札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 長沼町の閉校② ※旧南長沼小を追加

2022-08-31 18:28:29 | 木造校舎・廃校

長沼町の閉校(小学校) 赤字は①にて 青字は今回訪問

  • 長沼町立長沼小学校〈旧〉(1969年統合により北長沼小へ)
  • 長沼町立長沼第一小学校(同上)
  • 長沼町立長沼第二小学校(同上)
  • 長沼町立長沼第五小学校(1971年)
  • 長沼町立長沼第三小学校(1975年西南小と統合し南長沼小へ)
  • 長沼町立西南小学校(1975年長沼第三小と統合し南長沼小へ)
  • 長沼町立長沼第四小学校(1977年1月1日南長沼小へ統合)
  • 長沼町立長沼中央小学校(2020年統合により長沼町立長沼小学校〈新〉へ)
  • 長沼町立北長沼小学校(同上)
  • 長沼町立南長沼小学校(同上)
  • 長沼町立西長沼小学校(同上)
  • 長沼町立長沼舞鶴小学校(同上)

(中学校)

  • 長沼町立中央長沼中学校(2014年統合により長沼町立長沼中学校へ)
  • 長沼町立北長沼中学校(同上)
  • 長沼町立南長沼中学校(同上)

    ※wikipediaより

 

「旧長沼町立南長沼小学校」

開校:1975(昭和50)年
閉校:2020(令和2)年
校舎:1976(昭和51)年竣工

長沼町字馬追原野906-23


4月に隣にある南長沼中学校を撮影に行ったとき、南小学校は改装中だった
情報不足で、南小学校がすでに閉校していたのを知らず、ただの改装かと思ったことで
同じ場所に、また行くことになった。

すでに校門と校舎は新しい利用先に変わっており
閉校した校舎としては良かったことだろう。

新しい利用先は「キャメルファクトリー」
こちらは東京が本社の珈琲を扱う会社「キャメル珈琲」のグループで
札幌ではイオン内にある「カルディ」と言えばわかるだろう。

併せて「ながぬま温泉」と「道の駅」の指定管理者にもなった
今後は長沼町と強い関係になるだろう。

 

小学校の名残りはなんといっても校舎正面の校章
これは利用先がそのままにしてくれたのだろうか

他に校門裏のプレートに名があった、自転車置き場は新設なのだろうか?

だが校舎も体育館も残っている

これに勝るものはないね。

 

 

 

 

 

 


2022年7月撮影

 

 

 

「旧長沼町立長沼中央小学校」跡

開校:1896(明治29)年
閉校:2020(令和2)年
校舎:1973(昭和48)年竣工

長沼町銀座北1丁目3-1


長沼中央小学校を初めて正面から見た時に
やけに目立つ耐震工事が建物にマッチしていてモダンな学校に見えた。

総3階建てではなく中心に一部4階とさらに伸びた箇所がある
元は中央小学校であったが2020年の5校統合でこの校舎が使用され「長沼小学校」となった。
統合を経てまだ2年なので、いまだ中央小学校の名前の方がご近所ではしっくりするかも。

横門に古いプレートがありそちらには「尋常高等小学校」の名があった。
尋常高等小学校から中央小学校への改名は昭和22年なので、ずっと残していたようだ。

広い敷地に広い校庭
中心部にある学校でも余裕のある学校だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年5月撮影

 

 

 

「旧長沼町立西長沼小学校」

開校:1939(昭和14)年
閉校:2020(令和2)年
校舎:1986(昭和51)年竣工

長沼町西7線南4


札幌から長沼町に入ると、ローソンのところでV字に分かれる
右側は国道274号線で、道の駅~由仁町~夕張日高方面に通じる国道だ。
左側は道道3号線で長沼中心部に通じる。

