札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

田上義也氏の設計探訪(未確認物件) ※2軒追加しました

2024-05-10 09:19:02 | 田上義也氏

田上義也(たのうえ よしや、1899年(明治32年)5月5日- 1991年(平成3年)8月17日)は、日本の建築家、音楽家。

大正から昭和にかけて、北海道を拠点に活躍した。若くしてフランク・ロイド・ライトの影響を受け、確かな腕を持つ棟梁の小島与市と出会った。北海道の気候風土に根ざした、特徴的な要素を持つ洋風建築を数多く残している

また、札幌交響楽団の創立者でもあり、初代指揮者も兼務した。 
※wikipediaより

 

現存する主な設計作品として

※旧小熊邸(現ドリーバーデン)札幌市
※坂牛邸 小樽市
※旧佐田邸 函館市
※旧北見教育会網走博物館 網走市
※北海道銀行本店 札幌市
※八雲町庁舎・公民館 八雲町
※人形劇場こぐま座 札幌市
※日本キリスト教会札幌北一条教会新会堂 札幌市
※札幌教育文化会館 札幌市
※北海道立旭川美術館 旭川市
※本郷新記念札幌彫刻美術館 札幌市
※豊平川さけ科学館 札幌市

上記以外でも現存、すでに解体された建物がたくさんあるのが特徴。

 

いくつかの書籍やサイト、ブログ等で設計したことがわかっても
それが現在残っているのか無いものなのか自分でわからない物件を深堀していきたい。

ただ「これは⁈」という物件があっても確証が無いものがあり
ここに保留物件として記載して行こうと思う


田上氏関係の書籍以外に研究のサイトとして非常に参考となる
「札幌ノスタルジック建築散歩」様を参考にさせていただきました

 

 

 

1976年 大成寺会館 当別町 NEW

「当別町 大成寺会館」で書籍に記載があったので検索するとこちらになった
というだけで確認はしていない。

田上氏の設計では宗教ではキリスト教教会に代表作があるが仏教ではあまり聞かない 
もとより氏自身が洗礼を受けた教徒であるからだろう

神社では札幌伏見稲荷会館がある。

どのような経緯でお寺の会館を設計したかは不明
大きな三角屋根が特徴な建物だ。

 

 

 

 

 


2021年4月撮影

 

 

1975年設計 月寒公民館 札幌市豊平区 NEW

 

月寒公民館も設計リストに載っていただけで、この建物が田上氏の設計とは確証はない。
ただ建物が築48年で補修次第で使えること、国土地理院の航空写真で1961~1969年では別の建物だが
1974年版には現在と同じ建物が写っていること。
なにより他に「月寒公民館」が無いことにより、そうではないかと思われるが…

この公民館は区役所ではなくても住民票や印鑑証明など各種証明書が取得できるので便利だ
その昔に旧豊平町として役場がここにあったからと思われる
豊平区が設立され現在地に区役所が新築されるまで役場はここにあった。

その後、ここの役場は解体され田上氏による公民館が建てられたと推測する。

国道36号線に向いている階段室の窓にデザイン性を見るがどうか

 

 

 

 


2021年1月撮影

 

 

1969年設計 丸越㈱ 帯広市 


書籍「北のまれびと」の田上氏設計史に
「1969年 丸越ビル 帯広」の記載あり

ネットで見てみると
昭和26(1951)年設立の「丸越株式会社」があり自社HPには社屋ビルの写真があった
繊維製品総合卸の会社で業者向けの卸会社である

田上氏との繋がりは不明だが、帯広に行ったので寄ってみた。

出来れば「定礎」があれば竣工年が判ったと思うが、探したが無かった。

一般個人への販売はしていないので関係者以外はビル内に入ることが出来なく未確認物件です

 

 

 

 

 

 

 

1967年設計 札幌造形美術学園 札幌市

この記録からネット検索すると「同名」の学校はヒットしない
類似したもので

①「北海道造形美術学園」 創立?
②「札幌美術学園」 創立1953年
③「北海道造形デザイン専門学校」 創立1961年 ※1966年北海道美術学校に改名

このうち①は創立年がわからず また現校舎はそんなに古いものではない
③は学校の沿革がきちんと記載されており田上氏の設計ではないようだ

②の「札幌美術学園」は60年の歴史ある校舎と謳っており、期待して行ってみた。


中央区南5条西26丁目


この正面の建物はまだ新しく見えたが、その裏に建つ建物が歴史あり


裏面


校名が見えるので、建築当時はこちらが本校舎だったのかも知れない。

屋根は変更されているように見えた
塗装の剥げ具合が歴史を感じる
連続する窓がいい感じだ。

 

