札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 長万部町の閉校 ※2校を追加しました

2024-10-25 22:54:35 | 木造校舎・廃校

小学校 赤字は今回訪問 青字は訪問済み

 

wikipediaより

  • 長万部町立上の沢小学校(年代不明)
  • 長万部町立豊津小学校(1971年国縫小へ統合)
  • 長万部町立茶屋川小学校(1985年国縫小へ統合)
  • 長万部町立蕨岱小学校(2001年
  • 長万部町立双葉小学校(2005年、跡地は地元の企業の事務所に転用)
  • 長万部町立共立小学校(2009年、跡地は地元水産会社の工場に転用)
  • 長万部町立中の沢小学校(2010年、跡地は地元の製菓会社の工場兼直売所に転用)
  • 長万部町立国縫小学校(2014年
  • 長万部町立静狩小学校(2022年

 

 

「旧長万部町立国縫小中学校」

 

開校:()年
閉校:平成26(2014)年
校舎:昭和50(1975)年 改築

長万部町国縫171-59

ナビ「国縫振興会館」

 

国縫小学校の閉校は平成26年で比較的最近の部類に入るほうだろう
だからなのか校舎ほかほとんどが閉校時のままに見える。

ナビはお隣の会館で、駐車をさせていただくと目の前が校舎である

 

 

一度道路に出て校門から入りなおす

 

両方にプレートがあったが片方は「長万部町立」だけで何か違和感がある

すぐ右手に石碑あり(後ろが会館)

これは百周年の石碑であった

 

改めて校舎を見る

 

 

グラウンド、バックネットのそばに石碑があるので行って見た

「シャクシャイン古戦場跡」の碑だった

 

校舎のほうに戻るとさらにプールのような施設と
その前にも石碑

これは「国縫中学校」の閉校記念碑だった
とするとここは小中の併置校になる

おそらく石碑の裏面にも記録がありそうだが、雑草が多く旅行中でもあり止めた。

 

古戦場のも含めて記念碑が多く、校舎その他が現存しているので
満足度の高い閉校巡りでした。

2024年10月17日撮影


 

 

「旧長万部町立豊津小学校」

 

開校:昭和27(1952)年
閉校:昭和46(1971)年
校舎:昭和27(1952)年

長万部町豊津260-14

ナビ「豊津開拓会館」


実際にはナビの豊津開拓会館のすぐ手前にある、ぽっかりした空地が
かつての学校敷地であり校庭と思われる

上記の国縫小学校と逆でこちらの閉校年は昭和46年とかなり年数が経っている
また国道から少し山側に入っただけの場所にあるのは共通している。

 

古い航空写真には校庭と一直線の校舎が写っており
現在の写真に切り替えると草木の中に建物の屋根が見える

現役当時ほどの大きさは無いが場所は同じだなので校舎の一部と推察。

 

停車場所から「開拓会館」がチラ見

 

校舎の一部でも見たいと勇んで行って見たが、あまりの雑草に屋根部分しか見えない
その屋根はブルーシートで覆われていた。

 

廃校を目指してそれなりの準備をしていけば、なんてことはないかも知れないが
旅行中の行きの途中である

無理をせず遠方からの撮影に留めた

 

いずれにしろ閉校から50年以上経った木造校舎だ
「廃墟」扱いはまぬがれないであろう

2024年10月17日撮影

 

 

 

ここから過去記録

 

「旧長万部町立蕨岱小学校」

 

開校:明治37(1904)年
閉校:平成13(2001)年
校舎:()年

長万部町蕨岱139

ナビ「長万部町蕨岱139」

 

蕨岱小学校は木造校舎が現存しており今回の閉校巡りのメインである

同じ木造でもモルタルより板張りの方が断然素敵だ。


黒松内町から国道5号線を南下し長万部町に入る
少し進むと左側に学校への案内標識があるので左折する
後は真っすぐ行くと左側にぽっかりと木造校舎が見えた。

 

道路の反対側はトウモロコシ畑
他に建物は教員住宅?の建物が学校の隣にあり、住民がいるようだ。

 

