札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

小樽 蔵めぐり ⑩ ※5軒追加しました

2023-08-31 23:05:38 | 小樽市

参考図書は資料として素晴らしくかなりの軒数が記載されておりますが、全軒訪問が近づいてきました。
次回が最終になり、その後は町ごとにまとめていきます。

*参考図書「小樽 蔵めぐり イラスト帖」2017年6月16日発行
*一般住宅の名前・住所は略で 地図は載せません

 

 

「A氏邸蔵」 【NEW】

 

富岡2丁目
建築年不明
木骨れんが造2階建て

 

富岡町は港を見下ろす絶好の土地で、古くから豪商や実業家や支店長クラスのお屋敷が多かった町。

特にこの蔵がある地域は急こう配の坂がある
ゆえに海方面の眺望は素晴らしいものがあるだろう。

以前は近辺にも蔵はあったが、みんな解体された
れんが造りの蔵はとても映えて地域で目立つ存在だ。

 


2021年4月撮影

 

 

「H氏邸蔵」 【NEW】

 

富岡1丁目
1926(大正15)年建築
木骨石造2階建て

 

この蔵は小樽商大に向かう地獄坂の途中にある
ただよく見るには中通りに入らなければならない。

富岡町のこの地区もお屋敷などが多い地区で
H氏邸のお向かいにも素敵な木造建築住宅がある。

蔵は写真を見てもらうと分かるが、屋根から両側に下がる部分がカーブして
柔らかい雰囲気を出している
これはあまり見たことがないねぇ。

 

 


2023年8月撮影

 

 

「小樽第一興産倉庫」 【NEW】

 

富岡1丁目1-12
明治時代建築
木骨石造2階建て

 

於古発川沿いにあり、すぐ先は国道5号線とJR陸橋が交差する。

小樽第一興産が取得する前の情報は不明だが、取得後は備品、商品の倉庫として現役である。

少し赤みがかった色合いは小樽軟石の特徴とのこと。

 

 


2021年12月撮影

 

 

 

「旧大阪屋呉服、質店 蔵」 【NEW】

 

銭函2丁目3-4
1925(大正14)年建築
木骨石造2階建て

 

現在はストアハウス大坂屋で営業しておりレトロな2階建てのカフェ・喫茶で人気がある。

場所はJR銭函駅と銭函海水浴場へ向かう道路沿いなので目立っているだろう。

建主の大坂屋にちなんでカフェの屋号は大坂屋から変えていない
現在の持ち主も店主も大坂屋自体とは関係がないらしい。

解体を検討中に喫茶として営業したいから貸してほしいと申し出たようです
おかげで銭函地区唯一の石造り建築が残った。


 


2022年2月撮影

 

 

 

「佐野邸蔵」 【NEW】


住ノ江2丁目

1911(明治44)年建築
木骨石造2階建て

 

母屋が別所に移転し独立してしまった蔵。

住ノ江町は住吉神社の西側にある高台の街で海方面がよく見渡せる
そのためかお屋敷なども多い地区であった。

蔵はいくつかの人の手に渡ったがその中にニシン漁場の親方がいたそうで
今でも蔵には漁網があるようだ とのことです。

 

 


2023年8月撮影

 

 

「旧山田商店 蔵」

 

末広町
1921(大正10)年建築
木骨石造2階建て

 

旧小樽市立手宮小学校の入り口で撮影をしていると、振り返ると石蔵が目に入った。

思い出したのは未撮影の蔵で家の陰になるので見ることが出来ない蔵があったこと
これはその蔵ではないか

確かに家の陰で全景を見ることは出来なかったが
屋号までは見えた
その屋号が「山田商店」から取った「や」であることがやっと判ったのだ。

 

 

 


2022年12月撮影

 

 

「U氏邸 蔵」

 

東雲
大正時代建築
木骨石造2階建て

東雲町はこの蔵あたりまでが平地で、あとは水天宮までの坂道に住宅がある。

建築時のここは料亭だったらしく、蔵はその名残かも知れない。
現在は月決め駐車場となっていた。

現所有者が取得したのは昭和34年だそうで、質店を営んでいたので
質蔵としてちょうど良かったのでしょう。

 



2022年2月撮影



「旧寿原邸文庫蔵」

 

東雲町8-1
1912(大正元)年建築
木骨か石造コンクリート仕上げ平屋

 