田上氏、同年の設計で現存しているのは

「高台病院」 豊平区

これを推して似ているとは中々言い難く、札幌美術学園が田上氏設計の確証はまだない
もう少し調べてみたい。

 

これは学校案内のパンフにあったもの

 

 

1962年設計 K谷氏邸 札幌市


K谷氏は苗字しかわからない
しかし田上氏設計の建物の代表者にK谷氏の名前を見る。

自宅から始まり次に会社の建物を依頼する
またその逆も氏の設計にはよくみるパターンで、
古くは関場博士の別荘から自宅
旧小熊邸に入った北海道銀行初代頭取の島本氏は邸の増築から銀行支店の数々と例がある。

一応設計の記録では
1956年 施設の改築
1962年 自宅新築
1968年 施設新築竣工
1969年 寮新築 となっているが関係性の確証はまだない

K谷氏の自宅をストリートビューで見てみると、補修や改築はありそうだが
田上氏の個性は?と言われると……

ただ真上からの写真を大きく見ると

 

マークの下に見える白い枠はパーゴラではないだろうか
田上氏の住宅作品の中でパーゴラが一つの特徴でもあったと思う
ストリートビューからは木々が多く確認はしていないが。

もちろん他者でもパーゴラを用いたりするだろうが
今回は、「同性」の方が代表をしている施設の設計を田上氏がしていること
そして「同性」の方の自宅にはパーゴラがありそうなこと

だが同じく確証はないので保留としたい。

 


千歳市の建築探訪 ※1軒を追加、2軒を再訪しました

2024-05-09 14:41:43 | 千歳市

 

千歳市内は比較的新しい建物が多く、支笏湖近辺には歴史的建造物が残っている

 

 

「山線鉄橋」 【NEW】

 

所在地:千歳市支笏湖温泉
建設年:明治32(1899)年 大正13(1924)年移設
指定:千歳市指定有形文化財

 

支笏湖温泉の南側にあり人目を惹く真っ赤な鉄橋が「山線鉄橋」

>山線鉄橋は、千歳市支笏湖温泉地区の千歳川に移設された英国製の200フィートピン構造ダブルワーレントラス橋で、道内現存最古の明治期の鋼橋 です。 ※土木学会HPより

 

この橋は千歳川が支笏湖に流入する場所に架けられており
千歳川の綺麗なエメラルドグリーンと支笏湖のブルーが一度に見れる。

橋を渡れば「親水公園」になり、湖畔まで降りれるようになっておりたくさんの観光客が渡っている。

当初は空知川に架けられていたが、王子製紙の専用軽便鉄道として現在の場所に移設された

ここに鉄道が走っていたということに驚いた
苫小牧から各水力発電所を結び、湖畔まで資材や乗客を運んでいたとある
この鉄道は昭和26(1951)年に廃止した。

現在の鉄橋は王子製紙から千歳市に寄贈されている
また平成7(1995)年から3年かけて解体修復工事が行われて
歩道橋として利用されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年5月撮影

 

 

 

「支笏湖別邸(支笏湖倶楽部)」 【再訪】

 

所在地:千歳市支笏湖温泉
建設年:大正5(1916)年  昭和43(1968)年に現在地に移築

 

これは王子製紙苫小牧工場の建物である。

当時は苫小牧工場に明治42年に「迎賓館」として建設されたものが
「本俱楽部」と呼ばれ、苫小牧を訪れた貴賓がまずは本倶楽部でもてなされ
支笏湖の倶楽部で宿泊するのが一般的だったようだ。

 

元は湖畔に面した場所にあったが、昭和43年に天皇陛下をお迎えするにあたり現在地に移築した。

またその時に新館を新築している。

建設時は平屋ながら総檜造りの豪奢な建物であったという。

 

 

支笏湖へはまず「ポロピナイ」で休憩&トイレタイムが多い
人が多く、サップに興じる人が多いのにおどろいた。

 

支笏湖倶楽部は湖から離れてすぐにある
温泉街までは行かない位置だ。

 

