札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

寿都町の建築探訪

2024-11-18 17:13:59 | 共和町 岩内町 蘭越町 寿都町 島牧村 黒松内町

紹介の順番は北海道新聞社発行の「道南・道央の建築探訪」(2004年発行)のNO順で行きます。
もはや20年近い前の本なので現存していない建物もあり

寿都町で確認したところ5軒の掲載があった
うち1軒が改築済のためパスした。

すべてが日本海沿いにあり、寿都町市内に入る手前にある。

 

 

「宮澤商店」 *道南・道央の建築探訪NO74

 

改築済のため未訪問

所在地 寿都町
建築年 ()年
指定等 なし

ナビ「」

 

 

「旧岡田倉庫」 *道南・道央の建築探訪NO75

 

所在地 寿都町歌棄町種前
建築年 明治30年代
指定等 なし

ナビ「元祖かき小屋」

 

岩内町から日本海沿いに国道229号線を南下すると
突然大きなレンガ倉庫を見る。

よく見ると奥にも縦型の違うレンガ色の倉庫があり
その間に「元祖かき小屋」が営業していた。

ちょうどお昼に近かったこともあり、海側の駐車スペースには結構な数の車が停まっていた。

 

これは大きな倉庫だ

 

倉庫の中でもガスが使用できる?

年数を経ていい色合いになっていると思う

 

 

 

 

元は鰊漁を営んでいた岡田家のもので
倉庫の間(現在の元祖かき小屋)には大きな主屋があったとのこと

大きな倉庫には鰊や漁具を、小さい方には貴重品を入れていた。

 

隣と比べると小さいが、堂々としたレンガ倉庫だ

 

主屋と繋がっていたのだろうか




耐性のあるレンガ倉庫だけが左右に残っている
常に潮風にさらされる場所なので木造だと維持が難しいのだろう。

2024年11月3日撮影

 

 

「厳島神社本殿」 *道南・道央の建築探訪NO76

 

所在地 寿都町歌棄町有戸152
建築年 明治11(1878)年
指定等 なし

ナビ「寿都町 厳島神社」

 

「カクジュウ佐藤家」の隣にあるのが「厳島神社」

国道沿いに鳥居がありそこから少し山側へ登ったところに拝殿がある

実際には拝殿の奥に小さく本殿があるが、予備知識不足で裏まで廻って見てこなかった

本殿は大正12年に新築された。

 

灯篭は隣の佐藤家寄贈の物

 

 

 

木の曲線の美しさ、細かな造りが確認できる
少し山側にあるとはいえ長年の潮風に耐えてきた。

大きくはないが見事な拝殿だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

戸をこじあけて賽銭を入れ、この後無事に帰宅出来るように祈願した。

2024年11月3日撮影

 

 

 

「漁場建築佐藤家」 *道南・道央の建築探訪NO77

 

所在地 寿都町歌棄町有戸163
建築年 明治20年代
指定等 北海道有形文化財

ナビ「カクジュウ佐藤家」

 

この地区(歌棄、磯谷)は有数の鰊千石場所であった
その両場所、最後の請負人であったのが「角十佐藤家」。

最盛期には道内有数の大漁家と言われた。

この建物は2階建てで全17室、744㎡の大規模な鰊漁場建築であり網元の住宅である
漁夫たちの住まいは浜側に網元住宅と向かい合うように番屋が建っていたがとうに解体されている。

寄棟屋根の四方はわずかな反りを見せており
その上に六角形の洋風高窓がのっているのが特徴。

2階は洋風下見板張りに上げ下げ窓を連続している
1階は格子窓や下見板張りの戸袋などがうかがえる。

また玄関右手の部屋は明治34年まで歌棄郵便局だったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

洋風窓や望楼など見どころありだった

 

 

現在はこの通りで見学などは出来ない

建物は「北海道有形文化財」
付近は「国指定史跡 旧歌棄佐藤家漁場」とされている

 

2024年11月3日撮影

 

 

「橋本旅館」 *道南・道央の建築探訪NO78

 

所在地 寿都町歌棄町有戸14
建築年 明治12(1879)年
指定等 なし

ナビ「そば処昌の家」

 

寿都町の現存する歴史的建物ではすべてが市内手前北部の日本海沿いにある

この旧橋本旅館は元々は鰊漁の番屋や網元の住宅ではなく
「仕込屋」と呼ばれた漁家に物資や資金を貸与する資本家、橋本家が造らせた商家である。

その後、旅館として活用された。

以前は主屋前に5つ、後ろに2つの蔵があった
現在は「そば処昌」が営業しているがどこからどの建物が以前からのものかというと下記の写真が古い建物と思われる

主屋と蔵

 

 

 

 

 


二つあるのは見たことが無い?