西長沼小学校は左側の3号線を行く
やがて歩道橋がありその右にあるのが学校だ。

この時は特に柵もロープもなく無人の学校の駐車スペースに行けたので
現在は何か別に活用しているのかも。

この学校も広い校庭を持ち、過去の運動会では廻りにギャラリーがたくさんいたことだろう。

壊れた百葉箱が閉校を物語っていたが桜の木は何事もなかったように咲いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年5月撮影

 

 

 

「旧長沼町立舞鶴小学校」

開校:1905(明治38)年
閉校:2020(令和2)年
校舎:1983(昭和58)年竣工

長沼町東5線南12


2020年の5校統合により舞鶴小学校は閉校した
実に100年以上の歴史がある学校だった。

長沼の学校は古くからの学校が多く、統合の度に数を減らす
現在の校舎はまだそんなに古さを感じない。

校庭にはタンポポが咲き乱れ、植物の天国になりそうだ
敷地内には特に立入禁止の表示やロープも無いので校庭や遊具で遊べそう
もっともそれだけの子供が住んでいるかはわからぬが……

旧門をそのまま残していることは素晴らしい
近所のお爺さんお婆さんも懐かしく思うだろうね。

校章の鶴は校名から、校名は地名から付いたものだろう
名前の通り鶴の来る土地なのだ。
現在は学校から少し東南に行ったところに「鳥の駅マオイトー」がある
時期と運があればタンチョウヅルが見られるそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年5月撮影

 

 

 

「旧長沼町立長沼中央中学校」

開校:1947年(昭和22)年
閉校:2014(平成26)年
校舎:1975(昭和50)年竣工

長沼町中央南2丁目3-1


特異な正面の長沼中央中学校は改築に改築を重ねたもののようだ。

3校を1校に統合した時にこの校舎を使用することになった
他の2校の場所を考えたら妥当なところでしょう。

この校舎は正面の左側に竣工当時を思わせる門柱があり
右側には父母や地域住民の手による前庭がある。

学校のある場所は近くに役場や町立病院、図書館などがあり町の中心地にあたる。

 

 

 

 

 

 

 


2022年5月撮影

 


木造校舎・閉校 富良野市の閉校

2022-08-28 20:54:59 | 木造校舎・廃校
  • 富良野市立育良小学校(1958年富良野市立布部小学校へ統合)
  • 富良野市立布部小学校上御料分校(1958年育良小から移管、廃校時期不詳)
  • 富良野市立八幡丘小学校(1973年富良野市立富良野小学校の一部・富良野市立扇山小学校の一部と統合し富良野市立東小学校へ)
  • 富良野市立三の山小学校(1974年西達布小へ統合)
  • 富良野市立西達布小学校(1976年樹海東小開校に伴い廃校)
  • 富良野市立島ノ下小学校(1981年富良野小へ統合)
  • 富良野市立老節布小学校(1981年統合により樹海西小へ)
  • 富良野市立東山小学校(同上)
  • 富良野市立平沢小学校(同上)
  • 富良野市立山部第二小学校(1995年)
  • 富良野市立樹海西小学校(2007年樹海東小と統合し富良野市立樹海小学校へ)
  • 富良野市立樹海東小学校(2007年樹海西小と統合し樹海小へ)
  • 富良野市立山部第一小学校(2008年富良野市立山部小学校へ統合)
  • 富良野市立樹海小学校(2022年樹海中へ統合し、富良野市立樹海学校(義務教育学校)へ)

※wikipediaより

 

 

「富良野市中央公民館八幡丘分館」旧富良野市八幡丘小学校 旭川・道北の建築探訪NO76
       
 

開校:大正3(1914)年
閉校:昭和48(1973)年
校舎:大正3(1914)年竣工

富良野市八幡丘

 
富良野市から3校の学校が「道北の建築探訪」に記載された
これは他の地域では珍しい 古くからの木造校舎を大事に保存していることによるだろう。
 
この学校はTVドラマ「北の国から」で子供たちが通う学校としてロケ地になった。

横一直線の建物には以前は体育館もあったのだろう
畑や牧草地の中にポツンと建つ 校庭は校舎のサイズにあっている
ブランコだけが残った遊具だ。
横には跡地としての石碑があるが、校舎は前記のドラマのおかげで生き延びている。
 