この邸宅は大正元年に当時「小豆将軍」で有名な高橋直治によって建てられ、
昭和9年に寿原外吉の所有となり昭和61年に小樽市に寄贈されたもの。

邸自体が小樽市の歴史的建造物に指定されており
ここ数年はNPOの努力により内部の無料公開をしている。
公開期間中は車は下の旧堺小学校グラウンドに停めてよいことになっていた。

和室や映画「Love Letter」で有名になった洋室と蔵の中も見ることが出来る
当時の豪商が建てたのは石造りのコンクリート仕上げだった。
大正元年にそのような高価な蔵を建てたのは特筆すべきことかも知れない。

内部は漆喰で仕上げている。
見せていただけるうちに、もう一度拝見したい。


 


2020年10月撮影

 

 

 

 

「M氏邸 蔵」

 

東雲町9-15
明治時代建築
木骨石造2階建て


以前は母屋があったことが壁の跡でわかる
蔵だけが残されたのは耐久からかも知れない。

水天宮方面から小樽市内に向けて下る一方通行路にあり
狭くて停車も出来ない。
すぐ裏が旧堺小学校のグラウンドなので、旧寿原邸とセットで見学が出来たらいい

他に旧光亭や旧板谷邸など見るべき歴史的建物が多い地区にある。


 


2022年2月撮影

 



「旧板谷邸蔵」

 

東雲町1-19
1927(昭和2)年建築
石造り2階建て

 

小樽の古い蔵は木骨石造りが多いが、旧板谷家の蔵は石造りである
これはやはり豪商ならではだろう。

水天宮から小樽市内に下る途中には旧寿原邸、旧光亭など歴史的名家が
あるが、旧板谷邸もそれに負けない建物である

和風の母屋に洋館が続き、蔵で終わる 小樽港を一望できる豪邸だ。
現在は背後に大きなマンション、横にホテル棟を新築し「海宝樓クラブ」として営業している。

宿泊すると朝食は洋館で食べれるようだ。



 


2020年9月撮影

 

 

 

「旧村住家別邸蔵」

 

相生町
1902(明治35)年建築
木骨れんが造2階建て


小樽の蔵は石造りが多いが、この蔵はれんが造りである
しかも100年以上建っているのに実に姿勢がよい蔵だ。

邸宅も歴史の趣がある
水天宮のすぐ下にあるので天狗山方向の眺めが良いかと思う。

現在の所有者は呉服関係の方だが、蔵は住居の一部として活用しているようだ。


 


2021年3月撮影

 

 

「旧宮下邸蔵」

 

若松2丁目
1909(明治42)年建築
木骨石造2階建て


現所有者の曽祖父が建てた邸宅と蔵
若松の住宅街には細い路地と密集した住宅街があり、この蔵がある場所もそうだ。

廻りとは違う柵がある邸宅と蔵は目立つ存在だ
正面からではなく裏手の方からも見えたのは、おそらくかつてはこの手前に別の家が建っていたのだろう。

蔵には貯蔵用の半地下があり、基礎には当時珍しい太い鉄筋を使用している。

一族で代々使用している邸宅と、堂々とした蔵はこれからも眺めたいものだ。


 


2022年2月撮影

 

 

「旧渡辺米穀店蔵」

 

潮見台1丁目
1916(大正5)年建築
木骨石造2階建て


この蔵は札幌から小樽への国道5号線から見える というかこの方向からしか見えないはずだ。

そこで近くで車を停め、国道5号線に沿う歩道から撮影した。
蔵は建築主の商売でコメ蔵として建てられたようだ。

100年を超える蔵の現在の所有者は、かつて1階を書庫にしようとしたら重さで
床が抜け落ちそうになった
その工事の時に基礎にかなり厚いコンクリートが敷かれていて珍しいと言われたそうな。

出窓の下見板張りに魅力を感じるし また母屋も和風住宅でよく管理されていると思う。

 


2021年9月撮影

 

 

「和光荘蔵」

 

潮見台2丁目4-1
1922(大正11)年建築
鉄筋コンクリート2階建て

 

和光荘は小樽を代表する洋風住宅で、元は北の誉酒造の野口氏が建築主だ
その建物から木々越しに眼下に自分の酒蔵が見える場所に建っている。

和風住宅も蔵も連なっているが、やはり有名なのは洋館であろう
すぐ下にある潮陵高校では卒業アルバムのクラス写真はこの洋館をバックにして撮った。

対して蔵についてはほとんど触れられずにきたようだ
鉄筋コンクリート造りは珍しく3階建てに見えるが2階建てである。

参考図書にあったが、確かにこの洋館の横には重厚な石造りより
この方が似合うのだろう。

さて私が撮影させていただいてから、数か月後に立入禁止となった
かつては入場料を取って内部見学をしていたが当分は難しそうだ。

だが貴重な歴史的建物の内部はぜひとも見たいのではないか。

 

