札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

岩見沢市の建築探訪①

2021-05-10 23:55:40 | 岩見沢市

*写真は旧岩見沢警察署

 

 

*NOは「道南・道央の建築探訪」に記載されている番号です

「南空知食糧店舗」NO-143 旧北海道銀行岩見沢支店       
       
 
所在地 岩見沢市1条東1丁目
建築年 大正14(1925)年
指定等 
開館時 *現存していません 
 
2012年のストリートビューでは、すでに現地にはマンションが建っている
昔の銀行建築にしてはおとなしめでスッキリした印象の建物に見える。
 
 
 
 
 
「岩見沢農業倉庫3号、4号」NO-144       
       
 
所在地 岩見沢市1条東2丁目
建築年 大正10(1921)年
指定等 
開館時 *現存していません
 
現在は空き地になっています レンガ造りと石造りの倉庫が並んでおり奥にも2棟の倉庫があった。
 
2012年ストリートビューより(おそらく同時に取り壊されたと思う)
 
 
 
 
 
 
「岩見沢市絵画ホール・松島正幸記念館」NO-145 旧岩見沢警察署       
       
 
所在地 岩見沢市7条西1丁目
建築年 昭和7(1932)年
指定等 
開館時 10:00~18:00 木曜日は13:30~18:00
休館日 水曜日、祝日の翌日
入館料 210円
 
 
 
 
 
 
道内の警察署として3番目(昭和7年)に建てられた旧岩見沢警察署を歴史的文化遺産として保存するとともに、松島正幸の絵画収蔵と常設展示および本市芸術文化振興のための新たな文化施設「岩見沢市絵画ホール・松島正幸記念館」として開館した。
 
戦前からこのような鉄筋コンクリートの建物が道内で、しかも地方都市で現存しているのは珍しく
建物の外観やロビー、天井、階段などに当時の様子を楽しむことができるとのこと。

訪問時は11月も末だったが裏手の紅葉が綺麗だった。
 
 
2020年11月撮影
 
 
 
 
 
 
 
「旧東浄水場水井」NO-146        
       
 
所在地 岩見沢市5条東16丁目 水明公園内
 
指定等 
開館時 無し
休館日 無し
入館料 無し
 
 
 
 
 
元々は東浄水場として長く使用されてきたが昭和46年12月で使命を終えた
その後、昭和58年に岩見沢開基100年事業として公園化され身近に建物を見ることが出来た。
 
六角形の赤い屋根と白い壁の着水井室は今も変わらぬ姿を市民に見せている。
 
 
2020年11月撮影
 
 
 
 
 
 
 
「岩見沢公園東屋」NO-147 旧牧病院住宅応接室        
       
 
所在地 岩見沢市志文町 岩見沢公園内
建築年 明治30(1897)年
指定等 
開館時 9:00~17:00(バラ園)
休館日 無し
入館料 無し
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
広大な岩見沢公園のバラ園の中に休憩所としてこの建物がある
かつては牧病院の応接室だったそうだ。
昭和62年に解体されたが平成4年に復元再建をされた。
 
茶色の軒パネルを白い縁取りで飾り、洋風の窓や照明などがお洒落である
訪問時期は11月末で冬じたくのため閉館ギリギリだった
それでもいくつかのバラが咲いていたのは嬉しかった。
 
 
2020年11月撮影
 
 
 
 
 
 
 
「辻村家住宅」NO-148        
       
 
所在地 岩見沢市志文町 
建築年 大正2(1913)年
指定等 
開館時 一般公開はしていません
 
 
 
 
 
 
豪雪地帯である岩見沢に2月に来たのは間違いであった
ご覧の通りの積雪で全貌はおろか洋館側の玄関を見ることも出来なかった。
 
和風側の玄関は綺麗に除雪されており関係者がされたものと思われる
御長女の辻村もと子さんが「馬追原野」などの作家として有名である。
 
出来れば秋にでも再訪してみたい建物だが、私有地と思われる奥まった場所にあるので
家人に断りが必要であろう。
 
 
2021年2月撮影
 
 
*地図は載せません
 
 
 
