#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

バナナやパインも穫れたて屋台。

2006-04-19 | Philippine
これもTagaytayへの道程で見かけた屋台。
歩いて行くと、こういった写真も難なく撮れる。
それが、結果的にはよかった。

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長い道のりの途中、白馬と出会った。

2006-04-19 | Philippine
Tagaytayへの長い道程、ふと脇を見やると
…そこには白馬が。

子供たちも、カメラに反応して近づいて来た。
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Boat-Ride,Boat-Ride,1500php!

2006-04-19 | Philippine
バスはTagaytayまでは行ってくれない。
中継地点で降りることに。

地理的には火山湖が見える位置にいる。
あとは下っていけば、Tagaytayの展望台に着くようだ。

妻曰く「30分ぐらい歩けば着くと思うよ」

ところがどっこい。
1時間かけて歩いても、まだまだ着く気配なし。
ひたすら、ひたすら歩く。

途中何度も何度も
「Boat-Ride」の看板を掲げたフィリピン人に誘われる。

         1500php。

日本円に換算すれば3,500円ほどではあるけど、
7phpでジープニーに乗れることを考えると、
この価格は暴挙だ。

どうやらタール湖の先のタール火山口までのガイド代も含むらしいのだが…。

トライシクルと呼ばれるサイドカーのお兄さんも
ひっきりなしに「どこ行くの?」と聞いてくる。
そのまま無視を決め込むと…走り去った。

…と思ったら、待ち伏せしてた。

「どこ行くの?」と来た。
またまた無視して通り過ごすと…走り去った。

…と思ったら、また待ち伏せしてた。

「どこ行くの?」…とても辛抱強いのだ。




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EDSAからバスでTagaytayへ

2006-04-19 | Philippine
気を取り直して、バスで移動。
フィリピンはバスの中も暗い。

曇りの天気では、こんな具合。

Tagaytayは、マニラから南へ67キロ下ったところにある避暑地。
夏でも半袖だと涼しい…とのこと。
予備知識もなしに、まずは行ってみた。

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コレヒドール島から一転、タガイタイへ

2006-04-17 | Philippine
フィリピン滞在の最終日は、
やはりマニラ市内から離れた場所へ行こう…と
滞在前から妻と話し合っていた。

しかし、計画をしっかり詰めていなかったのが仇となり、
コレヒドール島行きの船に乗り遅れるハプニング!

時間を間違えて記憶していたのが原因。

最終日にとてつもない痛手を被ったふたりは、
マニラベイのスターバックスでしばし呆然。
ボクも開いた口がふさがらず、かなりの仏頂面。

なんといっても最終日。

ここで折れてしまっては、フィリピンの印象も台無し…と
妻が以前行ったことのあるタガイタイへ向かった。

マニラ近郊の避暑地として有名な火山湖らしい。
いざ南へ67km!最終日のバスの旅がはじまった。
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復活祭の日にイエス・キリストを想う

2006-04-16 | Philippine
私たちが普段、ふつうに使っている西暦(キリスト歴)。
この2006年という年号は、実はキリスト生誕の年から始まるとされている。
キリスト生誕以前(B.C=Before Christ)と以後(A.D=Anno Domini「主の年に」の意)である。
世界史の授業でも覚えさせられたはずだ。

さらにクリスマスは、キリストの誕生を祝う日である。
「イヴ」にはステキな異性とキャンドルの灯りで過ごしたりしてることだと思う。

これだけの影響力を世界に与えたイエス・キリストの人物像を
どれだけの人が理解しているのだろうか?


        少し掘り下げてみた。


そもそもナザレのイエスと呼ばれていた人物が生まれた時代、
エルサレムを中心とするユダヤ王国はローマ帝国の植民地であった。

ものすごく混沌としていた。
ユダヤ人たちは、かなり鬱屈していた。
だから、救世主を求めた。

         「メシア信仰」と呼ばれるものだ。

映画「マトリックス」を思い出してみるとよくわかる。

地下国家ザイオンの民が、電子国家マトリックスの支配を打破すべく、
キアヌ演じるネロに、救世主への思いを重ねる…それが「メシア信仰」。

救世主がこの閉塞した世界を大きく転覆させてくれる…。
「天変地異」の大仕事をしてくれる救世主が現れる…。

ユダヤ人にしてみれば、ローマ帝国の支配は屈辱以外のナニモノでもない。
だから、さまざまな預言者が神の名を借りて、「メシア像」を説いた。

ここで忘れてならないのは、…ユダヤの民が求めた…ということ。
ローマの民やギリシャの民は「メシア」を求めてはいなかった。
つまりナザレのイエスの存在は、極めてローカルなポジションだった。

これって、意外に忘れられている。

これだけ世界に影響力を与えている救世主イエスって
実はめちゃくちゃドメスティックな存在だったってこと。
今に置き換えるのは適当ではないと思うけど、
今日みたいな日に渋谷の街で看板立てて、
「信じれば救われます」とビラ配っている程度の存在だったってこと。

