札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 美瑛町の閉校

2023-05-26 21:53:35 | 木造校舎・廃校

美瑛町の閉校(小学校) 赤字はレポート済

 

  • 美瑛町立美馬牛小学校〈旧〉(1957年新星小と統合し美瑛町立美馬牛小学校〈新〉へ)
  • 美瑛町立新星小学校(1957年美馬牛小〈旧〉と統合し美馬牛小〈新〉へ)
  • 美瑛町立東瑛小学校(1971年美瑛町立美瑛小学校の一部および千代田小と統合し美瑛町立美瑛東小学校へ)
  • 美瑛町立千代田小学校(1971年美瑛小の一部および東瑛小と統合し美瑛東小へ)
  • 美瑛町立美園小学校(1971年)
  • 美瑛町立美開小学校(西美小美開分校から独立、1972年廃校)
  • 美瑛町立美聖小学校(1982年美瑛町立美沢小学校へ統合)
  • 美瑛町立忠別小学校(1988年)
  • 美瑛町立二股小学校(1990年美馬牛小〈新〉へ統合)
  • 美瑛町立置杵牛小学校(2003年休校、2008年美瑛東小へ統合)
  • 美瑛町立宇莫別小学校(2004年休校
  • 美瑛町立五稜小学校(2005年休校、児童は美瑛小へ通学、2022年廃校
  • 美瑛町立西美小学校(2005年4月1日休校、同年8月25日廃校
  • 美瑛町立美田小学校(2005年休校、児童は美瑛小へ通学、2010年6月23日廃校
  • 美瑛町立北瑛小学校(2006年休校、2014年美瑛小へ統合
  • 美瑛町立俵真布小学校(2006年4月1日休校、同年8月31日美瑛町立明徳小学校へ統合)
  • 美瑛町立旭小学校(2009年休校、児童は美瑛小へ通学、2014年廃校
  • 美瑛町立美進小学校(2016年休校、児童は美瑛小へ通学、2017年6月23日廃校)

(中学校)

  • 美瑛町立美瑛中学校〈旧〉(1976年統合により美瑛町立美瑛中学校〈新〉へ)
  • 美瑛町立美沢中学校(同上)
  • 美瑛町立置杵牛中学校(同上)
  • 美瑛町立宇莫別中学校(同上)
  • 美瑛町立美田中学校(同上)
  • 美瑛町立二股中学校(1981年美瑛町立美馬牛中学校へ統合)
  • 美瑛町立旭中学校(1991年)
  • 美瑛町立俵真布中学校(1982年明徳中へ統合)
  • 美瑛町立明徳中学校(2017年休校、2018年廃校)

 

 

 

「旧美瑛町立美進小学校」現:美瑛町農業担い手研修センター

開校:昭和10(1935)年(美進小学校名として)
閉校:平成29(2017)年
校舎:昭和56(1981)年竣工

美瑛町字下宇莫別朝日

 

美瑛町の学校をいくつか廻ったが、最も近代的な校舎であった。
校舎建築の年数が現在不明なのだが2017年の閉校でその後の改築の可能性もあり。

それにしてもこの場所にこれだけの校舎は失礼だが不釣り合いを感じた
中学校の閉校データを見ても併置校ではなさそうだし
かつては近辺にたくさんの住民が居たということだろう。

丘に挟まれた谷あいのような場所なので、当初は農業は丘よりも
こちらが先に開墾されたと推測する
それゆえに人も多かったのかと。

 

 

 

 

 

 


2023年5月撮影

 

 

 

 

「旧美瑛町立東瑛小学校」現:美瑛町農業技術研修センターみのり

開校:大正8(1919)年
閉校:昭和46(1971)年
校舎:昭和28(1953)年竣工

美瑛町字美瑛原野5線

 

旧東瑛小学校には現在研修センターが出来上がっており校舎はもちろんない
また校門も現存していなく、センターの前に石碑があるが閉校記念碑でもない。

ただ新しい施設の撮影しかないのかとがっかりしたところで
奥の方に木造の体育館が残っていた!

