江別市の閉校(小学校) 赤字は訪問済
- 江別市立新野幌小学校(1966年江別市立野幌小学校へ統合)
- 江別市立八幡小学校(1971年9月篠津小へ統合)
- 江別市立下の月小学校(1980年江別市立江別小学校へ統合)
- 江別市立篠津小学校(1986年統合により江別市立北光小学校へ)
- 江別市立美原小学校(同上)
- 江別市立江北小学校(同上)
- 江別市立江別小学校(2016年江別第三小と統合し江別市立江別第一小学校へ)
- 江別市立江別第三小学校(2016年江別小と統合し江別第一小へ)
- 江別市立角山小学校(2018年江別市立対雁小学校へ統合)
中学校
- 江別市立篠津中学校(1966年11月統合により江北中へ)
- 江別市立美原中学校(同上)
- 江別市立八幡中学校(同上)
- 江別市立江北中学校(2011年江別市立江別第三中学校へ統合)
- 江別市立角山中学校(2013年江別市立中央中学校へ統合)
「旧江別市立八幡小中学校」
※江別市史より
開校:昭和8(1933)年
閉校:昭和46(1971)年
校舎:()年竣工
江別市八幡1041-3
八幡地区は江別の端ですぐ北は当別町である
平地が多く田園地帯なので訪問時のような雪に風があると吹き曝しになる
車ならホワイトアウトに注意だ。
目印として看板があり、隣は八幡神社なのでわかりやすかった。
小橋を渡るアプローチは学校らしい
校舎はその正面にあったように思えるがどうか
学校を思わせるものは何一つ無い。
規模からして前庭が校庭と推測する
八幡小学校は篠津小学校に統合となり閉校した。
校舎は解体され、跡地には自治会館が設置されている。
会館の前の看板は八幡地区のマップ
2022年12月撮影
「旧江別市立美原小中学校」
※江別市史より
開校:明治36(1903)年
閉校:昭和61(1986)年
校舎:()年竣工
江別市美原
道道139号線江別奈井江線を東に走ると
旧美原小学校跡、美原自治会館、美原神社が連なる形である
学校の建物は旧体育館が現存していた。
この体育館とL字型で校舎があったようだが校舎はすでに解体されている
入り口から校舎までのアプローチは現在グラウンドになっている中を通っていたので
結構な奥にあった。
この地区も田園地区にあり冬季間の通学は大変だったろうと思える
学校は1986年に3校統合で北光小学校となり閉校した。
グラウンドと体育館は現在、札幌リトルシニア球場として練習場として使われている
体育館にストライク、ボール、アウトのボードが取り付けられているのが珍しい。
2022年12月撮影
「旧江別市立江別小学校」
※江別市史より
開校:明治19(1886)年
閉校:平成28(2016)年
校舎:昭和28(1953)年竣工
江別市萩ヶ岡19
町の名がついた小学校であった
江別市特産であるレンガを使用した重厚な校舎である。
特に中央にそびえる5階建ての時計塔は学校のシンボルであった
広いグラウンドはイベントにも活用されたようだが
現在はすべて立入禁止で雑草も背が高くなった。
校舎もレンガの体育館も残念ながら閉校の2016年から2017年の間にすべて解体されたが
かつての正面階段が残っている 以前はこの上部中央に校名プレートがあった。
その手前にも別の石段があるが、これは学校があったときに通学用の歩道橋があった場所
閉校すると歩道橋もお役目御免で撤去された。
江別小学校は第三小学校と統合し閉校した 新校舎は第三小学校を新築した江別第一小学校である。
裏側の通りにあるスクールゾーンの標識が、かつてここに学校があったことを物語る
ぜひ閉校の記念碑をレンガで創ってほしい。
裏通りにある自治会館と門柱が気になった
左上が旧江別小学校
2022年12月撮影
「旧江別市立江別第三小学校」
※閉校記念誌より
開校:昭和4(1929)年