邪魔にならないように撮影をする
横に一直線の校舎は向かって右端に体育館があり終わっていた

閉校年は平成13年で特別古くは無い
竣工年が確認中だが、まずまずの状態で現存しているのが嬉しい

 

 

前庭は雑草が伸び放題で踏み入るのも躊躇する
見える位置からのズームで充分だ。


さらに先に進んでも農地と原野で行き止まりだ
Uターンして戻るには後ろ髪を引かれる思いである

それだけ貴重な校舎であった。

2024年7月26日撮影

 

 

 

「旧長万部町立双葉小学校」

 

開校:明治33(1900)年
閉校:平成17(2005)年
校舎:()年

長万部町双葉86

ナビは「JR二股駅」

 

JR北海道 函館本線の「二股駅」はコンテナで出来ており
面白い駅舎だった
鉄道マニアならずとも駅舎に興味が惹かれる

 

さて旧双葉小学校は国道5号線を挟んで「二股駅」の対面にある
付近には他に大きな建物は見られなかったのですぐにそれとわかる
車は駅舎前に停車し徒歩で国道5号線を渡る。

 

 

双葉小学校の現在は民間企業が使用していると思った

ただ現地に着いてみると平日だが人影も車もなく
自由に入れそうだったので校門から玄関前まで行ってみた

 

また左手に記念碑もあったので撮影をし
校舎の横に舗装道路があるので行ってみると校舎の裏側が見れた

奥に草ぼうぼうのグラウンドなどがあり、バックネットや鉄棒、水飲み場、
遠めだが温室?が見て取れた。

 

まだ使用できる鉄筋コンクリート造りの校舎なので
校門に付いていたプレートの会社が再活用していればいいが……

 

2024年7月26日撮影

 

 

 

「旧長万部町立共立小学校」

 

開校:大正3(1914)年
閉校:平成21(2009)年
校舎:()年

長万部町共立471-1

ナビは「共立熊野神社」

 

旧双葉小学校が今回の折り返し地点で、この後は東進して豊浦町方面に向かう
その途中に共立小学校がある

共立熊野神社と道路を挟んで旧共立小学校がある
すぐ近くに高速道路の「静狩PA」がある

 

校舎は双葉小学校と同じく民間企業が活用しており
以前は校門らしき標識に社名がある
リスが可愛い

 

ここは内部に入らないと校舎はほとんど見えないので
カメラ片手に訪ねてみた

が、ここも人はおろか車もない
あるのは鉄筋コンクリートの校舎と整備された敷地だった

誰かが来たら説明しようと思い撮影だけした
体育館が見当たらなかったのは解体されたからだろう
校庭と思われる場所は整地されさらに立入禁止だった。

 

 

ここも結局企業として活用はしているようだが、常に使用しない
倉庫のような用途なのだろうか

2024年7月26日撮影

 

 

 

「旧長万部町立静狩小学校」

 

開校:明治35(1902)年
閉校:令和4(2022)年
校舎:()年

長万部町静狩166

ナビは「長万部町立静狩小学校」

 

長万部町で太平洋を見ながら走る国道37号線は、やがて静狩の町で海沿いを終わり、
山を越える静狩峠を経て豊浦町に入る

どんづまりのような静狩の集落はこれまでの町より住宅などが多い

山側がぽっかりと開けた場所に「JR北海道函館本線 静狩駅」がある
木造板張りの素敵な駅舎だ
中も趣があってよい ホームに出たらまさに特急電車が通過する間際だった
あわてて撮影をしてみた 鉄道マニアの気持ちが少しわかったかも

隣の駅は有名な小幌駅だ


駅舎を離れて先へ進む

町の貫く通りの山側に左折すると静狩小学校があった。

 

 

しかし現在は工事現場の事務所や詰め所になっており
人の出入りも多い
外にある校門の撮影しながらギリギリの角度で校舎を撮ってみる

ズームで見ると正面玄関と思われる上部に校名と、「令和4年3月閉校」とあった


どうやら平屋のようで、奥行きのある学校だ

体育館も遊具も残っており、そこはわずか2年前の閉校だからだろう。



ここは敷地内奥に入らず、これで終了し
いつか機会があればまた寄ってみよう。

 

