札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 札幌市の閉校⑥

2023-02-18 22:10:00 | 木造校舎・廃校

札幌市の閉校(小学校)  ※赤文字はレポート済 ※緑文字は今回レポート

中学校


高等学校
 北海道札幌石山高等学校(1980年北海道札幌平岸高等学校〈現:市立札幌平岸高等学校〉へ統合)

※wikipediaより



「旧札幌市立東小学校」

 

開校:明治36(1903)年
閉校:昭和44(1969)年
校舎:昭和3(1928)年竣工 

中央区大通東6丁目


東小学校は長い歴史の後、札幌市立中央小学校に名前を変えて今も大通東6丁目に校舎がある。

他の学校と同様に長い歴史は改名の歴史でもある

明治36(1903)年 「札幌区東尋常小学校」に創成尋常小学校の教室を間借りして開設。同年に中央区南1条東6丁目に新築移転した。
明治43(1910)年 「札幌区東尋常高等小学校」
大正11(1922)年 「札幌市東尋常高等小学校」
昭和3  (1928)年 中央区大通東6丁目に新築移転
昭和6  (1931)年 「札幌市東尋常小学校」
昭和16(1941)年 「札幌市東国民学校」
昭和22(1947)年 「札幌市立東小学校」
昭和44(1967)年 東北小学校と統合のため閉校 校舎は東小学校を使用。


現在の場所は豊平川に架かる一条橋の近くで、同住所には北側に
テレビ北海道の社屋があり、札幌ファクトリーにも近い。

かつてはすぐ近くに旧札幌市立一条中学校があった。

統合後の令和元年に新校舎が竣工し、すっかり近代的な校舎になった。

 

 


※昭和3年当時 札幌市立東小学校閉校記念誌より

 

現在の「札幌市立中央小学校」 中央区大通東6丁目

 

 


2022年12月撮影

 

 

 

 

「旧札幌市立東北小学校」

 

開校:明治42(1909)年
閉校:昭和44(1969)年
校舎:昭和9(1934)年竣工 

中央区北4条東3丁目


東北小学校は旧東小学校と統合し中央小学校となった
校舎は旧東小学校を使用し、東北小学校の後は現在「札幌市立中央中学校」の校舎となっている。

いわゆる「創成イースト」にあたる場所にあるのでこれからマンションなどが建てば
生徒数も増えるでしょう。

 


※東北卒年の歩みより


明治42(1909)年 「札幌区東北尋常小学校」開校 北4条東3丁目
大正6  (1917)年 「札幌区東北尋常高等小学校」
大正11(1922)年 「札幌市東北尋常高等小学校」
昭和6  (1931)年 「札幌市東北尋常小学校」
昭和16(1941)年 「札幌市東北国民学校」
昭和22(1947)年 「札幌市立東北小学校」
昭和44(1967)年 東小学校と統合のため閉校 

 

素敵な正面玄関の写真があった


※東北卒年の歩みより

 

現在は「札幌市立中央中学校」 中央区北4条東3丁目
玄関横に碑があった。

 

 

 

 


2022年11月撮影

 

 




「旧札幌市立一条中学校」

 

開校:昭和22(1947)年
閉校:昭和43(1968)年
校舎:()年竣工 

中央区南2条東6丁目

 

豊平川に架かる「一条橋」のたもとにあるので一条中学校と名付けられた
正面から直角に両翼を長く広げた校舎であった。

両翼の端の間に体育館を配し、中庭を自然な形で作り上げた
写真で見ると屋外運動場は豊平川河川敷である
この場所にある広い河川敷の活用は自動車学校と同様だ。

一条中学校の校舎は元は札幌女子国民学校の校舎を活用し開校した
昭和25年(1950)時には39学級、2069名の生徒がいた。

 