閉校:平成28(2016)年
校舎:昭和32(1957)年竣工(円形校舎)
江別市緑町西1丁目1-37
旧江別第三小学校には全国的にも珍しいレンガの円形校舎があった
旧江別小学校と同様にレンガ造りの校舎は実に美しかったという。
同敷地内に新校舎を建設し旧江別小学校と統合し江別第一小学校となった
閉校せまる平成27年には校舎のお別れ見学会を実施し、のべ1700人が来校した
円形校舎は平成27年5月から解体工事が始まった。
魅力ある旧第三小学校から新しい第一小学校となったが
校門のレンガ造りは第三小学校がそうであったからかも知れない。
グラウンドの端に二宮像があった
これは旧江別小学校と隣接し現存している「火薬庫」の上部にあったもの
両校統合の際に、ここに移築した
像部分は2007年に修復されたもので新しいが台座は建築当時のものだろう。
2022年12月撮影
閉校記念誌より
「旧江別市立江北中学校」
※江北中学校閉校記念誌より
開校:昭和41(1966)年
閉校:平成23(2011)年
校舎:昭和41(1966)年竣工
江別市美原1445
江別市の北部で石狩川に囲まれた地区は農業中心の田園地帯となっており
旧江北中学校もその校区であった。
開校には旧美原中、篠津中、八幡中から一斉引っ越しした
各中学は小学校との併設校であった。
平地の農業地帯によくある校庭・グラウンドが広い特色がこの学校にもある
閉校後は校舎のみ解体し、体育館は残した
そこに江別市が「都市と農村の交流センターえみくる」を新設した。
えみくるには会議室、調理室、体育館、野球場が整備され多くの利用があるようだ。
この場所が旧中学校の正面入り口だろう
2022年12月撮影
「旧江別市立角山小中学校」
開校:1918(大正7)年
閉校:2018(平成30)年
校舎:1981(昭和56)年竣工
江別市角山453
角山小学校は平成30年の閉校なので、まだ間もない学校だ
校舎ほかほぼ完全な姿で残ってはいる
ただ当然ながら立入禁止の表記があり敷地内には入れない。
正門の横に次の活用が記されていた
まだ使える施設は使うことは大事だ
ちょうど工事関係の業者が来ており中に数台の車と玄関扉が開いていた
門柱はプレートを外されて寂しい もっと早く来ておればだね
薄いピンクの校舎が綺麗でいいね
ちょっとだけ遊具も見えた
場所は275号線から入ってすぐなので分かり易い
その275号線側からもう一か所、体育館にむけての入口があったがこちらも同様に立入禁止で門柱にはプレートがない
校舎の西側と南側には自動車販売の会社に囲まれているので会社の人たちからはよく体育館が見えるだろう。
さて門柱の左側にチラっと見えるのは交番なので
ここから入るのは止めましょう。
2021年10月撮影
「旧江別市立篠津小中学校」
開校:1886(明治19)年
閉校:1986(昭和61)年
校舎:19()年竣工
江別市篠津404-2
篠津小学校があった場所は国道275号線沿いで「篠津自治会館」と「石狩地区農業共済組合」に現在はなっている。
まずは自治会館側に行って見る
ここにはいくつかの碑があるのでまとめたようだ
その中に篠津小学校の閉校の碑があった
表・裏・両横面と、その時の在校生だろうか手形があった
こういうのは思い出に残っていいよねぇ とてもいい企画だと思う
「PTA 1986.3.20」の文字が彫られているのでPTAが建てたモニュメントかも知れない
小、中、高とすべて廃校になった私としては羨ましいかぎり
校舎は皆残っているので取り壊したら碑が出来るのかなぁ
自治会館の奥は篠津神社
左側の農済の事務所があるが奥を廻ってみると
これはもしや体育館では
篠津小学校の最後の体育館かも知れない(情報不足で確定できない)
そうだとしたら別の活用が出来ていいことだ。
正面がお洒落だしね