おそらく備品などの倉庫に使用されているように見えるが
1971年閉校でまだ使用しているとはよく管理されているということだろう

旧校舎のあった位置は大体体育館に併置もしくは隣接が多いので
こちら側に校舎があったと推測する。

それにしても唯一つ学校があったことを証明してくれるのが
木造建築物とは、なおのこと嬉しいものだ。

 

 

 

 


2023年5月撮影

 

 

 

 

「旧美瑛町立美聖小学校」現:アトリエトムテ

開校:昭和27(1952)年
閉校:昭和57(1982)年
校舎:昭和27(1952)年竣工

美瑛町美沢美瑛滑空場入口

 

白金温泉に一番近く、温泉や道の駅に通ずる道路沿いなので
今回の行程ではいつでも行ける場所にあった。

まだ校門が残っていたのがありがたく、校舎は解体されている
校舎があったと思われる場所にはアトリエなどいくつかの住宅や工房がある

「アトリエトムテ」は、障がい者自立支援法に基づく生活介護事業所である
主に小物を制作しネット販売をしている。

角地にあるので裏側に廻ってみると十勝連山が正面に見えた
主に十勝岳からオプタテシケ山までがきれいに見える
こんなロケーションで学校生活をおくれたんだなぁ。

 

そして時期的に桜の花
ちょっと遅めの訪問であったが、今回の旅行の中で最も見事な桜の木であった。

 

 

 

 

 

 

 


2023年5月撮影

 

 

 

 

「旧美瑛町立美沢中学校」

開校:昭和21(1946)年
閉校:昭和51(1976)年
校舎:()年竣工

美瑛町美沢

 

旅行やドライブに行くと事前にレトロ建物や歴史的建造物、そして閉校をチェックしてから出かけるのだが、現地で思わぬ発見をして喜ぶことがある。

旧美沢中学校がまさにそれであった
美瑛町白金温泉を後にして、次の目的地に向けて直線道路を走っているとき
何気なく左手を見ると古い校門らしきものを見た。

バックして確認すると美沢中学校とある
小学校を中心にチェックしていたので見逃したのだろう
通り道なのでなおさら良く確認しないとと反省。

 

さて校門のみで奥に新しい美沢小学校が見えた
1976年に閉校しており旧校舎はすでにない
おそらく校門から続く場所に小学校中学校もあったと思われる。

よく見ると生徒が制作したと思われるオブジェが校門裏に隠れるように残っていた。

わずかな数であるが1976年の閉校であれば閉校時の生徒さんはまだ60代
時々自分の作品を見に来ることもあるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 


2023年5月撮影

 

 

 

「旧美瑛町立千代田小学校」現:拓真館

開校:昭和24(1949)年
閉校:昭和46(1971)年
校舎:昭和24(1949)年竣工

美瑛町新星


拓真館は美瑛の有名観光地の一つである。

閉校を改装し活用した施設で
美瑛町の丘や風景を1987年から撮り続けた「前田真三氏」のギャラリーである。

氏の作品は多くのメディアなどにも取り上げられ美瑛町の観光に貢献された
館内は入場無料で作品展示と売店でポストカードほか販売もしている。

 

その拓真館に対し、閉校した旧千代田小学校としての撮影に訪れる人は
どれだけいるだろうか

正面は改装されているかと思うが、それから連なる教室棟と
何よりほぼ完全に現存している体育館がうれしい。

校庭であった場所は、現在「白樺回廊」としてこちらも訪れた人の目を楽しまれる。

ちょっと裏や横から見るだけで学校だったんだと気づくはずだ。

 

 

 

 

 


2023年5月撮影

 

 

 

「美瑛町立美馬牛小学校」現役校

開校:昭和32(1957)年
閉校:
校舎:昭和59(1984)年改築竣工

美瑛町美馬牛南2丁目2-58

 

美馬牛小学校は旧校と旧新星小学校が統合し、新たに設立された。
名前としては2代目の美馬牛小学校である

その「とんがり屋根」は美瑛の景観の一つとしてすでに確立されている
ただ現役校だけに敷地内進入はもちろんNGであり
生徒や先生の写真も撮ってはいけない。

そんな理由もあり正門で草刈りをしていたので
正門からは撮影をしていない。

裏側へ廻ると旧校時代のものと思われる校門が現存していた
以前はこちら側が正門だった可能性もある。

いろんな方向から撮影は出来そうだがくれぐれも畑、および敷地内には
入らないことだ。

間に合った桜がきれいだった。

 

 

 

 

 

 


2023年5月撮影

 

 

 

 

「旧美瑛町立二股小学校」現:美瑛町自然の家

開校:昭和3(1928)年
閉校:平成2(1990)年
校舎:昭和56(1981)年竣工

美瑛町二股


美瑛の旅、最後の閉校は旧二股小学校
「自然の家」として再活用されているが主に夏季利用だろうか
曇天も相まって寂しく感じた。

校舎はほぼ現存しており玄関ファサードに特徴がある
体育館は一段高い場所にあり連絡通路が階段になっていると思われる

また遊具も各種見えたが近くまで行かずにズームにて。

場所柄、初めて訪れた者としてはここにこれだけの学校が必要だったのかと思った
後で資料等を見直すと中学も併置になっていたので納得した。

 