 


2020年9月撮影

 

 

 

 


苫小牧市の建築探訪

2023-08-27 21:37:05 | 苫小牧市 白老町 登別市

 

苫小牧市は王子製紙の企業都市のイメージがある
その王子製紙工場は明治43年に竣工した。

海側の湿地、平地を活かし太平洋側の重要な港となった苫小牧港
支笏湖までつながる森林地帯と豊富な水
北海道にしては積雪量が少なくスキーよりスケートの町
また千歳空港に近いことから人口が増えていくつもの都市を超えていった。

そんなこともあり新しい建物は次々だったが古い建物が少なく感じる
一般住宅に於いても紹介されている住宅は皆無であった
やはり王子製紙関連になるだろう。

 

北海道大学苫小牧研究林 森林記念館 ※道央の建築探訪NO24


所在地:苫小牧市高丘
建設年:昭和10(1935)年
指定等:国登録有形文化財

 

市街地が東西に長い苫小牧市の北側にあり、先は奥深い森林地帯になっている
それゆえ野生動物が多く、北大研究林の駐車場でも普通に立派な角を持った鹿がいた。

森林記念館は標本貯蔵室として建設された。
入り口の白い壁の棟は昭和38(1963)年に増設されたもの
板張り壁の建物が平成12(2000)年に国登録有形文化財に指定された。
苫小牧市内で唯一の登録有形文化財(2019年現在)である。

今回は開館している土曜日ではないので中は見ることが出来なかった
記念館がぐるりと一周が出来、外観の全容は見ることが出来た。

やはり下見板張りに白枠の窓は際立つレトロ感がある
また記念館の少し先にも大学の木造施設が見えており撮影をした。

 

この研究林は市民の散策やバードウォッチングなどで訪れる人も多い
手前の広い駐車場に入れたらヒグマ情報などを確認して徒歩で記念館まで向かう
ほんの数分で着くはずだ。

■開館日:4月~10月の毎週土曜日(2023年6月24日以降)
■開館時間:9:00~15:30
■閲覧料:無料
■申込み:不要


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年8月撮影

 

 

 

王子製紙㈱倶楽部 ※道央の建築探訪NO25

 

所在地:苫小牧市王子町3丁目7
建設年:昭和11(1936)年
指定等:なし


特に夏季は樹木が生い茂り中々、建物全体を見ることはできない
わずかに玄関廻りだけが門越しに一般人が見れる限界だ。

思ったより大きな建物で正面から右側にさらに建物が続いている。

王子倶楽部は明治42(1909)年に「迎賓館」として建設された
文字通り宮家や国内外の著名人などを招いた場所だったのだろう
その後に名称が「倶楽部」に改称され社内の福利厚生に使われたようだ。


建物は水色の下見板張り、緑色の屋根、正面の車寄せなどしか特徴が見えないのは残念だ。

 

 

 

 

 

 


2023年8月撮影

 

 

 

 

王子製紙㈱苫小牧工場変電所 ※道央の建築探訪NO27

 

所在地:苫小牧市王子町2丁目1
建設年:明治43(1910)年
指定等:なし


明治43年の工場操業以来、変電所として用いられている。

王子製紙は支笏湖から道道16号線沿いにいくつかの発電所を設けている
千歳市を経由してこの変電所まで来ているようだ
大きな工場を稼働するには大電力が必要ということだ。

その発電所とこの変電所が似ていると記載されている
当時の工場建設には防災力が高いレンガが大事な施設に使用される
もっともレンガは当時高価だったのでどれもということにならなかったようだ。

 

 


2023年8月撮影

 

王子製紙㈱苫小牧工場第二変電所 ※道央の建築探訪NO27

 

所在地:苫小牧市王子町2丁目1
建設年:大正9(1920)年~13(1924)年
指定等:なし

 

先の変電所と並んで建設された
こちらの棟は正面から見ると4連になっている
屋根の妻側にある模様が特徴的だ。

現在はどちらも敷地外から垣間見るしか手はない。

 

 

 

 


2023年8月撮影

 

 

 


王子製紙㈱苫小牧工場 社宅

 

所在地:苫小牧市王子町3丁目4
建設年:昭和30年代初頭
指定等:なし

 

