午前10時~午後4時まで
上記以外で見学希望の方は町民会館までご連絡ください。
門が2つあり事務室と議事堂を左右対称にしたつくりだそうだ。
それぞれの入口側から見ると違う表情がある。
内部には、開拓期から現在に至るまでの約600点にのぼる貴重な資料が保存・展示されており
裏手に周るとツタに覆われた文書蔵がある。
お盆の開館日には今年は行けないだろうが、中は見れるうちに
見ておいたほうがよいだろう。
2022年5月撮影
長沼町の閉校(小学校)
(中学校)
「旧長沼町立北長沼小学校」
開校:1969(昭和44)年
閉校:2020(令和2)年
校舎:1969(昭和44)年竣工
長沼町東2線北15
まだレトロな建物や廃校に興味が無い頃でさえ
北長沼小学校前を車で走っているとき撮影の衝動に何度もかられた。
閉校は2020年だからつい昨年のこと。
念願が叶い撮影することが出来た
何といっても「赤いとんがりぼうし」が印象的
このとんがりがあるおかげで建物のイメージが良すぎるのだ。
校舎に貼られた文字を見ていると、まったくの部外者なのに
ジーンとさえしてしまう。
実は北長沼小学校の体育館は3階にある
これはこれまで見てきた廃校にはなかったスタイルだ。
塔下の小窓といい
デザイン性に富み、広い前庭と広いグラウンド
やはり平地の農業地区では土地が広いと実感した。
現在は新しい形の学校を創るべく関係者が準備中のようだ
この校舎が残るのは嬉しいこと。
2021年10月撮影
「旧長沼町立北長沼中学校」
開校:1949(昭和29)年
閉校:2014(平成26)年
校舎:1978(昭和53)年竣工
長沼町東2線北15
旧北長沼小学校と新設された消防施設を挟んで並んでいるのが北長沼中学校。
中学校は箱型の校舎なので小学校ほどの個性は無いが
その敷地の広大さに驚く。
バックネットが2面あるグラウンドは久々に見た感がする
やはり平地で農業が中心の町は敷地が広い。
正面からはシンボルツリーが邪魔をしているようで
この学校にはこれでいい気もするね。
前庭に記念の時計台があるがこれも珍しいと思う
時期的に桜の花が綺麗だった。
2022年5月撮影
「旧長沼町立西南小学校」跡
開校:1951(昭和26)年
閉校:1975(昭和50)年
校舎:1951(昭和26)年竣工
長沼町東1線南
西南小学校は学校史でみるとわずか24年間の学校であった。
これは、炭鉱の学校とは違うので珍しい部類では?
札幌から国道274号線を走ると長沼町に入ってから片側1車線の直線道路が続く
先行車が遅く、対向車がいなければどんどん追い抜く道路だ。
その直線道路の一角を右折する
ナビでは「旧長沼町立長沼西南小学校閉校記念碑」でマークが出る。
右折した後、最初の十字路の一角が西南小学校があった場所。
大きなシンボルツリーと碑の台座だけがある
なんと碑はくずれ落ちて横たわっていた。
裏が見えないかと持ち上げようとしたがビクともしない
あきらめて先へ進むと門柱らしき塀も倒れたままだ。
他に水飲みくらいしか学校だったと表すものはなかった。
これまで見た閉校の中で最もさびしい跡地の一つだった。
しかしサビついたバス停の名前はよく見ると「西南小記念碑」前だった
バスもとうに廃止だろう。
※長沼町史より
2022年5月撮影
「旧長沼町立南長沼小学校」
開校:1975(昭和50)年
閉校:()年
校舎:1977(昭和52)年竣工
長沼町東7
未訪問
「旧長沼町立南長沼中学校」
開校:1950(昭和25)年
閉校:2014(平成26)年
校舎:()年竣工
長沼町東7
長沼町は北に北長沼小学校、南にこの南長沼中学校が個性のある校舎として現存している。
ファサードに特徴がある。
これがシンメトリーであればもっと良いのかも知れない
山小屋を表現するような急こう配の屋根、その下に3連アーチなど。
特に斜め前から見て教室まで一直線の姿が美しい。
正面からは立入禁止になっているが隣接している消防施設からは
遮るものはない。
広い校庭は農業地域ならではのものだ
この校舎を再び使うことになって欲しい。
2022年5月撮影
「旧長沼町立長沼小学校」跡
開校:1895(明治28)年
閉校:1968(昭和43)年
校舎:()年竣工
長沼町東3線北17
長沼小学校は町の最北部にあり、少し行けば夕張川を超えて栗山町だ
町の冠のある学校がはずれにあった。
経緯は調べてみるが初期に開拓されたからだろうか
現在は校舎は解体され「発祥公園」となっている。
長沼町の公立小学校発祥の地だからだそうだ。
碑や二宮像があり、さすがに発祥の学校だけあって残すものと創るもの、そして
保存管理することがしっかりとなされている。
別の道路側に校門があった
残念ながら校名のプレートは無かったが門が残っていた
しかし道路などの位置関係から、閉校後に移設したものと思われる。
農業地帯の広い平地の中にあるのんびりとした公園だった。
※長沼町史より
2022年5月撮影
「旧長沼町立第一小学校」跡
開校:1897(明治30)年
閉校:1968(昭和43)年
校舎:1921(大正10)年竣工
長沼町西2線北12
長沼町にはかつて第一~第六まで順番に数字が付いた小学校があった
(第六小学校は西長沼小学校に改名された)
第一小学校跡地へ行ってみたが、平地が多い町ゆえにここに学校があったのか?