 

 

 

 


2023年5月撮影

 

 


美瑛町の建築探訪

2023-05-21 11:10:47 | 東川町 美瑛町

1泊2日で東川町から廻って美瑛町に宿泊しました
北海道新聞社、2000年発行の「旭川・道北の建築探訪」に掲載された建物を中心に撮影をしています

 


「美瑛町農業倉庫1号、2号、6号」 旭川と道北の建築探訪 NO54

 

所在地:美瑛町本町1丁目 ※6号は栄町1丁目
建設年:大正8(1919)年 ※6号は昭和16(1941)年 
指定等:なし

※現在は1棟のみ健在で「道の駅 びえい丘のくら」として活用中

 

「道の駅 びえい「丘のくら」」

 

所在地:美瑛町本町1丁目9-21
建設年:大正6(1917)年 
指定等:なし

■利用日

 年中無休
(年末年始のみお休み12月31日~1月3日)
※12月30日は午前のみ営業

6月~8月 9:00~18:00 
9月~5月 9:00~17:00
香麦食堂11:00~14:30(LO)

 

この倉庫は「美瑛軟石」を使用し大正6年に建てられた3棟のひとつ
主に豆類の貯蔵庫として使われたとのこと。

上記の「旭川と道北の建築探訪」の建物である。

 

「美瑛軟石」は大正5年から昭和44年頃まで採掘され、広く使用された。
その後、2棟は解体され残ったこの蔵を町の歴史承継、中心部の商業活性化の中核とし平成19年に「道の駅」として登録された。

 

補修は当然されていようが、中は美瑛町の特産物が並び
雰囲気の良い販売所である

天井を見上げると梁がありやはり蔵ということを実感できる
また美瑛軟石が表面の外観も綺麗であり重厚さはあっても
劣化は中々認められない。

 

 

外観上部に見える2階部分の明り取り窓は後付けのようだ。

 

両側(短辺側)の出入り口は以前はシャッターであったが長辺側の形に改築され
鉄扉に変わっている
この鉄扉はどこで使用していたものかは不明。

 

 

今回は未確認だったが裏側の出入り口(現在の道の駅入り口の反対側)の上部に以前の農業倉庫の文字がかすかに残っているはずだ。


2023年5月撮影

 

 

 

「JR美瑛駅 駅舎」 

 

所在地:美瑛町本町1丁目1 
建設年:昭和27(1952)年 
指定等:なし

 

美瑛駅は元々は明治時代に木造で建設されたもの
開業は明治32(1899)年。

それを昭和29年に美瑛軟石で改築したのが現在の駅舎である。

旧国鉄時代に石造りで建てられた駅舎は珍しいとのことだ。

 

駅周辺の商業施設は、屋根勾配を揃える、高さ制限、ファサードに美瑛軟石を用いるなどの建築協定を定め、統一感ある街並みとしている。
※一部wikipediaより

駅前の通りに行けばその統一感がよくわかる
このような統一感がある商店街の街並みは浦河町もそうだと記憶がある


駅舎前には小さなロータリーがありタクシーが複数台、客待ちをしていた
やはり観光地の駅だけあるのだろう。

この味のある駅舎は大事に後世まで残してほしいものだ。

 

 


2023年5月撮影

 


木造校舎・廃校 東川町の閉校

2023-05-18 23:19:26 | 木造校舎・廃校

東川町小学校の閉校 赤字は今回レポート

 

※wikipediaより

 

東川町は小学校の閉校が少ない町で、第一から第三小学校までは健在である
また「東川小学校」は平成26年(2014)年に新校舎竣工により移築し旧校舎は再活用されている。

東川町は北海道には珍しく移住者が増え続けている街である。

 

 

「旧東川町立第五小学校」現:北の住まい設計社

 

開校:大正元(1912)年
閉校:昭和58(1988)年
校舎:昭和3(1928)年竣工

東川町東7

 

2000年発行の「旭川と道北の建築探訪」には146軒の歴史的近代建物が記載されている。
うち13軒が学校校舎である。

旧東川第五小学校はその一つ。

記載されたとしても現在までに取り壊しされた学校もあるし
体育館だけ残った学校もある。

 