時代的に昭和30年代は大工場の周りに団地型の社宅が出来、
当時は珍しい水洗トイレが設置されたり集中暖房があったり新しい福利厚生施設が出来てきた。

これらの建物は現在3棟あり現役で使用されている
階数は4階建てなので階段のみであったろう。

入り口の造りが面白く屋上も使えるのだろうか。

 

 

 


2023年8月撮影

 

 

 

白金町2丁目にある広大な敷地にはかつて王子製紙の社宅があった
上記の団地型ではなく平屋で主に1棟2戸の住宅だったようだ。

現在もなぜか数軒が現存している
窓や玄関は板張りされ損傷が目立ち、中には樹木に浸食されている棟もあった。

昭和20年代から30年代前半の建設と思われる
その後は益々住宅が増えて線路の北側まで無数にあったといわれる。

敷地内は全面立ち入り禁止である。


 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年8月撮影

 


木造校舎・閉校 札幌市の閉校① ※「旧札幌市立白川小学校」に再来しました

2023-08-09 18:42:38 | 木造校舎・廃校

札幌市は常に人口が増えている街のイメージがあり
こんなに閉校があるとはこれまで知らなかった。

多くは中央区、南区、厚別区にあるが札幌市らしく他の施設として
活用されていることが多い。

しかし中には解体されて終わった学校
閉校し閉ざされたままの学校もあった。

校舎は鉄筋コンクリート造りのものがほとんどで
箱型の個性のない校舎が多く、より新しいものほどデザイン性があった
木造校舎が残っているのは2棟だけである。

 

札幌市の閉校(小学校)

 

 

「旧札幌市立白川小学校」

 

開校:1903(明治36)年
閉校:1976(昭和51)年
校舎:

南区白川1814番地

白川地区は豊平川を下に見る高台にあり、川向うは藤野になる
高台ゆえか、米作より果汁園が目立つ果物の産地でもある。

小学校は部落の中心に建てられた
裏山では今でも熊が出没する場所である。

白川小学校は対岸にある藤野小学校に1976年統合され、校舎は解体された。

現在学校があった場所は、札幌市北方自然教育園の立派な建物が建っている
閉校の碑などは未確認なので近いうちに施設周辺と内部を確認してきます。


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8月に札幌市北方自然教育園に行って来ました。

一般の入館料は100円です。

子供を連れていった過去があるので20年以上前以来かな
中は男の子は結構楽しめると思う。

化石に剥製、鉱物に昆虫や蝶の標本、生き物の飼育など。

 

一角に園の沿革があった
これによると昭和51年に閉校したあとすぐ「札幌市白川野外教室」が開設された。
校舎のカラー写真

 

 

これを見ていると園の方が来て少し会話したところ
学校の「門」が残っていることを聞いた
これは初めて聞いた話なのでお礼を述べて外へ出る。

市内方面に戻るように歩くと「白川会館」があるのは前回も見た

その向こう側に門があった。

 

残念ながらプレートは無い
しかも下は草ぼうぼう、上は倒木ありだ。

だが校門は確かに現存していた
旧校舎はこの真後ろにあり、現在の北方自然教育園の場所は校庭にあたる。

前回に続き、会話の中で情報をもらえた
本来はこれが一番正確で楽しい探索になるのだろう。

 

内側から外を見る


2023年8月撮影

 


*統合記念誌より

 

 

 

 

「旧札幌市立大通小学校」

開校:1889(明治22)年
閉校:2004(平成16)年
校舎:1959(昭和34)年竣工

中央区北2条西11丁目

大通小学校の前身は「札幌高等女学校」であった。
当時の校舎は北1条西4丁目の札幌グランドホテルの場所で開校した。

その後、いくつもの名称や場所を変わりながら
1969(昭和44)年に現在、市立札幌大通高等学校のある北2条西11丁目に移転した。

2004(平成16)年に創成、豊水、曙の各小学校とともに新設された
資生館小学校へ統合され開校114年の歴史に幕を閉じた。

現在は校門と女学校の碑だけが交差点の一角にあり
そこだけが歴史を感じさせる。

ネットの奥には新しい「大通高等学校」の校舎がある。

 

尚、大通小学校は旧陵雲中学校の校舎を使用した
陵雲中学校はさらに以前、札幌北高等学校があったこの地で1954(昭和29)年に開校している
(札幌北高はその時に現在の北区北25条に移転している。)

1959(昭和34)年に札幌の中学校としては初の鉄筋コンクリート校舎となる
1968(昭和43)年に一条中学校と統合し閉校 中央中学校(北4条東3丁目)となった

 