現在は本館、新館とも閉館しておりグーグルマップの表記では
「王子貴賓館跡」となっている。

入口はチェーンがかかっており覗く程度しかできない
しかし両サイドが小高くなっているので靴などが汚れても良いのなら
その上からも見ることが出来る。

新館は完全に敷地内に入らないと見え無さそうだが
それはいけない。

また湖側からは立入禁止区域なのでこれも無理だ
入口のチェーンの向こうにいた 鹿は一瞬居なくなったが最後にはまた私を見ていた
これは中に入るなよ!の警告だろう。

 

 

 

 

 

 

 


2023年9月撮影

 

尚、王子製紙は支笏湖に「王子製紙 支笏湖山荘」を近くに持っているが
現在の営業は不明である。

 


写真と一部情報は下記より

※王子製紙苫小牧工場創業100周年のあゆみ
※写真集 王子製紙と苫小牧の100年 より

 

 

ここから再訪の写真

もう少し葉が無いとどう見えるか、ちょうど支笏湖に桜を見に行ったので寄ってみた

撮影できる場所が限られているので、目新しい発見は無かった
ロープがある敷地に入るわけにはいかない

 

 

 

 

 

 

 

2024年5月撮影

 

 

 

「支笏湖ユースホステル」 ※2022年解体 【再訪】

 

所在地:千歳市支笏湖温泉
建設年:昭和35(1960)年


支笏小学校の校舎を利用した日本最古のユースホステル
地面まで伸びる三角屋根が印象的な旧館は北海道を代表する建築家
田上義也氏の設計によるもの。

田上氏は同年に札幌の「宮ヶ丘ユースホステル」を設計しその後も多くのユースホステルを設計した

また支笏湖には1967年に「ホテル鹿の湯」を設計した(解体済)


湖畔にほど近い木立の中に見える赤く三角の屋根は非常に素敵だ
支笏湖とは間に翠山亭を挟んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

支笏湖ユースホステルは日本最古のユースホステルであり
現存している最古のユースホステルでもある。

すでに数年前から旧館は営業しておらず林間に姿を見せるだけであった。

 

 

内部には螺旋階段を設け、これがとても印象的である
田上氏の代表作に螺旋階段を設けた施設が他にもある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また階段廻りの小さな窓は師匠である F・L・ライトの意匠に通じるものがあると言われる

 

訪問時には、すでに照明関係や備品等も取り外されており
一部の床や躯体などに不安がありそうだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここが玄関だった

 

 

 

 

 

 

 


食堂かな 1枚板のカウンターがいいね 奥に厨房がある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新館は1980年代の建物で設計は田上氏ではない
こちらだけで営業を続けていたがコロナ禍で打撃を受けたろう

 

 

支笏湖ユースホステルは2021年3月に鶴雅グループが取得した
その後、再開発が企画され支笏湖ユースホステルは解体されるようだ

建物には人間もそうだが寿命があり、長く大勢の宿泊客に親しまれたまま
ピリオドをうつ

最後の最後に内部を見ることが出来て感謝しかないなぁ

 

2021年4月撮影(新館は2020年10月撮影)

 

ここから再訪の写真

解体から2年が経ったので、当然だが建物は無い
あったものが無くなると寂しいものだ

跡地にプレハブがあるので、鶴雅グループの次の土地活用を期待したい

 

 

 

 

2024年5月撮影

 

 

 

 

 

 

「王子製紙(株)第一発電所」 *道央の建築探訪 NO104

 

所在地:千歳市水明郷
建設年:明治43(1910)年

王子製紙(株)第一発電所は北海道新聞社発行の「道央の建築探訪」に記載されています。

支笏湖から千歳市内まで千歳川沿いに道々16号線が走っている
その支笏湖側から王子製紙の発電所が5つ設置されており
第一発電所が最大で電力の供給量も多い。

 

16号線から「水明郷」の表示に従い大きな駐車場に停めて徒歩で歩いていく
春には桜が咲き見物客が多いそうだ

 





発電所は高所から見下ろすように千歳川の谷にある
明治時代に建てられた施設はレンガ造りで強固であろう
わずかに入口の庇に改装の跡が残る


 

 




上部の水を一気に谷に落としそれで発電している
5つある発電所で実際にこうやって見ることが出来るのはここだけで
他は関係者以外立ち入り禁止。

 

 


このように下へ行く道は立ち入り禁止

 