 
 
「国兼家住宅」NO-149 旧竹野家住宅        
       
 
所在地 岩見沢市北本町東1-1-7 
建築年 大正年間
指定等 岩見沢市有形文化財
開館時 一般公開はしていません
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大正時代に材木商であった竹野氏によって建てられた住宅。
材木商らしく秋田産の杉や檜を使用している。
 
その後、国兼氏に譲渡されたが国兼家には後に岩見沢市長と名誉市民になった人物がいる。
建物は市の有形文化財に登録された。

住宅は純和風建築で
特徴は内部、裏庭に面した和室に施された土縁付き縁側があること。
土縁とは、庭に面する場所に設けられる土足の縁側のことだそうだが、今までに見たことがなく
もし内部が見学できるなら見てみたいものだ。

裏庭は岩見沢発祥の地記念公園に面しており、四季折々の姿を堪能できそうです。
 
 
2020年11月撮影
 
 
 
 
 
 
 
「JR北海道岩見沢レールセンター」NO-150 旧北海道炭礦汽船鉄道㈱岩見沢工場材修場        
       
 
所在地 岩見沢市有明町中央 
建築年 明治32(1899)年
指定等 近代化産業遺産
開館時 一般公開はしていません
 
 
 
 
 
 
 
 
 
旧北海道炭礦汽船鉄道㈱は、その昔は石炭採掘と鉄道運輸を目的に設立された会社で、その後の明治39年に鉄道国営化の法案が成立し鉄道部門は買収された。
 
建物はL型平面のレンガ造りで、旧会社のマークである星型がはめ込まれている。
古さと重厚さを感じるこの建物は一般道路に面しており誰でも外側は見ることが出来、歴史の重みを実感できるだろう。
 
 
2020年10月撮影
 
 
 
 
 
 
<岩見沢市朝日地区>
 
「旧国鉄万字線朝日駅」 2021年2月撮影
 
 
撮影時は2月で雪が多く、旧駅舎のある公園まで入ることが出来なかった
塗装しなおした駅舎がとても綺麗なので今度は雪のない時期に来てみたい。
 
 
再訪 2021年7月撮影

今年の2月に訪問した時は積雪で近くに寄ることも出来なかったのでリベンジに

果たしてライトブルーで塗装された綺麗な駅舎だった
残念ながら内部は見れなかったが往時の写真だろうか、いろいろあったので見たいね

ホーム側には以前の電話ボックスがあり本体はもちろん無かった
それと角の窓がとてもお洒落だ

一帯は公園化しており池の中には大きな鯉がいてびっくりした
SLも常設展示しており鉄道の説明板や閉駅の碑もある。


大正8(1919)年開業  昭和60(1985)年廃止


 
 
<岩見沢市上志文地区>
 
「旧国鉄万字線上志文駅」 2021年7月撮影

 

旧万字線で朝日駅の隣駅で駅舎が残っていた
旧朝日駅のように公園化されているわけではなく、普通に通り過ぎてしまうだろう

駅舎の入口は隣家の敷地に隣接しており入ることは出来ない
廃止の碑があるが綺麗な廻りのお花はその隣家の方だろうか

ホーム側からは見ることが出来るが中には入れない
尚、ホームは少し離れた場所にあったらしい
ホームも線路も取り外したようだ。

すぐ裏にスキー場があり旧ロッジの造作が面白かったので撮影した。

大正3(1914)年開業  昭和60(1985)年廃止

 

 

 

<岩見沢市宝水地区>
 
「旧宝水小学校」 2021年7月撮影
 
かなり前に閉校したが木造体育館が残っていると聞いて行って見た
門はあるがプレートには「宝水会館」とある
いちおう車の轍があるが前に車を停めて徒歩で入る
 
最初の広場はおそらく校庭で、ここで体育や運動会とかしたのだろう
一段高くなった左手に体育館があったが校庭や敷地外からでは木々が多くて見えない
体育館の反対側の広場に校舎があったと思う
 
