#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【SALZBURG】列車で国境越え

2008-06-10 | MUNICH
3月15日。土曜日。
朝早く7時過ぎに中央駅へ。

今日はオーストリアは
ザルツブルグへの列車の旅。

東へ進むこと3時間ほどで、
モーツアルトの住んでいた地に着く。

途中の乗り換えもなく、
ひたすらバイエルンチケットで
車窓の変化を楽しむ。

ナムチ夫婦も
元気を取り戻し、
天候にも恵まれた
素敵な旅となった。


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【MUNICH】モラトリアム

2008-06-06 | MUNICH
この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。
世界はきみを入れる容器ではない。
世界ときみは、二本の木が並んで立つように、
どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。
それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。

でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。
きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。
きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。
大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、
きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、
一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
たとえば、星を見るとかして。

二つの世界の呼応と調和がうまくいっていると、
毎日を過ごすのはずっと楽になる。心の力をよけいなことに使う必要がなくなる。
水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。
星を正しく見るのはむずかしいが、上手になればそれだけの効果があがるだろう。
星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれども。

                (池澤夏樹「スティル・ライフ」)

学生時代に感銘を受けた
池澤夏樹の「スティル・ライフ」。

今、読み返すとその感慨も変わる。
特に、株の売買を企てるあたり。

おそらくゲゼルの「自由経済」も熟知した作家の
「資本経済」への揶揄も含んでいると感じる。

     ●

「モラトリアム」…社会へ一定の距離を置いて留まる人種。

「社会にコミットする」や「総括」なんて言葉が
街に飛び交っていた「プロレタリアート」な70年代。

そこでただ留まり、静観している奴らは「モラトリアム」なんて言われた。

いつまでも社会に与しないボクたち。

     ●

21世紀にはいっても、その立ち位置を崩さないボク。
RADWIMPSには、同じ感性を勝手に感じている。

「スティル・ライフ」冒頭部分。

一定の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかること。
それは結局、自身の感性や感情に正直であるってことなんじゃないか?

「資本経済」の歪みも
生き苦しむことでの「もがき」も

その基盤には、外なる世界と内なる世界の呼応と調和があるんじゃないか?