 

 

それ以外の建物は古い建物に併せて増築などしたのだろうか?

 

 

 


右側が主屋

これらも古い建物に見えたが・・・

 

隣接した展望台 他に広い駐車場があった

 

道路向かいの海に向かって「恵比須神社」
江差追分の歌詞にある「”忍路高島およびもないが せめて歌棄、磯谷まで”」の石碑がある

 

 

これは諸説あるが、一つは神威岬以北和人の女人禁制だった元禄から安政の165年間、忍路、高島に出稼ぎに出る男衆を、せめて禁制ではない歌棄、磯谷までは見送りたいという女心を歌ったものというのと、
二つ目は鰊網元の忍路、高島ほどの石高はなくとも、せめて歌棄、磯谷くらいは稼ぎたい、という二つの説が有力と言われている。

2024年11月3日撮影


岩内町の建築探訪

2024-11-09 09:51:30 | 共和町 岩内町 蘭越町 寿都町 島牧村 黒松内町

紹介の順番は北海道新聞社発行の「道南・道央の建築探訪」(2004年発行)のNO順で行きます。
もはや20年近い前の本なので現存していない建物もあり

岩内町で確認したところ6軒の掲載があった
うち4軒が神社仏閣で今回はパスした。

ほかに、探索中に見つけた気になる建物を追っていきます。

 

 

「簗瀬家住宅」 *道南・道央の建築探訪NO79

 

所在地 岩内町清住103-10
建築年 明治39(1906)年
指定等 なし

ナビ「住所」

 

「簗瀬家住宅」は住宅街にあり、一般住宅なので近寄って敷地内の撮影は辞めた。

簗瀬氏はもと会津藩家臣で、維新後に北海道開拓使に出仕、岩内町行政の基礎を作り上げた町の偉人であり、その後の生涯を岩内町で遂げた。

昭和29年の岩内大火は町の8割を焼失したといわれ、多くの古建築物が焼け落ちた
その中で焼け残った貴重な住宅であり岩内町最古の住宅である。

内部は非公開となっており外観しか見れないが、玄関を中央に両側が同じようにせり出している
屋根は桟瓦でこれは岩内町の別所でも見た

 

 

 

 

 

 

尚、お向かいも同じような感じの和風邸宅があり、最初は間違って撮影までしてしまった。

2024年11月3日撮影



「知恵光院本堂」 *道南・道央の建築探訪NO80

所在地 岩内町清住229
建築年 明治27(1894)年
指定等 なし

ナビ「」


未訪問

 

 

「全修寺本堂」 *道南・道央の建築探訪NO81

所在地 岩内町高台
建築年 明治27(1894)年
指定等 なし

ナビ「」


未訪問

 

 

「帰厚院本堂」 *道南・道央の建築探訪NO82

所在地 岩内町高台143
建築年 明治37(1904)年
指定等 なし

ナビ「」


未訪問

「同、庫裏

建築年 明治37(1904)年

未訪問

「同、鐘楼

建築年 明治37(1904)年

未訪問

 

「光照寺本堂」 *道南・道央の建築探訪NO83

所在地 岩内町高台131
建築年 明治31(1898)年
指定等 なし

ナビ「」


未訪問

 

 

「岩内町役場ポーチ」 *道南・道央の建築探訪NO83

 
所在地 岩内町高台町
建築年 明治36(1903)年
指定等 なし

ナビ「㈲太田製麺」

 

太田製麺さんの真向かいにあるのでナビで使用させてもらった

「岩内町役場ポーチ」とは旧岩内町役場の玄関ポーチ屋根のことで
有名な昭和29年の岩内大火で焼け残ったもの。

これだけを見ると確かにアンバランスなドーム型だが
旧役場ではお洒落で近代的なものだったようだ
まだ当時の写真を見ていないので探してみたい。

 