そのままぐるっと廻って見ると旧校舎があったのは自治会館より
こちら側の方かなと思える
真ん中に植え込みがあったりするのは校舎の玄関前とかによくあるよね
*「江別市史」江別市発行より
2021年10月撮影
「旧江別市立野幌中学校 旧校舎」
開校:1947(昭和22)年
閉校:1980(昭和55)年
校舎:19()年竣工
江別市西野幌157
昔の野幌中学校は野幌神社の隣にあった
現在、学校は別の場所に移転し旧校舎があった場所には「農村環境改善センター」になっています。
事務所の真裏にある木々の中に閉校の碑があります
昭和55年に建立されたものですね
敷地は広く隣の神社とも塀がなく隣接しているのでさらに広く感じる
また、ここにはいくつかの碑があり野幌関係の碑をまとめたようにも思える
閉校碑の裏側にも別の物もある。
ついでと言っては失礼だが神社の敷地にも興味深い建物がある
拝殿や社務所、それに昔の泰安殿であろう建物
これは泰安殿だと思う
*「江別市史」江別市発行より
2021年10月撮影
「旧江別市下の月小学校」
※下の月小学校閉校記念誌より
開校:1949(昭和24)年
閉校:1980(昭和55)年
校舎:19()年竣工
江別市東野幌742-4
学校があったのは旧夕張鉄道の下の月駅跡のすぐ近くで、畑越しの向かいにあたる
マップでは早苗別通りという道路沿いで、この標識が目印
「旧下の月小学校グラウンド」になっているので間違いない
中に進むと建物が一つ
普段は無人のようで地域の人が使うのかと思いながら
以前は教員住宅だったのかも
奥は段差がある広場で面積からグラウンドは高い方にあったのだろう
低い方に一文字に校舎があったような…
さて車の轍がある低いところを奥に進むとまず鉄棒が朽ちたようなもの
さらに奥まで行くと木々に埋もれた校門があった
最も木々が覆いかぶさっている方を傘で払うとあったあった!
「江別市立下野月小学校」とある
「下の月」じゃあなくて門柱には「下野月」だ。
さらにもう一つ残されていたのがこのオブジェ
これは生徒たちの作品であろうか
現在では廻りには農家が点在しているだけで
鉄道の駅舎があったころは住宅があったと思われる
校舎の写真があるが大きくはなかったようだ
門柱は一つだけだったので当初からここにあったのかは不明
だが下の写真がグラウンド側から撮ったものなら右端に校門やオブジェがあってもおかしくはないが。
閉校記念誌より
*「江別市史」江別市発行より
2021年10月撮影
「旧江別市立江北小学校」
開校:1898(明治31)年
閉校:1986(昭和61)年
校舎:1968(昭和43)年竣工
江別市美原1103-1
明治時代に開設された当初の旧江北小学校のあった場所は大森林地帯であった
開墾され人が増え学校が出来た
終戦後には海外からの引揚者が多く入植しさらに児童数も増加した。
その後、昭和37年に火力発電所の一部完成のため校区内にあった社宅全戸が
引っ越し児童の減少になった
また昭和43年に石狩川堤防の築堤工事のため現在地に移転したようだ。
江北小学校の跡地に行ってみたが、現在では考えられない?かのような畑しかない場所
わずかな農家が点在する場所であった。
美原大橋を南から入り川を超えて、最初の降り口から降りて美原高架道をくぐる感じで右折すると
足場の組まれている大きな倉庫があった。
来た道を振り返るとこんな感じだ
校舎はとうになく、この旧体育館だけがポツンと立っている
廻りには柵があり近くに寄れるのは金網越し
カマボコ型の体育館が多い中で個性的でカッコイイではないか
よく見ると損傷があり、厳しい状態に見えた
閉校の碑なども見えず。
近くで道路の舗装工事をしており、その関係の機材などがありそう
とにかくこの状態でも今日、見れて良かったのかも知れないな。
*「江別市史」江別市発行より
2021年10月撮影