体育館はシャッターが新しく会館の機材とかがあるのかも
建物自体は痛みが目立ち、ガラスが割れている
中が見えたが床板が外されていた
ちなみに訪問時は雑草が腰まであり棘のある葉でチクチクと痛い思いをした
 
校庭の脇にある錆びたブランコの支柱だけが、ここが校庭ですよと証明しているようだ。


大正5(1916)年開校  昭和47(1972)年閉校

 

 

 


石狩市の建築探訪②

2021-05-09 00:01:46 | 石狩市

 

 

石狩の建築探訪③は市内各地で気になった建物を載せてみます。
大体の街や集落が石狩湾沿いにあるのが石狩市の特徴です。

 

書籍の「建築探訪」では、ほとんどが石狩川と石狩湾に挟まれた地域の建物で上記の地図の地域になります。
市街地の花川や新港地区では今のところ未確認なので見つけたら随時載せて行きます。

 

また場所柄、廃校が多いので近いうちに「木造校舎・廃校」でまとめます。

 

 

<石狩浜地区>

楽山居 旧石狩医院和室 上記地図の弁天歴史公園内にあった。存在自体も初めて知った。

 

旧高岡小学校体育館

旧学校の体育館を修復したものに見えるが確証ななし 校舎は完全に無かった。

 

旧美登位小学校

ちょっとした高台にあり、芸術関係の施設として転用されている 夏にもう一度行こう

 

石狩川側に2つ倉庫があった レンガと石造りである

「元林味噌醤油醸造所雑穀蔵」

 

「旧金谷商店蔵」

 

この木造の建物はスピーカー?があるようなので消防関係かな?

 

老舗かと思う醸造所

 

 

<古潭>

旧古潭小学校 この地域は廃校が多く、現存も多い ここは一時民間が転用しただけに綺麗なほうだ。

 

 

<厚田>

戸田生家 道の駅の坂を上ったところにある創価学会の重鎮の生家 内部も靴を脱いで見学が出来る

 

 

<濃昼>

旧濃昼小中学校 個人宅として利用されているようだ 桜が綺麗だったなぁ

 

 

<送毛>

旧尻苗小中学校 現在は宗教団体の道場として綺麗に修復された

 

 

<毘砂別>

札幌市青少年海の家

手稲山のオリンピックハウスと同じ設計者と聞いて見に行った
集落のもっとも山の手にあり坂を歩いて登って行ったが、残念ながら崩壊していた。
海側は原型を留めていたが、札幌からここに来て海で遊び泊まっていたんだな

 

六文カフェ

古民家が目立つ集落の中で一際目立つ綺麗な店舗兼ギャラリー
隣に窯があり焼き物を製作している
今はカフェは休業中かも知れない。

 

 

<浜益>

旧マルハチ醤油店

明治25(1892)年ころの建築と言われる 1階は木造の下見板張り、2階はモルタルで現在は住宅として使用
車道沿いに店名が良く見える特徴のある建物。

 

曹洞宗豊隆寺本堂

昭和27(1952)年建築 上記マルハチ醤油店の裏にあり。
なんと塗装の真っ最中であった たまたま休憩中だったのか誰もいなく撮影をしたが
塗っているところも見たかったなぁ

 

浄土宗大心寺本堂

明治24年に移築されたものだが元は元治元年(1864年)のもの。
浜益の中でも山側の建物 時期的に上は桜、下はカタクリやエンゴサクが咲き乱れすごく綺麗だった。

 

おそらく廃屋

大心寺へ向かう坂道の途中にあり嫌でも目に付く、この地では珍しい上げ下げ窓の家
残念ながら廃屋のようだ。

 

 

<幌>

旧幌中学校

幌中学校と北部小学校は隣に並んでおり閉校が一緒の珍しいケース
中学校は玄関が無くなっているが木造校舎が健在である
体育館への渡り廊下が崩壊していた。

旧北部小学校

こちらは鉄筋コンクリートの校舎になっている
総2階建てで地区にしては大きな学校だったと思う

 

 

<千代志別>

旧山口家記念館 現在は解体されました


千代志別は千代志別川沿いにわずかな集落があり、国道のトンネルを抜けたらすぐ右折をしないと
次のトンネルに入ってしまうくらいの狭い間口の集落だ。

その最奥部に場に似合わない立派な木造建築物がある
詳細は不明だが中は無料の記念館らしい
ただ玄関までの階段は外されているようだ 
窓が開けられているので近隣の住民が換気をしているのだろうか?

