札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 蘭越町の閉校① 

2024-07-24 10:16:25 | 木造校舎・廃校

小学校 赤字は今回レポート

  • 蘭越町立旭台小学校(1973年閉校)
  • 蘭越町立立川小学校(1980年蘭越町立昆布小学校へ統合)
  • 蘭越町立上里小学校(1983年蘭越町立三和小学校へ統合)
  • 蘭越町立田下小学校(1996年閉校)
  • 蘭越町立名駒小学校(2001年閉校)
  • 蘭越町立湯里小学校(2002年閉校)
  • 蘭越町立港小学校(2008年蘭越町立蘭越小学校へ統合)
  • 蘭越町立目名小学校(2009年蘭越小へ統合)
  • 蘭越町立御成小学校(2013年蘭越小へ統合)
  • 蘭越町立三和小学校(2014年蘭越小へ統合)

中学校 赤字は今回レポート

  • 蘭越町立港中学校(1959年9月1日名駒中御成分校と統合し初田中へ)
  • 蘭越町立名駒中学校御成分校(1959年9月1日港中と統合し初田中へ)
  • 蘭越町立川上中学校(1966年11月15日豊浦町新富中学校へ統合)
  • 蘭越町立蘭越中学校〈旧〉(1976年統合により蘭越町立蘭越中学校〈新〉へ)
  • 蘭越町立名駒中学校(同上)
  • 蘭越町立初田中学校(同上)
  • 蘭越町立三和中学校(同上)
  • 蘭越町立目名中学校(同上)

 

蘭越町は札幌市から行くと、どうしても奥ニセコのイメージがあり
手前で帰途につくことが多い

日本海からニセコまで海もあり山もある町で
平地部での米作の評価が高く名産である

また道の駅が二か所あるのも珍しい
他の後志地区と同様に閉校も多い町だ。

 

今回はニセコ町を超えて蘭越町に入り、黒松内町へ抜けるルートを選択

 

「旧蘭越町立湯里小学校」

 

開校:明治40(1907)年
閉校:平成14(2002)年
校舎:昭和32(1957)年竣工 ブロック鉄筋入り(内部木造)
   昭和55(1980)年増築

蘭越町湯里131

ナビは「湯ノ里デスク」

 

旧福井小学校から蘭越町へ入る
この辺は初めて通る道で新鮮なのがいい

道道207号線「昆布停車場~ニセコ線」からナビに従い小路に入ると
校舎が見えてきた。

校門前に駐車し、まずは工房に撮影の許可を貰いに行く
本来は内部も拝見したいが、スケジュール上そんなに時間をかけれず
外観撮影を了承していただいた。

 

湯里小学校の現在は「湯ノ里デスク」が木工工房して再活用しており
古い校舎を管理、使用されているので状態が良い

 

校舎の姿は校門に対し平屋横一列だけかと思いきや
増築と思われる部分が左手にあった。

正面玄関に掲げられた時計か校章はOBの寄贈のようだ。

 

 

左手に記念碑がある
これは立派な記念碑だ

 

右手に校舎と体育館が連なっている
この箇所は工房として使っているようだ

ブロック造りの校舎だった。

 

よく見ると小川が勢いよく流れており
取水パイプもあるので生活水に使っているのだろう

そこをひとまたぎすると林間に遊具がある
棒を外された鉄棒と椅子を外されたブランコ
そのままでは危険なので当然の処置だ またうんていもある。

帰途に振り返るとアジサイと校舎と木々と太陽の陰陽がとても素敵であった。

 

2024年7月26日撮影

 

 

「旧蘭越町立旭台小学校」

 

開校:大正4(1915)年
閉校:昭和48(1973)年
校舎:昭和26(1951)年竣工 木造

蘭越町旭台

ナビは「旭台神社」

 

道道207号線に戻り北上する
ところどころに建物やカフェがあった
ニセコブームはここまで来たのかと感じる。

途中から「ニセコパノラマライン」が合流し左側にロッジなど増えてくる
「ニセコパノラマライン」と分かれ今度は「岩内洞爺線」を走る。

やがてナビの「旭台神社」に到着する
そこは「岩内洞爺線」は右に直角に曲がるところ
直進はダート道になっていた

まず右に曲がってすぐの左手に標識を見る
それは「旭台小学校跡地」の表記があった


写真の左方向から来た
ライン通りに直角に曲がると右に跡地の看板あり

 

この奥地に校舎があったのだ
右の直角カーブの手前に駐車しダート道に入るとすぐ左に鳥居らしきもの

これが鳥居だとするとこの奥に神社があるというのだろうか
背丈はある笹薮にはもちろん入らない

 