 

 

 

 

 

2021年11月撮影

 

 

 

「旧札幌市立曙小学校」

開校:1951(昭和26)年
閉校:2004(平成16)年
校舎:1951(昭和26)年竣工

中央区南11条西9丁目

札幌市で「曙」は現在、手稲区にその名前があるが中央区にはない
校舎の前身は墓地であり「暁野墓地」といった。
その後にグラウンドとなり、ここで「曙グラウンド」となる

旧曙小学校の校舎はそのグラウンドに建てられたことで「曙」がついたようだ
道路を1本挟み向かいには曙まちづくりセンター、あけぼの保育園がある。

校舎と体育館、グラウンドが閉校後もそのまま残り
現在は「あけぼのアート&コミュニティセンター」に転用されている

校舎は箱型の平凡であるが体育館の屋根の形が面白い
都心部の学校ゆえ昭和の末期には児童数が減少傾向にあった

2004(平成16)年に創成、大通、豊水小学校とともに資生館小学校に
統合され、53年の歴史に幕を下ろした。

 

 

 

 

 

 

2021年11月撮影

 

 

 

「旧札幌市立豊水小学校」 現、札幌市公文書館・豊水まちづくりセンター(豊水会館)

開校:1882(明治15)年
閉校:2004(平成16)年
校舎:19()年竣工

札幌市中央区南8条西2丁目

 

南8条西2丁目はススキノに隣接しており、校舎を出ると鴨々川が流れている

学校は1882年に南1西2で「藻岩学校第一分校」として始まる
その後、南2東2、南5東2に移転を続けるが豊水小学校となったのは1893(明治26)年と歴史のある学校だった

1900(明治33)年に現地に新校舎を新築した
1985(昭和60)年に開校百周年記念式典を挙行 その時のモニュメントが玄関前に建っている。
2004(平成16)年に資生館小学校が開校し統合され廃校となる。

 

札幌星園高校と挟む校庭は豊水小学校が使用していたのだろう

 

 

「札幌の建築探訪」NO30に記載された「大典記念文庫」は、校舎西側の駐車場にあり
さっぽろ・ふるさと文化百選にも選ばれている

大正5年に当時は北大くらいしかなかった図書館を父兄からの要望により造ったもので
レンガ造りは書庫で、翌年に木造の閲覧室が完成した。
閲覧室は残念ながら1987(昭和62)年に解体された。

現在は二か所で活用されているが閉校当時はもっと細かく使われていた気がするなぁ
中央区であり建物もまだ状況がよいので用途に合わせてこれからも使われるだろう。

シンボルツリーだったのかな

2021年9月撮影

 

 

 

「旧北海道札幌星園高等学校」 現、市民活動プラザ星園

開校:1925(大正14)年
閉校:2010(平成22)年
校舎:1973(昭和48)年竣工

札幌市中央区南8条西2丁目

 

星園高校はご覧の通り豊水小学校と校庭を挟んで隣に建っている
この空き地は舗装をされているが、当時は体育や運動会などで使われていたのだろう

星園高校がこの地に竣工されたのが1973年で豊水小学校は、すでに1900年からあったので
校庭は豊水小学校のものだったようだ。

元は女学校として開校し、1950(昭和25)年に札幌市立星園高校となる
その後1973年に現在地に校舎を建設
2010年に大通高校が完成したため在校生を転向させ閉校となった。


隣に消防局があるが、ここが高校の校庭だったかも知れない
いずれにしても体育館といい小ぶりなスペースのようだ。

現在はNPO団体が運営しており、まだまだ現役の建物は第二の活用をされている

 

2021年9月撮影

 

 

 

「旧札幌市立東米里小中学校」

開校:1949(昭和24)年
閉校:2011(平成23)年
校舎:1959(昭和34)年竣工

白石区東米里2124番

先に小学校が開校し、その後に中学校も設置された
校舎はすでに解体されており、現在は「米こめ公園・球場」として主に野球少年に活用されている
敷地内には2方向に碑がある

他に学校があったことを示すスクールゾーンの看板が二つほど残っていた

2011年に閉校し、米里小学校と米里中学校に統合されて62年の歴史に幕を下ろす

札幌の閉校としては珍しく碑がある(初めて見た)
開校60周年記念誌には校舎の詳しい見取り図があった
だが、その2年後に閉校してしまい残念。

 

 

 

 

 

2021年12月撮影


60周年記念誌より

 

