*町ごとに現存し撮影した建物だけ記載します
*町のコメントはwikipediaと私的所感です
*名前は1994年発行時のものです
*「小樽の建築探訪」とダブリます
*未訪問は訪問後に追加していきます
*現役個人宅は町名まで
*wikipedia、google streetview
*「札幌ノスタルジック建築散歩」様、「小梅太郎の小樽日記」様引用
【信香】
信香町はJR線と臨港線、勝納川に囲まれた小さな街である。
古くからの一般住宅や商店があるが、他の街同様に取り壊しや新築に代わってきている
地理的に札幌~小樽間の通行路にもあるため臨港線沿いには大店舗も出来ている。
『旧岡崎倉庫』 信香町2丁目2 *現田中酒造 亀甲蔵 +内部見学自由
2020年10月撮影
『S氏宅』 信香町5丁目
2020年10月撮影
『旧小町湯温泉』 信香町11丁目4 開業明治15年(1882年)+2021年10月閉店
2020年10月撮影
【奥沢】
奥沢町は国道5号線から奥沢十字街から派生する393号線沿いに山側に向かう広い面積の町である。
393号線を進むとやがて朝里へ抜けるが札幌からくる場合、目的地によってはこのルートを使う
また毛無山からキロロリゾートへ赤井川村へ行くルートでもある。
古くから小樽の代表的な製造企業としてミツウマ、第一ゴム、北の誉(閉業)などがあり工場も多い。
『旧石橋商店醤油工場』 奥沢1丁目21-15 明治32年(1899年)
2020年10月撮影
『平野製パン』 奥沢1丁目25-7 +開業昭和25年(1950年)
2020年10月撮影
『K氏宅』 奥沢1丁目 大正13年頃
2020年11月撮影
『中ノ目製菓(株)』 奥沢3丁目26-9 +開業昭和25年(1950年)
2020年12月撮影
『旧三馬本社』 奥沢4丁目26-1 +創立大正8年(1919年)
2021年5月撮影
【天神】
天神町は山に向かって広大な面積がある町である。
住宅街は北部の一部に限られ南部のほとんどは水源地や毛無山などの山林だ
水源地までの勝納川沿いには古くからの工場関係の施設が残る。
秘境「穴滝」は天神町の最奥から徒歩で行ける。
『奥沢水源地取水塔』 天神2丁目 大正3年(1914年)
2021年5月撮影
【真栄】
札幌には真栄(しんえい)という地区があるが小樽では(まさかえ)と読む。
敷地は奥沢町を東にずらしたように似ており、やはり毛無山の山頂近くまで真栄町だ。
町の中心はやはり中部から北部になり市内で最も古い本堂の「龍徳寺」が最北部にある。
『龍徳寺本殿』 真栄1丁目3-8 明治9年(1876年)
2021年9月撮影
『旧北の誉製品庫』 真栄1丁目7 明治後期
2022年2月撮影
【築港】
区域はフェリーターミナルがある、勝納埠頭と一大商業施設のウィングベイ小樽から平磯岬までの細長い地域になる。
戸建て住宅は少なく代わりに高層マンションがある
港湾関係の施設とJR小樽築港駅近辺の施設が中心になる。
『旧小樽築港事務所見張り所』 築港2丁目2-2 明治10年(1835年)
2020年10月撮影
【潮見台】
真栄からさらに札幌寄りに移動したような地区だ。
名前の通り高台にあり眺望の良い町である
ゆえに「和光荘」など社主が自社を見下ろすような邸宅も出来る。
他に古くからの住宅や浄水場など見るべき建造物や邸宅があり
珍しいのはジャンプ台が住宅地のすぐ裏手にある。
『旧野口喜一郎宅』 潮見台2丁目4-1 大正11年(1922年)*現和光荘(2021年現在敷地内立入禁止)
2020年9月撮影
『旧野口酒造職員倶楽部』 潮見台2丁目 昭和8年(1933年)
2021年9月撮影
『Y氏旧邸』 潮見台2丁目 昭和2年(1927年)
2021年3月撮影
『M氏宅』 潮見台2丁目
2021年9月撮影
『O氏宅・蔵』 潮見台1丁目 *蔵は大正5年(1916年)
2021年9月撮影
『潮見台浄水場管理棟』 潮見台4丁目143 昭和2年(1927年)
2021年3月撮影
『潮見台ポンプ場』 潮見台2丁目22-28
2021年3月撮影
【新富】
新富町も対角になる信香町同様に小さな街である。
小さいながらも古くからの市場や学校、教会などがある
一般的な住宅が多いが蔵を持つ住宅もある。
『S氏宅』 新富町7丁目 昭和23年(1948年)
2021年3月撮影
【桜】
桜は市内中心部と朝里地区の中間にあり広い面積を持つ。
その昔、この地域は熊碓と言われて現在は船浜町になる東小樽海水浴場も熊碓海水浴場と言われた。
現在は平磯岬から朝里川の間の国道5号線より山側の地域で、斜面に広がる閑静な住宅街となっている。
小樽市および札幌市のベッドタウンとして機能している。
東は朝里川を挟んで新光、西は若竹町及び潮見台、南は望洋台、北は船浜町と接する。
『旧猪俣安之丞宅』 桜1丁目1-13 明治33年(1900年)*現銀鱗荘
2020年10月撮影
【銭函】
銭函地区は明治のはじめには、札幌に海から至る交通上の要地であり、その後も小樽と札幌を結ぶ中継点として栄えた。
札幌市のベッドタウン化しつつあり、札幌市星置と隣接しているので人口は増加傾向にある。
また、準工業地帯として軽工業的な工場が立ち並び工業団地を形成している。
一方、漁師町の流れをくむ1丁目及び2丁目地域では、昔ながらの商店やもちろん現役の漁師が住む歴史ある街として現存している。
町名は和名と思われ、いつもニシンが大量にとれたため、「銭函」となったとされる。
『T氏宅』 銭函2丁目 昭和8年(1933年)
2022年2月撮影
『旧大坂屋呉服・質店蔵』 銭函2丁目3-4 *ストアハウス大坂屋
2022年2月撮影
『(株)新宮商行 銭函工場』 銭函2丁目32-1
2022年2月、20年11月撮影