ダート道の入口には看板があったので、少し安心した
10メートルほど歩くと右側にぽっかり草刈りの後がある
右側に古びた校門(門柱・右側のみ)があったので
ここから学校なんだと知る。

少し奥を覗いたがこちらも草ぼうぼうで止めた


それにしてもすごいところに学校があったものだ
閉校からすでに50年以上経過しており、当時の様子はまったく想像だに出来ない状態だった

 


※蘭越町史より

 

2024年7月26日撮影

 

 

「旧蘭越町立目名小学校」

 

開校:明治34(1901)年
閉校:平成21(2009)年
校舎:昭和54(1979)年竣工 鉄筋コンクリート造2階建て

蘭越町目名町221

ナビは「蘭越町目名サッカー場」

 

旭台小学校跡地から先に進み、分岐を右に行けばニセコ連山から岩内町まで降りる「ニセコパノラマライン」に合流する
左に行けば蘭越市内だ

ここは蘭越市内に向けて車を走らす
ここで涼しい高原地帯とはお別れだ

蘭越市内で国道5号線に合流し、先の道の駅で一休み

 

さらにナビに従い右折して目名の町に入る
ここの函館本線「目名駅」はログハウス調で印象的だ


そして小学校に到着する

 

旧旭台小学校が閉校から50年以上経っているのに
旧目名小学校は閉校から15年だ

建物も新しめで2階建てで中々堂々とした校舎だ
横にある体育館が教室の規模に比べて小さく感じるし古い

 

校庭は蘭越町のサッカー場として綺麗に整備されていた

このサッカー場と見比べると、新しめに感じた校舎も
ところどころ疲弊した跡が見られるねぇ

 

2024年7月26日撮影

 

 

「旧蘭越町立田下小学校」

 

開校:明治39(1906)年
閉校:平成8(1996)年
校舎:昭和25(1950)年竣工 木造モルタル

蘭越町田下

ナビは「田下地区集会所」

 

旧目名小学校から西へ進み、再び国道5号線に合流
すぐにナビの「田下地区集会所」に到着する 国道沿いに正面入り口だった。

地方とはいえ国道沿いは大型トラックも走るのでいったん手前を右折し
校舎の裏側へ廻ってみた
校舎も体育館も現存している。

 

体育館は農機具などの倉庫になっており作業中のため素通り
裏側から撮影し、国道に出る手前のスペースに駐車し
正面に廻ってみた。

 

右に地区集会場、正面に体育館、左に校舎の配置だ
現存しているのは小さな可愛らしい校舎で、閉校時のままかは不明。

左右の校門も現存しており校名プレートも健在だ


正面玄関の上に校章が付いていた

また「田」の字も見えるので校名も書いてあったのだろうか

 

おそらく集会場があるところが以前は校庭と思われるが
校舎の裏手も可能性がある
少し覗いた後にギョッとした

二宮像がガラスケースに入って、すぐそこにいたのだ

このケース入りは初めて見た
経緯はわからぬが雨風雪をしのぎ大切に扱っているということだろう。

 

2024年7月26日撮影

 

 

これにて蘭越町は終了
いつか日本海側へ行った時に残りの閉校を廻ってみたい

 


札幌市豊平区の建築探訪② ※2軒に再訪しました

2024-07-22 10:14:03 | 札幌市豊平区

 

「八紘学園栗林記念館」 旧吉田善太郎別宅 (札幌の建築探訪NO104)     
 
所在地 豊平区月寒東1条12丁目
建築年 大正初期
指定等 さっぽろ・ふるさと文化百選
開館時 2020年9月現在感染防止により一般公開はしていません
 

<再訪>

月寒、八紘学園の農産物直売所に行った帰りに様子を見てきた
やはり門は閉まっていて敷地に入ることは出来ない
これまで同様に金網越しにズームで撮るだけであった。

 
 
 
 
 
 
ちなみに同敷地内には珍しい「白レンガ」のリンゴ倉庫だったものもある
いつか見学会があった時に一緒に見てみたい。

2024年7月13日撮影
 
 
 
「同資料館」 旧吉田牧場畜舎サイロ      
 
所在地 豊平区月寒東1条13丁目
建築年 昭和18(1943)年
指定等 都市景観重要建築物
開館時 一般公開はしていません
 

<再訪>

 上記と同じ理由で再訪

今回は好天でサイロによく似合う天気だ
ここも中の見学は出来ないがいつかはその機会があると期待する

 

