札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 美唄市の閉校④

2023-07-30 10:49:03 | 木造校舎・廃校

美唄市の閉校(小学校) 赤字はレポート済  緑字は今回レポート

  • 美唄市立盤の沢小学校第一分校(1951年)
  • 美唄市立盤の沢小学校第二分校(1953年)
  • 美唄市立我路小学校(1961年沼東小へ統合)
  • 美唄市立日東美唄小学校(1967年茶志内中央小へ統合)
  • 美唄市立富樫小学校(1969年統合により西美唄小へ)
  • 美唄市立元村小学校(同上)
  • 美唄市立上美唄小学校(同上)
  • 美唄市立中美唄小学校(同上)
  • 美唄市立旭小学校(1970年9月)
  • 美唄市立美唄小学校(1971年東明小と統合し美唄市立東小学校へ)
  • 美唄市立東明小学校(1971年美唄小と統合し東小へ)
  • 美唄市立開発小学校(1971年中央小開発分教室となり、2013年廃校)
  • 美唄市立常盤小学校(1973年)
  • 美唄市立沼東小学校(1974年)
  • 美唄市立茶志内中央小学校(1978年茶志内小へ統合)
  • 美唄市立三井美唄小学校(1979年三井南小と統合し南美唄小へ)
  • 美唄市立三井南小学校(1979年三井美唄小と統合し南美唄小へ)
  • 美唄市立沼南小学校(1980年拓北小と統合し光珠内中央小へ)
  • 美唄市立拓北小学校(1980年沼南小と統合し光珠内中央小へ)
  • 美唄市立栄小学校(1981年東小の一部と統合し東栄小へ)
  • 美唄市立中村小学校(1987年茶志内小へ統合)
  • 美唄市立光珠内中央小学校(2009年峰延小へ統合)
  • 美唄市立東栄小学校(1953年盤の沢小から栄小へ、1981年栄小から改称、2011年東小へ統合)
  • 美唄市立西美唄小学校(2013年美唄市立中央小学校へ統合)
  • 美唄市立茶志内小学校(2019年中央小へ統合)
  • 美唄市立峰延小学校(2020年中央小へ統合)
  • 美唄市立南美唄小学校(2021年東小へ統合)

 

(中学校)

  • 美唄市立茶志内中学校分校(1949年)
  • 美唄市立美唄中学校分校(1952年)
  • 美唄市立上美唄中学校(1951年小川中から改称、1953年統合により西美唄中へ)
  • 美唄市立元村中学校(同上)
  • 美唄市立富樫中学校(同上)
  • 美唄市立中村中学校(1966年茶志内中へ統合)
  • 美唄市立常盤中学校(1973年)
  • 美唄市立沼東中学校(1973年
  • 美唄市立峰延中学校〈初代〉(1980年沼南中と統合し峰延中〈2代目〉へ)
  • 美唄市立沼南中学校(1980年峰延中〈初代〉と統合し峰延中〈2代目〉へ)
  • 美唄市立東明中学校(1949年7月盤の沢中から改称、1983年美唄市立美唄中学校の一部と統合し美唄市立東中学校へ)
  • 美唄市立西美唄中学校(2008年美唄中へ統合)
  • 美唄市立茶志内中学校(同上)
  • 美唄市立峰延中学校〈2代目〉(2019年美唄中へ統合)
  • 美唄市立南美唄中学校(2021年東中へ統合)

wikipediaより

 

「旧美唄市立峰延中学校」

 

所在地:美唄市峰延町本町
開 校:昭和22(1947)年
建設年:()年
閉 校:平成31(2019)年


塔屋部分が印象的な峰延中学校はまだ平成31年に閉校になったばかり
校舎は一般企業が再活用していた。

入り口の校門は残っているが校名プレートはすでに企業名に替えられている
どうやら倉庫での活用だろうか 資材が見えていた。

教室棟側の木の感じがとても素敵で塔屋と併せて十分に個性を出している
グラウンドも坂の途中にある学校としては広いほうだろう。

この校舎を閉校とはもったいないことだが
これも時の流れだろうね。

 

 

 

 

 

 

 


2023年7月撮影

 

 

 

「旧美唄市立峰延小学校(旧)」

 

所在地:美唄市峰延2292-14
開 校:明治33(1900)年
建設年:()年
移 転:昭和53(1978)年

 

峰延小学校の旧校舎は、峰延中学校と現在の峰延小学校を分けるその三叉路の中心にあった。

記念碑は住宅の隣にポツンとあった
それだけに、ここに学校があったのだなぁと思える。

旧校舎は木造平屋で横に一直線で体育館が枝で派生していた
現在の碑がある場所は校庭の端のようだ
碑の後ろに見える住宅は校舎や校庭があった場所だ。

昭和53年に現在の位置に移転したので、校舎の老朽化と市街地整備などの理由かも知れない
この校舎の卒業生はまだまだ健在しているはずなので
記念碑を見るたびに懐かしさを覚えるのかな。

 

 

 

 


2023年7月撮影

 


※美唄市より

 

 

「旧美唄市立三井南小学校」

 

所在地:美唄市南美唄町新富町1441-15
開 校:昭和32(1957)年
建設年:昭和32(1957)年
閉 校:昭和54(1979)年

 

旧三井美唄炭鉱は昭和38年に閉山したが他の鉱山と違い、市街地に近いため
現在も多くの炭鉱住宅や事務所、娯楽施設などの遺構が現存しておりかつ使用もされている。
全国でも珍しい地区である。