旧東川第五小学校は教室棟と体育館が現存している
この旧校舎が恵まれたのは町から購入したのが家具製造の「北の住まい設計社」であったこと。

工場として活用しているらしいが、やはり綺麗に管理されているように見える。

敷地内にはショールームとカフェがあるので一般人でも敷地内に入ることは出来るが、旧校舎の手前で立ち入り禁止だ。

よって敷地外の車道から玄関と体育館を見ることになり
裏側は社内の人間ではないと行けないだろう。

それでもこのように木々に中に見る校舎はとても素敵であった。

 

 

 

 

 

 

 


2023年5月撮影

 



 

 

「旧東川町立東川小学校 旧校舎」現:せんとぴゅあⅠ

 

開校:明治31(1898)年

校舎:昭和36(1961)年竣工

東川町東川町北町1丁目1−番1号

 

「東川小学校」の現在は平成26年に建てられた校舎がある
総工費38億円、平屋造り、直線は270mもある校舎だ。
他にも規格外と思われる学校なので興味があれば見てください。

【東川町立東川小学校】

 

さて旧校舎のほうだが、こちらは2階建ての箱型でこの当時の建築というと
このような校舎が多いのだろう

しかしこちらも惚れ惚れするような1直線である
新校舎もそうだが、農村地帯の学校は平地が多く土地が広いので大きな学校を作りやすいと聞いた。

 

2階には東川小学校時代に使用されていた7教室がいまも残されており
その中でもルームGは「思い出の教室」として、当時のままの状態で残されているとのこと。

この情報が先にあれば中を見させていただいたのに…。

 

現在は「せんとぴゅあⅠ」として町民の活動の場となっている
隣の「せんとぴゅあⅡ」は近代的なデザインである
新校舎とせんとぴゅあⅡは町民の誇りともいえる建物のような気がしてならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年5月撮影

 

 


札幌の建築探訪 中央区⑦ 

2023-05-14 21:43:55 | 札幌市中央区

⑦からは書籍「札幌の建築探訪」以外に気になった中央区の建物を載せて行きます。

 

「PIVOT」

 

所在地:札幌市中央区南2条西4丁目
建設年:平成7(1995)年改築開業 
指定等:なし

 

令和5(2023)年5月16日で「PIVOTピヴォ」は閉店する

令和元年ダイビルが買収し、近隣のビルとともに再開発をすすめることになった

ダイビルにより近隣のペンタグラムビル、ダイビルピヴォ南館(旧桂和MTビル)とともに、令和5年中に解体されることになり、5月16日に営業を終了することになった

※一部wikipediaより

 

 

元は昭和43(1968)年開業の「中心街デパート」である
その後、昭和48(1973)年に北海道1号店である「ダイエー札幌店」が開業した。

昔の札幌駅前通りは小さな商店が多く、これらが集合し寄合百貨店として新築・開業した例が多い

北隣の「旧4丁目プラザ」、南隣の「ナナイロ(旧コスモ)」、さらに南隣の「アルシュ(旧エイト)」などがそうだ。

このようなビルは地権者が多く、まとめづらい印象がある。

ただ「中心街デパート」は創業者がいたようで、後にセントラルホビーをPIVOT内に移転開業している(その後移転)

 

私は当時札幌に居なかったのでダイエーが来た時の盛り上がりは知らないが
おそらく大賑わいをしたことだろう。

 

このビルは地下街ポールタウンに直結している

 

 

 

私が覚えがあるのは札幌に移住し、地下からダイエーに入り食品を購入したこと

 

それと当時1階にあった「大中」によくウィンドウショッピングをした
(記憶は定かではないが同様の店舗で「文化や雑貨店」でよく買物をしていたからだろう)


※昭和62年発行 さっぽろタウン情報別冊MESHより

 

当時の雑誌ではここは「ダイエー」だ。


※昭和62年発行 さっぽろタウン情報別冊MESHより

 

なので正直「PIVOT」に関しては「4丁目プラザ」のような思い入れは
ほとんど無いのだが

 

 

やはり長年そこにいたビルが無くなるのは寂しいものだ

 

ペンタグラムビル

昔、セントラルホビーがあった

 

ダイビルピヴォ南館

 

 

 

PIVOTパーキング

 

 

 

これらがすべてなくなるようだ。

 

 

はす向かいで開業を待つ「moyuk SAPPORO」のような
個性のあるビルになればなと思うがどうか。

 


2023年5月撮影

 

 

 

「4丁目プラザ」

開業:1971(昭和46)年
閉店:2022(令和4)年

中央区南1条西4丁目

 

