日和見的なモノの見方では、ポピュリズムに巻き込まれる。
自己の「価値」を見定め、どんな未来を描くか、その創造力こそが、これからはますます重要となる。
コロナで二分化、ハッキリしてきたと、我ながら実感。以下、コピペ。
特別寄稿・「価値」を入れ替える政治に転換せよ
「維新的なものの勝利」の時代に野党に求められること
↓ ↓ ↓ 白井聡
佐伯啓思は、政治のポスト・トゥルース化について、それは民主主義の後退ではなく、
その全面化の帰結であると論じている。
すなわち、多数派の獲得を基礎原理とする民主政治は、
「真実」や「事実」を基準とする政治ではありえず、
イメージ操作によって大衆の支持を得ることで権力を追求する政治であり、
したがって「フェイク」や「ポピュリズム」は民主政治の本質である、と。
↓ ↓ ↓
かつ、佐伯が指摘している重要な事柄は、政治闘争がイメージの闘争となるとき、
闘争における決定的要因は「事実」ではなく「価値」なのだ、ということだ。
人々が「真理」ではなく「真理らしく見える」ことを求めているとすれば、
何が真理らしく見えるかは見る人の主観的価値観に依存する。
ゆえに、もっぱら問題になるのは、何が事実であるかではなく、
事実そのもの(と認識されるもの)が各人の持つ価値観によって決まる以上、
何を望ましく思い、何を望ましくないと思うかという価値観なのである。
「事実」は、「価値」に従って取捨選択されるにすぎない。
↓ ↓ ↓
問題なのは、「価値」を入れ替えることなのだ。
自己の「価値」を見定め、どんな未来を描くか、その創造力こそが、これからはますます重要となる。
コロナで二分化、ハッキリしてきたと、我ながら実感。以下、コピペ。
特別寄稿・「価値」を入れ替える政治に転換せよ
「維新的なものの勝利」の時代に野党に求められること
↓ ↓ ↓ 白井聡
佐伯啓思は、政治のポスト・トゥルース化について、それは民主主義の後退ではなく、
その全面化の帰結であると論じている。
すなわち、多数派の獲得を基礎原理とする民主政治は、
「真実」や「事実」を基準とする政治ではありえず、
イメージ操作によって大衆の支持を得ることで権力を追求する政治であり、
したがって「フェイク」や「ポピュリズム」は民主政治の本質である、と。
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かつ、佐伯が指摘している重要な事柄は、政治闘争がイメージの闘争となるとき、
闘争における決定的要因は「事実」ではなく「価値」なのだ、ということだ。
人々が「真理」ではなく「真理らしく見える」ことを求めているとすれば、
何が真理らしく見えるかは見る人の主観的価値観に依存する。
ゆえに、もっぱら問題になるのは、何が事実であるかではなく、
事実そのもの(と認識されるもの)が各人の持つ価値観によって決まる以上、
何を望ましく思い、何を望ましくないと思うかという価値観なのである。
「事実」は、「価値」に従って取捨選択されるにすぎない。
↓ ↓ ↓
問題なのは、「価値」を入れ替えることなのだ。