とにかく混沌としていた時代にナザレのイエスは生まれた。
そしてこのイエスがスゴイところは、預言書のシナリオに自分の人生を賭けたってこと。

ここはとても重要であり、難解でもあるんだが、
「マトリックス」を再確認すれば、これもまた解決するかもしれない。
あの映画でもネロは、予定調和に導かれていくようなスタンスで自分を救世主に見立てていったと思う。

ナザレのイエスも「イザヤ書」と呼ばれる預言書に倣って
己のポジションを救世主まで高めていった。

   彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、
   彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎であった。
   彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、
   彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
   わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方向に向かって行った。
   そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた。
   苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。
   屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、
   彼は口を開かなかった。捕らえられ、裁きを受けて、彼は命をとられた。
   
   彼は不法を働かず、その口に偽りもなかったのに、
   その墓は神に逆らう者と共にされ、富める者と共に葬られた。
   病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ、彼は自らを償いの捧げ物とした。
   
鬱屈に閉塞したユダヤの民に取って代わって、自らの命を神に捧げよう…とした
「イザヤ書」のメシア像は、いわば窮余の策だ。苦渋の選択だ。
まずは自己の存在を「スーパースター」の高みに押し上げ、求心力が最高潮に達した時、
「捧げ物」として支配者ローマの犠牲となることで、ユダヤ人の結束を高めよう。

これは相当な決意が要る。

この「生け贄の小羊」的犠牲心の発想は、ユダヤ人の根幹にあるようで、
旧約聖書の中でも、神への忠誠の証として、自分の息子を生け贄に捧げる話が出ている。
実際、当時のエルサレムの神殿では「罪を清める」儀式として生け贄の動物を捧げる義務があったようだ。

おのれの命を「生け贄の小羊」として神に捧げよう。

だからこそ、迷いがあった。
捧げるからには犬死になっては意味がない。
周到な準備と画策が必要である。
イスカリオデのユダの存在が、ここで重要な責務を担うこととなる。

「裏切り者」のポジションである。
革命家としてユダヤ王国を再建しようと、
ローマ帝国への感情を剥き出しにしていたユダは篤い男だった。

求心力の高まったイエスを快く思っていないローマ帝国に対して
「生け贄の小羊」となって自らの命を捧げようと思う…
そんな計画を聞かされたユダは、かなり動揺したことだろう。

「いま、アンタがいなくなったら、ユダヤはどうなる?」

これはひとつの賭けだ。
ユダヤ結束の大きな礎となるか、崩壊の一途を辿るか…。
12人の使徒を巻き込んでしまったら、求心力も衰えてしまう。
「ここはひとつ、ユダよ、裏切り者となって、わたしをローマに引き渡してほしい」
使徒たちを欺き、信者たちを敵に回し、イエスへの忠誠心だけで
イスカリオデのユダは「裏切り者」を演じる決心をする。

十字架にはりつけにされ、さらし者になったイエス。

求心力を高め、ユダヤの結束を最高潮に押し上げたイエスの立役者として
「裏切り者」ユダの存在は、尊い。

※上記内容は三田誠広著「ユダの謎キリストの謎」やニコス・カザンザキス著「キリスト最後のこころみ」を参考資料に
 わたくしの主観で書かれたものであって、イエス・キリストおよび関連する宗教団体を誹謗・中傷するものではありません。
 よって、内容に関しては賛否両論があるかと思いますが、イエス・キリストの存在を意識するきっかけになれば…と思い、
 掲載いたしました。

ユダの謎 キリストの謎
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Tagaytayに超然と屹立するMaria

2006-04-14 | Philippine
その存在は、理解不能の境地だった。
Tagaytayの話はのちほど書く。

ミラクルを呼び起こすマリア様……ということらしい。
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Geepnyにぶら下がるイエス・キリスト

2006-04-14 | Philippine
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キリスト最後のこころみ

2006-04-14 | Philippine
キリスト教徒が人口の80%と言われるフィリピンでは、
HolyWeek(聖週間)といった名目でEaster(復活祭)前の一週間、
つまり、今週の月曜日から毎日のようにミサが執り行われる。
…会社も商業施設も木曜日から日曜日まで休みと聞いた。

昨日13日はthe Last Supper(最後の晩餐)が開かれ、ユダの裏切りが露呈する日。
そして今日14日の金曜日は、Crucification(十字架磔刑)の受難を祝う日で、
おそらく朝から、大がかりなミサが執り行われているコトだと思う。

           ●

ぼくが「最後の晩餐」と聞いて思い起こすのは、
ニコス・カザンザキスの「キリスト最後のこころみ」という小説だ。

「タクシードライバー」のマーチン・スコセッシ監督が映画化し、
イエスを生身の人間に描いて物議を醸したが、
なんとも感動的なのは、イエスがもっとも信頼する使徒として
「裏切り者のユダ」を捉えている点だ。

イエスは常に迷い戸惑い続ける弱い人間で、
しかし彼の運命は神の子として十字架で死を全うし、復活すること。
革命派のユダは、相談役となって彼を支え、最後はみずからの裏切り行為で
イエスの運命を成就させようとする。

ローマ軍に捕獲されるために、ユダがイエスに接吻するシーンは、
激しく情熱的で、官能的さえあり、ゆえに胸に響く。

しかし、とことん意志の弱いイエスは、十字架にはりつけにされながらも、
自分の不遇を嘆き、苦悩ばかりで救いがない…と天を仰ぎ、神に訴える。

「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ!」…神よ、なぜ私を見捨てた!