4丁目プラザは「4プラ(よんぷら)」の愛称で長らく若者に親しまれたファッションビルである。

老朽化により2022年1月31日をもって閉店、解体される。

中央区の南1条西4丁目という札幌市内でも有数の場所にある
駅前通りを挟んでパルコ、斜め向かいには三越
そして市電の駅もあり、地下では地下街が接続され地下鉄駅やススキノへも行ける。

それによりもっとも地代の高い場所の一つです。

開業の1971(昭和46)年は札幌オリンピックの前年にあたり札幌地下街と市営地下鉄が相次いでオープンした。また多くのビルが新築され札幌市がもっとも盛り上がっていた時代でしょう。

その4プラが閉店するとのことで昨年の8月に外観を
12月に7階を撮影してきた。

 

 

 

 

 

 

7階には過去のポスターが展示され、初めて見たものも多かったが
当時はバーゲン時などTVCMをやっていたのを思い出した。

 

 



このフロアマップは1987(昭和62)年のタウン誌に掲載されたもので
それでも35年前の店舗ですよ

店舗名を見ると札幌パルコがDCブランド中心だったのに対し
4プラはリーズナブルなカジュアルなイメージ。

 

個人的には7階の「自由市場」ばかり行っていたので多少思い入れもある

「自由市場」は、このエスカレーターに架かるゲートがまだあった!
残念ながらライトは点いていなかったがそれだけが記憶あった。

なんかもっと暗くて小さな店がごちゃごちゃしたイメージがある
もう閉店するので早めに退店したお店もあるんだろうね
それでもこんな明るかったかな?

 

ここではとにかく中古レコード店へ行った
「records-records」だった気がする 結構買ったね
そのすぐそばにファッションの「boogie boy」にも好きなブランドがあったのでよく購入した。

 

「文化屋雑貨店」は流行ったなぁ 私が行ったころは今の裏参道にあったと思うが
また同じような店で「大中」がコスモかエイトにあった記憶が…

6階のハッシンフォーメンではコートやシャツを買った
2階のアルファベット・クラブは当時10代~20代前半くらいがターゲットの
「45RPM」ブランドを売っていた 私も「ボーイズ45」のシャツとか買ったっけ。

 

昭和62年ごろの中心部
左の端に4プラがあり南隣りがダイエーだった(現ピヴォ)
さらにコスモ(現ベガスベガス)

ほかにYES、金市館、長崎屋、東宝日劇とか…
ほらね、やっぱり懐かしむ内容になってしまったよ
30年くらい行っていないのにねぇ

 

同じように4プラはたくさんの人が利用しただろう
普通のビルと違い、常に大人数の出入りがあったからさ
建物も疲れ果てたしこれでお役目ごめんだ

 

長い間本当にお疲れ様でした

 

 

 

「旧伊藤義郎邸」 

 

伊藤義郎氏は伊藤組土建の名誉会長で札幌の経済界、建築業界、ほかスポーツ界などでとても高名な方

この方の邸宅は札幌市民の中でもトップクラスに有名で、また名前でピンとこなくても場所を見れば納得でしょう
その住所は中央区北5条西8丁目にある

グーグル衛星写真で大体の位置を

中心部全体にすると小さくなるが、中央の大きな緑地が「北大付属植物園」で
その右上の一角に隣接してある緑地が「旧伊藤義郎邸」です
現在の衛星写真では緑地の真ん中にタワーマンションが建っているのがわかる

ちなみに左下の一角の緑地は「知事公館」真ん中下の緑地帯が「大通り公園」、植物園の右隣が「旧北海道庁」
真ん中上部に切れているのが「北海道大学」です。

こうしてみると大きな緑地を中心部に持っており、かつ個人の住宅などここしか見当たらない
その規模が伺えると思う。

伊藤邸の隣、7丁目の京王プラザホテル、5丁目のセンチュリーロイヤルホテルの上階から西を見ると
まるで北大植物園の別庭のように見えるのが伊藤邸であった。

 

 

この写真はかつての伊藤邸です


*平成2年発行■さっぽろ文庫・別冊■ いまむかし札幌を歩く<第三部-ふるさとさっぽろ>より

 

赤い屋根に黒地の板張り、窓枠は白い上げ下げ窓、玄関上のバルコニーなど今現在見ても
とても素敵で素晴らしい邸宅です (確かこの後に改装をされたと思う)

また敷地は約1・4haもあり、大古からの樹木や植物、湧水が出るメムの跡などから開拓当時の札幌の原風景が残っている貴重な土地とされてきた。

付近は市民の散歩コースでもあり多くの人が伊藤邸の門構えを見てきたことであろう。

 