 

 

 

 

 

現在は万代三角広場(旧岩内場所本陣跡地)に移築保存されている

身近な歴史的建造物の一部として町民には親しまれているものだろう。

2024年11月3日撮影

 

 

 

「浮世湯

 

所在地 岩内町山和6
建築年 (不明)年
指定等 なし

ナビ「」

 

「浮世湯」は詳しくは調べていないが「うきよ公園」「うきよ通り」などの名前があるが現在の地名では無かった?
以前の地名から銭湯名を付けたのだろうと推察。

ネットで検索しているとあるブログに他の銭湯さんの情報があった

「岩内町内で最後の銭湯だった小松湯が、平成24年3月31日をもって営業を終了しました 新聞によると、小松湯ができたのは、1939年(昭和14年)。50年~60年台は、岩内町には10軒以上の銭湯が存在していたようです」

とあるので小松湯の前、平成24年3月までには閉業していたと思う。

 

 

 

 


とりわけ古い建物ではないが、ファサードがやはり歴史を感じたので撮影した
詳細は不明です

銭湯は今はどこも無くなり、閉業した建物を見て往時をしのぶことしか出来なくなったか。

 

2024年11月3日撮影

 

 

 

「敷島内の煉瓦倉庫

 

所在地 岩内町字敷島内
建築年 明治40年台頃?
指定等 なし

ナビ「なし」

 

岩内町の海沿いを寿都町に向けて車を走らす
そろそろ民家も少なくなったころ、潰れかけた住宅と倉庫を見る

岩内町はここから先が断崖絶壁が続く難所である。

この倉庫の特徴は煉瓦造りの出隅に軟石を使用していることだ
また住宅の山側も煉瓦造りで屋根に桟瓦が使用されている。

残念ながら空き家で管理をする人もいないらしく、住宅の一部は崩壊している

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年11月3日撮影

 

 


共和町の建築探訪 

2023-04-17 19:34:14 | 共和町 岩内町 蘭越町 寿都町 島牧村 黒松内町

 

 

「旧幌似小学校校舎・屋内運動場」 道南・道央の建築探訪 NO85

所在地:共和町南幌似  ※現、かかし古里館
建設年:昭和8(1933)年 
指定等:なし

開館時間/4月から10月:9時から17時(入館は16時30分まで)
      11月から3月:10時から16時(入館は15時30分まで)
休館日/毎週月曜日・祝祭日の翌日・年末年始

 

岩内町へ繋がる国道276号線沿いにある古い木造校舎である。

現在は「かかし古里館」として立派な郷土館と旧木造校舎側とそれぞれ展示物がある。

入場料は100円だが、それ以上の値ある展示がされている
学芸員さんも親切なので質問をすると真摯に応えてくれるだろう。

木造校舎は旧幌似小学校で「道南・道央の建築探訪」にも記載されている。
小さめの体育館には農耕機などが展示されているが体育館自体は改築のようだ。
廊下を見ると懐かしさがこみ上げる
教室には昭和初期の造作がなされており、個人的にはもっと後の時代のほうが良いのだが(笑)

校舎は床上げし、位置を少しずらしている
外壁は数度の塗装をしているそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年4月撮影

 

 

 

「幌似鉄道記念公園」

所在地:共和町南幌似38-2
建設年:大正8(1919)年 ※平成19年移築 
指定等:なし

開館期間/5月1日から10月31日(月曜日休館)
開館時間/9時から17時まで

 

先の「かかし古里館」から車ですぐ近くにある記念公園で
昭和60(1985)年に廃止された岩内線の一駅舎である
場所自体は旧駅敷地内であったが平成19年に現在地に移された。


公園というより駅舎とホーム、電車(訪問時はシート)が見れるので
特に鉄道ファンにはうれしい公園だろう。

綺麗に枠塗装されたかわいらしい駅舎は窓の造りなど観るべきものがあり
往時を知っている人には懐かしい。

訪問時期は4月のため旧駅舎の内部見学は出来なかったのが残念だ。

 

 

 

 

 

 

 


2023年4月撮影