「モラトリアム」大いに結構。

世界を肌で感じ、内なる感性の声をしっかり聞こう…と思う。








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【MUNICH】ノイエ・ピナコテーク

2008-06-06 | MUNICH
「タクシデルミア」

3月14日。金曜日。
相変わらずの曇り空。
ドイツの憂鬱に押しつぶされそう。

今日も一日、美術館を巡り
人生のインプットを。

アルテ・ピナコテーク、ノイエ・ピナコテーク、モダン・ピナコテーク…
…と、年代別に美術館が分けられているのが、いかにもドイツ。

18世紀から19世紀にかけての
アートまっさかりなノイエに足を運ぶ。

とにかく、館内はめちゃくちゃ広い。
まあ、ルーブル美術館には行ったことがないので、
世界の規模はこれが標準仕様なのかもしれないが。

そして、異様に静か。

誰もが無言で、アートと対峙している。
妻曰く、フランス人は、がやがやとじゃかましく
アートを前に語り合うらしい。

そんな意味で、ドイツも日本と同じく
アートに対して一歩引いてるのかもしれない。

精神主義の大日本帝国や第三帝国の影響だろうか。

こないだハンガリー映画の「タクシデルミア」を観た。
人間の欲望が三世代に渡って描かれたグロテスク極まりない映画。

しかし、それがよかった。

三世代目の剥製師は、自らのカラダを剥製にして、
永代に残そうと試み、死んでいく。

残された肉体は、ダビデ像のように、
首と右手がないまま、台座に立ちつくしている。

アートって結局、そこに行き着く。
RADWINMPSの「バグッバイ」が心に響く。


   生まれてくる前に願ってたことは
   夜明け告げる朝に夕焼けを見せたげたい
   きっと惹かれ合って きっと恋に落ちるよ 


いつの間にか生まれてきて、
突然、消失を言い渡されて、
この世から、いなくなる。

せめて、そのもがきを
アートでカタチにしたい。

タクシデルミアの剥製師は
その究極なアートをやってのけた。

膨大な数の、「もがき」が、
静寂な館内に、陳列されている。


   僕がいなくても地球は回るのに
   地球がいないと僕は生きれない

   僕がいない朝に 何か降らせてほしい
   it's so easy but it's so crazy

   僕のいた朝と 僕のいない朝は
   どっか違っててほしい 少しだけでもいいから


彼らの「もがき声」が、
ボクの中で共鳴する。


   だから迷うんだ 行ったり来たりと

   僕の逝く道の上で立って待っててよね
   「ほら、こっちだよ」って「こら、そっちじゃないよ」って


今日も一日、路頭に迷う。



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【MUNICH】ドイツの日本語学校

2008-06-06 | MUNICH
3月13日。木曜日。

肌寒い天気。
夕方、ミュンヘン郊外へ。

住宅街の一角にある図書館の地下で、
日本語学校の見学をする。

事前にインターネットで
ミュンヘン市内の日本語学校を検索。
見学したい旨をメールでアプローチ。
昨日、OKのメールが届いたのだ。

初めてお会いする「哲先生」。
空手の先生もやられてるだけあって、
ガッツリした日本男子。

授業の進め方も大変ユニークで、
とてもリズミカル。
90分×2レッスンが
あっという間に終わってしまった。

20人ほどの仕事帰りのドイツ人が、
一心不乱に日本語を復唱している。

その光景は、感動的なものだった。

日本から遠く離れたミュンヘンの
一郊外の図書館の地下で、
夕方6時からドイツ人が20人集まって、

「100円ショップはどこですか?」

…と、復唱しているのである。

「日本語」というLanguageが、
ひとつの文化として、継承されている。

なんてすばらしいことだろう。

ヨーロッパ歴25年の「哲先生」の人柄もあって、
ドイツ人の生徒さんたちは、
皆おもしろ楽しく、日本語を習得しようとしていた。

とても集中した3時間のレッスンを終え、
「哲先生」ほか生徒さんたち15人ほどと、
近くのレストランでビールとソーセージを食べる。

「哲先生」は1リットルのジョッキで、黒ビールを注文。

その迫力に、ドびっくり!

生徒さんたちは、奥さんが日本人だったり、
昔日本に留学経験があったり、外交官だったり、
日本企業のドイツ支店で働いていたり…と、
何かしら日本に関わりのある方々。

なので、モチベーションが全然違っていた。

「奥さんとのコミュニケーションをよくしたい」
「仕事でもっと日本語を使いたい」
「秋葉原でメイド喫茶に入りたい」

さまざまな顔をしたドイツ人から、
一様に流暢な日本語が語られる。
言語ってすばらしい。語学ってすばらしい。
コミュニケーションって、ホントすばらしい。

なんだか、心あたたまる一期一会の時間だった。



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【MUNICH】根源からお金を問うこと…4

2008-06-05 | MUNICH
3月13日。木曜日。

「お金」についての話が
長くなってしまった。

しかも中途半端。
経済を語るには、まだまだ力及ばず。

根源の疑問に立ち返らなければ…。

そもそも
お金の機能として問題なのは、
その価値を保蔵し、場合によっては貸し付けて値打ちを増やすこと。

誰もが利子だけで生活できる環境に憧れを持つ。

特に不安な状況となれば、なおさら。
ボクも一回痛い目にあった。

元金を増やして、
生活を楽にしよう…だなどと
よこしまな気持ちになった。

生活の安定が失われてくると、
人間、そういった発想が生まれる。

コンスタントな収入が途絶えた時など、
蓄えを2倍、3倍に…それこそ
ポケットを叩けばビスケットが2倍…
…になるようなそんな夢想を抱く。

ボクの場合、やはり元金そのものが失われる
最悪の結果を招き、もう二度とそのような
よこしまな発想は抱くまい…と心に誓ったものだが、

金持ちになればなるほど、
その蓄えをどのように増倍できるか
…といった妄想に囚われるのだろう。

シルビオ・セガルもアルゼンチンで
金の暴落に見舞われ、政府の通貨政策に振り回され、
甚大な経済暴力に攪乱させられた。

そんな辛酸が、彼を「自由経済」へ導いた。

社会のシステムを糾弾する
スケールの大きな話は、
もうすこし時間と労力をかけて
取り組んでいきたい。




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【MUNICH】根源からお金を問うこと…3

2008-06-03 | MUNICH
3月13日。思索の時。

Tramに乗り込み、
アインシュタインがいると思った。

たしかにミュンヘン在住だった時期もあるので、
見まがう人が居てもおかしくない…か。


日本の地域通貨


NHKの放送があったあと、
地域通貨の活動が盛んになったように思うが、

当時の動きから比べると、
今は下火のような気がする。

現在も千葉県のピーナッツのように
活発な活動をされている地域通貨もあるようだが、
街おこし、商店街おこしとして始まった地域通貨は、
その本質を失って、多くは活動休止を余儀なくされたのだろう。