 

 



「旧札幌市立滝野小学校」 現、札幌市滝野自然学園

開校:19(昭和)年
閉校:1971(昭和46)年
校舎:19(昭和)年竣工

札幌市南区滝野106番地

 

この学校は廃校になってすぐに他への転用をされた稀有な例としてあげられる
やはり札幌市としては用途が色々とあるのだろう。

滝野なので「滝野すずらん公園」が近く自然の中にある校舎
熊が出現してもなんらおかしくないシチュエーションだ

建物は綺麗に塗装され廃校の悲哀は感じない
却って夏は子供たちの遊ぶ元気な声が聞こえそうだ。

廃校の碑らしきOB会?のものだけが体育館の前にポツンとあるだけで
知らない人からみれば現在利用のために建築されたものと思うかも知れない
残念ながら中の見学はかなわなかったが、施設の人が忙しいのに撮影を見守っていただいた。

 

2020年11月撮影

 

 


札幌市白石区の建築探訪

2023-08-02 21:31:14 | 札幌市白石区

 

白石区は市内東部に位置し
豊平川を挟んで東区と接し、豊平区、清田区、厚別区、江別市とも接しており
山がない平地の多い起伏の少ない区と言える。

「白石」の由来は戊辰戦争の時に、仙台白石藩の家臣たちが来道し
白石地区の中心を開拓したため「白石村」と名付けられた。

北海道新聞社より発刊された「札幌の建築探訪」では1軒も記載されなかったので初めてのタイトルとなった。

 

 

白崎繊維工業株式会社 レンガ工場

白石区平和通3丁目南1番4号


白崎繊維工業は昭和16(1941)年創業で「オヤコわた」の商標で知られる
寝具メーカーである。

社屋の奥にあるレンガが目につく
これは工場の正面であり2方向から敷地外でも見ることが出来る。

会社のHPを見るといかにこのレンガ工場を大事にしたいか伺われる
正確な建築年は不明だが「1941年作画」の絵があるので
少なくとも戦前からあったものだろう。


※敷地内には入れません

 

 

 

 


2021年8月撮影

 

 

 

旧陸軍兵器補給廠 官舎

 

札幌には明治時代から豊平区月寒に陸軍の大隊基地があった。

陸軍兵器補給厰は昭和19年に北方戦線への兵器物資供給のために建てられている。
その将兵の官舎が今の白石小学校の東側に同じく昭和19年に建てられた。

この官舎には陸軍中佐をはじめとした将校 13 戸、下士官及び軍属 32 戸、計 45 戸が住んだとある。

””これらの官舎は当時としては珍しく、メートル法で建てられていた。
そのため襖や戸は普通より幅広くできていた。
ただ畳は普通の寸法だったため、畳の周囲に板が敷いてあった。
また基礎も当時一般的だった束石ではなく布コンクリート製だったが、当時のセメント不足を反映してか、砂利の間に少しセメントが混じる程度のコンクリートだった。
それでも幅の広いがっちりした基礎だった。

また屋根も雪を落ちやすくするため、庇が中折れのなで肩になっており、独特の飾り板もつけられ、外壁は下見板で、窓には横長の板ガラ
スがはめ込まれていた。

戦後これらの官舎は希望者に払い下げられたが、そのまま住み続ける人は
いくらもいなかった。
本州から来た人が多かったので、故郷へ帰っていったものと思われる。

平成8年5月現在、建築当時のままの家は 1戸、その面影を
残しているのは 5 戸である。

※白石区HP 歴しるべより

 

平成8年の調査ですでに6戸なので果たしてどうかと思ったが
ストリートビューでいくつか確認できた。

 

①2015年のストリートビューにて 2016年には解体され新築工事中になっていた

 

奥側の改装はあるが下見板張りと手前側屋根の「庇が中折れのなで肩」がわかる。

 

②2010年のストリートビューにて 2014年には解体され更地になり現在は新築されている

 

上の物件とは窓の位置が違う が、こちらのほうが完全形に近いようだ

 

③2010年のストリートビューにて 2014年には解体され更地になり現在は新築されている

左の家の本家に隠れるように見えていた 現在は左の家共々解体され新築されている

 

④唯一の現存官舎(おそらく) 増築されて目立たないが庇の中折れが特徴

 

詳しい場所は伏せるが、周りは新しい住宅や集合住宅が多い
壁が下見板なら目立つが、そばを歩いても誰も興味も示さず通り越すだろう。

おそらく現存する唯一の官舎と思うがどうか。