りにはいくまい―――と思った。

一応、部長の言葉をF君に伝えた。
12月の初めの頃は、
「次は自宅から通える(今は寮生活)現場にするから…」
と言われていて、親元へ報告していただけに、ショックはあった。
親御さんの方がショックが大きいだろう………。

「大型現場へ配属されるという事は『技術屋』として認められている事だよ」
と気休めでは決してなくて、本心から教えておいた。
何時か………分かってくれる・・・と思う。

こうなるとF君の送別会を急いで行う必要がある。
早速いつもの昼食会メンバーに連絡した。
今度が本当に最後の集まりの予感がした。
誰からともなく
「N子さんも連れて行こうよ」
となって即、決まった。

こうして現場から配属人が別れて行く時には所長としては『感無量』だ。

Kビルはこのメンバーでよくまとまっていたので、
「次もやろうよ、やれたらイイね」
と打ち溶けていただけに、名ごり惜しい。

これも建築屋としての『宿命』なのだ。
また違う所長に出会う。
私もまた違う若手職員に出会う。

半年から一年半位のサイクルで人の流れが行き来する。
一般会社のサラリーマンとは、ここが違うのだ。

この出会い、人とのふれあい、そして別れ―――
それはオーナーとも設計事務所に対しても同じ事ではあるが、人間関係がどんどん増えて
行く渦の中にいるだけでも、この
仕事の充実感、仕事の上(建物竣工)での楽しみ》
は口では言えないものだ。

そうか・・・そうか終わるのか・・・これで―――。

(砂漠の中で沈み行く夕日を、ただ立ち尽くして見ている………)
そんな『絵』が今の私の心境だ。

  一月 十一日(木) 晴れ

昨夜はF君の送別会だった。

今日から次の現場へ行き、Kビルは全て私が行う事になった。
鍵の開け閉めから、安全日誌、工事打ち合わせ、職人達の呼出し………何だかF君に頼って
いて、頼り過ぎていたんだなア―――と反省してしまった。

彼としては、
「(所長、もう少しは動け(働け)よなあ・・・)」
と余程言いたかったのだろうネ。

もう2週間で引渡しだけれど、仕事の量、残工事としては、微々たるものだ。
設備は本設の電源が入って、空調(冷暖房)を試運転の真っ最中だ。

とうとう『インテリジェントビル』としての機能が現れて来た。
鍵不要のシステムも面白い。
夜カードを通して退出すると、夜間警備開始に切り替わる。
空調、照明を消し忘れて帰っても30分後には全自動オフになり、ドアは開かなくなる。
その建物全体の空調、照明、EVも止まってしまう。

朝は各テナント社毎に出勤時刻30分前に自動空調オンだ。
これらの操作が電話回線で遠隔操作出来る、というコンピューターシステムつまりインテリ
ジェントなのだ。

ドアに鍵が付いているけれど「これ何のため?」と私は疑問に思う。
カードを使用しないとドアが開かないし、変な所から侵入すれば警報システムが発信される。
銀行の出入り口とほぼ同じ様なシステムだ。

(このシステムが一度狂うとか停電とかになると―――)
という仮定の条件がすぐに頭に発生するのは、ゲスの勘繰りとでも言うのだろう。

緊急の場合のシステムも用意されている。
そこがインテリのインテリジェントたる所以(ゆえん)でもあるのだ。

最後に一言だけ宣伝をしておこう。よく頑張ってくれたお礼として。
このKビルは《日立EVサービス》がインテリジェントビルとしてオーナーと企画、交渉し
て建築計画を進めた努力の上の建物だ。
 設備関係を主体にテナントビル設計を始めたと言える位、よく面倒を見て頂いたし、これ
からもメンテナンス上からも一切を任しておける『いいスタッフ』で仕上がった建物だ。
御苦労様でした《日立EVのmino》さん。

Kビルはフラットケーブルをカーペットの下に通して、部屋のどこからでも電話とコンセン
トが引き出せるという設計だ。
名古屋地区初工事(らしい)シロモノで同業の設備業者も施工中に多数見学に来られていた。

このフラットケーブルはカーペットの下に敷き込んでも、厚さ2㍉もないので(画用紙より
も薄い)歩いていても床に不自然さはない。

テナントの要望する所へ、床上を配線の必要があるのが普通だが、フラットケーブル対応型
のカーペットだから、太い配線が薄いケーブルになっただけだし(ケーブル変換機を置く問題
もあるが)机を配置した後でも床をめくっての作業は困難ではない。