今回は時間が無くパスしたが、ここと上記の栗林記念館から国道36号線へ向かうと八紘学園の施設で木造の建物が並んでいる。

学校関係者以外は立入禁止だが、外側から見ることが出来る

2024年7月13日撮影

 

 

 

ここから過去記載

 

「ろいず珈琲館」 旧沼田家りんご倉庫 (札幌の建築探訪NO105)
       
 
所在地 豊平区西岡4条10丁目
建築年 昭和27(1952)年
指定等 札幌景観資産 国登録有形文化財
開館時 店舗による
休館日 店舗による
 
 

 
 
 
西岡、福住、清田には赤レンガの「りんご倉庫」が多く、そのほとんどは一人の職人の手によって昭和27年~30年の間に作られたようです🍎
 
 
現ロイズコーヒー西岡店は西岡水源地へ向かう左側の道路に面しており
よく目にしていた建物でした。
 
「ろいず」のひらがなの方が覚えがありますね
 
 
 
 
ロイズコーヒーさんは他店舗として伏見の旧小熊邸をカフェに利用、営業していました
一度だけ行ったことがありますが閉店は本当に残念😢
 
この上部に「沼」マークがあります
 
 
現在はカフェも止めてコーヒー豆売り専門店です
いつか美味しいコーヒー豆を買いに行きたいね☕
 
 
2020年9月撮影
 
 
 
 
 
「沼田家倉庫」       
 
所在地 豊平区西岡4条10丁目
建築年 昭和28(1953)年
指定等 
 
*現存していません(2014年解体)
 
ロイズコーヒーのすぐ近くでした
アーチ型の屋根や家紋、色タイルのアクセント、アーチ窓などのデザインが特徴的だったようですね

現在はお洒落なアパートが建っています。
 
*ストリートビュー2010年より
 
 
 
 
「札幌市水道局西岡水源地取水塔」 旧札幌衛戌地水道取水塔 (札幌の建築探訪NO106)      
 
所在地 豊平区西岡公園内
建築年 明治40(1907)年
指定等 国指定有形文化財
開館時 無し
休館日 無し
入館料 無し
 
 
 
西岡公園は水源地を中心に、湿地帯、山地、河原などがあり老若男女問わず
色々な目的で遊べる公園で広い駐車場があります🏞
 
私も子供が小さいころにはハイキングや川遊びによく来ていました
バードウォッチングの人も多いです🐦
が、奥地に行くにはヒグマとの対策が必要ですよ🐻
 
 
 
 
行ったときが悪かったか取水塔を囲むように工事のため通行禁止になっていました
 
 
 
それでも山側の路を進んで見えるところからズーム撮影
 
旧陸軍の水道施設として作られ、もう100年以上もここにいます
六角錐の赤い屋根に六角形の白い下見板張り、黒い窓枠と円柱形のレンガ基礎部分
 
今までは普通に見て何も思わなかったけど
歴史的な建造物だったのです
 
 
 
 
 
2020年9月撮影
 
 
 
 
 
 
「高倉家サイロ・旧住宅」 (札幌の建築探訪NO107)      
 
所在地 清田区北野6条4丁目
建築年 昭和7(1932)年
指定等 
 
*現存していません
 
北野たかくら緑地は旧高倉牧場オーナーの高倉さんが一部を緑地にしたもので
住宅街の真ん中で原生の自然を味わえ、近隣住民の憩いの場のようです🌳
住宅も隣接していますが、すでに新築されていました。
 
旧住宅は酪農住宅らしく腰折れ屋根を持つ住宅だったようです。
サイロは鉾状の屋根飾りと牛の風見鶏をつけた牧場のシンボルでした🐄
 
 
 
 
 
「農林水産省北海道農業試験場旧事務所」 旧農商務省月寒種牛牧場庁舎 (札幌の建築探訪NO108)      
 
所在地 豊平区羊ヶ丘1丁目
建築年 明治39(1906)年
指定等 さっぽろ・ふるさと文化百選
開館時 *現在感染防止のため部外者は入場できません
 
 
「同サイロ」 旧牝牛舎付属サイロ      
 
所在地 豊平区羊ヶ丘1丁目
建築年 明治41(1908)年
指定等 
開館時 *現在感染防止のため部外者は入場できません
 
 
「同玉葱黍庫」       
 
所在地 豊平区羊ヶ丘1丁目
建築年 明治42(1909)年
指定等 
開館時 *現在感染防止のため部外者は入場できません
 
 
 
上記3軒は同じ羊ヶ丘1丁目の
国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構 北海道農業研究センター」あるはずですが?
 