伊藤家では後継者難などから土地を一部手放して土地の有効活用を模索したが
そのようなこともあり、伊藤家のみの問題ではなく札幌市の都市計画審議会では保存か開発かで大きく揺れたそうだ

それで邸宅の部分の開発は認められたが樹木のある土地の部分は保全するということで開発の許可が下りた。
住友不動産が伊藤邸の建っている敷地約0・5haを取得しタワーマンションの建設を始める

 

2012年ごろから売却、開発の検討を始め、一時は札幌市が買い取る話もあったようだが
自然景観を守りながら開発したい伊藤氏の意向と合わなかった。


伊藤邸は2015年11月に取り壊され 伊藤氏は別所に住まわれている
2019年に「ラ・トゥール札幌伊藤ガーデン」が竣工した

 

 

北5条通りに面している伊藤邸正門から歩いてみた

マンション部分以外の樹木地は伊藤氏の所有のままである
よって正門と表札は残されたのであろう。

 

おや?

正門の横に新しい小屋があった
ここには「伊藤 受付」とあり警備員?が常駐しているようだ

確かこのような小屋は以前はなかったので新しく設けたのであろうが、黒地の板張り、赤い屋根、窓枠の白色は旧伊藤邸を彷彿とさせる
もしかして旧邸を解体したものを再利用したものならいいねぇ?

マンション建設の事情を知らないと奇異に映るかもだが
この土地の所有者は伊藤氏と住友不動産である。

 

塀の中はもちろん、歩道にはみ出して原始の樹木がある
塀は以前からのもの

 

石山通方向の西に堀沿いに進むと、また小屋があった
ここは昔からある小屋である
何に使用しているかは不明だが…

高床なので中に何かしらの保存をしているものか
もしくは庭の管理小屋として機材などがあるのだろうか

 

旧伊藤邸時代の小屋、塀、街灯を

 

9丁目で敷地は終わるので右折する
堀はグリーンの壁になった

これは新しく塗り替えたようですね
やはり樹木の保全が第一なようだ

 

函館本線の高架に当たるところで右折する
ここは「北6条エルムの里公園」として住民のオアシスでもありバスケットのハーフコートもあり
若者も利用している

ここからタワーマンションが臨める

 

最近は近隣のサラリーマンによる喫煙、禁止の自転車の往来、若者が増えたことにより治安の心配など
評判が今一つなのは残念だ。

 

ここを抜けて右折すると東向きになりタワーマンションの入口がある
真向かいは京王プラザホテルの駐車場出口と業者の納品場所と少々せわしないかな?

旧伊藤邸のころは右手に建物があった

*2010年グーグルストリートビューより

シャッターが見えるのでガレージのようですね。

 

 

マンションの内容を見て初めて知ったのだが、敷地内は完全に分かれており
住民だからといって伊藤氏所有の緑地帯に入ることは出来ないようだ
*上画像の左端に塀が出来た

ここで約1周をしてきたね

 

 

さて伊藤義郎氏は伊藤組土建の3代目社長であった。
それだけ会社は古くから土木、建築業界の発展に寄与しているし
ご本人は札幌経済会の重鎮である。

 

初代社長は越後からの移住者である伊藤亀太郎氏で創業者である
創業は明治26(1893)年。

2代目は伊藤豊次氏、そして3代目が伊藤義郎氏である
その後の社長は伊藤家からではない。

初代から3代目までに多くの歴史的建築物を建設した
社歴に従いいくつか紹介をします。

 

明治31(1898)年 ジョン・バチェラー博士邸

現在は北大付属植物園内にあり

 

明治41(1908)年 札幌駅舎(3代目)

現在は北海道開拓の村にあり 3/4のスケールである

 

明治42(1909)年 古河記念講堂

現在は北海道大学内にあり

 

大正13(1923)年 北海道拓殖銀行小樽支店

現在は似鳥美術館である

 

昭和2(1927)年 札幌北1条教会


*伊藤組土建株式会社 HPより 現在は取り壊し済 
同設計者、田上義也氏により新しい北1条教会が、また羊ヶ丘展望台にも1/2で再現されている

 

昭和9(1934)年 小樽駅舎

 


昭和45(1970)年 真駒内スピードスケート競技場

 

 