この配線自体を止めて(コードレス)になって初めて私はインテリジェントだと思うのだけ
れど、そうすればテナント賃貸料に跳ね返り採算が合わないのかも知れない。

もう10年もしない内に、インテリジェント方式は大会社の本社、支社には当然の事になるだ
ろう。
今でもそうなっているのに「私が知らないだけの事」かも知れないが・・・。

建物自体もコンピューター管理化の波はどんどん進んでいるのだナ。

 

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年末余裕のひと時に

2024-09-02 07:44:52 | 建設現場 安全

十二月二十六日(火) 晴れ   

もう全く仕事をする気力が、なくなってしまった。

現場はもうする事が殆どない。
手直し工事も終わったし植樹は今、行っている。

F君は昨日から年末休暇に入った。
今頃は私の代わりに海外旅行・・・?
私は
(今年の仕事は終わってしまった)
という空気抜けの虚脱状態だ。

それに比べて、きっと年末に
『絶対にコンクリート打設だ』
と頑張っている現場が相当あるだろう。
応援に行こうか、ヒヤカシに行こうかと思っても、電話をかけるのもオックウだ。

もうここ迄ノンビリしたら動けない、ナマケモノになったのだ。
今までの忙しさの(さして忙しいとは思っていない)穴埋めだと、有り難く受け止めてお
く事にしよう。

お昼前に型枠工事(名倉組)の社長名倉さんが『仕事納め』の挨拶に来た。

年末にはコンクリート打設が重なっていて、今でないと『挨拶廻り』が出来ないそうだ。
「大変だねえ・・・」
としか言い様がない。

「ここKビルは丁度、時期的にも良かったよ」
と話が始まって、昼食まで御馳走になった。

名倉さんとN子と私の三人。
贅沢(ぜいたく)にもしゃぶしゃぶのKに又行ってしまった。
今日位は昼食で飲んでもいいだろうと一杯飲んだ。
私も気分的には『仕事納め』になっている。

門を朝から半分閉じてアポの無い車は入れない様にしてある。
だが、どこからとなく来客はあった。

ところで、型枠工の社長名倉さんに、
「Kビルは儲かっただろう?」とズバリ聞く。

「まあネ」
「私が所長になってから初めての付き合いで、どんな感じだったの?」
「しっかりせんと、持っていかれると用心した」
「えッ?何を私が持っていくの?」
「も・う・け」

「なるほど、で儲けただろう・・・予想以上に」
「まあ予想より約2割り
「(・・・なぬッ?―――)」

 余程私に警戒をしていたのか《予想より2割りならば・・・》
と、人の財布を気にしてしまう。

これはコンクリート打ちに一度も
「間に合わない、応援だ」
と騒ぐ事なく、常時5~6人の大工さんのペースが守られて、自分達のグループ内で仕事を
こなす事が出来たからだと思う。

「他の現場が手詰まりの時は、Kビルで仕事が出来る体制が4ヶ月もあったからだ・・・」
との内訳け話だった。

「次も俺とやる?」
「やらせてよ、頼むよ・・・ネ」
「これ食べながら『ダメ』とも言えないじゃあないの」 
と言って大笑いだ。
N子は黙って『肉取り』に専念していて、それも大笑いだった。

こういう腹の中を正直に言える社長は好きだなあ。
しかし、この社長が
「所長によっては仕事がいらない」
という所長もいるのだから、不思議としか思えない。

名倉社長とはこれからは長い付き合いになりそうな予感がした。
俗に言う『ウマが合うヤツ』だろう。

今年3月にF工事部長を囲んで飲みに出た時は、お互いに敬遠していた様だったのにネ。

 私はやっぱり人見知りするんだ。
最初からイニシアチブを取れる能力がないので、名倉社長も
「持っていかれる」
と感じたのだろうか。

まあ、話もお肉も美味しい昼食タイムであった。
ゴチソウサマ―――。

 十二月二十九日(金) 曇り

お正月を向かえるべく、シメ飾り鏡餅等を飾る事で今年の仕事は終了だ。
仕事としては別にないのだが、竣工関係の提出書類を落ち着いた時に作っておこうと、ワー
プロでガチャガチャやって時間を過ごしている。

このワープロももう3台目だ(新機種の度に乗り換え)。
結構こういう機械ものが好きな私は、家にもFAXとかコードレス電話を置いてある。
ファミコンが出始めた頃も、子供達より先に欲しがって女房に笑われたものだ。

「これからはコンピューターと遊ぶ時代だ」
と偉そうな事を言っていたのが、いつの間にか『スーパーマリオ』に私の座を奪われてしま
っていた。

ファミコンのベーシック迄揃えて、データインプットしてゲームを動かしていたのに、今で
は見向きもしない。
今、私はキャド(CAD)コンピューターでの製図に憧(あこが)れている。