一般人は敷地内に入ることが出来ないのとセンターのHPには一切触れられていないので
現存してあるかどうかもわかりません。
 
メールで入場許可をもらおうとしたが感染防止のため不可でした💧
 
 
 
「札幌の建築探訪」では
国道36号からのアプローチ道路となっているカラマツ並木の突き当りにかつて庁舎が建っていた。
事務所は斜め向かいである の記述を見てグーグルマップを衛星から見てみた。
 
 
写真で見ると小さいが実際はズームが出来るので
赤〇の中の白っぽい四角の屋根が事務所と思われる
 
その斜め向かい(やや北)のいかにもの鋭角な三角地帯が空き地になっており旧庁舎があったのでは?
 
 
「サイロ」は旧庁舎の奥に1基のサイロの記述があるがこれは見つけることは出来なかった。
 
「玉葱倉庫」は旧事務所をまっすぐ西へ500Mの記述があるがこれも見つけることは出来なかった
 
 
事務所と倉庫は木造、サイロは石造りで外部の目に触れずに
ひそかに現存していたらこんなうれしいことはない
見学できるチャンスがあるまで注視していよう。
 
 
 
 

「旧光塩学園女子短期大学 西岡キャンパス」


※光塩学園女子短期大学開学二十周年記念誌より

所在地 豊平区西岡
建築年 昭和62(1987)年
指定等 なし
開館時 *学校のためなし(閉校)
 
 
学校法人 光塩学園は、昭和23年網走にて「南部服装研究所」として設立された
昭和28年に「光塩学園」と改称
昭和42年に「光塩学園女子短期大学」開学
昭和43年に「光塩学園女子短期大学附属幼稚園」開園
昭和62年に「光塩学園女子短期大学西岡キャンパス」が完成している。
 

このうち「光塩学園女子短期大学」と「光塩学園女子短期大学附属幼稚園」は
田上義也氏の設計によるものだ。
 
 

※北のまれびとより
 
 

※光塩学園女子短期大学開学二十周年記念誌より
 
これらは田上氏の設計年表にも記載されており
南区真駒内上町にある女子短期大学校舎は平成18年に新校舎に建て替えされ、付属幼稚園は平成30年に認定こども園に変わり
園舎も建て替えられている。

 
 
光塩学園女子短期大学開学二十周年記念誌」にはこのような記述があった
「短大校舎新築については学長が視察してきた北欧風の建物を参考にし、またそれまでの現場の経験を生かしてアウトラインを作り、その設計を田上義也氏に依頼した」とある。

その中で建築資金を北海道銀行の常務に申し入れに行ったとあるが、この頃の田上氏はすでにいくつもの北海道銀行各支店の設計をしており
北海道銀行本店ビルに事務所を構えていたころだ。
田上氏への設計依頼は北海道銀行が関わっていたのだろうかと推察する。

さらに記念誌には女子短期大学の建設に際し
「建築のほうは地階を終わり、1階のコンクリート打ち込みが始まり、田上氏のところの本間哲夫氏が戸田建設の森谷現場監督と相談しつつ毎日指揮にあたっている」

明治32(1899)年生まれの田上氏はすでに68歳になっており、実際の設計と現場確認は事務所のスタッフである?「本間哲夫氏」がしたのかも知れない?
 
そこで西岡キャンパスだが、設計は「本間設計」と記載されていた
「田上氏のところの本間哲夫氏」がその後に独立したのだろうか 昭和62年と言えば田上氏は87.88歳である
短大の建築で信頼を得た本間氏に依頼することはありえる話だ。
 
西岡キャンパスは現在は使用されていなかった だが何らかの使用用途があると思える
正面から見るファサードはどこかで見たような建物だった。
 
 
 

2023年3月撮影
 
 
 
 
例えば田上義也氏、昭和47(1972)年の作品に「イクサンダー大沼ユースホステル」がある

三角の大きな屋根、両側の2本の柱は西岡キャンパスでは階段室であろうか
 

※イクサンダー大沼ユースホステル
 
 
 
田上義也氏が師であるフランク・ロイド・ライトを思わせる設計をしたように
本間氏も師である田上氏の設計を参考にしたのだろうか
 
まぁこれも「田上氏のところの本間哲夫氏」が「本間設計」として独立し
この西岡キャンパスの設計をしたとの確証が何もない
なので勝手な憶測になるかもだが
 
これがまた楽しいのである。
 
 
 
 
 

札幌市西区の建築探訪 87-レンガの館(再訪しました)・琴似日食倉庫コンカリーニョ・日本食品製造事務所・戸部家 88-琴似屯田兵屋・琴似屯田兵屋跡 89-琴似神社 90-三谷牧場洋館・牛舎・サイロ