窓ガラスが割れていたり壁板が剥がれている箇所もあるが、高基礎のコンクリートだけは最近のもののように新しい
某有名道内住宅メーカー(旧)の創業者の所有?との説明もネットで見たが…

 

 

石狩市を北上して、全体的に木造の住宅を多く見た
潮風には木造の住宅がいいのだろうか?
廃屋も多く、倒壊してそのままの建物もいくつか見たのは集落ではやむを得ずなのだろう。

また廃校がそのまま利用なく放置されているのも同じことでしょう
有効利用されている校舎や体育館を見ると正直ほっとした。

もっと集落には見るべきものがありそうな気がする
時間の都合で市街地はほとんど回れなかったので機会とコロナ過が落ち着いたらかな


学校関係は次回から順次初めて行きます。

 


石狩市の建築探訪①

2021-05-06 08:49:13 | 石狩市

 

 

石狩市は平成8(1996)年に町から市に市制施工した比較的新しい市ではあるが町としての歴史は古い。

また平成17(2005)年に厚田村と浜益村を合併し日本海側を南北に長い市となる。

まずは「道央の建築探訪」に従い進めてから各区の気になる建物を紹介します。

 

 

「川内家住宅」NO-125 旧中島商店分家      
       
 
所在地 石狩市親船町9-1
建築年 明治末~大正初期
指定等
開館時 *現存していません
 
次に紹介する「中島家」の分家として建築されたもの。
石造りの店舗と木造の住宅からなる
瓦屋根にうだつもあり、同じ石狩湾都市の小樽にありそうな建物だった。
 
現在は一般住宅が建っている
 
 
 
「中島家土蔵」NO-126 旧中島商店土蔵      
       
 
所在地 石狩市本町3-2
建築年 明治初期
 
指定等 
開館時 *現存していません
 
中島商店は創業が明治初年とも言われている
この地にあった土蔵も創業当初のもののようだった。
 
現在は一般住宅が建っており、中島家の書画、骨董を展示している
私設資料館がある。(見学は、いきなり訪問は無理のようだ)
 
 
 
 
「旧長野商店店舗・倉庫」NO-127       
       
 
所在地 石狩市弁天町30-5
建築年 明治27(1894)
指定等 石狩市文化財
開館時 9:30~17:00
休館日 毎週火曜日(火曜日が祝日の場合は開館し、その翌日を休館)年末年始
入館料 300円(隣の資料館と共通)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
越後の長野氏が明治5(1872)年に移住し商売を初めたのが始まり。
石倉はその当時の建築と思われ窓枠のアーチなどが明治らしい
 
明治26(1893)年に大火があり木造店舗も焼失した
翌年に耐火構造で建築されたのが現在の店舗と言われている
表面を石造りにし、うだつを上げた姿は、まさに耐火構造と言える。
 
以前は親船町7番の角地にあったが、道路拡張のため平成19(2007)年3月に現在地に移築復原された。
建物は重厚に感じるが、看板類が新しすぎて多少の違和感あり。
 
 
2020年9月撮影
 
 
 
 
 
 
 
「石狩弁天社」NO-128       
       
 
所在地 石狩市弁天町22-8
建築年 文化13(1816)
指定等 石狩市文化財
開館時 無し
休館日 無し
入館料 無し
 
 
 
 
 
 
 
鮭の豊漁を願い、元禄7(1694)年に創建し
その後、文化13(1816)年に再建した。
以前は現在の八幡神社の場所にあったが、明治7(1874)年に現在地に移転。
 