コンピューターグラフィック迄行かなくても、製図を書く事位も操作出来なくて
『今時の建築マン』と言えるか!と言いたい人間なのだ。

CADで製図を書くと訂正もスピードアップだし、正確できれいなのは良く分かっている。
これを現場でマスターすれば図面での残業もなくなるだろうし、長い目で見れば得だろう。
CADを教えてくれる人も少ないし、何よりもコンピューターソフト自体が高額だし、その
あたりで安売りしている訳ではないのが残念だ。

ワープロのお蔭でAマンションもM店舗もKビルも、支店へ(タイプ願い)を出す手間がな
くなった。
それよりも支店で竣工関係タイプの時期が重なった時は「あなたのワープロで作ってョ」と
至急タイプ原稿作成応援の電話が入って来る場合もある。

「現場名称と住所と施主名と……を入れ替えればいいので・・・」
と支店担当者は言うものの、8割は書き換えだ。
ただ、フロッピーには殆どの協力業者のデータを書式に設定しているので、タイプのように
最初の文字からすべて打込むのでなくスピードアップだけの事だった。

「そう、いいですよ」
と一文の得にもならないままに製作しているが、自分の時は全て自分でやるのは当然だけれど
も、『誰か手伝ってヨー』だ。 

こういう時のN子は、
「コーヒー入れて来るわね、所長サマ
と席を離れてしまった。ニックイ奴メ!。

ゆっくりと、たおやかにKビルでは新年を迎えようとしている。
後はガードマンに鍵と植え木への撒水(さんすい)をお願いして、完了だ。

 1989年(平成元年)現場作業終了なり。

 

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自主社内検査を迎えて

2024-08-19 07:43:05 | 建設現場 安全

 十二月 十八日(月) 晴れ

 ここ2~3日声が出ない。
風邪だと本人は自覚しているのだが、
「カラオケの歌い過ぎよ」
と専(もっぱ)らのウワサだ。

確かに忘年会は数回行いましたし、蟹も海老もフグも喰ったけれど、カラオケは……。
別に嫌いな方ではない。
音楽の道に進みたかった(フルバンドのピアノマンだった)だけに、アイドル歌手よりは
自分が歌っている方が上手い、とウヌボレている。

NHKの《のど自慢》に出ても鐘一つてな事はないだろうというオダテに昨日も乗って、あの
スナックでは「マイク離さーず」(離さない二人組)になっていた―――かな?

「喉(のど)の痛みよりも、声が出ない、喋(しゃべ)れない方が苦痛を感じる」
とN子に言ったら10分間も笑い転げられてしまった。

 こうして黙っているとやはりこの現場で必要及び不必要な事の何にでも(首・口?を出して
いたのか)と反省する機会となった。
でも私が黙ってると、周囲が暗くなって、
「所長さん、今日はどうして機嫌悪いの?」
なんてN子に職人達が小声で訊(きい)ている。

「そうなの、スタミナ切れでネ、しゃぶしゃぶのKに行くと直るそうなの」
とN子も誰に似て来たのか
『オットリ構えて核心を突く話』が出来る様になって来た。

冗談だわよ」から、
「冗談から駒」と私。

「冗談からゴマ」とN子。
「ゴマからゴマだれ」と私。

「ゴマだれは…しゃぶしゃぶのK」(二人同時だった)
と連発の誘導作戦だ。

今は忘年会シーズンに突入しているので夜毎の出張は各自自制してはいる。
それでもエサを蒔(ま)けば食いつくものもあるだろうけれど、エサも今の所、種切れだ。
だけど明日は営業関係者引き連れて、ここの現場関係の忘年会だ。

カラオケの為に喉(のど)を大事にしましょう。
熱はない。
鼻水が少しでて、喉よりも声がかすれる現象だ。

風邪だよ、やっぱり・・・。喋(しゃべ)れないのは苦痛だが・・・。


 十二月 二十日(水) 晴れ

昨日の忘年会で体に少々ヒズミが出てるみたいだ。

ここ数日は体調が悪いけれど、仕事への影響はほとんどない。
今日は午後から『社内検査』だ。
M店舗の時は満足に検査を受けられなかったので、Kビルはしっかりと見て頂きたいものだ。