水明郷は元は王子軽便鉄道(山線)の水溜駅、王子尋常小学校(戦後は水明小学校)が建っていた場所で 16号線に並んで走るサイクリングロードは鉄道の跡です


そう言われてみると付近の建物が駅舎や旧体育館や教員宿舎を改装したものに見えてきた。
これからの季節は紅葉が見事だそうです。

 

 

 

 

 

2021年4月撮影

 

 

 

 

「山三ふじや」 ((株)山三ふじや本店)

 

所在地:千歳市本町3丁目
建設年:昭和初期

「山三ふじや」は千歳を代表する老舗企業で、元は新潟からの移住者である渡部氏が一代で大きく隆盛させた
千歳で最古の酒店である。

現在は空港内のお土産屋や自衛隊基地内の売店、ゴルフ場やタクシー会社、書店ほか様々な業態を経営している。

本店は隣にある渡部氏の住宅とともに大正14(1925)年に木造で建てられ、現在の店舗は2代目のデザインである
印象的なファサードで中央3階のデザイン、2連の上げ下げ窓が目立つ



隣の住宅とともに補修はされているようだ
裏手には酒店らしい石の蔵がある。


*本店~住宅があり現在は駐車場になっている角地には「旧南長沼土功組合事務所」が山三ふじやの敷地内にあった
木造平屋で赤い屋根に上げ下げ窓の大正11(1922)年建築だが2016、17年ころに解体された。

 

2021年3月撮影

 


旧穂別町の建築探訪

2024-05-06 20:39:19 | 旧穂別町、占冠村、日高町

 

旧穂別町には「道東の建築探訪」(2007年発行、北海道新聞社)において
2軒の掲載があります

 

撮影日は2024年4月

 

「中村記念館」 道東の建築探訪 NO124

 

所在地:むかわ町穂別
建設年:大正13(1924)年 
指定等:登録有形文化財

 

旧中村平八郎住宅
2代目が昭和48年まで居住していた。

その後、平成16年に現地に移築したものである
隣に「博物館」、はす向かいに「地球体験館(解体済)」があり穂別町観光の中心地だ

建物は大正後期ではあるが、北海道らしい下見板張洋館住宅になっており
縦長の上げ下げ窓が並ぶ姿がとてもよい。

4月第3土曜日から8月31日まで内部が無料で見学することが出来る

 

 

 

 

 

 

 


木造校舎・廃校 旧穂別町の閉校

2024-05-04 17:27:35 | 木造校舎・廃校

小学校  赤字は今回レポート

穂別町(2006年・むかわ町を新設)

  • 穂別町立和泉小学校累標分校(1966年)
  • 穂別町立大和小学校(稲里小大和分校から改称、1968年稲里小へ統合)
  • 穂別町立茂別小学校(1970年穂別小へ統合)
  • 穂別町立新登川小学校(1970年)
  • 穂別町立長和小学校(1975年休校、1983年廃校)
  • 穂別町立福山小学校(1981年)

むかわ町

  • むかわ町立稲里小学校(2009年むかわ町立穂別小学校へ統合)
  • むかわ町立和泉小学校(同上)
  • むかわ町立生田小学校(2010年むかわ町立鵡川中央小学校へ統合)
  • むかわ町立仁和小学校(2017年穂別小へ統合)
  • むかわ町立富内小学校(2018年穂別小へ統合)
  • むかわ町立宮戸小学校(2023年鵡川中央小へ統合)

中学校

穂別町(2006年・むかわ町を新設)

  • 穂別町立和泉中学校(1950年むかわ町立穂別中学校〈当時:穂別町立〉へ統合)
  • 穂別町立新登川中学校(1957年長和中へ統合)
  • 穂別町立大和中学校(1960年稲里中大和分校から独立、1968年廃校)
  • 穂別町立長和中学校(1968年稲里中へ統合)
  • 穂別町立福山中学校(1982年)
  • 穂別町立稲里中学校(1998年)
  • 穂別町立富内中学校(2001年穂別中へ統合)

むかわ町

  • むかわ町立仁和中学校(2012年


旧穂別町は2006年に旧鵡川町と合併し「むかわ町」となる
北は国道274号線や道東道があり南は太平洋までの
南北の縦長の町になった。

町内は縦中心に道道74号線が走っており、派生した集落に学校がある。

 

 

「旧穂別町立福山小中学校」


※穂別町史より

 