エンデやシルビオ・ゲゼルが提唱した貨幣の本質は、
「お金」も「モノ」と同じように減価(時間と共に価値が下がっていく)するものだった。

蓄えると価値が下がる…この発想転換が、
「モノ」と「モノ」の交換手段としての「お金」の本質を立ち上げさせ、
市場に「お金」が流通した。


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【MUNICH】根源からお金を問うこと…2

2008-06-02 | MUNICH
3月13日。雨に濡れる白鳥。
ルートヴィヒを想う。



「お金」が「お金」を生み出す「資本主義」。
そこにどんな無理が生じてくるのか。

もともとない「価値」を
「お金」の売買で架空に作り出している。
そこが無理な話ってこと。

何かを生産せずに対価を受け取ることは不可能だから、
「お金」を借りてしまった債務者は、
何かを生産しなければならない。

それがdevelopment「開発」。

あらかじめ想定した「売上げ」を申請して、
銀行から資金を借り、大きく土地を開発する…なんてこともある。

どちらにしても
「お金」が生んだ架空の「お金」を
実質的に生み出すために「開発」が生まれる。

利子が膨らめば、それだけ開発の規模も膨らむ。

「先物買い」みたいなイメージだろうか。

「モノ」と「モノ」の間を取り持つ「お金」が
未来に生み出す価値を「先に」生み出して大きくなっていく。

しかも右肩上がりに…留まることを知らず…。

それって、どういうこと?
「お金」が「お金」を生み出した分だけ、
ボクらは未来を食い散らしている。

未来の価値を雪だるま式に転がせば転がすほど、
未来に耕すはずだった土地は、どんどん開発され、
破壊され、急激な成長を生み、
債権者はどんどん金持ちになって、
債務者はどんどん蝕まれていく。