昭和48年に陵雲中学校と統合のため閉校
新校舎は旧東北小学校跡地に中央中学校として新築された。

校舎はその後も学校として様々な使われ方をし解体された
現在は市民ギャラリーとマンションに変わった。

その形は中央に市民ギャラリーを置き両翼にマンションと
まるで一条中学校から体育館を外し駐車場にしただけに見えた。

旧一条中学校を記すものとして札幌市民ギャラリー(南2条東6丁目)の外壁に標示がある。

 


この校舎も正面玄関が素敵だ

 

 

 

 


※一条の歩みより

 

 

 


2023年1月撮影

 

 



「旧札幌市立陵雲中学校」

 

開校:昭和29(1954)年
閉校:昭和43(1968)年
校舎:昭和34(1959)年竣工 

中央区北2条西11丁目

 

開校の同年に北海道札幌北高等学校が使用していた木造校舎に移転した
場所は北2条西11丁目。

昭和34(1959)年に同場所に、新築校舎が竣工した
札幌市内の中学校としては初の鉄筋コンクリート造り地下1階3階建てであった。

昭和43(1968)年に市内中心部のドーナツ化現象により生徒数減少で
一条中学校と統合し閉校となる

新しい統合学校の札幌市立中央中学校は旧東北小学校のあった
中央区北4条東3丁目に建てられた。


その後、校舎は昭和44(1969)年から札幌市立大通小学校の移転先となり、
平成16(2004)年に大通小学校が閉校した後は
平成17(2005)年に円山小学校の新校舎建築中の間借り、
平成20.21(2008.09)年には新設された市立札幌大通高等学校の暫定校舎に使用されたのちに解体された。

 

 

 


※閉校記念誌より

 

現在は「大通小学校」の校名プレートがある校門が現存している。
だが門の古さから陵雲中学校はおろか札幌北高、一番最初に開校した「札幌高等女学校」からの門かも知れない
奥に市立札幌大通高等学校の新築校舎があるので旧校舎はこちら側にあったと思われる。

ここの歴史は知っている人が多いでしょう。

 

 


田上義也氏の建築探訪②

2023-02-13 23:25:15 | 田上義也氏

田上さんが設計し竣工した建物は①までにもまだまだたくさんあったが、撮影する前にとっくに解体された建物が多い

②も現存している建物なので、これまでにネットでたくさん掲載されたものばかりです
古いものを見るということは、いかに早くスタートを切れているかにかかっている。

 

 

「U氏邸」
1961年(昭和36年)
札幌市南区

 

外観は屋根を含めて改装があるが、60年も経つ家なので当然なのだろう。

月日も流れ周りは住宅でいっぱいだが建築当時はどうであったか
まだまだ住宅は少なかったように思える。

田上氏の札幌市内における一般住宅設計は初期は中央区に多く
戦後から各区に創っていったように感じる。

昭和30年代に田上氏に設計を頼めたのは、やはりそれなりの施主なのだろう。

 

 

 


2021年1月撮影

 


※北のまれびとより

 

 

「T氏邸」
1962年(昭和37年)
小樽市花園

 

小樽での田上氏設計は戦前が多いが、こちらの住宅は昭和30年代のもの

坂の多い町の中腹で角地に建てられており、道路からは住宅を見上げるようにして登っていく。

三角屋根やパーゴラ、大谷石が特徴で外壁や窓などは補修されているように見えた。

 

 

 

 


2021年3月、5月撮影

 


※田上義也建築作品抄より

 

 

「伏見稲荷会館」
1963年(昭和38年)
札幌市中央区

 

設計記録に伏見稲荷会館とあったので、おそらくここのことだと思うが…

伏見稲荷神社は
”明治17年京都伏見稲荷大社の御分霊を札幌市南5条に奉斎し、明治40年当地に社殿を建立し、稲荷神社として創立の許可を受ける。
大正8年村社に列各、昭和16年郷社に昇格した。
当神社の御祭神お稲荷様は衣食住の太祖であり五穀豊穣、殖産興業、商売繁盛の守護神として遍く万民の崇敬を集めるその御神威を、高く拝せられる由縁である。 ※北海道神社庁hpより