2024年7月26日撮影

 

 

 

ここから過去記録

 

「旧長万部町立中の沢小学校」

 

開校:昭和23(1948)年
閉校:平成22(2010)年
校舎:調査中()年

長万部町中の沢13-2

 

中の沢小学校は国道5号線沿いにあり、交通量が多い場所にあった。

昭和23年の開校で比較的新しい方になるだろう
校舎も当時のものかと思ったら、店舗として再活用されている内部に
改築完成イメージのイラストがあったので後年に治したようだ。

基本的には旧校舎、旧体育館、旧校庭(バックネットあり)が現存しており
校名のプレートだけは無い。

現在は、お菓子屋さんなのだろうが店内はモノであふれ
ドン・キホーテのミニチュア版を見るようですごく楽しい。

以前に通った時は一体何屋さんなんだろうと思っていたら
まさか閉校の再利用とは思わなかった。

現地製造のお菓子も販売しているのでぜひ立ち寄っていただきたい施設だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 


木造校舎・廃校 黒松内町の閉校 ※1校を追加しました

2024-10-22 21:06:23 | 木造校舎・廃校

小学校 赤字は今回レポート 青字は過去レポート

  • 黒松内町立五十嵐小学校(1968年黒松内町立中ノ川小学校へ統合)
  • 黒松内町立東栄小学校(1972年閉校)
  • 黒松内町立上大成小学校(1976年黒松内町立大成小学校へ統合)
  • 黒松内町立豊幌小学校(1998年閉校)
  • 黒松内町立大成小学校(1998年閉校)
  • 黒松内町立熱郛小学校(1998年閉校)
  • 黒松内町立作開小学校(1998年閉校、跡地は体験学習所として転用)
  • 黒松内町立中ノ川小学校(2007年[148]黒松内町立黒松内小学校へ統合)

中学校

  • 黒松内村立黒松内中学校豊幌分校(1949年4月20日)
  • 黒松内村立黒松内中学校大成分校(1949年4月20日)
  • 黒松内村立黒松内中学校東栄分校(1949年4月20日)

 

黒松内町は後志地区の南端にあり、渡島地区と胆振地区に接している
「ブナ」の北限として有名でオートキャンプ場もある
本来なら道南への中継基地として地理的には往来は多い場所になるが
函館へは札幌、千歳からはもっぱら高速道路や洞爺湖~太平洋側を経由していくことが多い。

黒松内岳はブナ林の美しさと滝があるので一度登ったが、とてもいい山だった。

 

「旧黒松内町上大成小学校」

 

開校:昭和25(1950)年
閉校:昭和51(1976)年
校舎:昭和25(1950)年

黒松内町大成496-2

ナビは「黒松内高感度地震観測施設

 

今回は八雲町への旅行行程の中で、国道から近い閉校を選んで訪問してみた。

黒松内町からは1校。

ナビが簡単に閉校跡に連れていってくれるので楽だ
国道37号線から道道266号線へ右折し数分走っただけで到着。


一番の目印は「上大成集会所」
その横に車を停めて道道を歩いて進むとナビの「黒松内高感度地震観測施設」がある

 

 

その隣にいかにも学校の入口のような小道があった

 

 

そこも徒歩で進む
すでに目の先にブルーシートで一部覆われた廃墟のような建物が見えるからだ。

 

 

正面から見るが誰もいない
これが旧上大成小学校の「一部」らしい

昔の航空写真を見ると長さは倍くらいあり、中心から建物が伸びてTの字になっている

その伸びた部分はどうやら倒壊しているようだ。

 

 

 

 

 

 

旧校舎の向かいは草ぼうぼうと倉庫があるが、ここが校庭だった
木造の旧校舎が一部でも確認できたのはうれしいが
今の状態は旧農家の離農した後のような感じだった。

 

 

2024年10月17日撮影

 

 

 

ここから過去レポート

 

「旧黒松内町豊幌小学校」

 

開校:明治31(1898)年
閉校:平成10(1998)年
校舎:昭和51(1976)年竣工 鉄筋コンクリート平屋

黒松内町

ナビは「旧豊幌小学校跡」

 