歴史と実績のある会社なのでもちろんこれ以上に
たくさんの人が知っていたり利用している施設がある
現存しているもので代表として

明治35(1902)年 旭川偕行社
昭和43(1968)年 北海道庁庁舎
昭和45(1970)年 北海道百年記念塔
昭和48(1973)年 道立近代美術館
昭和54(1979)年 札幌市青少年科学館
昭和57(1982)年 道立三岸好太郎美術館
昭和61(1986)年 アスティ45ビル
平成5  (1993)年 テルメインターナショナルホテル
平成6  (1994)年 札幌厚生病院

この他にもたくさんありますよ。

平成25(2013)年には創業120周年記念式典を行った。

 


最後に余談であるが伊藤義郎氏には伊藤組土建会長、伊藤組社長のころに何度かお目にかかったことがある
伊藤氏が来た時の役員さんをはじめ部課長職たちの緊張がありありとわかった
社員への指示を聞いていたが1ミリの妥協もしないイメージだった
さすが30歳で伊藤組土建の社長になられたオーラがあったなぁ。

 

 

 

「第2弘安ビル」 

所在地:札幌市中央区南7条西1丁目13
建設年:昭和48(1973)年竣工 
指定等:なし

 

第2弘安ビルは南7条橋のたもとにあり、閉館した札幌第一ホテルの隣の敷地にある
個人的には会社で営業をしていたころ何度か入館していたビルだ。

規則正しい区分けされた外観、最上階だけ違うのが印象的。

今改めてビルを見て驚いたのは向かって左ハジにある展望?エレベーターだ
東急デパートや旧ラフィラのような商業ビルではお馴染みだが
このような事務所のテナントビルにあるとは。

敷地内にはほかの弘安ビルがあるが、内部の駐車場へはトンネル型の入り口から入る
なぜ普通に角型ではなく弧を描いたのか興味がある。

 

札幌オリンピックが昭和47(1972)年で、この前後でたくさんのビルが建てられた
そして築50年を迎えて建て替えが特に札幌駅から大通にかけて進んでいる。

この第2弘安ビルの外観を見ると確かにレトロっぽい印象はあるが
建て替えはまだまだ先に見える。

 

 

 

 


2021年8月撮影

 

 

 

「北海道建設会館」 

 

所在地:札幌市中央区北4条西3丁目
建設年:昭和41(1966)年竣工 
指定等:なし

 

北海道建設会館は株式会社であり、設立は昭和24(1949)年であった。

その後に昭和41(1966)年に正式名称を「北海道建設会館」と改称し現在に至る
テナントビルで建設業界の団体や各種団体、以前は岩手銀行もテナントで入っていた記憶がある。
私も過去の仕事で何度かビル内のテナントに営業をしていた。

外装等は補修しているが築60年にならんとしているビルには解体、改築の話題があった

そこで思い出したのが駐車場である。

 

このビルの駐車場は日本でただ一つの構造である。
施工は三菱重工業株式会社が請け負った。


以下公式HPより

【旋回式立体駐車場・スターパーク式カーエレベーター】

・円筒のエレベーターシャフトをポイントとした美しい外観を持っています。
・エレベーターが旋回しながら昇降し所定位置方向にケージ出入り口が開閉するので処理は迅速です。
・駐車階から同階のオフィスへ直行できるという利便性を備えています。
・スムーズな旋回塔の動きに重点がおかれた設計は、機構も簡単であり安全性・高い耐久性が保証されています。
 

公式HPより
 

【駐車方法】

1 車両は自走でエレベーターケージ内に乗り入れます。

2 係員がエレベーターケージ内の操作盤の押しボタンを押すことにより、入口扉が閉まりエレベーターは昇降  と旋回を同時に行い、所定階に停止します。   

3 押しボタン操作により扉が開けられ、車両は自走で駐車位置に移動し、駐車操作を完了します。
 
4 車両は原則的に、エレベーターシャフトを中心として、放射状に格納されます。
 

公式HPより 建築時の見取り図


目的のフロアに停めれるのは素晴らしい

駐車代金は 200円/30分 札幌駅前の一等地である。
11月に久しぶりに利用した。(前記の閉館したホテルを撮影のため利用)

 

 

 


階段もレトロだ

 

 

 


2022年11月撮影

 

中心部に車を入れると旋回しながら上下するのである!
これは子供なら喜びそうだ。

車内から撮影をしていると係りの方が気づき
「一度最上階まで行きましょう」と言って動かしてくれた。

なんと素晴らしい係りの方だろう
また撮影するお客さんも多いのだなと推測できる。
(あくまでも平日で空いていた時間だからと思うので引き合いに出すのは止めてね)

 