坂下から続く27基の赤鳥居が有名であり撮影スポットにもなっている神社である
ただし本殿は撮影禁止であった。

本殿の横に会館と駐車場があり車を入れたあと坂下へ戻り
鳥居をくぐりながら登っていくのである。

以前は会館内で喫茶があったようだ。

 

 

 

 


2021年3月撮影

 

 

「北海道銀行本店ビル」
1964年(昭和39年)
札幌市中央区

 

札幌市中央区大通西4丁目には田上氏設計の「道銀ビル」と、
隣に「新大通ビルディング」昭和54(1979)年竣工がある

道銀ビルは北海道銀行の社屋、本店として大通の一角を占めていたが
経営不振の時期に売却して現在はテナントである。

以前は田上氏の建築事務所もここにあった。

両ビルは平和不動産の所有で、同時に解体し2028年に1つの大型ビルとして生まれ変わる予定だ。(着工は2024年の予定で34階建て計画)

 

北海道を代表する建築家、田上義也氏の作品がまたひとつ無くなる
特に本店ビルは氏と道銀の密接な関係の集大成であり長く親しまれたビルゆえに残念だ。

 

 

 

 

 


階段の床は道銀カラーのグリーン


2021年4月撮影

 


※北のまれびとより

 

 

「旧山元氏邸」
1964年(昭和39年)
小樽市

 

個人住宅で同じ小樽市のT氏宅のような三角屋根と軒下の三角形ガラリが特徴。

奥まった場所にあるゆえ近寄ることは辞めた
住宅の手前には遮るものが無しで海まで一直線に見えた。

 

 


2021年2月撮影

 

 

 

 

「K氏邸」
1965年(昭和40年)
札幌市中央区

 

個性的な住宅だなと思っていたら、後にネットで田上作品と知った。

古くからの閑静な住宅街で道路幅が狭い 
突き当りに正面があるので見やすいが、全方向からは見づらい
改装があるらしい庭側はさすがに撮影は控えめに。

 

 


2021年1月、4月撮影

 

 

「旧坂本直行氏邸」2022年解体
1965年(昭和40年)
札幌市西区

 

坂本直行氏は1906年生まれ、北海道出身の画家で1982年に逝去されている。
北大卒業後に温室会社~牧場経営を経て北海道の自然を描いた風景画を描くようになる。

坂本氏はなんと言っても「六花亭」の包装紙を描いたのが有名で
中札内村にある六花亭の六花の森には坂本氏の記念館がある。

田上氏とは札幌詩学協会発行の「さつぽろ」でお互いが詩を書いておりそこで知り合ったという。

牧場を辞めた後に田上氏に設計を依頼しようと道銀ビルにあった事務所へ行った
最初に知り合ってから40年近くが経っていたという。

今回解体された住宅はアトリエと本人が語っている
そのアトリエもついに解体されていた。

更地になりその広い敷地に驚いた。

 

 

 

 


2020年11月撮影

 


2022年3月撮影

 


※北のまれびとより

 

 

「北海道農業近代化コンサルタント」
1965年(昭和40年)
深川市

 

この1965年に深川にこんなデザインの建物を建てるとは凄いなと素直に思った。

初期のステルス戦闘機のようで今にも飛び出しそうだ
また裏側がブーメランのようにカットされている
家で撮影した写真を見直しても裏側は1枚も撮影していなかった これは痛いミスだった。

窓の造作を見ても細かく、よくぞ作ったものだ
当時の竣工式ではさぞかし出席者を驚かせただろう。

2013年に「一般財団法人北海道農業近代化技術研究センター深川事務所」となる。

 

 

 

 

 

 


2022年5月撮影

 


※北のまれびとより

 

 

「K氏邸」
1965年(昭和40年)
札幌市豊平区

 

車で通ると目立つ場所にあるが、目立たないのである
それは幹線道路の坂道にあるので登り下りとも勢いよく走り抜けるのと
少し奥まっているからだ。

だがチラ見でもその特異なファサードは目に入る
なぜ屋根はこのような形状なのだろうか?裏側はどうなっているのだろうか?