赤い屋根というのは緑の中で実に映える
また入り口上の窓桟にも特徴がある
牧歌的でシンプルな校舎はずっと残してほしい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2022年8月撮影
 
 
 
 
 
「富良野市立山部第一小学校」 旭川・道北の建築探訪NO77

       
 

開校:明治43(1910)年
閉校:平成20(2008)年
校舎:調査中

富良野市山部西14線

 
富良野市山部にある2校は、明治43.44年に相次いで開校されたので
外観が似ている またバックに夕張山地の最高峰、芦別岳を従えている。
 
閉校後に別の用途が無かったか、校舎の前には木々が生い茂り全容は見えない
また校門は残っているが校名プレートは外してある。
 
こじんまりとした可愛らしい校舎で
青空がよく似あった。
 
 
 
 
 
 
 
 

2022年8月撮影
 
 

 
 
 
 
「アートファーム南陽館」旧富良野市立山部第二小学校 旭川・道北の建築探訪NO78
 
       
 

開校:明治44(1911)年
閉校:平成7(1995)年
校舎:調査中

富良野市山部西25線

 
第二小学校は閉校後に別の活用があったようだが、現在は空家になっているようだ
入り口屋根を支える3本の持ち送りが印象的なこと以外は、やはり木造校舎の現存は貴重だ。
 
しかも校門とプレートは見ずらいが現存しており、校庭内に閉校の碑、70周年記念碑もある
体育館は改築されたようで校舎に比べて新しいように感じた。
 
山部といえば芦別岳とメロン
大いなる山とのどかな山間部にある2校は、この後はどうなるのだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2022年8月撮影
 
 
 
 
 
 
「旧富良野市立扇山小学校」
  
    

開校:明治32(1899)年
閉校:昭和33(1958)年
校舎:調査中

富良野市南扇山1

 
扇山小学校は他校との統合のため移転が決まり
この場所にあった校舎は閉鎖された。
 
その後は解体され、現在は個性ある外観の会館が建つ
校庭があったと思われる場所は草地になっており、管理はされているようなので
何かに使われているかも知れない。
 
他に新しい遊具があるが木々の中に校門があった
後付けのプレートは、この校舎を忘れないために地区連合会が付けたのか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2022年8月撮影
 
 
 
 
 
 
 

富良野市の建築探訪

2022-08-27 17:37:20 | 富良野市

富良野市上富良野町、中富良野町、南富良野町を一緒にします。

参考には「旭川と道北の建築探訪」2000年11月発行、
「ふらの歴史的建物」2014年12月発行、
「北海道建築大図鑑」2020年11月発行を参考にしています。

 

まず「旭川と道北の建築探訪」には富良野市と南富良野町から合計6件が記載された
そのうち3件は学校なので「木造校舎・閉校」のカテゴリーで紹介します。

 

「YAMADORI」旧河村合名酒造 旭川・道北の建築探訪NO74
       
 
所在地 富良野市朝日町4-22
建築年 明治44(1911)年
指定等 なし
開館時 
 
 
未訪問
 
 
 
 
「渡部医院」 旭川・道北の建築探訪NO75
       
 
所在地 富良野市本町1-10
建築年 大正12(1923)年
指定等 なし
開館時 医院のため見学不可
 
 
富良野の古い建物にはTVドラマ「北の国から」のロケ地に使用されたことが多い
渡部医院も使用され、他に「風のガーデン」にも使用された。
 
白地の洋館は周りの住宅に対して異彩を放つ
縦長の上げ下げ窓、ドイツ下見板、寄棟屋根、軒の持ち送り、胴蛇腹などが印象的。
 
以前は玄関ポーチの上にバルコニーがあったようだ
平成4年に内装工事をしている。
 
富良野市内に於いてこのような洋館は珍しい
残してほしい建物だ。
 
 
 