蘭越町を後にして、最終目的地である長万部町の閉校を目指すとルートは黒松内町を通る
かなり久しぶりの「道の駅」で簡単に昼食をとり国道5号線を西進する。

 

やがてナビにある「旧豊幌小学校跡」跡に到着
校門と反対側の道路に空きスペースがあるのでそこに駐車。

 

校名入りプレートの校門が現存しており
正面玄関がすぐそこにある 校門は昭和51年寄贈なので
校舎の新築に合わせて校門も代わったようだ。

手前のスペースは前庭で裏手に校庭があるようだ
前提には遊具も残っておりシンボルツリーらしき樹木も健在

 

校舎は鉄筋コンクリート造りである
さすがに屋根の庇部分に痛みが見えて、このままだと拡大していくだろう。

体育館は校舎に対して立派で竣工年は分からないが校舎とは別かも知れない。

 

前庭の左手に記念碑あり

 

草が煩わしいが裏へ廻るとバックネットがあり
やはり草ぼうぼうでグラウンドの面影はない
用具室らしき古い建物もあった。

 

黒松内町としては1校だけの閉校訪問だったが
いい学校を見させてもらった 
いつかまたこの街を廻ってみたい

この後は国道5号線を進み長万部町に入る。

 

2024年7月26日撮影

 

 


木造校舎・廃校 豊浦町の閉校 ※1校を追加しました

2024-10-20 22:06:25 | 木造校舎・廃校

wikipediaより

小学校  赤字は今回訪問 青字は過去訪問

  • 豊浦町立桜小学校(1972年)
  • 豊浦町立上泉小学校(1980年休校、2000年廃校)
  • 豊浦町立美和小学校(2005年)
  • 豊浦町立新富小学校(2003年休校、2006年廃校
  • 豊浦町立大岸小学校鉱山分校(1942年3月に大岸国民学校小鉾岸分教場として開校したが、1943年(昭和18年)廃止され、1944年に豊浦青年学校が開校。1947年(昭和22年)に再度廃校となって跡地に大岸中学校として開校した後、1952年に大岸中学校が廃校して移転したことに伴って、再び大岸小学校鉱山分校として改めて開校した。2007年に3度目の廃校となり、大岸小学校へ統合。)
  • 豊浦町立山梨小学校(2007年豊浦町立豊浦小学校へ統合
  • 豊浦町立新山梨小学校(同上
  • 豊浦町立大和小学校(2012年豊浦小へ統合)

中学校

  • 豊浦町立新山梨中学校(1972年豊浦町立豊浦中学校へ統合)
  • 豊浦町立新富中学校(1972年)
  • 豊浦町立美和中学校(1972年)
  • 豊浦町立上泉中学校(1980年)
  • 豊浦町立札文華中学校(2005年豊浦中へ統合)
  • 豊浦町立大岸中学校(2006年豊浦中へ統合)

高等学校

  北海道豊浦高等学校(2006年北海道虻田高等学校へ統合)

 

 

 

「旧豊浦町立大岸小学校鉱山分校

 

開校:1942(昭和17)年
閉校:2007(平成19)年
校舎:調査中()年

豊浦町大岸442-2

ナビは「豊浦町いちご分校」

 

鉱山分校ではあるが山の中にあるとかではなく
畑の中にある学校だった。

この豊浦町大岸では1921(大正10)年に金鉱が発見され発掘していたが
1942(昭和17)年に閉山となった。

分校も閉山の翌年1943(昭和18)年に一度閉校となる
その後、大岸中学校が使用していたが、廃校により分校が復活する
そして2007(平成19)年に廃校となった。

 

国道37号線から道道32号線に入り、車で2~3分後に分校に着く
近くには高速道路の豊浦ICがある。

 

敷地入り口に「いちご分校」の標示がある

 

校舎は綺麗で新しく見えるが、外観自体は以前の校舎のような古い型だ
体育館でL字型になっている

これは昔からの校舎と同じで、おそらく外観は昔とそんなに変わらないのだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

