Tokyo Experimental Performance Archive
PERFORMANCE_vol.6
宇治野宗輝/山川冬樹@Super Deluxe
昨日が今期最終のパフォーマンス。
宇治野さん、冬樹さん共にEquipmentに溢れた展開で、ステージはモノだらけ。
バブルをかじる世代なだけに物質主義的なアプローチなのかと思いきや、
それぞれのConceptは大きく異なっていて、
宇治野さんは「虚業」への強い反発心から「手を動かして形づくることへの拘り」を全面に出す。
「虚業」とは「エラいヤツほど手を動かさない」ことがスマートとされた価値観を揶揄した言葉。
『居るでしょ、文句ばっかり云って、手を動かさないヤツ。
ああいうの、ダメなんだよねぇ。人間、手動かしてナンボでしょ。
だからオレはひとりで何でもやる』
真のクリエイターとして、己のチカラをとことん信じて、己の道を生きる姿勢が素晴らしいっ。
かたや、冬樹さん。
デバイスが多いのは、身体から発せられる微細な信号を的確にアウトプットするため。
骨伝導や心臓音という、肉体の基礎をなす部分を使ってのパフォーマンスなため、
その差異を最大化するための試行錯誤の結果なのだと、云う。
『ボクがやりたいのは、カラダを使って【演奏】という行為そのものを見せること。
【音を発する】欲望そのもの、【奏でる】欲求そのものを原初的な素子から打ち出したい。』
手を動かすことで最大化していく宇治野さんと、最小化へ向かうためにモノが溢れる冬樹さんと。
余りにも対照的なふたりだったのだけど、
己の道をひた走ることで結果として型にはまらないクリエイターとなっていることが、
何よりも感銘を受けた。
上手く収まろうと先に領界をイメージしてしまう昨今の風潮を、
その存在がしっかり批評している。
東京は、もっともっと壊れて、イイ。予定調和でありすぎる。
宇治野さん、実はすいどーばた時代の講師でした。
30年の時を超えての師弟再会にも、深く感銘。
こういう巡り巡っての邂逅ってのが、何かを示唆していて、運命感じるわ。
PERFORMANCE_vol.6
宇治野宗輝/山川冬樹@Super Deluxe
昨日が今期最終のパフォーマンス。
宇治野さん、冬樹さん共にEquipmentに溢れた展開で、ステージはモノだらけ。
バブルをかじる世代なだけに物質主義的なアプローチなのかと思いきや、
それぞれのConceptは大きく異なっていて、
宇治野さんは「虚業」への強い反発心から「手を動かして形づくることへの拘り」を全面に出す。
「虚業」とは「エラいヤツほど手を動かさない」ことがスマートとされた価値観を揶揄した言葉。
『居るでしょ、文句ばっかり云って、手を動かさないヤツ。
ああいうの、ダメなんだよねぇ。人間、手動かしてナンボでしょ。
だからオレはひとりで何でもやる』
真のクリエイターとして、己のチカラをとことん信じて、己の道を生きる姿勢が素晴らしいっ。
かたや、冬樹さん。
デバイスが多いのは、身体から発せられる微細な信号を的確にアウトプットするため。
骨伝導や心臓音という、肉体の基礎をなす部分を使ってのパフォーマンスなため、
その差異を最大化するための試行錯誤の結果なのだと、云う。
『ボクがやりたいのは、カラダを使って【演奏】という行為そのものを見せること。
【音を発する】欲望そのもの、【奏でる】欲求そのものを原初的な素子から打ち出したい。』
手を動かすことで最大化していく宇治野さんと、最小化へ向かうためにモノが溢れる冬樹さんと。
余りにも対照的なふたりだったのだけど、
己の道をひた走ることで結果として型にはまらないクリエイターとなっていることが、
何よりも感銘を受けた。
上手く収まろうと先に領界をイメージしてしまう昨今の風潮を、
その存在がしっかり批評している。
東京は、もっともっと壊れて、イイ。予定調和でありすぎる。
宇治野さん、実はすいどーばた時代の講師でした。
30年の時を超えての師弟再会にも、深く感銘。
こういう巡り巡っての邂逅ってのが、何かを示唆していて、運命感じるわ。