とみまがうようだった。
なるほど校門こそ無いが進入口は確かに学校らしいかも知れない
それと碑があったので、ここで間違いないと確認できた。
校舎がどこで体育館がどこ、校庭はと想像をするのも面白いかも知れない。
訪問時は桜の木に花が咲いていた
こういうのはやはり入口近くにあるものだなぁ。
※長沼町史より
2022年5月撮影
「旧長沼町立第二小学校」跡
開校:1899(明治32)年
閉校:1968(昭和43)年
校舎:1951(昭和26)年竣工
長沼町東3線北10
第二小学校も町の北部にあり、長沼小、第一小とともに北長沼小学校に統合され閉校した。
この学校も広大な平地にある
趣のある校門が現存しており、校名のプレートもあった。
現在、建物はあるが旧校舎のものではなさそうだ。
だが裏手にある建物は旧体育館ではないか?
補修されているように見えるが真偽は古い写真を探すしかなさそうだ。
撮影を終わり道路に出ると支笏湖から札幌までの山並みがとても綺麗だった。
後志の学校のように羊蹄山がすぐそこにあるわけではないが
とても良い環境に思えた。
※長沼町史より
2022年5月撮影
「旧長沼町立第三小学校」跡
開校:1898(明治31)年
閉校:1975(昭和50)年
校舎:1955(昭和26)年竣工
長沼町東5線南5
第一、第二小学校の閉校後が寂しい状況だったのに比べて第三小学校は福祉法人が活用していた。
新しい建物と古い建物が混在しており、どれかは旧校舎の一部かも知れない
敷地内には多くの車が駐車しており、確実に人がいる
建物は、やはり人が居ないと朽ちるのも早いのだろう。
体育館らしき建物こそ旧学校の一部ではないか?
閉校から50年近い日々が過ぎており、もちろん補修はしていることを前提に
一部でも現存しているのは卒業生にはうれしいことではないだろうか
古い写真を見ると左端が現存しているように見える。
校門こそ朽ちる寸前であり、立派な碑同様に綺麗になればいいなと思う。
※長沼町史より
2022年5月撮影
「旧長沼町立第四小学校」跡
開校:1899(明治34)年
閉校:1976(昭和51)年
校舎:()年竣工
長沼町東 道の駅マオイの丘公園
長沼町の公立小学校の創立順を追ってみると、現在の町中心部ではなく
東西南北に配置されており、農業地として開拓され集落が出来た順と思えそうだ。
第四小学校があった場所は町の東南部にあたり、現在は「道の駅 マオイの丘公園」として
大勢の利用客がいる道の駅だ。
場所的には道の駅と、その駐車場に校舎や校庭があったと推測する
閉校の碑は敷地内の札幌側の一角でトイレの横はちょっと寂しいか
他に松浦武四郎の碑などもあり一か所に集約したようだ。
今まで何度のこの道の駅を利用したが、ここに学校があり、閉校の碑があることを
初めて知った。
※長沼町史より
2022年5月撮影
「旧長沼町立第五小学校」跡
開校:1907(明治40)年
閉校:1971(昭和46)年
校舎:()年竣工
長沼町東9線南
長沼町から馬追丘陵を超えて由仁町に抜けるには主に3本の道路があり
第五小学校は3本の真ん中にある道道1008号線沿いにあった。
向かい側には八幡神社があり
学校跡に現在は第16区会館が新築されている。
その奥に閉校の碑や校庭がある
小高い丘にあるので校庭からの眺めは抜群だ
また大きな桜の木が存在感を示す。
そういえば入口にも桜があった
平地が多い長沼町には丘陵にある学校は貴重な存在だと数か所を巡って思った。
向かいの八幡神社の隣にある旧16区会館はレトロ感ありの建物だ。
※長沼町史より
2022年5月撮影
つづく
【旧札幌農学校演武場 時計台・札幌市郷土博物館】
建築年月:明治11(1878)年
住 所:札幌市中央区北1条西2丁目
開館時間:8時45分~17時10分(入館は17時まで)
観覧料金:大人個人:200円(高校生以下無料) 大人団体:180円(20名以上の場合)
休館 日:年始(1月1日~1月3日)
指定 等:国指定重要文化財
【北海道庁旧本庁舎】
建築年月:明治21(1888)年
住 所:札幌市中央区北3条西5丁目
開館時間:8時45分~18時00分
