北海道博物館とのお得な入場券 |
区 分 |
料金 |
備考 |
開拓の村&北海道博物館 共通入場券 |
一般 |
1,200 |
※北海道博物館への入館は総合展示のみ 有効期限:2023年3月31日まで |
大学生 高校生 |
700 |
開拓の村&北海道博物館 共通年間パスポート
|
2,000 |
購入日から翌年の同月末まで、開拓の村と北海道博物館(総合展示)の両施設に何度も入場できる年間パスポート |
*北海道開拓の村HPより
私は2回に分けて見学をしたが、北海道新聞の「ぶんぶんクラブ」カードを提示して100円の割引をうけた。
必要なのは夏などは炎天下を長時間歩くので、帽子や日傘、タオル、飲料水、適度な休憩(昼食)食堂はありますが芝生などでの持ち込み食事はOKです
(ゴミは持ち帰りですね)
現在は北海道へ緊急事態宣言が発令されており5月31日まで臨時休館をしています。
一応ナンバリングはされているので順番に掲載しますが、必ずしも番号順に見学したわけではなくルート的に見やすい順に見学した。
訪問日は2020年10月4日と10月6日です
- 1-旧札幌停車場 - 札幌市中央区 - 1908年(明治41年) ※入場口、管理棟(外観再現)
自分はJR札幌駅といえば駅前通りに向かって横長に長い駅舎を思い出すが
この建物は実寸より縮小再現された それはあまりにも駅舎が大きかったからとのこと
おそらく北都の玄関にふさわしい堂々とした駅舎だったのだろう。
- 2-旧開拓使札幌本庁舎 - 札幌市中央区 - 1873年(明治6年)※ビジターセンター(1998年(平成10年)外観再現)
わずか5年で火災消失した悲劇の本庁舎だった だから次は赤レンガにしたのかな?
ホワイト&グリーンが鮮やかでとても良く合うお洒落な建物は北海道の庁舎にふさわしい
なんでも今でも外形が縁石で示されてあるとのこと 確認に行こう。
- 3-旧手宮駅長官舎 - 小樽市 - 1884年(明治17年)築(1983年(昭和58年)移築)
小樽市に今でもあってもおかしくない建物で洋風の外観がきっと似合うはず
当時はこのような建物が実際には結構あったのだろうけど今はほとんど見なくなったから貴重だ
小樽の鉄道記念館に保存でも良かったかな。
- 4-旧開拓使爾志通洋造家 - 札幌市中央区 - 1878年(明治11年)築
やはり洋風の造りはお洒落だ アメリカ中西部の洋式建築を模範としたとのこと
こういう建物が市内中心部には多かったようだ
白ペンキが塗られていたことが、俗称「白官舎」の由来で1棟2戸建ての建物が4棟並んで建てられていたという
この建物は南2条西6丁目から移築した。
- 5-旧福士家住宅 - 札幌市中央区 - 明治時代(1983年(昭和58年)移築)。開拓使官吏であった福士成豊の旧宅
福士氏は独学で英語を学び、お雇い外国人ホーレス・ケプロンの道内調査団に通訳として同行、さらにはブラキストン線で有名なブラキストンから気象観測を受け継ぐといった才能の持ち主であった
現在でも和洋折衷の建物は残っているものが多いが和風建築の方を後から増築したようだ
明治期には洋風建築がステータスだったのかも知れない
当時は北4東1にあったとのことで現在のホテルモントレーの一角だろう。
- 6-旧松橋家住宅 - 札幌市中央区- 1897年(明治30年)築(1983年(昭和58年)移築)
内部の備品や什器を見ると実業家、経営者というのがわかるが経歴を見ると
札幌駅助役、江別駅長、岩見沢駅長を勤めたとあるので特に鉄道に明るかったのだろう
住宅もそれに見合う当時としては大きな邸宅だと思うが、松橋家は後から購入した
この建物があった北1条東7丁目近辺には北海道帝国大学総長や北海道庁長官が住んでいたという。
- 7-旧有島家住宅 - 札幌市白石区 - 1904年(明治37年)築(1983年(昭和58年)移築)
文豪、有島武郎はこの家に1年2か月しか住まなかった 子供の木馬が微笑ましい
外観は洋風、内部に和室のこの住宅は菊水の豊平川近くにあった
この後、現在南区の芸術の森に移築した住宅に居住したが、そちらも短期間の居住であった。
- 8-旧浦河支庁庁舎 - 浦河郡浦河町 - 1919年(大正8年)築(1983年(昭和58年)移築)
1897年(明治30年)に北海道庁は郡区役所を廃止し、支庁制度を設けた結果、浦河支庁が置かれることとなった
ピンクの外壁塗装がとても綺麗で、村内でも目立っている建物
内部には往時のものを展示していたり、階段手摺の意匠などなんともいえない素敵さがある
- 9-旧小樽新聞社 - 小樽市 - 1909年(明治42年)築(1983年(昭和58年)移築)
小樽新聞社は1894年(明治27年)11月に創立されており、北海道を代表する新聞の一つだったが
1942年(昭和17年)には北海道新聞に統合されてしまい消滅した
社屋は昔の新聞社らしい重厚な札幌軟石の石造りだが内部は木骨であり、小樽でいくつかの木骨石造り建物が現存している