もう残工事としては、植樹と一階の外部クリーニング、それから受電後の機器の本調整だ。
植樹は年末に行う予定だ。
正月休暇の間《植え木の管理》が問題なので、正月過ぎて植えた方が木が枯れなくて良いと
いう植木屋さんの声を聞いたものの、
「正月明けてイライラするのも嫌だから、年内最終便で植えよう」
となった。
お正月休み期間はガードマンに水をやってもらうように話をしよう。

建物への受電(メーター器設置・電力料金発生)は1月9日に予約を取ってある。
オーナーへ引渡しは1月20日、建物使用開始の入居第1号は2月1日以降と決定した。

社内検査で不備を指摘されても、手直し期間はあるし、この際隅々まで検査して頂いた。
精度的なもののみならず、監理書類の整備もチェックした。

この社内検査の内容を設計事務所に『自主検査報告書』として提出して、その後に設計事務
所とオーナーで『竣工検査』を行う手順になっている。

毎週の定例会議でオーナーと設計事務所とも打ち合わせをしているので、
「直せ!」「直らない・・・」
等の問題は出て来ないと思う。
スムーズに引渡しが行われるのが、創った者としては『最良の願い』だ。

―――昔、―――
       「こんなモノじゃあ受け取れない、××を直せ」
       「△△を直したら精算金を支払う」
        とか言って、最後の工事支払い金を延ばすオーナーさんもいた……と聞く。
       「売れるのを見越してマンションを建てたが(売行きが悪くてその分こちらへ
         工事代金が廻って来ない)という、我々には資金調達には関係はない話であっ
        ても、精算して頂けないという事もあった………」とも聞く。

        支払期日いを延ばす(?)為か、微々たる事を大きく取り上げて、手直し検査を
        依頼しても、担当者が出張だとかで引き延ばし作戦に遇ったり―――とも聞く。

   「オーナーと仲良くして、工事代金を頂いて、初めて任務が終わる」
          と諸先輩から教えられたものだった。
   (工事期間中に施主と金銭を含むトラブルがあっては所長失格)
   は言わずもがなで、無災害で竣工し多少の利益を生まねばならないものだ。

          今はある程度の信用がないと、工事そのものを受注しなくなってはいるが、
        竣工時現金払いだった話なのに、手形が何割か入ったというのもママある。
       
   外壁吹付後「建物イメージが違う」と言ったオーナーもいたネ。
           設計変更通達書類が届き、修正・再施工にも係わらず、精算時には
   「知らないよ」
    といった設計事務所もあったものだ。―――

建物検査を終えて検査に立ち会っていた協力業者の方々も事務所に戻り、N子の淹(い)
たてのコーヒーに皆ホッと一息ついている。  

昔、「何だコレは!?・・・○○社長を呼べ!」
と不満の個所が出てくると《頭からガーン》と押さえ付けたがる検査官もいるみたいだった
けれど、今日は「平凡に」というか『無事に』終了したのは、職人さん達をふくめて皆の
努力の結果と言う事だ。

後は引渡し迄スムーズに仲良くやりましょう。
残り丁度1ヵ月となった所だ。

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原価管理の本音は

2024-08-05 07:41:05 | 建設現場 安全

十二月  一日(金) 晴れ   

師走。
ついに十二月だ。
建築業界は十二月末の竣工が一つのピークだ。

区切りとしての年末か年度末かに竣工日が集中する。
新しい年から新しい建物でという日本人の固執してしまっている考えに、古いこの業界が押し
切られている訳だ。

昨日現在出来高は94%だ。
もう終わったも同然だが『追加工事の金額』を決定させるのが(近日決定)私の責任仕事の
一つだ。
今月には追加工事の支払いが一部出て来るのだから、ここ1週間以内には決める見通しだ。

Kビルの竣工は1月だ。
今月の中頃には竣工検査を―――と気合を入れ始めた所へ、
官庁検査関係は1月になってから行うので、年内に業者の自主検査を済ませる様にネ」
とA設計事務所より連絡が入った。

今、室内は4階迄床カーペット貼りが完了していて、上履きスリッパで作業している。
クロス貼りは6階施工中でもう少しで完了だ。
クロス貼りの完了した部屋には、設備工が電気のスイッチや空調のカバーを取り付けている。
設備担当のK君とH君もこれからが《本番》だ。

各室には鍵が掛かって……アレッ?掛かっていないヨ。(工事期間様の仮鍵のままだ)
これ明日、即、手配の確認だ。

塗装工事も終了していて、傷がついた所をもう一度チェックして仕上げると終わりだ。
(やり残しているものは―――)
と昨日からそればっかり頭の中が空回転している。

こういう時は契約書を見るに限る。
その中の見積書(請負契約書)だ。
一式という所(項目)はパスしても、各工種毎に内訳明細がある。
 例えば雑工事の場合―――
         避難ハシゴ2台、消火器B型8本、鍵ケース1ケ、各階案内板、室名札、黒板、
         掲示板、郵便受け、タオル掛け、旗竿・・・。
取り付ける物も結構あるものだ。
他に外構工事では―――。