すると誘惑の天使が舞い降り、イエスに耳打ちする。

  「よく頑張った、もう楽にしていいんだよ」

…イエスは夢想する。普通の人間としての営みを…。
…マグダラのマリアと結婚し、子をもうけ、生を謳歌する自分を…。
…己の欲望を求めたが故に、世界は崩壊の一途をたどり、
…やがてイエスも死の床についてしまう。

        …その枕元で、再びユダが登場するのだ。

ユダはイエスを激しくなじる。
「おまえはなぜ、俺が裏切り行為までして成就させようとした運命から逃げたのだ!」

はたとイエスは気づく。
わたしは悩める万人を解放するために十字架を背負い、
自らの命を捧げ、復活する運命にあることを……

  ……神よ!…どうか今一度!…わたしを十字架のもとへお戻しください!

次の瞬間、イエスは十字架の上で目覚める。
ゴルゴダの丘の上ではりつけにされているイエスをただ、ただ、信じて、
天の神へ祈りを捧げている人々の声が耳に入る…。
…そうだ、わたしは、この人たちのために、成就しなければならない。

    「成し遂げられた!」

イエスはそう叫んで絶命し、小説は終わる。

そのあまりに困難な運命に立ち向かい、成就するイエスの壮絶な生き様と、
それを支えるユダの強靭な精神と愛情に涙したのを、昨日のように覚えている。

     まさに今日は、Great Fridayなのだ。





スコセッシの「最後の誘惑」
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LRT内は、険しい表情ばかりが目立った。

2006-04-11 | Philippine
なぜだろう。
和気あいあいとしたフレンドリーな感じはなく、
LRT内では常に険しい表情ばかり。

街中で触れるフィリピーノの笑顔も
ホーム内では、厳禁のようだった。
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LRTは慢性的な混雑

2006-04-11 | Philippine
これは、MRT(Mass Rail Transit)と呼ばれる
マカティ向けの列車に乗り換え可能な「EDSA」駅の光景。

昼間でもこのような混雑ぶり。
混雑改善のための車輌追加と路線延長計画があるらしく、
日本の会社が落札したようなニュースがネットにあった。

やはり、日本の技術はアジア諸国で
さまざまなカタチで貢献されているようだ。

マニラMRTとLRTの路線図
マニラ軽量高速鉄道を共同受注
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Light Rapid Transit

2006-04-11 | Philippine
LRT(Light Rapid Transit)なるモノレールに乗る。
マニラ市内の主要箇所をつなぐ市民の足だ。
初乗りは10php…およそ20円ほど。

1985年に最初のLRTが完成したらしい。
今では3路線が運行している。
ベルギーが日本の3分の1のコストで落札したとのこと。
⇒さきほど、ネットで調べてみた。

慢性的な混雑で、昼間も列車内は混み合っていた。
日本には特有の構内アナウンスもなく、
車内のアナウンスも言葉少なで、無言である。
借りてきた猫状態で、おごそかに乗り合わしている…
そんな白けた緊張感がただよっている。

車内でペチャクチャ会話がはずむ…といった光景には
お目にかかれなかった。

ひたすら、目的地に向かって、乗るだけ。

デパートと同じように
照明も極度に抑えられているので、
曇りの日には、ちょっとした不安に陥る。
無言のフィリピン人に囲まれているような不安…。

99%、乗客はマニラ市民だ。
観光客が利用している様子は感じられなかった。

だから、こんなカタチで撮影しているのは、かなり目立った。
ついにはガードマンに職務質問を受けてしまった。

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暗がりから、光あふれる空間へ。

2006-04-08 | Philippine
重厚なる建造物の2階に、
執務室のような部屋があった。

ゲストを招き入れ、
これからのフィリピンを語り合ったのであろうか?
バルコニーへとつながる窓からは
2006年現在の3月の光が注がれていた。

そのコントラストが、歴史そのものだった。
充溢な光につつまれ、白日の許にある現在と、
陰鬱なる暗がりにひっそりとある過去。

どちらも、私たち人間の営みの場所である。
…何か根源に触れたような気がした。
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パイプオルガンの譜面

2006-04-08 | Philippine
超大な譜面である。
まさか400年前のものではないだろう。

しかし、その重厚さには目を見張った。
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キリスト像をみつめ、自問する男

2006-04-08 | Philippine
教会脇の回廊に供えられた像。
信仰心を己に問いかけるような目が、
胸をしめつける。
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