#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【西荻Aparecida】武石由起子

2010-12-20 | ACT!
12月19日日曜日。
晴れていても足が冷える。
放射冷却ってやつか。

クリスマスまでの一週間、
こんな寒さが続くらしい。

ご自愛のほどを。

      ●

今日は2つのイベントへ。
ひとつは赤々舎で行われた澁谷征司黒田光一、姫野希美による鼎談。

「いつどのような対象に向けて君はシャッターを切るのか」

そんな題材を主軸におふたりのスライドショーを交え、
姫野さんを媒介のようにして会話が進んだのだけど、
単純にふたりの写真を見比べて、澁谷氏のほうが断然叙情的で、
対象への素直な投影が為されているのに対して、
黒田氏はその投影を否定するごとく利己的に情操を断絶し、
まったく以て無意味とも思えるタイミングとフレーミングで現実を切っていた。
湧き上がる感情を封印するかのごとく構えた写真は、
逆に黒田氏の心情を吐露するようで興味深かった。

結果として、写真家のキャラクターが浮き彫りになり、
写真が持つ映り込みの面白さを深化させる鼎談になった。

どちらにしても撮りに行くという能動的な姿勢は変わらないわけで、
まだまだ受動的な切り込み方をしているな…と
話の展開を反復しながら自己分析する良い機会をいただけた。

しかし、澁谷氏の写真は息を呑む美しさだった。
…ピンと張り詰めた空気感。
森閑としながらも蠢いている被写体。

「音が聞こえる…」

35万円のオリジナルプリントは
咽から手が出るぐらい欲しかった。

澁谷征司写真展「DANCE」は2010年12月25日(土)まで。
OPEN=12:00~20:00 CLOSE=月・祝日

      ●

それから場所を移し西荻窪のAparecidaへ。
あきゅらいずの文化祭で知り合った武石由起子さんのLIVE撮影。

はじめてカイピリーニャをいただく。
ブラジル版ラムと言ってもいいカシャーサを
ライムと砂糖で割った、キューバのモヒートに近い味。
酸味が鼻腔に抜ける心地よいカクテル。
すっかり気分はブラジルへ。

ブラジル北東部バイーアの音楽を歌う武石さん。
カポエイラのRodaで全員がお経のように反復して唱える音楽に
当然のことながら似ていて、

アフリカからブラジルに連れられた黒人の
土の匂い、汗の匂い、いかなるときも希望を持ち続けた生来の明るさ、
…が混淆したシンプルでいて、心躍る音楽だった。

土着宗教カンドンブレを口承しようとする
黒人たちのタフな気概が、カポエイラを生み、
バイーア独特の音楽を育て、やがてサンバへ…と流れる
ブラジルの「時代のうねり」みたいなものを聞かされると、
どんどん深入りしたくなるのが身上なのだが、

今は紡ぐべき言葉を知らない。

武石さんが言ってた
「キリスト教を強制されながらも、
 マリアの背後に土着の女神イエマンジャを見ていた」
…カリオカの野太さが、ブラジルの懐の深さを物語っている。

ボクを魅了し続ける国、ブラジル。
やはりこの眼で見て、切り取りたい。






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【六本木alfie】五十嵐一生

2010-12-19 | ACT!
12月18日。土曜日。
すっかり平均気温が15℃を下回る日々。

夜中の室内は冷気が足下から襲ってくる。
東京の冬。恐れていた冬がやってきた。

忘年会が一番盛り上がったこの週末、
ボクはまたもや六本木alfieへ。

世界逸産」というバンド名で
五十嵐一生さんがライブをするというので顔を出す。

思えば約一年前は一生さんのLigiaを聴いて涙していた

それから考えると、今夜の出来事は夢心地。

ライブ開始1時間前にalfieへ伺うと、一生さんが準備中。
迷わず声をかけ、ライブ撮影ができないか…とお願いしてみる。
川崎太一朗さんの写真を見せると、「何に使うの?」と問われ、
「作品として売り込んでいきたい」旨を伝えると、「ならいいよ」と快諾。

従業員の方に最低限の撮影マナーを説かれ、
週末のライブは満席で、お客様の迷惑になるから後方撮影がホントだが、
異例中の異例ということで、今回はステージ前撮影が許可されることに。

なんだかラッキーづくしで、2ステージ撮影に挑む。

六本木alfieには思い入れが深いだけに、なんとも感慨深い。
2005年に間近で見た一生さんのステージでは度肝を抜かれ、
その後のトランペット観が変わってしまったのだけど、
今回の「世界逸産」はとにかくものすごいパフォーマンスだった。

   (>_<)

ドラムがGene Jackson。NY在住の黒人ドラマーで、
音がでかくキレが良かったのが、何より圧巻。
ピアノの吉澤はじめさんは、前回もalfieで拝見して魂奪われたのだけど、
今回もエキセントリックな演奏は輝きを増していた。
ベースの荒巻茂生さんは、今回お初だったのだが、
それはもうミンガスばりの顔つきでガンガン野太い音を奏で、
ボクが見たベーシストの中で一番の魅力を持ったアーティストだった。