小学校は「三井美唄小学校」と「三井南小学校」の2校があり
「三井美唄小学校」は最盛期には道内一のマンモス校と言われた。

それで増加する生徒に対応するため「三井南小学校」が新設されたようだ。


場所は現在「INOAC」の倉庫?がある場所で、道路向かいの空き地が校庭だ。

そこに体育館が現存している
倉庫として再活用しているようだ。

それ以外は学校のあったことが何もわからない
道路も未舗装である。

閉山後、昭和54年に三井美唄小と統合し、新たに「南美唄小学校」として
別地に新築された
その後、両校校舎は解体された。

 

 

 

 

 

 


2023年7月撮影

 


※美唄市より

 

 

「旧美唄市立南美唄中学校」

 

所在地:美唄市南美唄町下18条
開 校:昭和51(1976)年
建設年:()年
閉 校:令和3(2021)年

 

南美唄中学校の前身は昭和22年に創立された「三井美唄中学校」である

小学校と同じく三井美唄鉱山に勤務する鉱員や職員の子供たちのために建てられた。


昭和38年の閉山により離職~退出が多くなったが、炭鉱住宅が市街地から近いため残され
それと三井鉱山の後を継いだ三美鉱業(株)が現在も露天掘りを行っている

そんなこともあり新たに「南美唄中学校」として昭和51年に生まれ変わる
だが全国的な少子化の波もあり74年の歴史を締めくくった。

校舎はほぼ完全な形で残っており、校門の間にだけチェーンがあった
玄関上の看板はもうしばらくは見ることが出来るだろう
さすがに雑草は管理できなく繁っている。

裏側に回ればグラウンドがあり、ここも雑草が多く近寄りがたい
奥を見れば別の校舎が見える
同じく閉校した「南美唄小学校」だ。

それでは移動しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年7月撮影

 

 

 

「旧美唄市立南美唄小学校」

 

所在地:美唄市南美唄町町下18条18
開 校:昭和54(1979)年
建設年:()年
閉 校:令和3(2021)年

 

閉校した「南美唄中学校」とはお互いのグラウンドを挟んだ対面にありすぐに着いた。

同じく令和3年の閉校で学校はほぼ完全な形で残っている
レンガの校門が実に素敵だ。

玄関までは背の高い樹木の間を抜けていく
脇にはプランターボックスが並んでいる
このシチュエーションもいい。

南中学校同様に玄関上に看板がつけられていた
美唄も炭鉱の町である 閉山すると一気に人がいなくなる
だが三井炭鉱は少し他のヤマとは違ったようだ。

かつて「三井美唄小学校」というマンモス校があり許容を超えたため
地区での2校目である「三井南小学校」を創立された。

そして2校を統合して出来たのがこの「南美唄小学校」だ
しかしこの学校も「美唄東小学校」と統合し役目を終えた。

付近には炭鉱時代の住宅がまだ現存しており実際に住まれている住宅もある
この旧三井美唄炭鉱の一帯は全国的にも珍しい地区なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年7月撮影

 

 

 

「旧美唄市立拓北小学校」

 

所在地:美唄市光珠内町
開 校:昭和21(1946)年
建設年:昭和22(1947)年
閉 校:昭和55(1980)年

 

拓北小学校の正門は現在工事現場のプレハブが建ち現場事務所になっている
その手前に碑があった。
今後、プレハブが撤去されたら目立つようになるだろう。

校門が残っていたがプレートは無し
片側は崩れて撤去された跡があった。

奥に校舎の一部と体育館が現存していた
現在は「美唄市立公民館 拓北分館」として活用されているようだ
連なって体育館がある 体育館の玄関があるがここはかなり傷んでいるように見受けられた。

時期的に奥に咲いていたアジサイが綺麗だった。

 

解体された校舎の写真を見ると体育館とL字型につながっており
アジサイの咲いているあたりから教室棟があったようだ。

それからすると正門から広い校庭を通って玄関があった
遅刻ギリギリの生徒は走っただろうなぁ

また現公民館の隣にも建物の基礎跡があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年7月撮影

 


※美唄市史より

 

 

 

 

「旧美唄市立美唄中学校(旧校舎)」

 

所在地:美唄市西3条南3丁目6
開 校:昭和22(1947)年
建設年:昭和23(1948)年
閉 校:()年

 

美唄小学校と同様に、美唄中学校も昭和60(1985)に移転した。

現在は「美唄市保健センター」「美唄市総合福祉センター」「ピパオイの里プラザ」になっている。

跡地には記念碑が駐車場側にあった
外向きには校章と校歌、中側には沿革が詳しく書かれていた。

それによると校舎の老朽化と市勢の発展により移転となっている
跡地に建てられた建物を鑑みると、新築を機に移転は間違っていないでしょう。

2階建て旧校舎の堂々とした写真が残っている
これが昭和60年まで残っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


※美唄市より

 

 

「旧美唄市立美唄小学校」

 

所在地:美唄市西2条南1丁目2 中央公園内
開 校:明治24(1891)年
建設年:()年
閉 校:昭和46(1971)年

 

明治24年創設の美唄小学校は町の名を持った学校であり
その跡地は中心地である中央公園になった。

廻りには美唄市役所、市立美唄病院、美唄商工会議所などが隣接しておりまさに中心地。

中央公園内には小学校跡の記念碑がある。

昭和46年に市街地再開発と学校統合のため新たに美唄東小学校を新設し美唄小学校としてはこの地で最期を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 


2021年11月撮影


※美唄市史より

 