 
 

2020年8月撮影
 
 
 
 
 
 
「富良野市中央公民館八幡丘分館」旧富良野市八幡丘小学校 旭川・道北の建築探訪NO76
       
 
所在地 富良野市八幡丘
建築年 昭和6(1931)年
指定等 なし
開館時 なし
 
 
「木造校舎・閉校」にて
 
 
 
 
「富良野市立山部第一小学校」 旭川・道北の建築探訪NO77
       
 
所在地 富良野市山部町西14線12
建築年 昭和9(1934)年
指定等 なし
開館時 なし
 
 
「木造校舎・閉校」にて
 
 
 
 
「アートファーム南陽館」旧富良野市立山部第二小学校 旭川・道北の建築探訪NO78
       
 
所在地 富良野市山部町
建築年 昭和8(1933)年
指定等 なし
開館時 なし
 
 
「木造校舎・閉校」にて
 
 
 
 
「旧落合郵便局・住宅」 旭川・道北の建築探訪NO79
       
 
所在地 南富良野落合172
建築年 昭和42(1952)年
指定等 
開館時 
 
 
未訪問
 
 
 
 
「小野田旅館」 現小野田そば屋
       
 
所在地 富良野市麓郷市街地
建築年 昭和31(1956)年
指定等 なし
開館時 [4月~9月] 11:00~18:00 [10月~3月] 11:00~17:00
    定休日 第2、4火曜
 
 
TVドラマ「北の国から」の舞台である麓郷の交差点付近にある建物で
やはりロケ地に使用されている。
 
元は麓郷の奥地で山仕事をする人たちが利用した旅館である
昭和41年から1階でそば屋を開業、平成4年に旅館は廃業した。

木造下見板張りで旅館らしい姿を見せている
現在もそば屋として営業しており店内にはたくさんのサイン色紙とロケの写真が飾られている。
 
 
 
 

2022年7月撮影
 
 
 
 


 
「麓郷木材工業㈱事務所」
       
 
所在地 富良野市麓郷市街地
建築年 昭和36(1961)年
指定等 なし
開館時 一般企業のため見学不可
 
 
こちらも「北の国から」のロケ地
当時に使われた会社名を今も玄関に付けたままになっている。
 
木材を扱う会社としてドラマ側がこちらに設定を合わせたかも知れない。
会社は昭和19年に発足、事務所とチップ工場が昭和36年に新築で建てられた。
 
 
 

2022年7月撮影
 
 
 
 
 
 
「東大北海道演習林 森林資料館」
       
 
所在地 富良野市麓郷市街地
建築年 調査中
指定等 なし
開館時 4/1~11/30 平日 9:00~15:00 無料
    定休日 土日祝日 12/1~3/31
 
 
1927(昭和2)年に建てられた麓郷作業所の建物を資料館として復元したもので
建物としては新しい。
 
木立の奥から覗くピンク色の木造建物はよく映える
ファサードは1階、2階の切妻屋根と2階の規則正しい窓にシンメトリーを感じ、
1階左手角の連続する窓には驚く。
 
厳密には歴史的建物ではないようだが過去の建物のデザインを見るには貴重な建物だ
尚、開館しているかぎり資料館として無料で見学ができる
今回は時間が足りずに外観の撮影だけで終わったので機会があれば見たいものだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2022年7月撮影
 
 
 
 
 
 
「カフェゴリョウ」旧辰巳邸及び倉庫兼馬小屋 
       
 
所在地 富良野市字上御料
建築年 昭和4(1929)年
指定等 なし
開館時 11:30~18:00 定休日 火曜日、水曜日
 
 
建物は昭和初期のもので平成20年に倉庫をカフェへ、その後平成23年に平屋の母屋をゲストハウスにリノベーションした。
 
倉庫は、よく見る腰折れ屋根になっており母屋は切妻屋根である
木造の形をそのまま活かし、かつ内部を今風に改装したりしている。
 
当初は倉庫は傾いた状態で、大工に教えてもらいながら自分たちでコツコツと修繕したそうだ
目の前に畑が広がり、富良野のこの地にピッタリな雰囲気の素敵な空間になっている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2020年8月、2022年7月撮影
 
