旧多度志町は明治23年の農場開拓から始まる
その後、大正4年に多度志村に
昭和37年に多度志町となる。
昭和45年に深川市に編入され町制8年で「多度志町」は消滅した。
この建物は多度志村時代の昭和11年に役場として建てられた
設計はこの地区で多くの設計をした石井喜助氏。
深川市では旧向陽小学校の校舎が石井喜助氏の設計で健在だが
同じようによく特徴の出ている建物だ。
以前は右にある消防署を挟んでH型の建物だった
その両翼だけを残して他は解体
さらによく似た右翼部分も解体された。
残っているのは左翼部分でかつての事務所棟であった。
現在は右に消防、左に多度志土地改良区の施設があり
町の中心にあるのは変わらない。
2023年10月撮影
2022年5月22日に滝川市の菜の花を3年ぶりに見に行きました。
コロナ過により2年間はおとなしくしていたけど、少し落ち着いてきたのでね
今回は菜の花と深川の道の駅で釜めしが主目的
限られた時間だったので建築物の見学は最小にした。
まずは滝川市へ
菜の花畑は市内を過ぎて深川市との間にある江部乙が中心。
すでに国道12号線から黄色の絨毯が見える
途中の滝川市の道の駅周辺はすでに渋滞だった。
この5/21,5/22,5/28,5/29は道の駅で「菜の花まつり」の日であった。
道の駅はとりあえずパスし、少し走ったところで途中適当に右折して農道を走ると畑がいくつもある。
晴天だったらもっと映えたはず
車も多かったけど徒歩の人もいたので道の駅に駐車したか
バスで来たのだろうね。
菜の花まつりは5/28,5/29で終わりだけど
花自体はまだ咲いているので行くなら晴天の平日がベストかな。
続いて12号線をまっすぐ隣の深川市へ
目的は道の駅の釜めし。
深川の道の駅も車であふれていた
土日で天気もまずまず 大勢の人が繰り出した感じ。
駐車場の端に停めて
駅舎2階の「味しるべ 駅逓」へ。
11時20分到着で待ち客3組あり
その後、順に呼ばれて先に食券を購入(自動でオーダーが通る)
11時50分ごろカウンターの席に付けた 5分後に番号を呼ばれる(料理を取に行く)
この時イチオシだった「ホタテとアスパラの釜めし」 1,100円を。
やっぱり美味しかったなぁ
最後の1杯は添えてある温泉卵を入れて、これまた美味し。
それでは建築探訪をと
※データは「旭川と道北の建築探訪」2000年発行より
道の駅から車で12号線を渡り5分ほどで着く
このような古い建物は珍しく、周囲に異彩を放つ。
建物自体は平成13年に修復されており、その前にも数度増改築されているので
竣工時と同じではない。
元は農場経営者の鷲田氏が事務所と住宅を兼ねて和洋折衷で建てたもの。
当時はこのような地主が土地を所有し小作人を使用して農場経営をしていたケースがあったが
戦後の農地解放により地主制度は解体された。
修復時にはあった玄関上のバルコニーは無くなっている
また、中は見学できるようだがこの日(日曜日)は出来なかった。
2022年5月撮影
この建物は何といっても北海道建築の父とも呼ばれる
田上義也氏(1989~1991)の作品である。
田上氏は20歳のころフランク・L・ライト氏の設計する帝国ホテル建設事務所に入所
その後、北海道に居を構え、公共大型施設から一般住宅まで数多くの設計をした。
その作品は現存するものが年々少なくなり保存運動に発展したものもある。
この建物は氏の66歳での作品である
個性的な外観で屋根は片流れで雪を一気に落とす
正面から見るとわからぬが、V字の建物で屋根も同様だ。
窓が多く桟も多く感じるのは耐雪なのだろうか
一般的な歴史的建物ではないが、もはや昭和中期の建物である
毎年のように解体される貴重な田上作品を深川で見れてうれしかった。
*現北海道農業近代化技術研究センター
2022年5月撮影
前身は北海道拓殖銀行の深川支店として建設された。
たくぎん破綻後は北洋銀行に引き継がれ、現在は市民の交流センター深川プラザとなっている。
場所的にはもっとも賑やかな場所の一角を占める。
2階まで伸びるジャイアントオーダーがあるが
建物自体がこじんまりとしているので荘厳や威圧感はあまりない。
しかし軒下や柱頭の紋様など細かい仕事がありじっくりと見たいところだ。
2022年5月撮影