木造校舎・廃校 美唄市の閉校③

2023-07-24 21:39:51 | 木造校舎・廃校

美唄市の閉校(小学校) 赤字はレポート済  緑字は今回レポート

  • 美唄市立盤の沢小学校第一分校(1951年)
  • 美唄市立盤の沢小学校第二分校(1953年)
  • 美唄市立我路小学校(1961年沼東小へ統合)
  • 美唄市立日東美唄小学校(1967年茶志内中央小へ統合)
  • 美唄市立富樫小学校(1969年統合により西美唄小へ)
  • 美唄市立元村小学校(同上)
  • 美唄市立上美唄小学校(同上)
  • 美唄市立中美唄小学校(同上)
  • 美唄市立旭小学校(1970年9月)
  • 美唄市立美唄小学校(1971年東明小と統合し美唄市立東小学校へ)
  • 美唄市立東明小学校(1971年美唄小と統合し東小へ)
  • 美唄市立開発小学校(1971年中央小開発分教室となり、2013年廃校)
  • 美唄市立常盤小学校(1973年)
  • 美唄市立沼東小学校(1974年)
  • 美唄市立茶志内中央小学校(1978年茶志内小へ統合)
  • 美唄市立三井美唄小学校(1979年三井南小と統合し南美唄小へ)
  • 美唄市立三井南小学校(1979年三井美唄小と統合し南美唄小へ)
  • 美唄市立沼南小学校(1980年拓北小と統合し光珠内中央小へ)
  • 美唄市立拓北小学校(1980年沼南小と統合し光珠内中央小へ)
  • 美唄市立栄小学校(1981年東小の一部と統合し東栄小へ)
  • 美唄市立中村小学校(1987年茶志内小へ統合)
  • 美唄市立光珠内中央小学校(2009年峰延小へ統合)
  • 美唄市立東栄小学校(1953年盤の沢小から栄小へ、1981年栄小から改称、2011年東小へ統合)
  • 美唄市立西美唄小学校(2013年美唄市立中央小学校へ統合)
  • 美唄市立茶志内小学校(2019年中央小へ統合)
  • 美唄市立峰延小学校(2020年中央小へ統合)
  • 美唄市立南美唄小学校(2021年東小へ統合)

 

(中学校)

  • 美唄市立茶志内中学校分校(1949年)
  • 美唄市立美唄中学校分校(1952年)
  • 美唄市立上美唄中学校(1951年小川中から改称、1953年統合により西美唄中へ)
  • 美唄市立元村中学校(同上)
  • 美唄市立富樫中学校(同上)
  • 美唄市立中村中学校(1966年茶志内中へ統合)
  • 美唄市立常盤中学校(1973年)
  • 美唄市立沼東中学校(1973年
  • 美唄市立峰延中学校〈初代〉(1980年沼南中と統合し峰延中〈2代目〉へ)
  • 美唄市立沼南中学校(1980年峰延中〈初代〉と統合し峰延中〈2代目〉へ)
  • 美唄市立東明中学校(1949年7月盤の沢中から改称、1983年美唄市立美唄中学校の一部と統合し美唄市立東中学校へ)
  • 美唄市立西美唄中学校(2008年美唄中へ統合)
  • 美唄市立茶志内中学校(同上)
  • 美唄市立峰延中学校〈2代目〉(2019年美唄中へ統合)
  • 美唄市立南美唄中学校(2021年東中へ統合)

(高等学校)

wikipediaより

 

 

「旧美唄市立開発小学校」※開発福祉会館

 

所在地:美唄市開発町南
開 校:明治33(1900)年
建設年:()年
閉 校:昭和48(1973)年

 

開発小学校の跡地には「会館」と「開基100年碑」、「碑文」があった

その碑文の一行に
「今では学校跡地に福祉会館が建ち、開発町民の文化、経済の中心となっている」

この一文により、ここに開発小学校があった証となろう。

 

少しオーバーかもだが四方360度 見渡す限り平地が続くように見受けられた
跡地の裏にはすぐ美唄川がある 昔は水害も多かったろうし
昔の交通手段として船があるが、この地区では有効だったろうか。


 

 

 


2023年7月撮影

 


※美唄史より

 

 

 

「旧美唄工業高等学校」

 

所在地:美唄市西2条北4丁目1-1
開 校:昭和16(1941)年
建設年:()年
閉 校:平成25(2013)年


跡地ということは知っていたが、これだけ広大な空き地になっているとは思わなかった
しかも新しい体育館?も新築され、奥には旧体育館も現存しているのにだ
広い空き地はグラウンドや解体された旧校舎も大きかったと想像する。

「美唄市体育センター」の立て看板と旧校門には「北海道美唄工業高等学校跡」のプレートが付いていた。

 

さらに旧体育館のほうに行くと、これは旧校門だろうか?
校門とプレートまで残っていたのである。

門の裏にあるプレートで昭和26年に建立したものとわかった
とすると、昔はこちらが正門だったのであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年7月撮影

 


※美唄史より

 

 

 

「旧美唄東高等学校」※美唄聖華高校

 

所在地:美唄市東6条北2丁目1-1
開 校:昭和21(1946)年
建設年:()年
閉 校:平成13(2001)年

 

東高校の校舎は同じ美唄の高校、聖華高校に引き継がれた。

wikipediaによると
1955年 - この頃から北大合格者数20名ほどを毎年輩出し、夕張北、岩見沢東と並ぶ南空知有数の進学校として1970年代まで約20年間君臨するとある。

空知地区では有名な進学校であった
その名門校も1999年 - 北海道美唄南高等学校との統合による北海道美唄高等学校の開校のため2001年に閉校を余儀なくされた

校舎は旧美唄南高校を使用したので聖華高校が移転してきた。
その美唄高校も美唄工業高校との統合のため閉校し名を北海道立美唄昭栄高等学校になった。

正門から入ってすぐに美唄東高等学校の記念碑がある
大勢のOBには寂しいかも知れないが校舎はまだ現存している。

 

