暁にかがやく赤富士@北杜市
年始めは山梨県北杜市の友人宅へ。
去年の今頃も八ヶ岳を仰ぎながら過ごしたのだけど、
何度来てもこの壮大な空間は心洗われる。
石油ストーブの上に薬缶を乗せて、部屋の乾燥を防いだり食器洗いの湯として使ったり、
マメ練炭を焼いてアンカとして布団に暖を招いたり…と、寒い冬との共生も刺激的。
暖冬と言われる今年の冬だけど、それでも寒さが沁みる標高800mの生活。
気圧の低さが眠りを深める…といった蘊蓄も肯けるほど、深閑とした山の夜がたまらない。
こうやって東京でパソコンと向き合って北杜の時間を振り返るほどに、
五感がキラキラと開かれる「山の生活」の素晴らしさを実感する。
「開かれているなぁ」→「閉じているなぁ」。
開かれた感覚があったからこそわかる、東京での閉じられた生活。
抗うように、今日も写真を撮る。
身体の言葉を聴こうと思う、身体を劈(ひら)こうと思う2016年。
年始めは山梨県北杜市の友人宅へ。
去年の今頃も八ヶ岳を仰ぎながら過ごしたのだけど、
何度来てもこの壮大な空間は心洗われる。
石油ストーブの上に薬缶を乗せて、部屋の乾燥を防いだり食器洗いの湯として使ったり、
マメ練炭を焼いてアンカとして布団に暖を招いたり…と、寒い冬との共生も刺激的。
暖冬と言われる今年の冬だけど、それでも寒さが沁みる標高800mの生活。
気圧の低さが眠りを深める…といった蘊蓄も肯けるほど、深閑とした山の夜がたまらない。
こうやって東京でパソコンと向き合って北杜の時間を振り返るほどに、
五感がキラキラと開かれる「山の生活」の素晴らしさを実感する。
「開かれているなぁ」→「閉じているなぁ」。
開かれた感覚があったからこそわかる、東京での閉じられた生活。
抗うように、今日も写真を撮る。
身体の言葉を聴こうと思う、身体を劈(ひら)こうと思う2016年。