アマヤドリ『銀髪』ついに開幕!!!
1月31日(火)まで、本多劇場にて!!!
後期JAGATARAの「つながった世界」は、
たとえ未来に絶望を抱いても、今がサイコーだと思って転がっていこうぜ!と、
過去→現在→未来が地続きであることを諭した曲なのだけど、
そこには江戸アケミの「生まれてきてしまった苦しみ」が
呪詛のように織り込まれているように思う。
アケミの「今がサイコーだと思って行こう」という諦念がどうしようもなく胸を打つ。
敗戦を真っ正面から受け止めきれず、
忌避するかのように経済成長に邁進してきたこの国の、
目的を見失い手段が目的となったかのような拝金システムの中で、
誰もが大きな後悔の念に苛まれている社会。
アマヤドリ『銀髪』の船場種吉が仕掛ける「パニック・ビジネス」も、
行き場を喪った社会での、退屈な毎日を覆したい&
新たな人生で生き直したい欲望を仲介するカタチで急成長する。
それって、つまりはわたしたちそのものじゃん。
「今がサイコーだと思って生きよう」という諦念の下で、
捨て鉢的に変化を求めリセットを繰り返しているに過ぎない。
アケミの「生まれてきてしまった苦しみ」は結局のところ
堂々巡りを繰り返し憤死してしまうのだけど、
それでも「次々へとわき出るリズムが前に進めと」
めげずにメッセージを刻み続けたのだった。
アマヤドリ『銀髪』は、主宰広田淳一の手によって
そのメッセージが強大に増幅され放たれた作品だ。
生きられなかった時間への諦念、
育てられなかった子供への諦念、
わかりあえなかった人たちへの諦念…と、
諦念を積み重ね、それでも尚「今がサイコー、キミたちが好きだ!」と訴える。
どこまでも一貫して、ヒトの存在を信じている、
その通念が広田淳一であり、江戸アケミだとボクは思う。