この100年で、世の中が急激に変わったな…と感じた原因は、
「資本」を先売りすることで「未来」を先買いした結果だったのだ。

そして、地球は環境破壊が進み、
素に戻れない状況まで追いつめられてしまった。

「お金」が「お金」を生み出すサイクルは、
どんどん加速の一途と辿っている。

ミヒャエル・エンデは、ここに警鐘を鳴らしたのだ。






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【MUNICH】根源からお金を問うこと…1

2008-06-02 | MUNICH
3月13日。木曜日。

ミヒャエル・エンデ博物館にて、
エドガーの画集やルイーデの絵を眺めて過ごす。

芳名帳には、日本から来た
たくさんのエンデファンが
その思いを日本語で綴っていた。

ボクも「来るべくして来ました」…と記した。

エンデの思索で感銘を受けたのは、
やはり「根源からお金を問うこと」

わかりやすく説明すると、

1.はじめは「モノ」と「モノ」の交換で暮らしていた。
 ⇒「パン」と「バナナ」を交換して、お互いが満足していた。

2.そこに「モノ」の価値を代用するものとして「お金」が生まれた。
 ⇒価値を定義する物差しとして「金」や「銀」が基準になった。

3.すべての価値を代用し、かつ風化しない「お金」は力を持ち出す。
 ⇒「バナナ」は腐るけど、「お金」は腐らない。

4.「お金」を蓄え、貸し出すことを商売として思いついた人間がいた。
 ⇒価値が不変だから、貸し出すことが可能になった。

5.貸し出す対価として「利子」を生み出し、儲けることに。
 ⇒「価値」を肩代わりする代わりに、手数料を払え…と。

6.モノの価値を代用する「お金」そのものが、商品となった。
 ⇒「お金」を預けると「利息」がつき、貸すと「利子」がついた。

この6が曲者で、
もともと対価の代用でしかなかった「お金」は、それだけで生産性はなく、
価値を生み出すことはできない。1000円はいつまでたっても1000円だ。

しかし、「お金」を商品として売り買い(貸し借り)することで、
「お金」にプラス手数料という価値が生まれてしまった。

「利息・利子」という名の手数料は、「お金」を借りた側の負担から生まれている。
債務者が生み出す価値である。もともとないはずの「価値」だ。

ここに問題が生じてくる。

「利子」はマイナスには転じない。ベクトルは常に上向きだ。

元金は、転がる雪だるまのように
どんどん利子にまみれ、大きくなる。
その増えた分は、債務者の手で生産しなければならない。

一方の債権者は、雪だるまが大きくなるように
資金を集める。「銀行」の始まりだ。

預ける側のメリットとして「利息」をつける。
「利息」を払うために「銀行」は債務者を急き立てる。

「お金」を商品にすることで「お金」が生まれている。
これはやっぱり、無理が生じてくる。

商品をつくって、その価値を対価として支払う仕組みから
「お金」そのものの「価値」を売買して「お金」を生み出す仕組みに。
…これが「資本主義」と呼ばれるもの。




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【MUNICH】父エドガーエンデ

2008-06-02 | MUNICH
3月13日。木曜日。すでに雨。

静まった公園に、
ほんとひっそりと
ミヒャエル・エンデ博物館はあった。

1階は国際青少年図書館になっていて
世界各国の絵本が、相当量置いてあった。

「これはこれで、一日過ごせるな…」

かなり興味深い空間だったのだけど、
まずはエンデ…ということで
3階にまで上がる。

屋根裏のようなこじんまりとした空間。
斜めになった天井がまた居心地よく、
エンデだけでなく、エンデの父や母の作品まで
キレイに並べられて、日本の和室を模した空間まであり、
静かな雨の日に訪れるには、最適な場所だった。

父エドガーの絵をまじまじと眺めたのは
初めての経験だったけど、
ミヒャエルがどうして根源的な問いを好むのか
父の絵をみて、合点がいった。

心の中で膨らんだ映像を忠実に再現すべく、
父はデッサンと称して一日中アトリエに籠もるらしいのだが、
そこからあぶり出された絵の断片を、
繰り返し繰り返し描き直すことで、ひとつの作品に昇華していく作業は、
何度も自問自答を繰り返し、削ぎ落としていく過程が伴う。

そこから導き出されたシュールレアリスムの絵画は、
たしかに万人の理解を超えた世界になっているが、
観る者になにかしらの「ひっかかり」を残す力があった。

そんな精神力の持ち主である父エドガーと対峙していたのだ。

考える力が宿るはずだ。






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【MUNICH】ミヒャエル・エンデ博物館

2008-06-01 | MUNICH
3月13日。木曜日。
午後になって、雨が降ってきた。

郊外にある「ミヒャエル・エンデ博物館」へ。

Tram17番でAmalienburgstr.まで行き、
143番のバスに乗り換え、Schloss Blutenburg下車。

(おそらくこの写真に映っているのが、Blutenburg城)

これでもか…というぐらい、郊外まで来た感じ。
同じミュンヘンとは思えないほど、交通量も多く、
幹線道路をドイツ車がびゅんびゅん飛ばしていた。

地名だけを頼りに、お城と思しき公園へ。

雨が降り始め、どんよりとした空気に
心身ともに震えていた。心細くもあった。

しかし、エンデを見ずに帰るわけにはいかなかった。

「モモ」「果てしない物語」など
彼の影響は計り知れない。

晩年には「エンデの遺言」として
根源からお金を問うことで、資本主義に警鐘を鳴らした。

「続・エンデの遺言」
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【MUNICH】白バラ記念館

2008-05-31 | MUNICH
3月13日木曜日。くもり。

ふたたび、寒さが押し寄せてきた。

今日は一日、記念館めぐり。
ミュンヘン市内をTramで大移動。

まずは、ミュンヘン大学内にある
「白バラ記念館」。

「白バラの祈り」
ハンス・ショル、ドフィー・ショルらミュンヘン大学の学生が、
1943年2月18日に大学構内で反ナチスのビラを撒き、
1943年2月23日17時にギロチン刑にかけられるまでの5日間を描いた映画。

「処刑室のカーテンが開いてからゾフィーが斬首されるまで8秒」

ホントにそのぐらい首尾良く処刑される。
一切、感傷の余地なし。

二人の看守がベッドのような台にゾフィーを押し倒し、
頭を所定位置に置いた途端に刃が落下。
一瞬の出来事でもって、映画は終わる。

この構内でビラを撒いただけで…だ。

 しかし、あの人たちは英雄と呼ばれるべきだったのでしょうか?
 あの人たちは何も超人的なことを企てたのではないのです。
 ただある単純なことを守ったにすぎない、ある単純なこと、
 つまり個人の権利と自由、各人の自由な個性の発達と自由な生活への権利とを、
 背負って立ったにすぎないのです。
 彼らは異常な理念に身を奉げたのでもなく、
 偉大な目標を追ったのでもありません。
 彼らが欲したことはみんなが、わたしもあなたも、
 人間的な世界に生きうるということだったのです。
         白バラは散らず/インゲ・ショル/内垣啓一/未来社/1964

今回は、ニュルンベルク裁判といい、ダッハウ強制収容所といい、
ナチス時代のドイツを目の当たりにする旅だったが、

たかだか65年しか経ってない事実…だと思うと、
ホントに背中が凍る。

思想とはなんなのか?
考え方ひとつで、どれだけの命が救われたのか?