開校:大正10(1921)年
閉校:昭和57(1987)年
校舎:昭和36(1961)年竣工

むかわ町穂別福山



国道274号線を夕張から日高町へ行く途中の福山にパーキングがある
トイレと奥に芝生の広場があるくらいで何もないところだが
さらに奥に「福山小中学校」があった。

パーキングの夕張側に奥地に入る道があるので徒歩で進む
空き家ばかりで寂しい光景が続く
以前はこの道に校門があったようだ。

右手にぽっかりと空いた土地があり、ここが学校と校庭の跡地だ
鵡川(川)側にポツンと小屋があったが何の小屋かは不明
他はこの時期でも雑草が多く、さらに奥へ行くのは断念した。

結局、学校だったことを示すものは一つもない
パーキング奥の広場には開基の碑があったくらいだった。


パーキング


左側の道を行く


廃墟多数

 

右側にぽっかり広場 校舎と校庭があった

 

 

 

ここはパーキングの奥地

 


右奥に開基50周年の碑があり

 


2024年4月撮影

 

 

 

 

「旧穂別町立長和小中学校」


※穂別町史より

 

開校:明治40(1907)年
閉校:昭和51(1976)年
校舎:昭和35(1960)年竣工

むかわ町穂別長和



高速道東道の「むかわ穂別インターチェンジ」
その入り口付近に旧長和小中学校校舎があった。

先日、十勝へ旅行をしたときに道東道を利用し、
むかわ穂別インターで、ほんの一瞬だが体育館に見える建物がはっきりと見えた。

今回の旧穂別町巡りは、この確認が最優先であった
インターの料金所の手前に駐車場があるのでお借りした
すぐ目の前に異質な柱(煙突?)が3本と下に朽ちて倒れたような建物の残骸

これが旧長和小中学校の木造校舎である。

見かけた体育館らしき建物は樹木のおかげでよく見えない
昔は校舎と繋がっていたと思うので中間の校舎は先に解体されたようだ。
体育館は道東道からのほうがすっきり見える
ただ農業か畜産の別利用がされたようで現在は未使用に見えた。

高速道なので柵内にはもちろん入れず近寄るのも憚れるが
目の前の残骸と高速道路の料金所がどうも不釣り合いだ
きれいに片づけてあげたらいいのに、と部外者なので勝手に思う。


校舎の煙突部分だけ立っている

 

 

 

 


以前は体育館まで校舎があったが半分ほど先に解体されたようだ


2024年4月撮影

 

 

 

 

「旧むかわ町立稲里小中学校」

 

開校:明治38(1905)年
閉校:平成21(2009)年
校舎:平成11(1999)年竣工

むかわ町穂別稲里224

 

旧穂別町と旧鵡川町を繋ぐ道道74号線
旧稲里小中学校は74号線沿いにあった学校だ。

校舎、校門、バックネット、記念碑、教員住宅などが現存しており
そこは平成21年の閉校と平成11年竣工の校舎だからだろう。

校舎は竣工から約25年で、まだまだ新しく見える
また敷地内に以前の校名プレート付の門柱が残っていた。

平成11年の段階ではまだ学校としての活用、又は近い将来を見据えて住民が利用できる施設に活用しようと思ったのだろうか。


尚、中学校は新校舎の竣工前、平成10年に閉校している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2024年4月撮影

 

 

 

 

「旧穂別町立茂別小学校」


※穂別町史より

 

開校:昭和26(1951)年
閉校:昭和45(1970)年
校舎:昭和27(1952)年竣工

むかわ町穂別289-21

 

旧茂別小学校の開校と閉校を見てみると、19年間しかないことがわかる

これはこの地区にあった炭鉱の閉山によるもので
産炭地が多い空知地区ではよくあることだ

ヤマが開けば多くの人が集まり町が出来るが
ヤマが閉じれば一気に人がいなくなる
そして学校も無くなる 校舎はすでに解体済。

道道74号線沿いにあった茂別小学校を示す唯一の物は、今は私有地だろうか
道路沿いにある雑草の中に半ば埋もれている石碑があった。

閉校後に立てられたようだが閉校記念碑ではないようだ
いずれにしろあると判っていても、よほど目をこらさないとわからないものであった。


現在は私有地と思われる 校舎はすでに解体済 写真左側の雑草の中に碑がある

 

側溝を超えてすぐの木の下に碑が


木の下

 