2024-07-19 22:24:07 | 札幌市西区

JR琴似駅北側にある「レンガの館」を再訪問した

何度か見ていてやっと気づいたのがレンガを覆うほどのツタが無くなったこと。

ツタも印象的ではあるが、建物を占拠するかのごとくはいけない
やはり何もない方がきれいに見えるしスッキリしている
また重さもあるので建物の保存にはよくないだろう。

※2020年9月撮影

※2024年7月撮影 樹木も無くなったことがわかる

 

※2020年9月撮影


※2024年7月撮影

 

タワーマンションと歴史的建物を重ねて見れるのは
珍しいではないかね

 

2024年7月撮影

 

ここから過去記載

 

「レンガの館」 旧日本食品缶詰工場     

 

所在地 西区八軒1条西1丁目

建築年 昭和4(1929)年

指定等 札幌景観資産

開館時 一般公開はしていません

 

 

JR琴似駅の北口を出たところにあります。

この建物は昭和初期に日本で初めてスィートコーンなど野菜缶詰の工場として建てられました🥬🌽🥒

 

用途が終わった後は一時移転されましたが
隣接しているタワーマンションのコミュニティースペースとして
マンションの竣工と併せて再移築されたようです。

他には地元FM局の「三角山放送」のスタジオとして現在に至ります。

 

夏はレンガの館というよりは緑の館ですね~

下は今年2月に撮影したもの 比べて見てください

 

縦長の窓とギザギザの屋根がカッコイイ

 

 

やっぱりよく見える冬がいいかな⛄

 

高窓は明り取りでしょう
工場でこれだけの凝ったレンガ建築があるんですね

実に堂々とした姿に「都市景観重要建築物」が指定されました
注)平成20年から「札幌景観資産」に名称変更されています。

一帯が日本食品の敷地だったようですがタワーマンションなどの再開発でレンガ館以外は取り壊しになりました。

 

2020年9月、21年2月撮影

 

 

 

「琴似日食倉庫コンカリーニョ」 旧日本食品倉庫     

 

所在地 西区八軒1条西1丁目

建築年 昭和期

指定等 

*現存していません(2002年解体)

コンカリーニョは主として演劇公演が行われている劇場でNPO法人が運営しており現在も、ほぼ同地で活動をしています。

旧建物は老朽化と再開発により解体されました
現在のレンガ館の裏手(現タワーマンション)の位置にありました。
レンガ造りで高窓のある倉庫だったようです

 

 

 

「日本食品製造事務所・貸事務所」      

 

所在地 西区八軒1条西1丁目

建築年 昭和8(1933)年

指定等 

*現存していません(2003年解体)

こちらも老朽化と再開発のため解体されました
地元の人には「日食ビル」で通じるのではないでしょうか
JR琴似駅北口から日食ビルとレンガ館が並んでいたようです。


建物はアーチ型の連窓がモダンな石造りの建物に見えますね
元は馬小屋だったようです。🐎

 

 

「戸部家」      

 

所在地 西区八軒1条西1丁目

建築年 昭和3(1928)年

指定等 

*現存していません(2003年解体)

同じく再開発のため解体でしょう
取り壊し前に内部の見学会があったようですね
板張りに白枠窓が美しく、改築したかもですが玄関ドアもモダンです。

 

 

「琴似屯田兵屋」 140番佐藤家     

 

所在地 西区琴似1条7丁目 琴似神社内

建築年 明治7(1874)年

指定等 北海道指定有形文化財

開館時 無し

休館日 無し

入館料 内部の公開はしていません

 

琴似神社内に兵屋があります。

 

写真に写る記念館と塔も素敵です
残念ながら平成10(1998)年に解体されました。

 

屯田兵屋は神社敷地の一番右手奥にひっそりとありました。

もしかして琴似神社にこの建物があることを地元の人も知らないのでは?
と思わすほど静かでした。

 

 

ご覧の通り、以前は公開していたのですね
残念ではあるがこれは仕方がないでしょう。

北海道における最初の屯田兵村208戸のうちの一つだそうです
よく残っていたなぁと

村は現在の西区役所、琴似神社あたり一帯にあったようですね
区役所のそばに屯田歴史資料館があるのでいつか見に行きたいです

 

2020年9月撮影

 

 

 

「琴似屯田兵屋跡」 133番清野家     

 

所在地 西区琴似2条4丁目

建築年 明治7(1874)年

指定等 国史跡

開館時 9:00~16:00

休館日 年末年始

入館料 無料

前記と同じころの建物なんですね
こちらは北洋銀行琴似支店の裏手に見学できる施設として展示されています。

 

この建物は、入植時の第133番兵屋が建っていた場所と全く同じ場所に、昭和47(1972)年に修理・復原されたものです。

 

 

建物はご覧の通りすごく綺麗です

内部も見ることが出来るんですよ

 

 

 

器具は展示品用に一か所にしたのでしょう

番号からいって?一般の兵舎かと思います
上級の将校とかはどんな兵舎に住んでいたんでしょうね
やはり気になるから資料館に行ってみよう!