気になって裏へ廻ってみると、すっきりした片流れ屋根になっていた
ただ軒は他とは違うような気がする。

 

 


2021年1月撮影

 

 

「高台病院」
1967年(昭和42年)
札幌市豊平区

 

限られた敷地内に建つ病院なので外観の個性より内部の充実に主眼を置いたのだろうか。

それにしても田上氏の病院建築はそんなに多くはないが、ほとんど知らないか解体されており現役はこちらだけ?
星井整形は一部残っているのかも。

 

 

 

 


2021年6月撮影

 

 

「旧藪氏邸」
1967年(昭和42年)
江別市

 

こちらの住宅はおそらく正面側しか望めないであろう
竣工時には無かった物置らしき建物が増えており
ブロックの堀や玄関前の造作も変わったようだ。

2階の特徴的な窓が健在であり、2階への階段室の窓も形は変われど
残っている。

 


2021年1月撮影

 


※北国の住まいより

 

 

「旧辻氏邸」
1967年(昭和42年)
札幌市厚別区

 

現在は歯科医院兼住居になっている
位置的に車道側から望むことになるが、住居側も個性がありそうだ。

やはり部分部分で修復や改装されているのはやむなしでしょう。

 

 


2021年1月撮影

 


※北国の住まいより

 

 

「桑園予備校」
1968年(昭和43年)
札幌市中央区

 

札幌の予備校といえば1970年代から80年代に「桑園予備校」と「札幌予備学院」の2強時代があったようだ
どちらも桑園地区に本校がありかなりの繁盛をしたらしい。

予備校はやがて少子化により規模の縮小から
本州大手の参入により吸収や廃業となった。

この建物は桑園予備校の2代目本校であった
そして一部改修されたが現存している。

 

棟の間に挟まるかのような縦長の部分は不明だが階段室かエレベーターか?
この部分が箱型の建物に大きく印象付けをしている。

桑園予備校の後は、札幌ソフトウェア専門学校、現在は札幌情報未来専門学校が使用しており桑園予備校の法人が運営している。

 

 

 

 


2023年1月撮影


※北のまれびとより

 

 

「くぼたビル」
1968年(昭和43年)
札幌市中央区

 

この「くぼたマンション」は田上氏の設計記録で「くぼたビル」と名前があるが該当しているかは未確認。

ただちょっと変わった小窓の使い方などが田上氏の作風に思えるがどうか?
ちなみに記録と定礎が1年違うのは設計年と竣工年の違いかと思う。

 

 

 

 

 

 


2021年1月撮影

 

 

「青樹社ビル」
1969年(昭和44年)
札幌市中央区

 

現在知るところでは田上氏の作品で唯一のススキノにあるビルか。

札幌駅前通りにあり両サイドをビルに挟まれた正面が細長い雑居ビルだ
わずかに階段の天井になんとなく田上風を感じるかも知れない。

 

 

 

 

 


2020年12月撮影

 

 

「M氏邸」
1969年(昭和44年)
札幌市中央区


札幌市を見下ろす高台にあり景色がすばらしい場所に建っている。

田上さんとしては珍しいデザインに思えるがどうだろうか
竣工時とはベランダが切られて堀がブロックからコンクリートに変わっている。

 


2021年1月撮影

 


※北のまれびとより

 

 

「月形ライオンズクラブ記念碑」
1970年(昭和45年)
月形町


田上氏は1969(昭和44)年にエルムライオンズクラブの第11代会長に就いている。
ちなみに初代会長は田上氏に1953年に住宅、1956年に自身の医院の改築を依頼した飯室進氏である。

この記念碑もライオンズクラズの繋がりで設計依頼したものと思われる
田上氏は1972年にガバナー(地区の運営責任者)となり建築以外でも名を上げることになる。

月形町の名所である「月形樺戸博物館」の前にライオンズの「L」をかたどり立っている。

 

 

 


2022年8月撮影

 

 