 

 

 

 

 


2023年7月撮影

 

 

 

「旧美唄市立日東美唄小学校」※中央化学北海道工場

 

所在地:美唄市日東町
開 校:昭和14(1939)年
建設年:()年
閉 校:昭和42(1967)年

 

昭和43年から中央化学工業が旧校舎を改造増設して操業を始めた。

そう言われてみるとなるほど どれも校舎のような形だ
だが現在の工場のどこが旧校舎なのか?
もしくは操業後に旧校舎を解体して新築したのか不明だ。

これを調べるのも中々困難そうで面白い
閉校年が古いので工場の方よりも古い住民の方に聞けたら一番だと思うが
今回の見学でここではだれにも出会わなかった。

裏側へ廻ることが出来たが野原があるだけで校庭やグラウンドを示すものもない
綺麗に草刈りをしているので何かに使っているのだろうか。

 

 

 

 


2023年7月撮影

 

 

 

「旧美唄市立茶志内中央小学校」※美唄市役所茶志内福祉会館

 

所在地:美唄市チャシュナイ3
開 校:昭和24(1949)年
建設年:()年
閉 校:昭和53(1978)年

 

茶志内中央小学校は国道12号線に面して建っていた

現在は入り口さえままならぬ細い道から入っていく
福祉会館の看板標識によってかろうじて場所がわかる。

奥行きは結構ありここはグラウンドであった
校舎は一番奥の向かって左側にL字型に建っていた。

果たしてその場所には朽ちた木造の建造物が崩れたままになっていた
また、何かがあった基礎のようなものも見受けられた。

やはり学校があった確証は一つも得られなかったが
会館横の花だけが綺麗に咲いていた
せめてもの救いか。

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年7月撮影

 


※美唄史より

 

 

 

「旧美唄市立茶志内小学校(旧)」

 

所在地:美唄市チャシュナイ
開 校:明治25(1892)年
建設年:()年
閉 校:平成31(2019)年


茶志内小学校に関しては私の認識の誤りがあったようで
「木造校舎・廃校 美唄市の閉校②」では元々「茶志内中学校」の閉校校舎を「旧茶志内小学校」でレポートをしたが、小学校はその校舎で平成31年に閉校した。

今回の校舎は、「茶志内中学校」が平成5年に閉校したのでその後、小学校が移転をした後の残された旧校舎になる。

ただどちらも新しい建物に見えるが……

西美唄小と西美唄中の関係と同様であるが、西美唄小は旧校舎を解体したが
茶志内小の場合は旧校舎も残っているので二つのレポートになった。

 

旧校舎の手前に双葉保育園があるが、そこに赤いポストと二宮像がある
これは小学校のものと思われる。

現在は北海道初の独立リーグに2020 年立ち上げから美唄市に本拠地を置く球団「美唄ブラックダイヤモンズ」が校舎とグラウンドを練習場に活用している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年7月撮影

 

 

 

「旧美唄市立中村小学校」※個人所有です

 

所在地:美唄市中村町中央
開 校:明治33(1900)年
建設年:昭和41(1966)年
閉 校:昭和62(1987)年


北村、美唄を廻ってみて校舎は解体されても体育館が残っていることが多い
中村小学校も体育館が現存していた。

教室棟はすでに解体され今は別の建物が建っている
校庭は裏側でそのまま原っぱか農地に見えた。

学校を表すものとしては体育館、記念碑、校門とそれと奥にポールのようなものが見えたが未確認。

旧校舎はL字型で結構な大きさがあったように見える。

現在は個人の所有なので敷地内に入らないこと
記念碑の裏側へ廻る時は必ず了解をとることが必要である。

たまたま家人の方が作業をしていて声掛けし了承いただいての写真です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年7月撮影

 


※美唄史より

 

 

 

「旧美唄市上美唄小学校」※上美唄米麦営農組合

所在地:美唄市茶志内原野
開 校:明治43(1910)年
建設年:大正15(1926)年
閉 校:昭和44(1969)年


上美唄小学校があった証は体育館が現存していること
もちろん補修や外壁の塗りなおしなどがあるだろう。

農業関係の施設がある中で、なるほど1棟だけ体育館に見える。

校舎は一直線に建てられ、体育館は横に派生される形である
昔の航空写真では、はす向かいにトラックが見えるのでグラウンドはそっちにあったのでは?

この学校の写真は美唄史でも確認出来なかったので
もう少し探してみたい。

近くでは大規模な土地改良工事の最中であった。

「旧美唄市立上美唄小学校体育館」で検索できる

 

 

 

 


2023年7月撮影

 

 