 
 
 
 
 

木造校舎・廃校 森町の閉校

2022-08-18 11:04:40 | 木造校舎・廃校

森町は道南のシンボル的な駒ヶ岳を山頂で鹿部町と分けて
観光地の大沼を七飯町と分けている。

噴火湾に面した気候のよい土地のイメージがある
海も山もあり、それぞれに古い住宅がいくつか現存しており
それそれに学校があった。

市町村の統合では「砂原町」を統合した。

今回は時間が足りず、海側の古い住宅などは残念ながら割愛した。


※wikipediaより

  • 森町立三岱小学校(1990年)
  • 森町立姫川小学校(2003年)
  • 森町立石谷小学校(2003年休校)
  • 森町立赤井川小学校(2011年休校、2017年廃校
  • 森町立石倉小学校(2017年休校)
  • 森町立濁川小学校(2022年休校)
  • 砂原町立砂原小学校(1997年統合により森町立さわら小学校〈当時:砂原町立〉へ)
  • 砂原町立掛澗小学校(同上)
  • 砂原町立沼尻小学校(同上)

 

 

「旧森町立赤井川小中学校」

 

開校:昭和27(1949)年
閉校:平成29(2017)年
校舎:昭和35~40(1960~1965)年

森町赤井川117


国道5号線沿いにあり本来は車がスピードを上げて通る箇所
しかし学校用かと思うが手押し信号があり、校内へ。

小学校が先で後に中学校が増設された
玄関は校庭を抜けて入るようだ
建物の裏側は行かなかったので入り口はこちら側しか見ていない。

校舎は木造モルタルのようでバックネットや遊具も残っていた
やはり平成後期の閉校はまだ新しいし校舎もよく頑張ったと思うな。

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 

 

「森町立駒ヶ岳小学校」

 

開校:昭和22(1947)年
閉校:小学校は現役 中学校は昭和56(1981)年統合のため閉校
校舎:昭和26~33(1951~1958)年増築

森町駒ヶ岳453

 

駒ヶ岳小学校は現役の小学校で木造校舎が現存している。

小学校の後に中学校が増設されたのは赤井川小学校と同じだ
元々赤井川小中学校はここから分校されたもの
そこが閉校になり数十年を経て、再び生徒は駒ヶ岳小学校に戻ってきた。

昭和56(1981)年に中学校が廃止となる。
旧校門はそのまま残してあった


新しい校門も出来、なんといっても
一直線に伸びる校舎とかわいらしい体育館が一望できる

秀峰駒ヶ岳を背後に擁する木造校舎は実に素敵だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 


函館市の建築探訪 各町編

2022-08-08 18:41:19 | 函館市

レトロモダンの建築物が多い町は終わったが
函館にはまだまだ町が多い その中で数は少ないが各町にも魅力的な歴史的建造物を撮影してきたので紹介します。

紹介の順番は北海道新聞社発行の「函館の建築探訪」1997年発行のNO順で行きます。
もはや20年以上前の本なので現存していない建物もあり。

ほかに2020年発行の「北海道建築物大図鑑」に記載されたもの、指定や賞をとったもの
他のブログで情報を得たもの、探索中に見つけた気になる建物を追っていきます。

また「函館の歴史と風土」2008年発行

「レトロな建物を訪ねて」様
「関根要太郎研究室@はこだて」様 
「ノスタルジック建築散歩」様  
からも引用させていただいています。

 

 

 

「旧㈱北海道漁業公社」 *函館の建築探訪NO107

所在地 大手町5-1
建築年 大正7(1918)年
指定等 国登録有形文化財・函館市都市景観賞・歴風文化賞
開館時 1F「cafe centenaire」10:30~18:00
    定休日 火曜日
 