「S氏邸」
1971年(昭和46年)
札幌市中央区

 

ある有名なお店がすぐ近くにあり、買い物をしたついでにぐるっと車で回って偶然見た家があった
その独特な外観から記憶に残り、田上氏研究のサイトを見て確認できた。

パッと見てわかる軒の三角やひし形の通気口を見ると
さて田上氏設計であろうか?とネットや書籍で検証したくなる

それにしてもこちらは個性たっぷりで素敵な家だ。

 

 


2021年9月撮影

 

 

「旧中央信用金庫豊平支店」2021年解体
1971年(昭和46年)
札幌市豊平区

 

この建物は、ただ田上義也氏の建築設計記録に載っているだけで明確な確証はない
1971年の建築なので今年でちょうど50年
それくらいの年季が入った建物に見えたし1本裏通りからは建物の疲れた裏側面も見えた。
また奥行きのある建物の側面に覗くタイルに時代を感じた。


国道36号線に面しており古い街である豊平に開設するのは必然だっただろう
数年前に平岸店に統合され閉鎖され放置されたままであった
今年に入ってシートが掛けられたので、お役目御免だ。

6月に再度見に行った時には居並ぶ古い建物群の真ん中がすっぽりと更地になっており、その後に隣にあった傾いた建物も解体されていた。


 

 

 


2021年2月撮影

 

 


2021年8月撮影

 

 

「旧定山渓ニューグランドホテル福寿園」2021年解体
1972年(昭和47年)
札幌市南区定山渓温泉

 

田上氏は大型ホテルも手掛けているが残念ながら現役は無く、現存しているホテルはおそらく2棟のみ
もう1棟が廃墟同然に比べて定山渓にあるこちらは、まだ状態の良い方だ。(この撮影後に両ホテルとも解体された)

当初のホテル名は「定山渓ニューグランドホテル」で、2000年に「福寿苑」に改名。
 依頼主は国道側の「定山渓グランドホテル瑞苑」と思われる。
敷地自体があまり広くなさそうなので上へ上へと行った感じ
部分部分にちょっと変わった作りも見られるがホテルは内装を見たいものだ。

平成26(2014)年に閉館、その後社員寮となったと聞いたが撮影時は未利用に見えた。

 

 

 

 

 


2021年1月撮影

 


※北のまれびとより

 

 

「旧イクサンダー大沼ユースホステル」
1972年(昭和47年)
七飯町

 

昭和35(1960)年の支笏湖ユースホステルを皮切りに、田上氏は全道で
14棟のユースホステルを設計している。

イクサンダー大沼ユースホステルもその一つで、閉業はされたが建物が現存していた。
昨年6月に函館市にレトロ建物見学の旅行をしたが、このユースホステルは最優先物件である。

やはりいつ解体されるか分からないので見れるうちに早めに見たかった
氏の作品としては一般住宅を大きくしたと思わせるような外観に見えた
正面玄関わきの太い柱と菱形のガラリが特徴。

しかし1階の軒天などに痛みが見られる
このまま朽ちていくには惜しい建物だ。

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 

 

「函館友の会会館」
1972年(昭和47年)
函館市湯川町

 

「函館友の会」とは

‘‘友の会は、1930(昭和5)年、ジャーナリストで教育者の羽仁もと子を中心に雑誌『婦人之友』の愛読者によって生まれた女性の団体です。
海外も含めて約18,000人の会員がおり、「衣・食・住・家計」に関する生活の勉強・環境・子育てなどについて、年代を超えて共に学び合っています。

函館友の会は、1928(昭和3)年に発足しました。現在30代から90代までの会員が活動しています。‘‘

軒下窓と階段室にそれとわかる個性がある。
屋根の片流れにあわせて玄関から続く屋根も同角度で流している。
 
敷地は手前が広い駐車場で、遠目からズームでしか撮影できなかった。
背後にあるのは「KKRはこだて(国家公務員共済組合連合)」
こっちも感じが似ているなぁ。

 

 

 

 

 


2022年6月撮影