木造校舎・廃校 美唄市の閉校② ※4校を追加しました 

2023-07-21 09:09:43 | 木造校舎・廃校

美唄市の閉校(小学校) 赤字はレポート済  緑字は今回レポート

  • 美唄市立盤の沢小学校第一分校(1951年)
  • 美唄市立盤の沢小学校第二分校(1953年)
  • 美唄市立我路小学校(1961年沼東小へ統合)
  • 美唄市立日東美唄小学校(1967年茶志内中央小へ統合)
  • 美唄市立富樫小学校(1969年統合により西美唄小へ)
  • 美唄市立元村小学校(同上)
  • 美唄市立上美唄小学校(同上)
  • 美唄市立中美唄小学校(同上)
  • 美唄市立旭小学校(1970年9月)
  • 美唄市立美唄小学校(1971年東明小と統合し美唄市立東小学校へ)
  • 美唄市立東明小学校(1971年美唄小と統合し東小へ)
  • 美唄市立開発小学校(1971年中央小開発分教室となり、2013年廃校)
  • 美唄市立常盤小学校(1973年)
  • 美唄市立沼東小学校(1974年)
  • 美唄市立茶志内中央小学校(1978年茶志内小へ統合)
  • 美唄市立三井美唄小学校(1979年三井南小と統合し南美唄小へ)
  • 美唄市立三井南小学校(1979年三井美唄小と統合し南美唄小へ)
  • 美唄市立沼南小学校(1980年拓北小と統合し光珠内中央小へ)
  • 美唄市立拓北小学校(1980年沼南小と統合し光珠内中央小へ)
  • 美唄市立栄小学校(1981年東小の一部と統合し東栄小へ)
  • 美唄市立中村小学校(1987年茶志内小へ統合)
  • 美唄市立光珠内中央小学校(2009年峰延小へ統合)
  • 美唄市立東栄小学校(1953年盤の沢小から栄小へ、1981年栄小から改称、2011年東小へ統合)
  • 美唄市立西美唄小学校(2013年美唄市立中央小学校へ統合)
  • 美唄市立茶志内小学校(2019年中央小へ統合)
  • 美唄市立峰延小学校(2020年中央小へ統合)
  • 美唄市立南美唄小学校(2021年東小へ統合)

 

(中学校)

  • 美唄市立茶志内中学校分校(1949年)
  • 美唄市立美唄中学校分校(1952年)
  • 美唄市立上美唄中学校(1951年小川中から改称、1953年統合により西美唄中へ)
  • 美唄市立元村中学校(同上)
  • 美唄市立富樫中学校(同上)
  • 美唄市立中村中学校(1966年茶志内中へ統合)
  • 美唄市立常盤中学校(1973年)
  • 美唄市立沼東中学校(1973年
  • 美唄市立峰延中学校〈初代〉(1980年沼南中と統合し峰延中〈2代目〉へ)
  • 美唄市立沼南中学校(1980年峰延中〈初代〉と統合し峰延中〈2代目〉へ)
  • 美唄市立東明中学校(1949年7月盤の沢中から改称、1983年美唄市立美唄中学校の一部と統合し美唄市立東中学校へ)
  • 美唄市立西美唄中学校(2008年美唄中へ統合)
  • 美唄市立茶志内中学校(同上)
  • 美唄市立峰延中学校〈2代目〉(2019年美唄中へ統合)
  • 美唄市立南美唄中学校(2021年東中へ統合)

wikipediaより

 

 

「旧美唄市立西美唄小学校」※北海道霊芝美唄工場

所在地:美唄市西美唄町
開 校:昭和45(1970)年
建設年:昭和44(1969)年
閉 校:平成25(2013)年

 

西美唄小学校は同地区の「元村小」「富樫小」「中美唄小」「上美唄小」の4校を統合して昭和45年に開校した。

場所は「西美唄中学校」と隣接した場所になる。

併置ではなくお互い独立校舎、体育館を持っていた
広大な平地に広々とした学校だったようだ。

その後、「西美唄中学校」が平成20年に閉校すると小学校が移転し
旧校舎は解体された。

新築された「西美唄中学校」の校舎はデザイン性に富み、お洒落で近代的な建物。
しかし西美唄小学校も平成25年「美唄中央小学校」と統合し、わずか5年の新校舎生活にピリオドをうった。

現在は健康食品の北海道霊芝に所有が移った
だが校舎の正面にはしっかりと「西美唄小学校」の校章が付いたままである。

また旧l校舎のあった場所は個人に所有が移り
旧体育館が現存している。

 

 

 


2023年7月撮影

 


※美唄史より

 

 

「旧美唄市立西美唄中学校」※北海道霊芝美唄工場

所在地:美唄市西美唄町
開 校:昭和28(1953)年
建設年:()年
閉 校:平成20(2008)年


西美唄中学校の校舎は畑や原野の中でひときわ目立つ校舎である。
ナビでは現所有者の北海道霊芝美唄工場でたどり着く。

さて車を停めたあと撮影をしようとすると、散歩中の地元の年配男性と目が合った。

これはチャンスと話かけ、ネットに出ていない情報をもらうことが出来た。

まず前知識が乏しい中で、てっきり北海道霊芝が建てたと思っていた建物が
旧校舎であること。
その体育館は特に大きく高く素晴らしく非常にお金がかかったこと

敷地内にある二つの独立体育館は奥が旧小学校ので、手前にあるのが地区の体育館だったことなどなど。


正面に現存している校門と校門プレートは中学校のものだ
やがて中学校が統合のため閉校になると隣の小学校が移転した。

そのため校舎には今でも最後の使用者となった小学校の校章がある
旧校門に中学校のプレートがあるのは、小学生は以前の小学校入り口から
登校したのだろうと推測できる。

 

以前も由仁町で訪問時に会えた方から貴重な情報をいただいたが
このような出会いが本当にありがたいね。

 

 

 

 

 

 

 

 


こちらは学校敷地内にある地域の体育館だった
つまりここには小中学校と合わせて3つの体育館がありどれも現存している。

 


2023年7月撮影

 

 

 