 

2020年9月撮影

 

 

 

 

「琴似神社」     

 

所在地 東区琴似1条7丁目

建築年 昭和28(1953)年

指定等 

開館時 無し

休館日 無し

入館料 無し

 

琴似神社は屯田兵村が明治7年に出来たあと大正4年に社殿が建造されました
神社の創立自体は明治8年、現在の山の手だったそうです。

 

神門、拝殿、本殿が一直線に並んでいます

 

 

 

本殿と拝殿は昭和28年に竣工しました。

この本殿の右手裏側に屯田兵屋があります

 

 

 

花手水でした🌼

 

演舞場があるんですね
神社には全然詳しくないけど珍しいのでは?

神社は地元の人たちの協力もあるしお祭りの場所でもあります⛩
そういう意味では地域地域の神社に特色があるのは当たり前かも知れません
琴似は西区の中心地、その神社ということでまさに琴似町民、西区民の奉る立派な建物と敷地でした。

 

2020年9月撮影

 

 

 

 

「三谷牧場洋館」 旧正見病院     

 

所在地 西区発寒8条13丁目

建築年 明治30(1906)年

指定等 さっぽろ・ふるさと文化百選

*現存していません(2003年解体)

元は医院だったのですね🏥
解体前の写真では白地の板張りで堂々としたモダンな洋館でした。
現在は老健施設になっています。

 

「同牛舎・サイロ」 旧水島家牛舎     

 

所在地 西区発寒8条13丁目

建築年 昭和3(1928)年

指定等 さっぽろ・ふるさと文化百選

*現存していません(2018年解体)

同じ敷地内でしたが現在はありません
それでも2018年までは倉庫をリノベーションしたレストランが営業していて
ハンバーグが人気だったようです。🍴 

一度利用しようと思ったまま取り壊しになったので
後悔が残る建物でした

洋館とは違いレンガ造りのよくあるタイプの倉庫とサイロのようです
隣と向かいに大きなスーパーがあるので目にした人は多いでしょうね。

 

 

以上で西区終了です

 


札幌の建築探訪 中央区⑧ ※1軒を追加しました

2024-07-15 18:53:20 | 札幌市中央区

 

「T氏家住宅」      

 

所在地 西区八軒1条西1丁目(旧所在地)
建築年 昭和3(1928)年
指定等 なし

 

 

確か昨年の秋くらいに「北海道新聞」に掲載された個人住宅。

昔は西区八軒にあり「札幌の建築探訪」(*1998年発行 北海道新聞社)にも掲載された歴史的な住宅。

2021年時にこのブログでは「現存していません」と記しており
実際に現地には再開発後のタワーマンションなどで建物はなく
2003年解体とまで記した。

しかし建物は移築されていた。

施主が中央区へ引っ越す際に移築したようだ。

 

 

洋風の外観で玄関や窓などがとても素敵です
隣に並ぶ石倉も素晴らしい

 

2024年6月撮影


中には屋内見学をされた方もいるようなので、古建築界隈では話題になった建物。

地形的に下から見上げるしかない
まさか見ず知らずが見せてくださいとは言えないからねぇ。

 

無くなったと思った貴重な建物が現存していたとは驚きで
あまり他に例をみないことだろう。

※住所は載せません

 

 

ここから過去記載へ

久しぶりに中央区の創成イースト地区を軽く歩いてみた

まずは

「T氏宅」 大正13(1924)年建築

 

黒い下見板張りと白枠の窓が印象的
以前見た時よりきれいになっているのを見ると現施主さんの管理ぶりが伺われる

和洋折衷のとても素敵な住宅で、もはや札幌市内では貴重な建物だ。


※2024年4月撮影

 

 

「旧金石商店蔵」 明治期建築

 

これまで営業していたジュース屋さんが閉店して空き家になった
このような古い建物は使用していないと劣化が進むと思うと心配だ

※2020年9月撮影

👇

※2024年5月撮影  廃業した「リトルジュースバー」の名が薄く見える

本来の軟石と重厚なドア

石造り2階建ての重厚な蔵であるが次の活用を期待したい。

 

 

 