建築を手掛けたのは函館区公会堂も施工した名棟梁と言われた村木甚三郎。
当初は浅野セメント函館営業所として建てられ、戦後は北海道漁業公社函館支社として使用されたが、
昭和63年(1988年)の売却後は空き家になっていた。
 
廃墟同然の建物を創建当時の写真を基に再建工事が行われた
それでも外観は変わった箇所がある。
木造ではあるが石造り風で重量感がある外観、左右の塔屋、縦長窓、玄関部の円柱など見るべきものが多い建物だ。
 
現在は「函館大手町ハウス」として、カフェが営業しており内部を見れる機会は多い。
 
 
 
 
 

2022年6月撮影
 
 
 
 
 

「ニチロビルディング」 旧日魯ビル *函館の建築探訪NO108

所在地 大手町5-10
建築年 昭和9(1934)年
指定等 歴風文化賞
開館時 1F「マルセン」 営業時間 11:00〜17:00closed
    定休日 火曜日
 
 
創建時に1号館があった場所は現在「函館国際ホテル」になったが
2号館3号館が健在である。
 
2号館の螺旋階段は見上げる角度によって形が変わるので自分のベスポジを見つけたい
3号館には当時東北以北で唯一、私企業として劇場を持つビルであった。
 
2号館1階の「マルセン」は当時のビルの内部がわかる貴重なお店だ
ぜひ利用されて、その天井の高さや照明のデザインなどを確認してほしい。
 
所有するマルハニチログループのマルハニチロアセット(東京)が、9月30日付で同ビルを売却することが分かった。
同社は売却契約完了前であることから、売却先の企業を明らかにしていないが今後が心配だ。
 
 
 
 
 
 
 

2022年6月撮影
 
 
 
 

「吉田紙店」 *函館の建築探訪NO109

 

所在地 大手町11-10
建築年 大正元(1912)年
指定等 
開館時 
 
解体
 
 
 
 

「H氏家住宅」 函館根津製餡所㈱・付属蔵 *函館の建築探訪NO110

所在地 旭町7-19
建築年 昭和10(1935)年 蔵:明治40(1907)年
指定等 なし
開館時 なし
 
 
大きな切妻屋根が印象的な町屋建築。
骨組みや出格子窓など和風の重厚さをかもしだす
 
創業者は新潟出身で地元の町屋造りを参考にして建てたとのこと。
蔵は明治末期の鉄筋コンクリート造りだが土蔵のように見える
 
廻りは一般住宅が多く、ここだけ時間が止まったかのような建物だ
大きな看板がこの建物外観の大きなアクセントになっている。
 
現在も製餡業を営んでいる。ねりあんやこしあん、「北海巴こしあん」などの商品がある。
小売りの他、菓子店や百貨店などへの卸売も行っている。
 
 
 
 

2022年6月撮影
 
 



「棒二森屋百貨店」 *函館の建築探訪NO111

所在地 若松町17-12
建築年 昭和11(1936)年
指定等 なし
開館時 なし
 
 
棒二森屋とは昭和9年の大火後に、金森森屋と棒二萩野の二つの百貨店が合併して誕生した。
数度の改築、増築を繰り返したが外壁には社名が入っている
 
長い間、函館はもとより道南の一番店として営業を続けていたが
2019年1月31日、18時をもって閉店。
18時30分より閉店セレモニーが行われ、多くの函館市民や元従業員が見守る中、小賀雅彦店長が閉店の挨拶を述べた。
蛍の光の演奏が流れる中、18時54分に正面玄関のシャッターが下り、150年に及ぶ歴史に幕を閉じた。
 
撮影時は1階部分は柵で囲われて何も見ることが出来ず、棒二森屋を思わせるものは無かった
わずかに上部の外壁にローマ字の店名を外した跡が見て取れた。
 
多くのデパートがそうであったように最上階の食堂が懐かしいね
 
2022年12月から解体が始まり新たな商業ビルに生まれ変わる予定
地方のデパートの営業はもはや困難な時代か。
 
 
 