「旧美唄市立中美唄小学校」

所在地:美唄市茶志内原野
開 校:昭和11(1936)年
建設年:昭和11(1936)年
閉 校:昭和44(1969)年


昭和44年の閉校なので、かなりの年月が経っている
校舎の現存は望むべくもないが、小さな体育館が残っていた。

とは言っても教えてもらわなければ学校の体育館だったとは気づかない
現在も何に使用しているか分からず放置のようにも見える
いずれは朽ちる運命であろうが…

それでもまだ現存していたことは良かった。

隣に朽ち落ちた建物跡があるが、これも旧校舎の一部なのだろうか

次の目的地に行こうとしたら草の中に黒いものがあったので
よく見たらタイヤだった。

果たしてこれは生徒の遊具なのか廃棄されたものかはっきりとしない
学校のものであれば良かったが。

 

 

 

 

 


 


2023年7月撮影

 




「旧美唄市立富樫小学校」※大富農村公園

所在地:美唄市西美唄町大曲
開 校:明治32(1899)年
建設年:昭和35(1960)年
閉 校:昭和44(1969)年


渡り鳥の寄留地として有名な宮島沼の近くにある
グーグルマップでは「大富農村公園」でヒットするので到着は容易だ。

だが行ってみるとすでに公園の体ではなかった。
しかしカラーの綺麗な看板があるので見てみたらなんと
「美唄市立富樫小学校小学校跡地」とあり校舎や校章、沿革が描かれていた。

裏側は校歌があり豪華ではないが素晴らしい看板を付けたものだ
建立は令和5年6月でまさに設置してほやほやだった。

確かにこの跡地の状況を鑑みれば数年後にはもっと自然に返っているだろう
奥に林が見えるがその先はもう宮島沼である。

 

 

 

 

 

 

 


2023年7月撮影

 

 

 

「旧美唄市立茶志内小学校」

所在地:美唄市チャシュナイ
開 校:明治25(1892)年
建設年:()年
閉 校:平成20(2008)年

 

国道275号線を北上し、石狩川を渡り国道12号線を南下した今回のドライブも
そろそろ時間切れとなり、最後に国道沿いでこの学校を見つける。

校門は残っているがプレートは無かった
広い敷地には箱形の校舎と寄り添うようにヤンマーの建物が増えている
農機具も見えるし現在のオーナーなのであろう。

一方側からしか見なかったが反対側に体育館も現存していた
体育館は絶好の倉庫になっているのだろう。

 

 

 

 

 

 


2022年8月撮影

 

 

 

「旧美唄市立光珠内中央小学校」

 

所在地:美唄市光珠内町
開 校:昭和55(1980)年
建設年:昭和55(1980)年
閉 校:平成21(2009)年


比較的新しい学校で、わずか29年で幕を閉じた

校舎は12号線沿いにあるが奥まっており遠くに見える
国道沿いには大きな看板が残っている。

さすがに校舎はコンクリート造りであるが
バックネットや外壁に痛みが目立つ

校庭に重機が入っているのが見えたので解体か!と思ったが
校庭近辺の土木工事のようだった

いずれにしても次の段階に入るのではないか
校舎はもったいないぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12号線から校門~校舎までの道は工事中により立入禁止にされていた。

2021年11月撮影

 

 

 

「旧美唄市立沼南小中学校」

 

所在地:美唄市光珠内町
開 校:明治24(1891)年
建設年:()年
閉 校:昭和55(1980)年


沼南小学校と中学校は、光珠内中央小学校が建設される昭和55年までここにあった学校である
光珠内中央小学校がこんなに奥まっているのは敷地手前に先に沼南小中学校が建っていたからと思われる。

 

その歴史は古く美唄市で最も歴史のある学校だった
沼南中学校は昭和22年に併設されている

校舎の老朽化に伴い、昭和55年に新校舎の設立になったのだが、他の学校も統合したためか
新しく光珠内中央小学校としてスタートし沼南小学校の名前は消失した。

「沼貝」は美唄の以前の自治体名で、カラス貝からつけられた名であるようだ
明治25年に「美唄駅」が出来てから美唄に代わっていったようで
名残は円形校舎の沼東小学校などで「沼」の字を見ることができる。


閉校記念碑は光珠内中央小学校の隣にある沼貝神社に車を停めて裏から見に行った
思いがけず沼南小学校の碑を見つけ驚いた
校歌と二宮像も沼南小学校のものである。

 

 

 

 


*美唄史より

2021年11月撮影

 



「旧美唄市立峰延小学校」

 

所在地:美唄市峰延町
開 校:明治33(1900)年
建設年:昭和53(1978)年
閉 校:令和2(2020)年


峰延小学校は何度か移転をしており、現在地には昭和53年に遷っている
面白いのはそれ以前の地にも閉校の碑があることだ。

現在の学校は昨年、閉校になったばかりなので校舎もグラウンドも健在で
碑を作るまでにはいたらないのであろう

立入禁止なので入口からズームで撮影した
中学校も廃校になったのを知らなかったのは残念だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年11月撮影

 

 


木造校舎・廃校 旧北村の閉校 ※5校を追加しました

2023-07-19 22:20:41 | 木造校舎・廃校

旧北村の閉校(小学校) 赤字はレポート済

  • 北村立北村小学校〈旧〉(1956年赤川小と統合し北村中央小へ)
  • 北村立赤川小学校(1956年北村小〈旧〉と統合し北村中央小へ)
  • 北村立中央小学校(1997年統合により岩見沢市立北村小学校〈当時:北村立〉へ)
  • 北村立東小学校(同上)
  • 北村立豊正小学校(同上)
  • 北村立幌達布小学校(同上)
  • 北村立砂浜小学校(同上)

 

(中学校)

  • 北村立北村中学校〈旧〉(1968年統合により岩見沢市立北村中学校〈当時:北村立〉へ)
  • 北村立豊正中学校(同上)
  • 北村立北村東中学校(同上)
  • 北村立幌達布中学校(同上)

