井口裕香里ソロリサイタル「Los Caramelitos」@
新宿El_Flamenco
出演
バイレ:
井口裕香里
カンテ: ディエゴ ゴメス
ギター: 尾藤大介
バイオリン: 今村真人
【on_Flickr】
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エルフラメンコに足を踏み入れた途端、
スペインはグラナダで感じたジプシーのパッション…
…フラメンコのパッションが肌から沁み込んでくる。
1967年から毎日のように、カンテの声がこの壁を揺らしてきたのだろう。
なんという寂寥感。世代をつないで受け継がれてきたジプシーの悲哀。ノマドの寄る辺なさ。
同じスペイン移民音楽であるtangoとは、その哀しみの質が決定的に違う。
tangoには、哀しみを突き放す余裕がまだある。
他人事のように遠くから己の哀しみを観察する平常心が残っている。
しかし、フラメンコには己の哀しみをままぶつける絶望感が詰まっている。
情熱的な大陸の遊牧民族の、寄る辺なき悲哀。神を呪う不遇の民。
ギターをかき鳴らし、大地を何度も踏みしだき、両の手を大きく振って、心情を吐露するしか、
己の哀しみを鎮める手立てを知らない。
なんという音楽だろう。
これほどの熱情を持ったステージを、ボクは見たことがない。
バイレの井口裕香里さんの、リサイタルに賭ける思い。
様々な表情を見せるフラメンコの魅力を持ち帰って欲しい…と、
90分間のステージで5回も衣装を変えた。
哀しみだけじゃない、フラメンコには様々な味がある…と名づけたタイトル「Los_Caramelitos」。
フラメンコはバイレが一人で公演を企画し、ミュージシャンを集め、選曲演出をし、披露する。
能楽における能楽師と同じ立ち回りを引き受けるのだ。
それだけに本番に賭ける彼女のパッションは、性根尽き果てるほどの気魄であった。
何がここまで彼女を突き動かすのか。
そんな思いを抱いていたのだけれど、この寂寥感を間近にした結果、
その悲哀の振幅の深さを思い知り、哀しみの数だけ、ひとは幸せを配布できるのでは…と思うに至った。
深い悲しみを請け負った数だけ、バイレはその哀しみをパワーに、尽きるまで舞うのだ。
その姿が観る者に感動を与え、哀しみは幸せと成り代わって伝播する。
その伝播する力が「ルエンテ」なのだ。