石狩の建築探訪③は市内各地で気になった建物を載せてみます。
大体の街や集落が石狩湾沿いにあるのが石狩市の特徴です。
書籍の「建築探訪」では、ほとんどが石狩川と石狩湾に挟まれた地域の建物で上記の地図の地域になります。
市街地の花川や新港地区では今のところ未確認なので見つけたら随時載せて行きます。
また場所柄、廃校が多いので近いうちに「木造校舎・廃校」でまとめます。
<石狩浜地区>
楽山居 旧石狩医院和室 上記地図の弁天歴史公園内にあった。存在自体も初めて知った。
旧高岡小学校体育館
旧学校の体育館を修復したものに見えるが確証ななし 校舎は完全に無かった。
旧美登位小学校
ちょっとした高台にあり、芸術関係の施設として転用されている 夏にもう一度行こう
石狩川側に2つ倉庫があった レンガと石造りである
「元林味噌醤油醸造所雑穀蔵」
「旧金谷商店蔵」
この木造の建物はスピーカー?があるようなので消防関係かな?
老舗かと思う醸造所
<古潭>
旧古潭小学校 この地域は廃校が多く、現存も多い ここは一時民間が転用しただけに綺麗なほうだ。
<厚田>
戸田生家 道の駅の坂を上ったところにある創価学会の重鎮の生家 内部も靴を脱いで見学が出来る
<濃昼>
旧濃昼小中学校 個人宅として利用されているようだ 桜が綺麗だったなぁ
<送毛>
旧尻苗小中学校 現在は宗教団体の道場として綺麗に修復された
<毘砂別>
札幌市青少年海の家
手稲山のオリンピックハウスと同じ設計者と聞いて見に行った
集落のもっとも山の手にあり坂を歩いて登って行ったが、残念ながら崩壊していた。
海側は原型を留めていたが、札幌からここに来て海で遊び泊まっていたんだな
六文カフェ
古民家が目立つ集落の中で一際目立つ綺麗な店舗兼ギャラリー
隣に窯があり焼き物を製作している
今はカフェは休業中かも知れない。
<浜益>
旧マルハチ醤油店
明治25(1892)年ころの建築と言われる 1階は木造の下見板張り、2階はモルタルで現在は住宅として使用
車道沿いに店名が良く見える特徴のある建物。
曹洞宗豊隆寺本堂
昭和27(1952)年建築 上記マルハチ醤油店の裏にあり。
なんと塗装の真っ最中であった たまたま休憩中だったのか誰もいなく撮影をしたが
塗っているところも見たかったなぁ
浄土宗大心寺本堂
明治24年に移築されたものだが元は元治元年(1864年)のもの。
浜益の中でも山側の建物 時期的に上は桜、下はカタクリやエンゴサクが咲き乱れすごく綺麗だった。
おそらく廃屋
大心寺へ向かう坂道の途中にあり嫌でも目に付く、この地では珍しい上げ下げ窓の家
残念ながら廃屋のようだ。
<幌>
旧幌中学校
幌中学校と北部小学校は隣に並んでおり閉校が一緒の珍しいケース
中学校は玄関が無くなっているが木造校舎が健在である
体育館への渡り廊下が崩壊していた。
旧北部小学校
こちらは鉄筋コンクリートの校舎になっている
総2階建てで地区にしては大きな学校だったと思う
<千代志別>
旧山口家記念館 現在は解体されました
千代志別は千代志別川沿いにわずかな集落があり、国道のトンネルを抜けたらすぐ右折をしないと
次のトンネルに入ってしまうくらいの狭い間口の集落だ。
その最奥部に場に似合わない立派な木造建築物がある
詳細は不明だが中は無料の記念館らしい
ただ玄関までの階段は外されているようだ
窓が開けられているので近隣の住民が換気をしているのだろうか?
窓ガラスが割れていたり壁板が剥がれている箇所もあるが、高基礎のコンクリートだけは最近のもののように新しい
某有名道内住宅メーカー(旧)の創業者の所有?との説明もネットで見たが…
石狩市を北上して、全体的に木造の住宅を多く見た
潮風には木造の住宅がいいのだろうか?
廃屋も多く、倒壊してそのままの建物もいくつか見たのは集落ではやむを得ずなのだろう。
また廃校がそのまま利用なく放置されているのも同じことでしょう
有効利用されている校舎や体育館を見ると正直ほっとした。
もっと集落には見るべきものがありそうな気がする
時間の都合で市街地はほとんど回れなかったので機会とコロナ過が落ち着いたらかな
学校関係は次回から順次初めて行きます。