「&VOGUE GALLERY」 昭和期(戦前)建築 中央区南3条東2丁目

&VOGUE GALLERY (and-v.co.jp)

 

こちらは札幌の歴史に大変詳しい札幌時空逍遥様を参考に初めて行ってみた

建物の元は靴の卸屋さん「北海製靴」だったとのこと
札幌軟石を使用した建物は倉庫兼事務所だったようだ

正面から見ると縦長窓が古い建築物を思わせるが一部に石造りを見ると
さらに歴史的な建物と認知できた。

現在はレンタルスペースとして天井や柱、梁、階段など古い木材の様子が見れる。


※2024年4月撮影

 

 

 

「北陸銀行札幌支店」はすでに新ビルで営業中

昭和41(1966)年竣工 
令和3(2021)年解体

令和6(2024)年新ビル竣工

 

 

個性のあった以前とは似ても似つかない高層ビルに建て替え済
同じほくほくグループの北海道銀行も入居し、次は道銀ビルが解体される

※2021年1月撮影

👇 

※2021年4月撮影

👇

※2024年4月撮影

 

旧店舗の屋上にあった「鶴の舞」は豊平支店に移設した

 

 

 

すすきのの中小路にある㈱マルゲンビルさんの蔵を見に行く

不動産業のマルゲンビルは「第二マルゲンビル」に札幌軟石を使用
これは解体し組み換えをして軟石を再活用したそうだ ※ZEPP sapporoの向かい


※2020年8月撮影

 

その敷地づたいに通りに出る エクセルホテル東急との間に石蔵がある

屋号のある素敵な蔵だ
こちらもエクセルホテル東急の新築の際に移築したものだそうだ

 

 

 

ここから過去掲載

 

「札幌ESTA」

 

所在地:札幌市中央区北5条西2丁目
建設年:昭和53(1978)年
指定等:なし

「札幌ESTA」の閉店は8月31日 いよいよあと三か月くらいに迫ってきた。

それもあってしばらく利用していなかった2階のカフェを利用して
一部撮影をしてきた。

 

 

古い人にとってこの建物は「札幌そごう」である
昔の札幌駅を挟んで右に「札幌そごう」左に「住友生命ビル(センチュリーロイヤルホテル)」が駅の風景であった。

 

その後、そごうは閉店し核テナントとして「ビッグカメラ」が入り
地下に「エスタ食品街」、最上階10階に「らーめん共和国」、「ロフト」や
「ユニクロ」も入った。

 

外観は実に堂々としている
デパート全盛時代のデパートらしいデパートだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食品街は特に利用した覚えがあり、特に現アピアと繋がる入り口付近にあった「くるみや」のフルーツケーキは何回購入しただろうか
その後に入った「梅屋」のシュークリームは当時一番好きだった。

 

 

最近になってフルーツケーキファクトリーで買い物したり
ルピシアもそうだ
地下鉄東豊線近くの立ち食いソバは一度も利用してないなぁ

 

そごうのレストラン街ではファミレスみたいなのがあったかな
ライオンとかあったような気が?
確か、窓から西側がきれいに見える店ではなかったかなぁ

 

今となれば階段の手すりも撮りたくなる

 

 

 

そうだ「そごう」といえばこの窓

 

 


またバスターミナルがあり高速バスなどは「ESTA」ここから乗ったよ

 

それだけ思い出があるようでいて初めて知ったことも多い

 

約3辺につながるテラスは今回が初めて歩いたと思う
また通路にある模様も知らないし
天井の照明など見る由もなかった。

 

 

 

東急デパートはどうする?

 

 

 

エレベーターはこんな素敵だったのかと今頃になって発見が多いね

 

 

 

閉店後にはあっという間に解体されそうだ
同じく札幌駅の反対側で両翼を担っていた住友生命ビルも来年の6月以降に解体されるだろう
どんどんどんどん街並みが変わるのは仕方がない
建物には寿命があると思う。

 

解体後は46階建てでJRタワーより高いビルが出来るらしい
新しい札幌の顔として歴史をこれから刻んでいくのだろう

もはや老体の自分が見に行くほど興味があるビルになって欲しいし
面白い造りになっていればいいなと思う。

 

まだ閉店まで日にちがある
機会があれば、再度訪問したい。

 

 


木造校舎・廃校 赤井川村の閉校

2024-07-12 09:36:21 | 木造校舎・廃校

小学校 赤字は今回レポート

  • 赤井川村立落合小学校常盤分校(1969年常盤小から移行、1978年閉校
  • 赤井川村立落合小学校(2001年赤井川村立都小学校へ統合)