現代における強迫観念は存在しないか?
ボクたちは今も、何かに縛られてはいないだろうか?





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【FUSSEN⇒MUNICH】メタモルフォーゼ

2008-05-31 | MUNICH
3月12日。水曜日。
長い長い一日も終わり。

FussenからMunichまでは
列車で1本。

1705発1907着。
約2時間、窓外の風景を眺めながら、
ルートヴィヒの人生を想う。

ヘレンキームゼー城や
ベルク城など湖畔に佇む城も
ぜひとも訪れてみたい。

今度は、夏。

緑生い茂る季節に、
どっぷりと耽美に酔い痴れよう。

    ●

この旅行で手にしてきた文庫が
また厭世観バリバリの書物で、

伊藤整「変容」

現実と虚構がオーバーラップし、
旅の間もむさぼるように読んでいた。

やはり、このあたりの反社会的なポジションが
自分の求めている世界なのか…と思う。



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【HOHENSCWANGAU】ノイシュヴァンシュタイン城

2008-05-30 | MUNICH
3月12日。水曜日。
横殴りの雨。








…そんな苦労のすえ、収めた一枚。










今、見ても、その感慨が甦る。
…それは、胸の空く思いだった。

恐怖で足元もふわふわしていた。

それ以上に、この夢の光景は、
心をふわふわと、何処か遠くへ運んだ。

…おおお、なんとも、はや。

言葉にならない。
見事なバランス、見事な調和。

この完成を夢見て、
ルートヴィヒは歯痛に苦しめながらも、
なんとか現実とつながってこれたんだろう。

彼の虫歯は相当なものだったらしい。
口を開けると、強烈な口臭と、
痛みを和らげるクロロフォルムの臭いが
まぜこぜになって、対人を滅入らせた。

両頬は、虫歯で腫れ上がり、
せっかくの美貌も晩年は台無しに。
歯痛による寝不足と薬漬けのため、
顔色も紫がかり、目の下はくすんでいた。

もはや廃人と化したルートヴィヒ。

人を愛すこともできず、
ひたすら自己の陶酔だけに夢中となった。

そんな状況下で、
このマリエン橋から
眩惑の城を眺めていたルートヴィヒ。

「なんだか、わかる気がする。」

横殴りの雨にぶたれながら、
風に足元さらわれながら、
ルートヴィヒの想いを胸に、シャッターを切った。



ああ、ディレッタンティズム。


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【HOHENSCWANGAU】マリエン橋は嵐…

2008-05-30 | MUNICH
3月12日。水曜日。
マリエン橋へ到着。

山と山の間に架けられた橋だけに、
風の通り道となっていて、横殴りの雨。

傘を差していたら、飛ばされそうだ。

橋も130年ほど前のものなので、
橋桁の隙間からがけの下が窺い知れて、
歩いているだけで、背筋が冷えた。

風、雨、高所。

ものすごい観光だ。

30mはあるだろうか。
橋の真ん中から、ノイシュヴァンシュタイン城を拝謁したい。
そして、しっかりと写真に収めたい。

しかし、風がきつく、雨が横殴り、
カメラを保持するのが、やっと。

しかも雨と風で体感気温も、グーーーーッと下がっている。
手袋なしでは、カメラを渓谷に落としかねない。

冷や冷やした面持ちで、雨に打たれながら
一歩一歩、慎重に足を運ぶ…。
風で時々橋が揺れる。それがまた恐怖を呼ぶ。

…大丈夫だろうか。
このまま奈落の底へ
落ちてしまわないか…。

妻は、橋のたもとで、じっとしていた。

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【HOHENSCWANGAU】背後から…

2008-05-30 | MUNICH
3月12日。水曜日。
ついに雨が降ってきた。

おおお、せっかくの謁見が…。

このまま引き下がれるか、
太陽の光よ!
城を輝かせておくれ!

天を仰ぐも、雨足は勢いを増すばかり。

なんというこった。

この美しき城を、
太陽光の下で、拝めないだなんて。

とにかく、王自らが
この城を眺めるためだけに架けた橋…
「マリエン橋」から城を拝謁しなくては。

ボクらはノイシュヴァンシュタイン城のお尻から
ぐるりと廻るカタチで、雨の中「マリエン橋」に急いだ。

もうしばらくは、来られまい。

なんとしてでも、ルートヴィヒの思いを追体験せねば。



…城のお尻も、やはり美しかった。





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