 

 

 


2024年4月撮影

 

 

 

 

「旧むかわ町立和泉小中学校」

 

開校:明治28(1895)年
閉校:平成21(2009)年
校舎:昭和33(1958)年竣工

穂別町和泉



旧和泉小中学校も道道74号線沿いにある

一段低くなった敷地には校舎、体育館はおろか、遊具、周年記念碑、閉校記念碑、校名プレート付の校門、閉校の看板、さらに
道路にあるバス停は「和泉小学校」だ。

校舎は平屋の一列で体育館と繋がっている
造りは未確認だが、おそらく木造モルタル校舎かと思う。

現在もしっかりと再活用をされているようだ
今までいくつも閉校、閉校跡を見て来たが木造モルタル(未確認)校舎の中で、
最も当時の姿を現存している学校だと思った。

 

 

 

 

 


体育館は昭和40年の竣工

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2024年4月撮影

 

 

 

 

「旧むかわ町立仁和小学校」

 

開校:明治27(1894)年
閉校:平成29(2017)年
校舎:昭和29(1954)年竣工

むかわ町穂別仁和



旧仁和小学校は道道74号線と厚真へ抜ける道道59号線が交わる近くにある。

その昔は「似湾」という名前の土地だった。

校舎は現存しており、平屋の木造モルタル造りと思われる
校名プレート付の校門も健在だ
玄関前に半ば埋まった旧?校門があったのは驚いたが…

残念ながらよくある玄関上の校章は無かった
グラウンドは道路を1本隔てているがバックネットが2面あり
中学校と共同使用かと思う。

記念碑は校舎の裏側にあたる体育館の前にある
※仁和中学校を参照

 

 

 

 

 

 

 

記念碑は校舎の裏側、体育館前にあり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2024年4月撮影

 

 

 

 

「旧むかわ町立仁和中学校」

 

開校:昭和22(1947)年
閉校:平成24(2012)年
校舎:()年竣工

むかわ町穂別仁和



旧仁和小学校が前面にあり、その奥にほとんど似ている校舎が
旧仁和中学校の校舎だ

おなじ場所にあり同じような校舎で、しかも独立しているのは珍しい。

大体、小学校と同じだが、奥にあるのは体育館だろうか
これも小学校と共同使用と思われる

その体育館の玄関前にそれぞれの閉校記念碑があるが
面白いのは小学校の記念碑が中学校寄りにあることだ。

推測だが先に閉校し先に記念碑を建てたのは中学校で
最初に建てやすい場所を選び、その後に小学校も体育館前に
建てようとしたらそこしかなかった

たいしたことではないが勝手に推測してしまう
小中とも木造校舎であればなお嬉しいことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


小樽市の建築探訪④ ※1軒再訪しました

2024-05-02 18:53:22 | 小樽市

 

 

NEW

「北海道大学共同利用施設忍路臨海実験所 「再訪」 小樽市の建築探訪NO122

建築年 大正13(1924)年

 

昨年2023年の12月に再訪しました(前回は2020年10月)

ここは小樽市でも余市町に近い忍路の街
港は湾になっており漁港がある。

前回もハード系パンで有名な「エグヴィグ」とセットで訪問した。

忍路港の左端に建物がある

門からは研究施設でもあり一般人は立入禁止だ
遠方からの撮影になったが、どうもデジカメのズームが調子悪い
画像が粗くなり見るに堪えなくなって、長く世話になった相棒をあきらめた撮影になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから過去掲載

 

13日のお盆に小樽に行って来ました。

お墓参りが主目的なので、お寺とその近辺と

あとネットなどの情報で状況が変わった建物を中心に見てきた。

 

まずは

「龍徳寺」

こちらは菩提寺なのです

古くからあるお寺で明治9年の建築である本堂は小樽市の歴史的建造物に指定されています。

また中には「日本一の大木魚」があり、外には小樽市指定第一号の「保存樹木」である「夫婦銀杏」がそびえている。

 

 

 

 

 

 

 


2023年8月撮影

 



次に住之江町へ

ここは住吉神社の隣の一角で北は国道五号線に面している
ひと廻りに10分あれば足りるぐらいの狭い地域に古くからの建物が多く残っている。

 

まずは「カトリック住之江教会 旧佐々木静二氏邸」

明治30年建築の地区の代表的な建物
初訪問は中を見せていただき撮影をさせていただいた。

特に変わったところは無かったと思うが
この地区へ来たら撮影をしないとね。

 