中学校

  • 赤井川村立常盤中学校(1980年都中常盤分校となり、1986年廃校)
  • 赤井川村立赤井川中学校〈旧〉(1992年都中と統合し赤井川村立赤井川中学校〈新〉へ)
  • 赤井川村立都中学校(1992年赤井川中〈旧〉と統合し赤井川中〈新〉へ)


赤井川村は火山の噴火活動で出来たカルデラ盆地の町であり
廻りを山に囲まれた豪雪地帯である

観光ではキロロリゾートが有名で上部にある最高峰「余市岳」は
北海道内3位の標高で、札幌市南区との境界にあり最高峰を分け合っている。

 


「旧赤井川村立都小学校、中学校跡地」

 

開校:小学校:明治35(1902)年 中学校:昭和22(1947)年
閉校:中学校:平成4(1992)年
校舎:()年竣工

赤井川村都

 

現在、都小学校は別の場所に移転してきれいな校舎になっている
都中学校も当初は併置されていたが閉校した

この校舎になる前はそれぞれ独立校舎であった。

まず旧都小学校があった場所は現在「都季節保育所」が建っており
旧校舎はすでに解体された

すぐ隣にプレハブがあるが、この奥に体育館だけが再活用されて残っていた
だが、そちらも解体されている。

 

 


※赤井川村史より

 

次に旧都中学校だが、こちらも校舎はすでに解体されて
広い運動公園になっていた。

ナビは「都運動公園」

旧中学校時代の校庭やグラウンドを活用して運動公園としたのだろう
広い駐車場にトイレも設置されている


 

尚、都小学校は2026年3月で閉校することが決まった
現在の校舎はきっと何かに転用されることだろう。

 

2024年6月29日撮影

 

 

 

「旧赤井川村立赤井川中学校跡地」

 

開校:昭和22(1947)年
閉校:平成4(1992)年
校舎:()年竣工

赤井川村赤井川123

 

都中学校跡地から赤井川市内へ
少し小高くなる坂道の途中にあるのが
「赤井川村郷土資料館」

旧赤井川中学校はかつてここにあった。


現在残っている建物は「特別教室」の部分で、新たに玄関とトイレを増築したような造りだ
一部は損傷のある個所も見られるが、古い建物らしい味がある
残念ながら訪問日は閉館日だったので、いつか機会があれば見に行きたい。

本校舎は、右側の低い場所に特別教室とL字になる形で建っていた
特別教室と繋がっていて本校舎の右側が校庭だった。


※赤井川村史より

 

現在は消防関係の建物がある場所が本校舎と校庭である。

 

 

 

 

 

 

 

カルデラの町らしく廻りは山に囲まれている

 

2024年6月29日撮影

 

 

 

「旧赤井川村立落合小学校」

 

開校:明治34(1901)年
閉校:平成13(2001)年
校舎:()年竣工

赤井川村落合

 

赤井川市内からキロロリゾート・小樽方面へ向けて国道393号線を走る

ナビは「川元建設㈱作業所」で現在は新幹線関係の工事事務所がある場所に
旧落合小学校があった

 


すでに解体された校舎は国道沿いに横一直線で山側に校庭がある珍しい建て方ではないか?
よく見る現存校舎は大通り側に校庭があり校舎は奥が多いように思えるが…

パッと見、学校があった証は何も見当たらないが、国道近くに石碑のようなものがあった
倒れてなのか、寝せて置いたのかは不明だが学校の碑らしきものがあった。

このような扱いはどうなのだろう
村として対策は無いのだろうかと思った。

 

 

さらによく見ると何かがあった基礎や教職員住宅のような建物(利用中)
敷地には入らずズームで鉄棒らしきものもあった。

 

 

 

2024年6月29日撮影

 

 

 

「旧赤井川村立落合小学校常盤分校」

 

開校:大正6(1917)年
閉校:昭和53(1983)年
校舎:()年竣工

赤井川村常盤

 

赤井川村最後の訪問はさらに車をキロロ方面に走らす

やがて右折でキロロへのゲートがあるので、少し過ぎてから停車
この場所に旧常盤分校があった。

 

振り返ると左にキロロへのゲートあり

 

現在は白い標識と朽ち果てそうな門が一つだけあり

 

 

 

 

その奥は草木が多すぎ何も見えない
もっとも学校を示すものはもう何も残ってはいないかもだが

 

帰途は小樽廻りで帰札した


※赤井川村史より

 


※頭には入れていたはずだが、赤井川村立常盤中学校を訪問し忘れた
場所は現、山中牧場の向かいあたりで数軒の住宅がある場所 次回に機会を見て行きたい

 

2024年6月29日撮影