 
 
 
 
 

2022年6月撮影
 
 


 

「北海道教育大学函館校北方教育資料室」 旧函館師範学校 *函館の建築探訪NO116

所在地 八幡町1-2
建築年 大正3(1914)年
指定等 国登録有形文化財・歴風文化賞
開館時 なし
 
 
昭和42(1967)年の校舎新築の際に両翼を切り離し現在の場所に移築した建物である
師範学校の名称は教育大学に変わり多くの教員を送り出している。
 
OB達により保存を働きかけ現在の資料館となった。
玄関ポーチには三本一組の柱があり車寄せを設けているが、これは珍しい。
 
外側はきれいに塗装されており、計画的に補修がされているように感じた。
 
また施設外を見ると昔からの和菓子屋さんが目についた
生徒たちはここのお菓子を食べたことだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2022年6月撮影
 
 
 
 
 

「函館YWCA」 *函館の建築探訪NO121

所在地 松蔭町1-12
建築年 大正15(1926)年
指定等 国登録有形文化財・歴風保存文化賞
開館時 なし
 
 
この地区はその昔、宅地の分譲の条件として洋風の応接間や緑の屋根
前後に庭を設けるなどがあり質の高い住宅で街並みを構成させた
「文化村」と呼ばれたそうだ。
 
函館YWCAも条件を満たした住宅として建てられた
この建物では何といっても波打つ玄関屋根が印象的だ。
 
ちなみに函館YWCAとは
「函館YWCAは、平和・環境・人権をテーマにした公益活動を中心に、 子どもからおとなまで幅広い世代を対象にした生涯学習活動、文化・教養・趣味を楽しむグループ活動、 多様な方々を対象にした居場所づくり、季節のイベントの開催など、地域に根差したしたボランティア活動をしています。」 HPより。
 
現在は1階にカフェがあり、かなりリーズナブルな価格で気軽に利用ができる。
 
 
 

2022年6月撮影
 
 
 
 

 

「遺愛女子高等学校」 旧遺愛学院宣教師館 *函館の建築探訪NO122

所在地 杉並町23-11
建築年 明治41(1908)年
指定等 国指定重要文化財(宣教師館・本館) 国登録有形文化財(謝恩館・講堂)
開館時 
 
 
東京以北で最初の女学校として創立された学院である
 
当初は元町にあったが大火により現在地に移転新築された
「遺愛学園本館」と「宣教師館(ホワイトハウス)」は国の重要文化財に
「講堂」と「謝恩館」は国の有形登録文化財に指定された。
 
訪問時は「本館」は全面工事中で簡易的な玄関しか見ることが出来ず残念。(2024年完成予定)
左手奥に「謝恩館」「宣教師館」があり「講堂」は本館の右横にある。
 
設計は本館と宣教師館が立教大学初代学長J.Mガーディナー、
講堂と正門が一粒社ヴォーリス建築事務所が請け負った。
 
見学は正門を入ったところにある守衛所にて必要事項を記入し、そのまま車で進入できた。
クロッカスの咲くころに宣教師館へ行って見ると素敵な光景を見れるようだ。
 
 
 
「宣教師館」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「謝恩館」
 
 
 
 
「講堂」
 
 

2022年6月撮影
 
 
 
 
 

「AC・DC電気 Akasaka.Studio」 

所在地 東雲町7-8
建築年 不明
指定等 なし
開館時 なし
 
 
この建物は旅行ルートをストリートビューで追っている時に、面白そうな建物があると見つけたもの。
歴史的とまでは行かない建物だがファサードが個性的だ。
 
縦型のアーチが4連だが、左ハジだけ細いのが特徴
その仕切りと2階の窓の位置が微妙にズレているのは後から改装したのかな?
 