観覧料金:無料
休館 日:年末年始(現在リニューアル中のため休館 2022年公開予定)
指定 等:国指定重要文化財
【北海道大学付属植物園内 博物館旧本館・宮部金吾記念館】
建築年月:明治15(1882)年・明治34(1901)年
住 所:札幌市中央区北3条西8丁目
開館時間:9時00分~16時30分(入館は16時まで)
観覧料金:高校生以上 420円 小中学生 300円
休館 日:月曜日(祝日の場合は翌日)
指定 等:国指定重要文化財、さっぽろ・ふるさと文化百選
【北海道知事公館】
建築年月:昭和11(1936)年
住 所:札幌市中央区北1条西16丁目
開館時間:9時00分~17時00分
観覧料金:無料
休館 日:土曜日・日曜日・祝日、年末年始(12月29日~1月3日)
指定 等:さっぽろ・ふるさと文化百選
【旧札幌控訴院 札幌市資料館】
建築年月:大正15(1926)年
住 所:札幌市中央区大通西13丁目
開館時間:9時00分~19時00分
観覧料金:無料
休館 日:毎週月曜日・年末年始(12/29~1/3) ※月曜祝休日の場合はその翌平日休館
指定 等:国指定重要文化財
【豊平館】
建築年月:明治13(1880)年
住 所:札幌市中央区中島公園1番
開館時間:9時00分~17時00分(入館は16:30まで)
観覧料金:個人300円 団体270円 中学生以下無料
休館 日:毎月第2火曜日(祝休日の場合は直後の平日)、年末年始(12月29日~1月3日)
指定 等:国指定重要文化財
【旧永山武四郎邸・旧三菱鉱業寮】
建築年月:明治10(1877)年・昭和12年ころ
住 所:札幌市中央区北2条東6丁目
開館時間:9時00分~22時00分
観覧料金:無料
休館 日:毎月第2水曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始
指定 等:北海道指定有形文化財
【旧藻岩第一浄水場 札幌市水道記念館】
建築年月:昭和12(1937)年
住 所:札幌市中央区伏見4丁目6
開館時間:9時30分~16時30分
観覧料金:無料
休館 日:月曜日(月曜が祝日の場合はその直後の平日)11月16日より~
指定 等:札幌景観資産、土木遺産
【旧北星女学校女教師館 北星学園創立百周年記念館】
建築年月:大正15(1926)年
住 所:札幌市中央区南4条西17丁目
開館時間:12時00分~17時00分 *電話にて事前予約が必要
観覧料金:無料
休館 日:火・木・土・日・祝日 11月~4月
指定 等:国指定登録有形文化財、さっぽろ・ふるさと文化百選、都市景観賞
登別市の閉校(小学校)wikipediaより
「旧登別市立札内小中学校」
開校:1900(明治33)年
閉校:1997(平成7)年
校舎:1965(昭和40)年竣工
登別市札内町73番地
札内小中学校は登別市内や温泉街からも少し離れた場所にある
廻りは広大な盆地的地形の高原であり早くから開墾された地区のようだ。
訪問時は登別温泉に1泊し、札幌への帰途途中に寄ってみた。
閉校後の現在は「札内高原館」として牛乳やチーズほか乳製品の製造と販売を行っている。
校門と表札は残っており、校舎や体育館もある
1段降りたところに校庭があり現在は来客用の駐車スペースである。
ファサードから玄関の格子状の窓桟などに特徴があり
商品の購入で玄関内まで入ることが出来る。
地域の交流の場にもなっており、閉校後の素晴らしい活用だと思う。
2020年10月撮影
札幌市の閉校(小学校)
「旧札幌市立真駒内小学校」
開校:1961(昭和36)年
閉校:2012(平成24)年
校舎:1961(昭和36)年竣工
南区真駒内上町4-7-1
真駒内地区は厚別区のもみじ台と似て、団地の造成により人口の増加が著しく
その後の少子高齢化で人口減の地区となった。
1972年の札幌オリンピックは主会場や選手村が真駒内のため、開発が進み人口も安定して増加した。
真駒内小学校は地下鉄真駒内駅の近くにあり、五輪団地(旧選手村)も隣接している。
どんどん増える生徒数に対し、様々な対策を講じていた