※wikipediaより

 

北村は岩見沢市と美唄市の一部と、石狩川に挟まれた平坦な地域である。
農業が中心でどこへ行っても畑が多い
学校も広い敷地が確保でき校庭・グラウンドなどは山間の街からみれば
羨ましい限りでしょう。

歴史的には明治33年に岩見沢村から分村独立した。

旧北村は2006年(平成18年)岩見沢市に編入合併された

 

「旧北村村立赤川小学校」

 

開校:1910(明治43)年
閉校:1956(昭和31)年
校舎:1938(昭和13)年竣工

岩見沢市北村赤川3821


閉校巡りの順番は赤川小~旧北村小~中央小~東小~豊正小である。
札幌に一番近い北村の閉校(過去に他2校のレポートは終わっています)は
この赤川小学校であると思う。

事前の下調べでは以前はここには自治会館が建ち、その横に記念碑
隣に「赤川神社」と鳥居、裏側にバックネットも現存していた。

しかしいざ現地に着くと、会館が寺院に変わっていた
これは…敷地内に入りづらいなと路駐も考えたが車道は狭い。

ここは誰かが出てきたら事情を話そうと境内へ。
一応入った時と出るときは一礼をしたが誰も出てこなかった。

 

さて石碑だがなんともシンプルというか簡素というか
この後に見た旧北村小学校の記念碑と同じであった。

くもの巣があり葉をよけたり近づくことは出来なかったが
それでも学校があった証になる。

「赤川神社」も石碑だけが残っていた。

 


2023年7月撮影

 

 

 

「旧北村村立北村小中学校(旧)」

 

開校:1897(明治30)年
閉校:1956(昭和31)年
校舎:()年竣工

岩見沢市北村北都


ナビに従い、行ってみてはみたものの
この石碑は事前にストリートビューで確認したのですぐわかったもの。

そうでなければ気づかない可能性もあった。
以前のどなたかのレポートでは他に建物があり、なんと泰安殿もあったとのこと。

だが実際に来てみるとポツンと石碑があるだけ
しかも「北村小学校 跡地 記念碑」だけである
裏へ廻ってみたが何もなし。

なんとも石の立派さに対し寂しい石碑であることよ。
よく見るとこれは先に訪問した「赤川小学校記念碑」と同じではないか!

 

すぐ向こうは石狩川が流れ、目の前は畑や草地がとめどなく続いていた
明治時代に大河石狩川の近くは水害などもあったと推測できるし
川自体の流れも今とは違っただろう。

ここは開墾した先人たちに敬意を示すべき場所かと思う。

 


2023年7月撮影

 


※北村史より

 

 

 

「旧北村村立北村中央小学校」※北村ふるさと学習館

 

開校:1957(昭和32)年
閉校:1997(平成9)年
校舎:()年竣工

岩見沢市北村栄町168-1


中央小学校は閉校好きには有名な円形校舎がかつてはあった。
北海道内にいくつか建設された円形校舎は、現存する校舎の向かって左端にあったようだ。

この校舎も解体され見ることが叶わず残念至極である
現存は石狩小(石狩)、石山中(小樽)、沼東小(美唄)、絵鞆小(室蘭)
だけだったと思う 全部閉校校舎だ。
このうち沼東小は廃墟(正確には角型)、石山中は立入禁止で今後が危ぶまれる。

現在は「ふるさと学習館」に名が変わり校名プレートも変わったが
なんとなく校庭利用者へのトイレのみ?しか稼働していないように見えたがどうか

それでも一部が現存してくれたのは嬉しいものです。

校庭によくあるバックネットはなくサッカーゴールがあった
今どきなんでしょうねぇ。

校舎の向かって右には橋があるが川を超える前に公園があり
駐車場もある
ここから校舎の裏側が見える
今時期は木々の葉がうるさいので晩秋がきれいに見えるかも。

 


2023年7月撮影

 


※北村史より

 

 

 

「旧北村村立東小中学校」※北村自然体験宿泊学習館【ぱる】

 

開校:1936(昭和11)年
閉校:1997(平成9)年
校舎:()年竣工

岩見沢市北村大願530-1


今回の旧北村閉校巡りでは、この東小学校が一番見どころがあった
それは平成9年の閉校であり再活用の道があったからだろう。

それにしても旧校舎、校門、校名プレート、バックネットなどが現存していた。(バックネットは植物に浸食されている)

新しい活用ではなく古いものを残したまま再活用してくれたおかげだろう
廻りには自治会館、消防分団施設などがある。

ただ【ぱる】としては施設の1階は板張りになっており、
今後の利用は??で心配だ。

 


2023年7月撮影

 

 

 

「旧北村村立豊正小中学校」

 

開校:1901(明治34)年
閉校:1997(平成9)年
校舎:()年竣工

岩見沢市北村豊正778-8


豊正小学校は平成での閉校のためか、校舎や校門などを撮影したブログが
いくつもある 
だが残念ながら校舎は解体、校門は撤去されていた。

古い歴史のある学校だけに閉校は地元の人にとってつらいだろうね
しかし有効活用で新しく生まれ変わるならばそれも止む無しか。

今回行ってみて実感したのはこの近辺の農地工事が多いと感じた
正面から見ると手前に旧校門があったのだが、現在右側は工事関係者のスペースとなっている。

奥に進み左に真新しい自治会館、そして右手になんとか旧体育館が残っていた
これは嬉しい限りだ。

旧校舎は体育館の奥に一直線に建っていた
その前は校庭だろうが現在は草ぼうぼうである。

最奥まで廻ってみたら、タイヤが埋め込まれていた
これは旧小学校のものだろうね。

 