 


2023年8月撮影

 

前回撮影したもの

 


2020年10月撮影

 

 

 

この地区は国道五号線から坂上に駆け上るように延びている
したがって上から下の建物を見下ろすような場所もある。

この蔵は隣接した建物がなくポツンとしていた。

「佐野邸蔵」

後年に母屋が別所になってしまった
明治44年の建築である。

いくつか施主が変わっており
2代目の施主がニシン漁場の親方であり余市に鰊御殿も構えていた
その後も施主は変わったが蔵の中には
その当時の漁網などが現存しているようだ。


 


2023年8月撮影

 


より住吉神社よりに独特のファサードと、横から見ると驚くほど「薄い」洋館で有名な

「丸ヨ石橋家別邸洋館」

大正期に建てられたもの。

こちらも再訪だが、玄関に新しい木材が打ち付けられていた
ということで誰かが管理しているようだ。

丸ヨ石橋商店は明治期の小樽では有名な会社で主に醤油醸造が大当たりした。
その後、石橋氏は故郷の彦根に帰郷した。

この建物の後ろに本邸があったが解体され別邸だけが残ったとのこと。

 

 


2023年8月撮影

 

前回撮影したもの

 


2020年9月撮影

 

 

次に玄関からも、裏側からも見事な和風建築の古い建物が目に入る

「旧佐藤銀平氏邸」

大正初期の建築である。

重厚な石段を上がり切ったところに玄関があり、北海道では珍しい瓦屋根である
しっかりと立入禁止の札があった。

裏側は高い位置から見ることになるが、地区的にも大きな屋敷であるので
高さの違いは感じない。

何とか保存を期待したいが……

 

 

 

 

 


2023年8月撮影

 

前回撮影したもの

 


2022年2月撮影



「旧佐藤銀平氏邸」のように正面に盛り土で高くし、
中々全容が見えなかった洋館があった。

やはり高い所に構えた住宅で特に「古い洋館」は趣があった
その洋館がすっかり解体されていた。

とても残念だが自然に朽ちてしまうならきれいに解体したほうがいいだろう。

 

 


2023年8月撮影

 

前回撮影したもの

 

 

 


2022年2月撮影

 

 

「小樽住ノ江火の見櫓」

前回と違うのは櫓の案内表示が取り付けてあった
それによると元々は昭和2年の建造物で、その後昭和61年に現在の場所に移築された。

令和4年に「小樽住ノ江火の見櫓をまもる会」が結成され
管理・保存・活用の取り組みを進めている。

 

 

 

 

 


2023年8月撮影

 

前回撮影したもの

 

 


2020年10月撮影


 

 

この地区は高台にあるので入船町を挟んで花園町が見える
前回もここから「旧青木乙松氏宅はなれ」を見て現地まで行ったものだ。

この住宅は大正5年ごろの建築で、建築主は現在もはなれのすぐ下に住まれている。

はなれは病気療養用に建てられたとのこと。
その後、小樽市に寄贈され活用をNPO法人に任された。

内見会に出席し素敵な内部を拝見させていただいた(内部のSNS発信は禁止)

外見では変わったところは見られないが、借主が決まったのかも知れない。


 

 


2023年8月撮影

 

前回撮影したもの

 

 

 

 


2020年10月、2022年2月撮影

 

 

 

ここで花園町に移動する。

小樽市一番の情報発信である「小梅太郎の小樽日記」ブログ

にて掲載された建物を見に行く。

「旧上坂紙店」

昭和6~7年ごろの竣工だそうです。

実際はそれほど大きな建物ではないが、どっしりとしており
堂々としたファサードを持つ建物であった。

奥の蔵だけが残されたが再活用の可能性があればいいなと思う。

 

 

 

 


2023年8月撮影

 

前回撮影したもの

 

 

 

 


2020年11月撮影

 

 

 

「旧上坂紙店」から数軒の並びにある、この建物は初撮影。

現在は「cafe chobicha」が営業しており分厚いホットケーキが有名だ。

この建物は昭和41年の竣工で「花園郵便局」であったが
その後、郵便局が移転し長い間空き家だったところ平成26年に「cafe chobicha」がリニューアルオープンした。