何から何まで感動しっぱなしで、
果たしてしっかり撮影ができたのか…

満席のエグゼクティブなお客から
撮影態度のクレームが入ってなかったか、
そんなことばかりが気に掛かってしまったが、

いやいや、一生さんに頂いた機会を
しっかり活かさなければ…と奮起し、
音に反応しながらシャッターをバンバン切った。

思わぬ出来事に、こんな時間まで興奮状態。

改めて「言ってみるものだなあ」を実感。
2010年を象徴する出来事だった。


感謝。<(_ _)>








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【Susan Sontag】良心の領界

2010-12-04 | CHINA
12月04日。土曜日。
晴れ渡る師走の青空。雲もなんだか忙しない。
地を這う冷気。凍える体躯。顫動するハート。
心も体も、うち顫える季節。

雲南の写真を編集していて、
ふと読み返したスーザン・ソンタグの「良心の領界」序文。

若い読者へのアドバイスと銘打って、
ソンタグ自身、自らへ言い聞かせている。

自分の写真を見ていて、
その言葉が深く腑に落ちた。
五臓六腑にちゃぽんと音を立てて、落ちた。

以下引用。

      ●

人の生き方はその心の傾注(アテンション)がいかに形成され、
また歪められてきたかの軌跡です。アテンションの形成は教育の、
また文化そのもののまごうかたなきあらわれです。
人は常に成長します。注意力を増大させ高めるものは、
人が異質なものごとに対して示す礼節です。
新しい刺激を受け止めること、挑戦を受けることに一生懸命になってください。

  (中略)

動き回ってください。旅をすること。しばらくのあいだ、
よその国に住むこと。けっして旅することをやめないこと。
もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、
自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。
時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。
場所は時間の埋め合わせをしてくれます。
たとえば、庭は、過去はもはや重荷ではないという感情を呼び覚ましてくれます。

この社会では商業が支配的な活動に、金儲けが支配的な基準になっています。
商業に対抗する、あるいは商業を意に介さない思想と実践的な行動のための
場所を維持するようにしてください。みずから欲するなら、
私たちひとりひとりは、小さなかたちであれ、この社会の浅薄で心が欠如した
ものごとに対して拮抗する力になることができます。

暴力を嫌悪すること。国家の虚飾と自己愛を嫌悪すること。

少なくとも一日一回は、もし自分が、旅券ももたず、
冷蔵庫と電話のある住居をもたないでこの地球に生き、
飛行機に一度も乗ったことのない、
膨大で圧倒的な数の人々の一員だったら、と想像してみてください。

  (中略)

傾注すること。注意を向ける、それがすべての核心です。
目前にあることをできるかぎり自分のなかに取り込むこと。
そして、自分に課せられた何らかの義務のしんどさに負け、
みずからの生を狭めてはなりません。

傾注は生命力です。
それはあなたと他者をつなぐものです。
それはあなたを生き生きとさせます。
いつまでも生き生きとしていてください。

良心の領界を守ってください。

     ●

この序文は最後の四行に集約されている…そう思う。
「傾注は生命力です。それはあなたと他者をつなぐものです。」
「他者」は何も人に限らない。

花や風や光や土や生きとし生きるものすべて。

もちろん、となりにいる大切な人も。

注意を向ける…傾注する…アテンション。

ソンタグの優しいまなざし。
人間は本来、そういう優しい気持ちの顕れで
世界と繋がっていたのだと、確信する。

ボクのまなざし…その傾注を
ボクは写真に収めたい。

雲南の写真群は、その傾注が顕れている…そんな気がした。




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【YUNNAN】中国の中のイスラム圏

2010-12-01 | CHINA
12月1日、水曜日。今日から師走スタート。
慌ただしく年末へ町も人も動き出す。

こちらも雲南以降、
写真という表現媒体を見つめる毎日。
…研ぎ澄まされていく。

なので言葉を紡いで表現するblogからは
どうやら今後遠のいていくような気配。

いずれにしても
時々UPするようにはします。

      ●

雲南の写真群は今再構築の真っ最中。
どのようなカタチでの発表がよいのか、
点数は何点で、展示はどのように…
そんなことを毎日考えている。

雲南の旅の中で、とりわけ興味深かったのは
大理の白族(ペー族)や大回村の回族(ホイ族)。

特に回族の街並は、あの雑多な中国には程遠く、質素でいて清廉。

ボクたちが訪ねた時、道端に人々の影はなく、
静かにコーランを朗読する声が響き渡っていた。

小さい村とはいえ、これだけの人間を抱える中国とは思えない、その静謐さ。

何とも言えない穏やかな気持ちになり、
ボクたちは人の居ないモスクのベンチでしばし午睡をした。

今思っても、あの時のうたた寝は、至福の時だった。

イスラム。

その全貌を把握するのは、まだまだ時間のかかる作業だけど、
お金を中心にすえた社会が揺らぎ始めている現代に、
イスラムという目線はとても貴重なんだと思いたい。

「ラマダンはご飯が食べられない貧しい人たちの
 気持ちを理解するための一ヶ月です。
 一日中何も口にしない、水も飲まない、食糧が目の前にあったとしても
 我慢することが、どれだけ大変なのか。
 それを身を以て実感するという大切な期間だ。
 この期間に人間が一番神様に近づけると言われている。
 この厳しい試練を見事に通過できた人に神様からご褒美が与えられる。
 良いことが何十倍にもなって記録され、同じく悪いことも何十倍かにされてしまう。
 とっても大切な期間なのだ」(「白い紙」シリン・ネザマフィ著)

神様に近づけるかどうかはよくわからないけど、
社会の制度として、ラマダンという断食期間が設けられていることを
もう少し真摯に受け止めるべきだと、ボクは感じる。

それは「身の丈を知る」ことへのプロセスなのだろうか?

世界は広い。



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