この銅像は道道側に立っている 昭和40年製作のもの。


2023年7月撮影

 

 

 

「旧北村村立砂浜小学校」


開校:1901(明治34)年

閉校:1997(平成9)年
校舎:1965(昭和40)年竣工

岩見沢市北村砂浜


空き地の中央にシンボルツリー的な木があり、近くに閉校の碑があるので
てっきり校舎もここか、隣の新しい砂浜自治会館がある場所かと思っていた

後で確認すると、自治会館の向こう側に建っていたようだ
二宮像はそこから移築し閉校の碑の隣になった。

それにしても立派な碑である
市町村によって閉校後の碑は様々だが旧北村では地区の自治体に任せていたのかも知れない

やはり集落にとって「学校があった」という事実は大事なことだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年11月撮影

 

*北村村史より

 

 

 

「旧北村村立幌達布小中学校」


開校:1894(明治27)年

閉校:1997(平成9)年
校舎:()年竣工

岩見沢市北村幌達布5180-8

 

幌達布小中学校の閉校の碑が珍しいなと思ったのは、そのデザインもあるが
解体した校舎位置を地図で記していることだ。

それによると、もっと石狩川沿いで河川敷に近い場所だろう
川の橋を通過するときにチラ見しか出来なかったが現地に行けば何かあるのかも?

閉校の碑がある場所は現在は岩見沢市になっているが大きく立派な体育館が目印で
その一角に各処の碑が建っていた。

ここには二宮像もあり、幌達布小中学校と一緒と捉えたらいいのだろう。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年11月撮影

 


*北村村史より

 

 


木造校舎・廃校 旧浜益村の閉校②

2023-07-07 22:18:08 | 木造校舎・廃校

旧浜益村の閉校(小学校) 赤字はレポート済 緑字は今回レポート

  • 浜益村立浜益小学校〈初代〉(1963年群別小と統合し浜益中央小へ)
  • 浜益村立群別小学校(1963年浜益小〈初代〉と統合し浜益中央小へ)
  • 浜益村立幌小学校(1966年床丹小と統合し浜益北部小へ)
  • 浜益村立床丹小学校(1966年幌小と統合し浜益北部小へ)
  • 浜益村立浜東小学校(1972年黄金小へ統合)
  • 浜益村立実田小学校(1977年黄金小へ統合)
  • 浜益村立千代志別小学校(1979年浜益北部小へ統合)
  • 浜益村立尻苗小学校(1983年黄金小へ統合)
  • 浜益村立濃昼小学校(1992年黄金小へ統合)
  • 浜益村立浜益北部小学校(1999年統合により石狩市立浜益小学校〈当時:浜益村立〉へ)
  • 浜益村立浜益中央小学校(同上)
  • 浜益村立黄金小学校(同上)

中学校

  • 浜益村立黄金中学校(1951年石狩市立浜益中学校〈当時:浜益村立〉へ統合)
  • 浜益村立浜東中学校(1951年浜益中浜東分校となり、1954年再独立、1966年浜益中へ統合)
  • 浜益村立実田中学校(1951年浜益中実田分校となり、1954年再独立、1968年浜益中へ統合)
  • 浜益村立千代志別中学校(1966年幌中へ統合)
  • 浜益村立尻苗中学校(1951年浜益中尻苗分校となり、1954年再独立、1983年浜益中へ統合)
  • 浜益村立濃昼中学校(1951年浜益中濃昼分校となり、1954年再独立、1992年廃校)
  • 浜益村立幌中学校(1951年浜益中幌分校となり、1954年再独立、1999年浜益中へ統合)

※wikipediaより

 

 

「旧浜益村立実田小中学校」

 

開校:明治36(1903)年
閉校:昭和52(1977)年
校舎:()年竣工

石狩市浜益区実田

 

浜益区から当別町へ抜ける道道451号線
旧実田小中学校は451号線から少し中に入ったところにあった。

目印はバス停(ボケ写真です)ここから内部に入っていき浜益川沿いに進む
すぐに消防団分団の建物があるので迷いなし。

 

 

「実田会館」と数軒の民家がある
会館の駐車場に車を停めて、周りを見回すと
雑草が生い茂る中に錆びたブランコの支柱、別方向には
錆びたジャングルジムと大きな石碑があった。

石碑へは膝上まで伸びた雑草を漕いで行くので良い気はしない
実際に蜘蛛の巣などが付いていた。

 

 

 

 

石碑は閉校記念碑であった
予備知識を乏しく出かけたので諸所で確認すべきことがあったが…

 

 

会館側と逆に行くと道道が見えた
もしかして校門などは昔はそちらにあったのかも?

ただ道道までのスペースは以前は校庭であり、会館のあたりが校舎だった。

あまり通る道路ではないのできちんとした下調べが必要であったと反省で宿題を残す。

 


2023年6月撮影

 

 

 

「旧浜益村立浜東小中学校」

 

開校:明治40(1907)年
閉校:昭和47(1972)年
校舎:()年竣工

石狩市浜益区御料地

 

実田小中学校と同じく、旧浜益村では道道451号線に2つの学校があった
その一つが「浜東小中学校」である。

ナビとネットでの情報を元に路肩に停車し、ここと見極めた草刈り跡を
少々登っていくと広場になった。

ここに浜東小中学校があった。

残念ながら学校があった証は何一つ見つけることは出来なかった
惜しむらくはいまではなく雑草のない晩秋や雪解けのころがベストな
訪問であったろう。

もしかして何か?くらいは見つけれたのかも知れない。

 

 

 

 

 


2023年6月撮影