今日は安全大会の日だ。
昼食時に場内にいたのはEV工、設備工と片付け人夫で合計しても8名の淋しい大会だった。

今年もまた12月後半は労基署の『歳末特別パトロール』が実施(来場)される。
Kビルはまだ一度も立ち入り検査を受けていないので、今月は来場がありそうな気配が濃厚だ。
15日からは
「無事故の歳末、明るい正月」
の垂れ幕を掲げて一年を締めくくるのも例年通りだ。

今年の師走はアンダンテ(歩く速度)で現場を過ごし、新年を迎える事としよう。

十二月  八日(金) 晴れ

全く現場とは関係ないけれども、今日は太平洋戦争開戦の日だ。
この日があって8月6日、原爆の日があって、戦争が終わった・・・と未だに思っているのは、
私が広島人だからだろうか。

《平和である、自由である》
という事は何をしてもいい事だとは思えない。

自分勝手に行動して、それが自由だという考えを教えたのは誰だ?
日本国憲法を自分の本棚にも入っていない日本人に、自由、平等を語る資格はない。
「勉強して出直して来い!」
と今日はヤケに堅い話になった。

というのも、これは朝、通勤途中のFMラジオのDJが、アシスタントの女性に、
「今日、8日は何の日か知っていますか?」
「巨人軍〇〇選手の誕生日です」
と自信満々に答えた時からムカーッと来た。

DJの方は戦争の話をするつもりで問いかけたのに、何と言う無知な女性よ。
(しゃべ)る事がプロにしては暦からの空気が読めないのでは
「一発で失格」
だネ情けない。

この平和、自由は降って湧いたものではない。
これを何とも考えていないから、楽な方へ楽な方へと若者も、日本人も、人間も(ついでに
私も)流されている。
やはり、歴史というもを通して、過去の人達の人生を通して、今日がある事を気づいて欲しい
のだ。

 寺院建築をみても平安時代にはその時代、鎌倉時代にもその時の息吹があり、戦争で無にな
ったものも有り、そして復興しての今日だ。

 今、我々が創っている建物、これが何百年後に有るかどうかも分からないが、残っていれば
我々の訴えようとしたものを形として現せるだけに、
《平和を守らねばならない》と私は叫ぶ。

ピラミッドは誰が作ったんだ?名もない人が王様の為に作った物でさえ、私は見学に訪れた
い欲望でいっぱいだ。
我々だって何かをこの地球に残せれば幸せだと思いませんか。

さて、本日の本題。
定例打ち合わせで(追加工事金を決定して頂いた)というよりも、
「△△△万で決めて来たけどいいね」
「ハイ!」
としか答えられない、簡単な一発回答の即決だった。


 頭の中で多少ソロバンの珠が動いたけれども、ここから50万~100万の増額願い話をして
もみみっちい。
これで儲けるつもりは当初からないのだし、予想金額最低ラインより少し上だったので
OKしてしまった。
(背広族は1円でも多く決めてもらえと当然のように言うて来るのだが・・・)

 もう1ヵ月の内でさほどのチョンボでもしない限り、予定外の出費さえなければ、一応私の
工事原価監理能力を疑われずに済む筈だ。

原価監理(予算書益金+〇%アップの儲け)は企業秘密として、建築業界として儲かったと言う
時代はオイルショック前迄だったのかも知れない。

見積書の中でも直接工事費に材料費、これだけで請負金の何10%も出て行ってしまう。
そして残った部分から、諸経費として仮設工事費、現場経費、安全監理費、支店経費を差し
引いていくと、引く金額が無くなって(純益そのものが0に近づく)
『赤字だ、赤字だ』
と騒ぐ場合も多々ある。

見積書の最後の項目に諸経費一式△△△万と書くと、その金額だけを見て、
「安くせよ、何で諸経費がそんなに……これがお前さん所の儲けだね」
と、さも分かっているような事を言う監理者もいる。

経費を全額残しても仮に10%なら、使わなければ10%は儲かりそうな計算も成り立つが、
使わずに仕事(建物)が出来るモノではない。

実施予算書の純益目標値から0.5%は益率の良化をする様に努力はしているが『現場四監理』
中で工程、品質、安全の後に原価監理が続いていては、まだまだ未熟者なのだ、この私は。

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