ビルのためにも、そろそろお役目ごめんで良いのかと思う
今回はいつ解体になるかわからないので行けるうちに行ってみた。

ちなみに駐車までの動画撮影もしたが「gooブログ」では動画のアップが出来ないので
興味のある方はYouTubeにいくつかの動画が投稿されているのでそちらで確認を。

 

 


東川町の建築探訪

2023-05-12 20:45:11 | 東川町 美瑛町

1泊2日で東川町から廻って美瑛町に宿泊しました
いくつかの建物は北海道新聞社2000年発行の「旭川・道北の建築探訪」
に掲載された建物が含まれます。

 

まずは東川町から

「北の住まい設計社」旧東川町立第五小学校 道北の建築探訪 NO51

所在地:東川町北5線東7号
建設年:昭和3(1928)年 
指定等:なし

【北の住まい設計社 東川ショールーム】
Open 10:00〜18:00 水曜定休

【カフェ&ベーカリー】
水曜定休(ベーカリーのみ火曜・水曜定休)
■ベーカリー・食品館
Open 10:00〜18:00
■カフェ
Open 11:00〜17:00
食事-14:00 L.O / デザート・ドリンク-16:30 L.O

 

東川町の閉校小学校は2校と他の街に比べて少ないほうだ

旧第五小学校は平屋の教室棟と体育館が現存しており、
北の住まい設計社の工場として再活用されている。

場所は街の外れと言ってよいだろう
廻りには人家が少ない場所にある

元々木々に囲まれた場所に学校があったのかは未調査だが
木々越しに見る現存校舎はなんとも味があり素敵だ。

古い建物なのでもちろん補修や塗装直しや窓の白枠などをして
見栄えが良くなっている。

 

もう一つの第四小学校も第五小学校に似た素敵な校舎だったが
閉校後に体育館が焼失し、校舎も解体された。

 

 

 

 

 


2023年5月撮影

 

※北の住まい設計社の敷地内から旧校舎側へは立ち入り禁止である

 

 

 

 

「東川町郷土館」旧東川町役場庁舎 道北の建築探訪 NO52

所在地:東川町東1丁目16番2
建設年:昭和24(1949)年 
指定等:東川町指定 有形文化財

■利用日

 5月1日~6月30日 日曜日のみ開館

 7月1日~8月31日 月曜日休館

 9月1日~11月3日 日曜日のみ開館

 ※冬期間(11月~4月)は休館

■開館時間:10時00分~16時00分

 

役場や公園が周りにある閑静な場所に郷土館があった。
隣に町の駐車場が広くあるので見学しやすいのも特徴。

濃茶の下見板張りに窓の白枠
左側の切妻屋根と2層を彷彿させる窓枠など見ごたえ充分の建物であった。


訪問時期は残念ながら日曜日のみの開館だったので中の見学は出来なかったので
いつか再訪したいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年5月撮影

 

 

 

 

「明治の家」旧尾田家住宅 道北の建築探訪 NO53

所在地:東川町東1丁目15番 羽衣公園内
建設年:明治44(1911)年 
指定等:東川町指定 有形文化財

■利用日:予約制 ※冬期間(11月~4月)は休館

■電 話:教育委員会 生涯学習推進課 0166-82-2111

 

元は明治28年に香川県から移住した尾田家の農家建築である。

昭和62年に町に寄贈され現在地に移築復元した
当時は藁葺屋根であったが瓦敷きにされたようだ。

尚、外壁からは香川県の農家住宅様式を伺えるとある。

 

 

 

 


2023年5月撮影

 

「明治の家」に並んで建つ「相馬妙見宮」も町の指定文化財である。

 

 

 

 

 

「イーストリバーハウス・居酒屋大勝」

所在地:東川町西町1丁目1-9
建設年:不明 昭和初期? 
指定等:なし

 

大通りに面しているので、すぐに目についた
テナント?で2軒のお店が営業をしているようだ。

木造下見張りは補修こそあれ、古い時代の建物に感じた
レンガの煙突もあり、道路に面した奥側にはお洒落なテラスサイド的な造りもあった これは後付けかと思うが。

 

 

 


2023年5月撮影

 



 

「古民家」

所在地:東川町東町
建設年:不明 昭和初期? 
指定等:なし

 

東川町の中心部にあり、付近をグルグルと廻っている時に目に入った。

窓が多いので遠目にも内部にものが入っており生活感があるのがわかる
ただ実際に人が住んでいるかは未確認だった。

連続する窓や出窓のあるファサードがとても素敵だった。

 

 


2023年5月撮影