現在は「豊浦町地域産業連携拠点施設 いちご分校」として町の農業の発展、地域のコミュニティに一役買っている。

 

校舎まで行き、インターホンを押して撮影の許可をもらおうかと思ったら誰も出ず
また撮影中でも誰も現れなかった
可能であれば内部見学もしたかったが無理だろうなぁ。

 

ここは校庭だった。


※2024年10月17日撮影

 

ここから過去レポート

 

「旧豊浦町立礼文華中学校」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:2005(平成17)年
校舎:調査中()年

豊浦町礼文華169

ナビは「豊浦町立礼文華小学校」

 

長万部町の静狩から国道37号線で山越えに入る

豊浦町に入り、礼文華の町へ向かい右折して太平洋を目指す
ナビは集落の手前にある「礼文華小学校」
この小学校のとなりに旧礼文華中学校校舎があった。

鉄筋コンクリート2階建てでプレート付校門も健在
玄関前にある松の木だけが和風を感じさせる

 

 

昭和22年の開校当時と思われる門柱も残っていた
以前はここが正面玄関だった証だろう

 

横側にあるガラスを多用した壁が印象的
裏手には雑草だらけのグラウンドがある

 

また表に戻り体育館と用具室に使われたか小さな小屋があり学校の敷地は終わる

 

スィッチバックのようにグラウンド側を進む道路があったが時間がなく止めた。

 

このスタイルの校舎は特徴を見つけるのが中々難しいが
やはり横側にあるガラス壁が一番印象深かった。

 

2024年7月26日撮影

 

 

 

 

「旧豊浦町立大岸中学校」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:調査中()年

豊浦町大岸116

ナビは「旧豊浦町立大岸中学校」

 

旧礼文華中学校を後にし、次の目的地である大岸の町を目指す
ナビはしっかりと海岸沿いの道を示しており、キャンプ場もある景色のよいところを走るはずだった。

ところが海沿いを走って数分で工事中のため通行止めになっていた
仕方が無くUターンし結局はまた国道37号線に戻った。

 

大岸の町も礼文華の町のように国道から右折し太平洋を目指す
ナビ通りに着いたのは校舎の裏側だった

 

 

すると、先の旧礼文華中学校と同じガラスの壁が現れる
まさか礼文華に戻ってきた?
と錯覚するほど校舎もそっくりだ

 

だがここには記念碑があった
記念碑には最後の在校生の名が彫られていた
うれしいだろうなと思いながらも、その1年前に卒業した子は残念だなとも思う

 


町の造りも中学校の校舎も礼文華と似ているなと思ったら
両校の開校は一緒だ
どちらも旧校舎を解体してコンクリート造りの校舎にしたようだが
それも同時期だったので同じ仕様にしたと考えるのが妥当かな?

 

ただ体育館に描かれた絵と、こちらには周りに民家が少ないので
閉校した今は静かすぎて怖いくらいだったのが印象に残る。

2024年7月26日撮影

 

 

 

「旧豊浦町立豊浦高等学校」

 

開校:1950(昭和25)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:調査中()年

豊浦町船見町123-2

ナビは「豊浦町立豊浦中学校」

 

旧豊浦高等学校の校舎は現在「豊浦中学校」が使用している

どちらも町名である「豊浦」が付いた学校なので、場所は豊浦町の中心部になるだろう

今回は夏休みということもあって道路からすぐ入れる駐車場にいれさせてもらった。

建物はやや古さを感じるが、まだまだ使用できるだろう

前の2中学校と比べて活用されている建物はやはり違う
しかも部活があるようで、物音が聞こえるとほっとする

 

現役の中学校の校舎ばかり撮っても仕方がないと思った矢先
一番奥に何かの碑を見た

行って見るとこれはまさしく「旧豊浦高等学校」のものだった

 

そうだよね 

再活用はうれしいが卒業生にしてみれば何か残してほしいものだろうね

 

2024年7月26日撮影

 

 

ここから過去訪問

 

 