現在は音楽用の貸しスタジオとして活用しているようだ。
 
 
 

2022年6月撮影
 
 


 

「函館友の会会館」 

所在地 湯川町2丁目8-27
建築年 昭和47(1972)年
指定等 なし
開館時 なし
 
 
「友の会会館」は函館にもいくつか現存している田上義也氏の設計である。
 
「札幌ノスタルジック建築散歩」様によると1972年は大沼のイクサンダーユースホステルも設計している
この施設は田上氏お得意の住宅デザインを中規模施設に当てはめたようなものか。

軒下と階段室にそれとわかる個性がある
屋根の片流れにあわせて玄関から続く屋根も同角度で流している。
 
敷地は手前が広い駐車場で、遠目からズームでしか撮影できなかった。
背後にあるのは「KKRはこだて(国家公務員共済組合連合)」
こっちも感じが似ているなぁ。
 
「函館友の会」とは

‘‘友の会は、1930(昭和5)年、ジャーナリストで教育者の羽仁もと子を中心に雑誌『婦人之友』の愛読者によって生まれた女性の団体です。
海外も含めて約18,000人の会員がおり、「衣・食・住・家計」に関する生活の勉強・環境・子育てなどについて、年代を超えて共に学び合っています。

函館友の会は、1928(昭和3)年に発足しました。現在30代から90代までの会員が活動しています。‘‘

 

 
 
 

2022年6月撮影
 
 
 
 

「T氏住宅」 

所在地 本町
建築年 不明
指定等 なし
開館時 なし
 
 
「レトロな建物を訪ねて」様のブログにて情報を得て行って見た。
 
残念ながら空き家のようで、上記ブログの頃に比べて劣化が目立っていた
それでもここは商業地域の中で、ビルや店舗が多い中でこの住宅は目立つ。
 
ハーフティンバーの玄関が印象的で、白枠の縦長上げ下げ窓や持ち送りがある平屋である。
近くにもう1軒素敵な住宅があったが解体されていた。
 
場所から考えてもこちらもどうなることか。
 
 
 
 

2022年6月撮影
 


「認定こども園 うみの星保育園」 旧カトリック少年の家

所在地 日之出町27-3
建築年 昭和35(1960)年
指定等 なし
開館時 なし
 
 
フェイスブックで知り合った方より、この建物も田上義也氏の設計と教えていただいた。
創建時は、両翼があり今の場所から数10メートル左に移動した場所にあった。
2011年のストリートビューでそれが確認できた。
 
次に2016年のビューではなんと現在の位置にある物が建てられていて
同じ建物が並んでいるのを見ることが出来る。
 
そして2021年では現在の棟だけで左側にあった同じ建物は解体され
新園舎が出来上がっていた。
つまり古い棟を解体するときに、先に同じもの建ててから古いほうを解体した
そういう計画だったのだろう。
 
なので実際には2016年ごろに新築されたものが残っている。
 
田上氏設計のユースホステルでよく見る尖形のせり出す屋根
中部の窓はステンデグラスになっており園児のお祈りをする場所のようだ。
 
前記の教育大学資料館も両翼を切った形で保存された
やはり敷地と経費への余裕がないと全館残すことは難しいのだろう。
 
 
 

2022年6月撮影
 
 
 
 

「西條八十の歌碑」 

所在地 日之出町25 啄木小公園
建築年 昭和34(1959)年
指定等 なし
開館時 なし
 
 
建物ではないがこの碑も田上義也氏の設計であり名が彫られている
おそらくライオンズクラブの関係で田上氏に依頼が行ったのだろう。
 
ここは本来は石川啄木像がある海沿いの小公園である
この日はあいにく土砂降りであったが
晴天時には気持ちの良い潮風が吹く観光名所なのだろう。
 
 
 
 

2022年6月撮影
 
 
 
 
 
以上で函館の建築探訪を終了します
練りに練った計画で200軒を超える歴史的建物を撮影してきたけど
まだまだ撮り漏れがある。
 
今後、来年になるかもっと先になるかも知れないが
なんとかすべてを廻りたいね。