建物を気に入ったご夫妻が自らリフォームしたと前記の「小梅太郎の小樽日記」ブログ
さんに書いてあった。

我が家はまだ利用が無いが娘夫婦は数年前に利用している
遅れをとってしまったので早めに行ってみよう。


 

 

 


2023年8月撮影

 

 

 

次は、「cafe chobicha」
から徒歩圏内にあるテレビでも紹介された売家の状況を見てきた。

「旧原寛治宅兼事務所」 昭和4年の竣工

パチンコの「イーグルオー小樽店」の裏小路にある洋館だ
2棟が接続されたような住宅でどちらも趣きがある。

テレビで見たときは思ったより和室が多かった記憶がある
ただ外観は素敵な門構えと窓のデザインがとても印象的だ。

かなり古い建物なのでリフォームは必須かと思うし
何より目の前のパチンコ店の圧がすごい。

やはりまだ売家のままだった
ただこのままではお役目ごめんになる可能性が強いと思う。

 

 

 

 


2023年8月撮影

 

前回撮影したもの

 

 

 


2020年11月撮影

 

 

前記の洋館前の細い小路を進むと突き当りに古い店舗がある
こちらも売店舗、貸店舗である。

古い資料では「花園貿食」その前は「たこ好」とあり飲食店として長く営業を継続していたのだろう。

こちらも昭和4年の建築である。

同じく買い手は現れていなかった。

 

 

 


2023年8月撮影

 

前回撮影したもの

 

 


2022年2月撮影

 

 

 

小樽公園から水天宮までの道を公園通りと呼ぶが
前記の元料理店を公園通りに出ると同じ形の古い建物がある

これは、左が蕎麦の「信州屋支店」であり開業は昭和53年のようだ
だが建物自体はもう少し古いような気がする。
右は酒屋の「九年母」

公園通りに面した方は3本の円柱が印象的だ。

 



2023年8月撮影

 

前回撮影したもの


2020年8月撮影

 

 

公園通りをまっすぐ行くと左にローソンがあり「花銀通り」がある
この通りは緩やかな坂道にあり両側は以前の小樽では有数の商店街だった。
(花園銀座商店街)

現在は車道は中心部からの一方通行路とし、スピードが出ないように
湾曲させた道になっている。

古くからのお店が段々と少なくなっている中で 小樽の洋菓子と言えば「館」(現:館ブランシェ)が現存している。

同じ通りの「コロンビア」と同様に中はレトロ感満載だった。
喫茶へは今回初めて利用した。

昭和11年の創業である ファサードは大人しいが喫茶は素敵だ。

 

 

 

 

 

 


2023年8月撮影

 

 

 

場所を富岡町へ移します

富岡町には「小樽の蔵」でまだ未撮影があったので行ってみた

「H氏邸蔵」

なぜか撮影のタイミングが合わずいつも撮り逃がしていた。

大正15年の建築で正面軒下が左右ともカーブを描いているのが珍しく
印象的でもあります。

 

 


2023年8月撮影

 

 

この蔵のある一角は北海道建築設計の父と言われる田上義也氏の第一号設計作品の住宅が健在です 今回も綺麗に住まわれているのを確認できました。

そのほかにも昔のお屋敷風な住宅が多く健在しているので
古い建物が好きなひとにはうってつけの地域ですね。

 

解体された情報が2軒あり。

まず1軒目は「カトリック小樽教会富岡聖堂 司祭館」

聖堂は塗装など新しくなったが、裏に繋がっていた司祭館が解体された
司祭館は昭和4年ころの建築。
その後は更地で駐車場となっている。

その後に新築があるかは不明だが、日曜日の訪問では確かにミサの列席者の車が正面ではいっぱいだった
なのでそのために更地にしたのかも?


 

 


2023年8月撮影

 

前回撮影したもの

 

 


2020年11月撮影

 

 

上記のカトリック教会の隣に「小樽藤幼稚園」がある
その道のどんづまりに和洋折衷の住宅があった。

昭和11年建築の住宅で「旧橋本氏邸・蔵」であった

写真に撮ったのはまだ「売家」の看板があったとき。
その後に売れて解体し更地にしたのだろう。

住宅の裏手にあった蔵も個人住宅にしては大きなものだったが
全部なくなってしまった。

 

 

 

 


2023年8月撮影

 

前回撮影したもの

 

 

 


2020年11月、12月、2021年4月撮影

 

以上で今回の探訪は終了です。