やがて1983年から減少に転じ、2012年3月に閉校し校舎は解体された。
校区は真駒内曙小学校と統合し、「真駒内公園小学校」となった(旧曙小学校校舎を活用)
現在跡地には「市立札幌みなみの杜高等支援学校」のカフェもある立派な校舎が建っているが
旧校舎の大部分は北側の現在空き地になっているところに建っていた。
五輪団地
この空き地に旧校舎があった。
*2010年 グーグルストリートビューより
旧校舎時代のものであろう標識
2022年4月撮影
「旧札幌市立真駒内曙小学校」
開校:1968(昭和43)年
閉校:2012(平成24)年
校舎:1968(昭和43)年竣工
南区真駒内曙町2丁目1-1
真駒内地区の人口増加に応え、地区で3番目に開校をした。
1977年にはピークである1300人の生徒数であった。
1980年代までは安定した生徒数であったが、それから減少をたどり
2008年には300人強まで減っていた。
他の学校と同じく原因は地区の少子高齢化と言われる。
2012年に真駒内小学校と統合のため曙小学校として閉校になる
同年4月に統合学校である「真駒内公園小学校」として再スタートを切った。
付近はアイスアリーナが真向かいにあり真駒内公園も同様である
建物は耐震補強をしながら新学校として頑張っている
体育館は新築になった。
校舎内には1階にメモリアルルームがあるようだ
部外者は見ることが出来るかは未確認。
2022年4月撮影
「旧札幌市立真駒内南小学校」
開校:1966(昭和41)年
閉校:2012(平成24)年
校舎:1966(昭和41)年竣工
南区真駒内泉町3丁目13-1
南小学校は真駒内地区で真駒内小学校に続いて2番目に開校した学校である。
他の地区校と同様に1970年代にはピークの1,000人に達した
他の校が生徒数減少を続ける中、唯一生徒数を伸ばし1987年にはピークを超える1,100人までになった。
しかしやがては他校と同じく減少の一途をたどり2008年には400人を割った。
そんなこともあり南小学校は真駒内緑小学校と統合するため2012年に閉校
同年4月に「真駒内桜山小学校」として最スタートを切った。
2016年に築50年を迎えた旧真駒内南小学校の校舎は、改築の時期に入った。
近隣に位置する真駒内中学校の校舎が1967年建設であることを踏まえ、真駒内中学校の校舎を桜山小学校の敷地に移転し、新校舎完成後に桜山小学校校舎(つまり旧真駒内南小学校校舎)を解体することが決定された。
新校舎は2024年度から2か年計画で建設される予定で、校舎解体は2026年度に実施される。wikipediaより
解体されるころにもう一度撮影に行きたいね。
2022年4月撮影
「旧札幌市立真駒内緑小学校」
開校:1973(昭和48)年
閉校:2012(平成24)年
校舎:1973(昭和48)年竣工
南区真駒内幸町2-2-2
1972年札幌オリンピックで使用された施設を活用し翌年に開校した。
他の先行3校が増加する生徒に対応が出来なくなり地区4番目としての開校だった。
一時は1982年に1,300人の生徒数を誇り地区で最も生徒が多い学校となる。
すぐ隣に南区区役所、区民センター、図書館があり環境も良い場所であった。
その後は他校同様に生徒数減少に歯止めがかけれず2008年には400人まで減少した
しかし4校の中で最も生徒数が多かったのだ。
2012年に真駒内南小学校と統合し「真駒内桜山小学校」(校舎は南小)となるため閉校した。
その後の校舎は、子どもを中心とする連携・交流の場として「まこまる」が開設され現在に至る。
卒業生が作った印象的な校門はそのまま残され、校庭にもオブジェがある。
*南区役所裏側と隣接している
2022年4月撮影
「旧札幌市立豊滝小学校」
開校:1901(明治34)年
閉校:2016(平成28)年
校舎:()年竣工
南区豊滝495-2
豊滝小学校は定山渓の手前にある豊滝地区にあった。
国道230号から北側で、すぐ近くに除雪ステーションがありドライブ中の休憩所がある
豊滝市街地は逆の南側に多く開発され札幌では珍しい米作と果汁園が中心だそうだ。
生徒は最盛期の1970年代で150名がいた