「旧豊浦町立桜小学校」

開校:1896(明治29)年
閉校:1972(昭和47)年
校舎:調査中()年

豊浦町桜


国道285号線が97号線と交わる場所に小学校があった。

桜小学校は豊浦町で一番最初に閉校になった学校
明治29年の開校当時はこの辺も、住んでいる人が多かったのだろう。

学校は体育館が現存しており、連続する棟は旧校舎なのか増築なのかは不明だ
校舎だとしたらとても小さな学校になる。

1段高くなった場所に碑が3つ 一つが閉校の碑だが、裏面が見ずらい。

すぐ横の森が迫ってくるようだが大木があった
シンボルツリーなら旧体育館の前のがそうであろう。

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 


木造校舎・廃校 江別市の閉校② ※旧新野幌小学校跡地を追加しました

2024-09-25 14:40:27 | 木造校舎・廃校

江別市の閉校(小学校) 赤字は訪問済  緑字は今回レポート

  • 江別市立新野幌小学校(1966年江別市立野幌小学校へ統合)
  • 江別市立八幡小学校(1971年9月篠津小へ統合)
  • 江別市立下の月小学校(1980年江別市立江別小学校へ統合)
  • 江別市立篠津小学校(1986年統合により江別市立北光小学校へ)
  • 江別市立美原小学校(同上)
  • 江別市立江北小学校(同上)
  • 江別市立江別小学校(2016年江別第三小と統合し江別市立江別第一小学校へ)
  • 江別市立江別第三小学校(2016年江別小と統合し江別第一小へ)
  • 江別市立角山小学校(2018年江別市立対雁小学校へ統合)


中学校

  • 江別市立篠津中学校(1966年11月統合により江北中へ)
  • 江別市立美原中学校(同上)
  • 江別市立八幡中学校(同上)
  • 江別市立江北中学校(2011年江別市立江別第三中学校へ統合)
  • 江別市立角山中学校(2013年江別市立中央中学校へ統合)


特別支援学校

 ● 北海道札幌盲学校(2015年)

 

「旧江別市立新野幌小学校」

 

 

開校:昭和23(1948)年
閉校:昭和41(1966)年
校舎:昭和23(1948)年竣工

江別市西野幌


かなり古い閉校であり、場所は野幌森林公園内なので校舎はとうに解体されている。

他の方のブログなどを参考に、「何もない」と分かっているが江別市で残った最後の未訪問校なので行ってみた。

 

ナビは「野幌森林公園登満別口」
道道46号線は江別市と北広島市を繋ぐだけに交通量も多く立派な道路だ

ナビに従い「登満別口駐車場」まで対向車とすれ違うのも大変な狭い道を森に向かって走らす。


やがて駐車場に着く 
日曜日の昼過ぎなのに先行車が1台だけとは寂しい


駐車場にはトイレがあるが立派な方は現在使用不可。

 

身支度と言っても熊の心配がないだけ気が楽だ
カメラとスマホだけを持って出発

通行止めは無いが一般車の通行は禁止だ。

 

人っ子一人いない歩道を歩きだす
慰めは秋の花と野鳥のさえずり

 

道は緩い登りになっており若干疲れるが気温が低いため汗はかかない

やがて正面が行き止まりになる


この行き止まりは昔は開墾されて畑が横並びにあった

現在は、左右に歩道がありT字になっている。

 


この左一角が「旧新野幌小学校」があったと思われる場所

駐車場から徒歩でちょうど15分歩いた。

 

特にそうなのかと思うのは、雑木が少なく開けていること
現在の「野幌小学校」の子供が描いた絵があること
昔の航空写真には学校のような建物があることだ

 

なんとなく草分け道のようだが この辺が入口だったかも?

 

水道仕切り弁で給水施設があった証明になる

 

いずれにしても何もないというか、その確認も出来ないくらいの藪だ
やはりこういうところは雪の降る寸前の晩秋がいいだろう

2024年9月22日撮影

 

これで「江別市の閉校巡り」は現時点で終了。

 

 

 

「旧北海道札幌盲学校」

 

開校:昭和15(1943)年
閉校:平成27(2015)年
校舎:()年竣工

江別市大麻元町

 

  • 平成27年3月31日 - 北海道札幌盲学校と北海道高等盲学校が統合のため閉校。

  • 平成27年4月1日 - 北海道有朋高等学校跡地に「北海道札幌視覚支援学校」が開校。

 

昔は盲学校と呼んでいた
現在は視覚支援学校である 

「札幌」と名が付くが、昭和15年当時は大麻は札幌だったのだろうか?

