「愛想を振りまく」ではなく「愛嬌を振りまく」。「おあいそしてください」はお客の使うことばではない。「汚名挽回」ではいつまでも汚名のまま。「とんでもございません」のどこが間違っているのか・・・・・・。話しことば、書きことばのうっかりミスから敬語の正しい使い方まで徹底網羅。愉しく読んでいるうちに、すっかり日本語上手になれる本!裏表紙より。
ブログを始めてもうすぐ3カ月、ここらで日本語をチェックしておくべきではないかと、そう思った訳でござる・・・書いた記事を直す気はねーですがネ!
でも誤字・脱字はこっそり直してます。
引用部分の間違いは酷いね。引用タグの失敗も酷いね。
第一章 うっかり間違う!「話しことば」「重し」は上に乗せるもの、沈めるためにつけるのは「重り」。
「重しをつけて沈める」ではなぜおかしい?
「重しをつけて東京湾にでも沈めてこい」。テレビのサスペンスドラマで、死体を前にしてのセリフですが、いくらすごんでも日本語としては失格です。
ただし、「親分、重りの間違いです」といっては、あなたも東京湾行きになってしまいますからご用心。ボスが黒だと言った白を黒だと言える人でないと(組織で生きていくのは)難しい。
世の中「日本語読むより空気読め」なのである。(きりっ)
「心を仕留める」では殺す意味にいやーこれは間違えないだろう・・・間違えないよネ?
「A子さんは、彼の心を仕留めて、秋に結婚するそうだ」。ずいぶん、ぶっそうな話です。「仕留める」とは「殺す」という意味で、たとえば「熊を仕留める」のように使います。例文では、「彼の心を殺す」ことになってしまいます。
正しくは「彼の心を射止める」です。
よく、男性側から「結婚は恋愛の墓場だ」といわれますが、これは、彼女に仕留められてしまった人の言い草でしょうか。婚姻届にハンコをついた・・・お前は既に死んでいる。
第二章 案外知らない「ややこしいことば」この部分は「0」だから関係無いんだけど、
一人だけでも「友達」でいいの?
「私たち」といえば複数を表し、「我々」ということです。「友達」も同様でもともとは「友たち」、つまり複数の友のことでした。
しかし、現在では「友達=友」と考え、「友達が来たよ」といえば一人でもよく、「友達たち」のような言い方も成り立ちます。歌物語の『伊勢物語』にも「友だちども」とあり、「友達」を単数扱いにする用法は古くからあったようです。
ところで、「達」には「たち」という音訓はありません。「友達」は常用漢字表の付表に「今日=きょう」「昨日=きのう」などと共に掲げてあり許容の表記ですが、「私たち・君たち」は仮名書きにするのが表記のルールです。(´・∀・`)ヘェー
しかしgoo辞書には『私達』が載っている・・・
gooブログにタダ乗りしている身としては、これからも躊躇することなく「私達」「君達」を使っていく所存でありますっ!
第三章 ホントはどうする「書きことば」下手に格好つけた文章を書くと、「恥をかく」という例。
「最後」を「最期」と間違うと大変
「今はどうであろうと、最期に笑う者はこのオレだ」とは、何やら悪党がニヤッと笑っている姿が目に浮かびます。しかし、「最期」では、死んでしまうのですが、それでもいいのでしょうか。「笑顔で死にたい」とは殊勝な心がけです。
「旅の恥はかき捨て」、このブログは「webの端に書き捨て」なんつtt
第四賞 これでは失敗「敬語の使い方」これは言っちゃってるなぁ。
「少々お待ちください」
用法上は別に問題ありません。事実、たいていの人がこういうふうに言っているようです。しかし、「少々お待ち願えますか」と、疑問形で応えるのが礼にかなった言い方です。
なぜかというと、「少々お待ちください」では相手の都合も聞かずに、一方的に待ってくれと、要求することになるからです。かけてきた相手は、ひょっとすると、その場で待つよりも、あとでかけ直すほうが都合がよいかもしれません。
でも1分もかからない時だし(何分もかかるなら折り返し連絡する)、「願えますか」が正しいとしても無駄手間感がする。今使っても、聞きなれない言葉に相手が「はい?」ってなりそう。
敬語の間違いは気にしたら負けだと思っている。(きりっ)
厳密に正しいかどうかより、伝わるかどうかの方が大切な訳で・・・
哀しいけど、最早「雑学」なのよね。
でも知らないよりは知ってる方がステキやん?
例文に対する皮肉が面白いから「楽しく読める」のは本当。
ただし別の人が書いた第四章は印象が変わる。
三章までより「硬い」気がする。一気読みはオススメできない。
暇つぶしに正しい知識を得られる本。
でも定価(700円)だったら買ってないとも思った。「こういうの」は500円までかナ。
6時40分!?フゥーフゥー!