明治、大正の北海道は小樽の役割が高い その新聞社なので記者の意気込みが想像できる。
- 10-旧開拓使工業局庁舎 - 札幌市中央区 - 1877年(明治10年)築(1983年(昭和58年)移築)(2013年(平成25年)に国の重要文化財に指定)
開拓使は、北方開拓のために1869年(明治2年)から1882年(明治15年)まで置かれた官庁
その中で建築・土木・工業分野を統括していたのが、この開拓使工業局である
当時は大通りの東1,2丁目に工場を要し中心にあった建物です
国の重要文化財に指定された建物で明るいペンキの色が洋風建築によく似合う
大通りの西側は大型商業・金融施設などが目立ち、東側は工場が目立つ存在だったのだろうか。
- 11-旧北海中学校 - 札幌市豊平区 - 1909年(明治42年)築(1983年(昭和58年)移築)
写真撮影には残念ながら正面の木が邪魔である
現在の北海学園にあった建物で学園から寄贈されたものです 内部には学校の歴史などもあり。
古い作りであるが窓は上げ下げではなく横開きである
札幌では古くからの名門校、北海高校の前身でもある。
- 12-旧龍雲寺 - 札幌市北区 - 1893年(明治26年)築
龍雲寺は現在も北区篠路にあり
その歴史は、篠路の開拓の中心として活躍した荒井金助の長男・好太郎の妻ナツは、荒井家の菩提を弔うために1872年(明治5年)に自らの遺産や耕地を寄付し、お寺を建立した。
開拓時にはお寺や神社は重要な建物であっただろう。
- 13-旧札幌警察署南一条巡査派出所 - 札幌市中央区 - 1911年築
南1条西1丁目の創成橋のところにあった交番で、大正天皇が行幸の際に木造からレンガに建て替えられたもの
開拓の村に移築の際はそっくりそのままトレーラーで運ばれたそうです。
今、創成橋にあったらとても素敵な交番ではないか。
- 14-旧島歌郵便局 - 久遠郡せたな町- 1902年(明治35年)築(1987年(昭和62年)移築)
島歌は現在のせたな町 この地域も日本海側でニシン漁で活気があったと想像する
郵便局も地域の重要な建物であったであろう
このような建物は当時の通り外壁には塗装をしないほうが合っている。
- 15-旧山本理髪店 - 札幌市中央区- 大正末期築。1986年(昭和61年)3月までは開拓村内で実際に理髪店として営業していた。2013年(平成25年)7月1日に全国理容生活衛生同業組合連合会の「理容遺産」全国第1号に認定された
開拓村内でも営業をしていたとは驚きです
当時でもモダンであったファサードは円山地区にお似合い
山本さんはこの建物では三代目の床屋さんで初代、二代目と代々床屋さんがここで開業した
特に窓枠の桟が印象的で今でもお洒落に感じる こんな床屋で散髪してみたいものだ。
- 16-旧渡辺商店 - 枝幸郡中頓別町 - 大正後期築
中頓別町は当時、砂金掘りでにぎわっていた さらに大正5年の鉄道開通後は、交通の要所として発達した
渡辺商店は雑貨店で、漆喰仕上げの土蔵造りは、北海道では建築例が少ないという
内部ではこまごまとした雑貨類が当時をしのばせるように展示してある
裏手にある蔵も立派なものだ。
- 17-旧浦河公会会堂 - 浦河郡浦河町 - 1894年(明治27年)築
浦河公会堂はクリスチャンによる神戸からきた開拓団「赤心社」によって建てられた
シンプルな建物で、2階から階下を見ることが出来る
現在、浦河町には昭和60年に新築された元浦河教会が歴史を繋いでいる。
- 18-旧来正旅館 - 旭川市 - 1919年(大正8年)築
創業者の来正氏は旧土佐藩から来た屯田兵で現旭川市に旅館兼待合所を新築し営業を始めた
当時は、旅人の宿泊や馬車や鉄道の待合などに利用されて賑わったらしい
この建物は昭和59年まで営業を続けてから移築・復元をした
創建時の建物は、1階に待合室2室と帳場兼茶の間、家族の寝室などがあり、2階には客間5室と布団部屋があったとのこと。
- 19-旧三ます河本そば屋 - 小樽市 - 1909年頃築(主屋)(1987年(昭和62年)移築)
石川県から小樽へ移住した河本氏がそば屋で修行を積み、やがてはそのそば屋を買収するまでに至った
のれんを継いで新築、営業を始めたのがこの店舗である
店舗があった小樽市住吉町は古くから交通の要所として栄えた場所でありお店も2階に宴会場を設けるなど繁盛したようだ
現在も小樽市には三〼屋の店舗と離れが現存しており(閉店)そちらの店舗もレトロモダンの香りがする。
- 20-旧武井商店酒造部 - 古宇郡泊村 - 1886年(明治19年)頃築
建物、敷地とも開拓の村内では大型なのは、店舗プラス酒造工場や蔵があるからだろう
2階建ての洋館は1階が店舗、2階が住居となっている
武井家本家は青森や樺太で多角経営をする企業一族で、この建物は二代目の娘婿が泊村に建築した
昔の日本海側はニシンで賑わい活気があったと思われる
1944年まで清酒は製造をしていたが戦時下で中止命令が出て止めたのは残念である。
この後は随時補充して行きます