昭和10年時に江別町では「大曲」「麻畑」「樹林地」の3部落を統合し
「大」と「麻」の字をとって「大麻」となったとあるので当初から江別ではあった。

 

隣には大型施設がある「ココルクえべつ」がある
スーパー銭湯や支援型のパン屋、リハビリテーション、特別養護老人ホームなどがあり、隣接しているのでお互いから見える。

 

旧学校は門が立派で現在もプレートがある
進入路にチェーンや立入禁止の札が無いので中に歩を進める。

さすがに雑草が伸びてきている
校舎の1階は板張りをしており覗くことも出来ない。

左手の樹林帯に小さな碑が見えるが雑草に阻まれズームにて。
記念碑とある。

おそらく裏側にグラウンドなりがあったと思うが現在はパークゴルフ場に活用された。

 

上から見ると「エ」型の校舎で、真ん中の縦棒に当たるのが体育館かもしれない?

玄関の形状などデザイン性を見ることができる
もったいない建物ではあるが今後の活用はあるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年7月撮影

 

 


木造校舎・廃校 上砂川町の閉校

2024-09-19 20:07:47 | 木造校舎・廃校

赤字は今回訪問 

データはwikipediaより

<小学校>

  • 上砂川町立上砂川小学校〈初代〉(1982年新設の上砂川町立上砂川小学校〈2代目〉へ統合)
  • 上砂川町立東小学校(同上)
  • 上砂川町立若生小学校(1991年新設の上砂川町立中央小学校へ統合)
  • 上砂川町立下鶉小学校(同上)
  • 上砂川町立上砂川小学校〈2代目〉(1994年中央小へ統合)

<中学校>

  • 上砂川町立上砂川第一中学校(1971年上砂川第二中と統合し上砂川町立上砂川中学校へ)
  • 上砂川町立上砂川第二中学校(1971年上砂川第一中と統合し上砂川中へ)

<高等学校>

  • 北海道上砂川高等学校(砂川北高校の上砂川分校が独立、1979年閉校)

 

 

上砂川町の閉校に関して、スケジュール的に今回紀行では終わりの方になり時間的な余裕が無く、次の機会に譲った

いつか集中的に見て来たい。

 

 

「旧上砂川町立東小学校」

 

開校:1951(昭和26)年
閉校:1982(昭和57)年
校舎:()年

上砂川町

ナビは無し

目印は上砂川町のパン屋「カンパーニュ専門店 きまぐれパン工房」があるのでその途中の左側(原野)に記念碑がある。

スピードを出さずに注意して運転すると左側の雑草の中に黒い記念碑が見える

敷地内に車停め用の?スペースもあるので安心だがカーブなので出る時は注意を。


記念碑までは雑草が踏み固められており、どなたかが管理しているように見えた

どのような校舎があったかは不明だが、前記のパン屋さんの周りに集合住宅がたくさんあるので、そこの子供たちが通っていたのだろうか
かつての炭鉱~閉山の流れだろう 集合住宅にはあまり人が居ないように思えた。

 

 


2024年8月30日撮影

 

 

 

 

「旧北海道上砂川高等学校」

 

開校:()年
閉校:1979(昭和54)年
校舎:1971(昭和46)年

上砂川町

ナビは「北海道上砂川高等学校閉校記念碑」

 

現在は「上砂川中学校」が利用しており、現役校の平日訪問なので
目立たないようにひっそりと撮影をした。

情報では1971年に「旧第一中学校」と「旧第二中学校」が統合した際に「旧第一中学校」のグラウンドに建てられたとあるので、校舎自体は元々中学校であったようだ。

では1979年閉校の「旧上砂川高等学校」の記念碑はなぜここにあるのか?


ネットでは中々ヒットしないので上砂川町史をじっくり調べてみよう。

 


2024年8月30日撮影