これは現在の豊滝から考えるとそんなにいたのかと思ってしまう。
その後、生徒は8名まで減少し2016年に簾舞小学校に統合
校舎も解体された。
目の前にそびえる八剣山を見ながらのびのびと育ったことだろう
付近は今でもヒグマの出没地域でもある。
2016年のGoogleストリートビューには閉校後の校舎が写っていたが
跡地には学校があった証明は何も認めることは出来なかった。
旧学校の正面にあるごみステーションにて
この白樺の奥は校庭だった。
2022年4月撮影
*ストリートビューより サイロが校門に見える
「旧札幌市立石山小学校」
開校:1899(明治32)年
閉校:2019(平成31)年
校舎:()年竣工
南区石山1条4丁目1-1
石山小学校は南区石山地区にあった学校である。
その名の通り石の切り出し山である硬石山があり、札幌軟石の切り出し場として石山緑地で見ることが出来る。
学校は豊平区から続く平岸通り沿いにあり この通りはかつての定山渓鉄道と並んで走っている。
現在の校舎は旧石山小学校の校庭に建てられ、完成後に旧校舎が解体され校庭となった。
2019年に生徒数減少のため、石山南小学校と統合し、新校舎「石山緑小学校」で新スタートを切る。
120年の歴史を閉じた石山小学校には、以前からの周年記念で作られた碑があり
そのまま新校舎の玄関近くに設けられた。
そこに新たに閉校の碑が加わった。
新しい石山緑小学校の校歌の作詞作曲は地元出身の大黒摩季さんである。
旧校舎はここにあった
2022年3月撮影
*ストリートビューより
「旧札幌市立石山南小学校」
開校:1981(昭和56)年
閉校:2019(平成31)年
校舎:1981(昭和56)年竣工
南区石山2条8丁目8-1
石山南小学校が1981年に開校したのは、石山小学校の区域で生徒が増えたためで
開校から38年で元に戻った形になった。
地図で見ると元々2校は近い距離にある
統合校が石山小学校跡地に建てた石山緑小学校になった
閉校後の校舎の転用はならず、札幌市より一般公募提案型売却となった
おかげで撮影時は札幌には珍しい閉鎖された校舎を見た。
正面玄関の絵は在校生が描いたのだろうか
とても味のある絵であったなぁ。
今後は何らかの形で活用されることになるだろうが
願わくば未使用の期間が短いほうが良いと思うので早く決まればいいな。
ちなみに石山緑小学校の玄関前には南小の開校記念碑がある。
2022年3月撮影
「旧札幌市立常盤小学校」
開校:1910(明治43)年
閉校:2021(令和3)年
校舎:1989(平成元)年竣工
南区常盤6条2丁目107
札幌市の閉校で一番最近なのは昨年2021年3月に閉校した
常盤小学校と石山東小学校である。
2校は校舎を残したまま閉校し、新設された芸術の森小学校に統合された。
札幌市内方面から来て学校の所で支笏湖方面と滝野方面に道が分かれる位置に校舎がある
常盤小は他の箱型校舎とは趣が違い個性があるファサードを持った校舎だ。
校門の表札だけが、古くからある学校を示している。
100年を超える歴史を持った学校であった。
常盤小学校は公募提案型売却となったが現在応募はなかったようだ。
2022年3月撮影
「旧札幌市立石山東小学校」
開校:1986(昭和61)年
閉校:2021(令和3)年
校舎:1986(昭和61)年竣工
南区石山東5丁目6-1
開校から35年で閉校になった石山東小学校は、学校の中では短命の方であろう。
常盤小学校と一緒に閉校になったが、どちらの校舎も使用せず新設の芸術の森小学校を使用した。
市街地を貫く453号線は私の家から支笏湖へ行くときに必ず通る道路で
今まで存在を知らなかったのは学校が奥まった場所にあるからだ。
校舎は真駒内川を背にしており一周は廻ることが出来ないが
建物に囲まれているより環境が良いと言えるかも。
常盤小学校同様に公募提案型売却となった
1件の応募があり売買契約締結に向け交渉中のようである
旧校舎を活用するのが売買の条件であり、まとまればしばらくは校舎は残る。
卒業生や近所の住民にしてみれば、そのままの形で活用して欲しいのではと思う。
2022年4月撮影