中には入らなかったが見事な龍や獅子鼻の彫刻や江戸後期奉納の大絵馬額があるとのこと。
またすぐ奥には西国三十三箇所霊場の御堂がある。 
 
 
2020年9月撮影
 
 
 
 
 
 
 
「八幡神社本殿」NO-129       
       
 
所在地 石狩市弁天町1
建築年 明治21(1888)
指定等 
開館時 無し
休館日 無し
入館料 無し
 
 
 
 
 
 
石狩が幕府の直轄地になった後の安政5(1858)年に蝦夷総鎮守として建立された。
当初は八幡地区に建てられたが、石狩弁天社が移築したあとの敷地に移築された。
鳥居は元々、弁天社のもので文化年間のものである
本殿は明治21年に建立された。
 
たまたまかもだが、人がいなくて寂しいイメージだけが残った
ただ、歴史の成せる静かさかも知れないが。
 
 
2020年9月撮影
 
 
 
 
 
 
 
「金大亭」NO-130      
       
 
所在地 石狩市新町1
建築年 明治13(1880)
指定等 
開館時 11:00~21:00(LO19:00)
休館日 不定休
入館料 飲食店です
 
 
 
 
 
明治13(1880)年に新潟出身の女性が初めた料亭。
この「道央の建築探訪」が出版された時期(2004年)に女将さんは4代目だそうで、現在はどうか?
 
置屋としての雰囲気を残す座敷の構成で各部屋から坪庭が望める
玄関両脇には色ガラスが入った杯とひょうたん模様の下地窓がある
残念ながら訪問時は確認できなかった。
 
鮭料理の専門店で特に石狩鍋は古くからのファンが多い
 
場所は石狩の集落の端にあり、先へ行くと灯台と海岸に出会う。
 
 
2020年9月撮影
 
 
 
 
 
 
「戸田旅館」NO-131 旧佐藤家住宅       
       
 
所在地 石狩市厚田区厚田5
建築年 明治35(1902)
指定等 
開館時 旅館です 
 
 
 
 
戸田旅館はかつての厚田村にあり、唯一残る明治期の大規模民家である。
漁場経営で財をなした佐藤氏が母のために5年がかりで建てたという。
 
現在の戸田旅館の玄関は住宅時の裏口で、石造りの門柱が残る方が日常の玄関であった。
木造の下見板張りであった外装も綺麗に塗装された
改築までかは不明で内部は以前のままのような気がする。
食堂では土日限定のテイクアウトがあり、リーズナブルな価格で提供しているようです。
 
 
 
2021年5月撮影
 
 
 
 
 
 
 
 
「浜益村郷土資料館」NO-132 旧白鳥家番屋       
       
 
所在地 石狩市浜益区浜益8-5
建築年 明治32(1899)
指定等 石狩市指定文化財
開館時 10:00~16:00 6月2日から10月31日まで
休館日 毎週火曜日(祝日と重なる場合はその翌日)
入館料 300円
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
旧白鳥家番屋は、かつての浜益村浜益市街の北外れにあるニシン漁場の番屋である。
その最盛期には十数棟に上がる漁場施設があったとか。
ニシン漁が衰退し放置され崩壊寸前にあったが、村の開村100年事業として
3年がかりで解体復元したそうな。
昭和46年に浜益村の郷土資料館となり、村最初の指定文化財である。
 
内部の見学にはかなわなかったが、建物はよく管理されているようだ
横から展望台に行けるので上から眺めるのもいいだろう
目の前に海があり番屋の雰囲気を味わえた
次回、石狩湾を北上する時は内部見学をしたいものだ。
 
 
2021年5月撮影
 
 
 
 
 
 
 
 
「濃昼茶屋」NO-133 旧木村家住宅       
       
 
所在地 石狩市浜益区濃昼1-2
建築年 明治33(1900)
指定等 
開館時 *現在は閉店しています
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
濃昼(ごきびる)は厚田と浜益の境にある小さな集落で、やはりニシンの漁場であった。
この建物は木村家の漁場建築遺構である。
戦後まもなく漁場としての役目を終え、平成8年まで木村家の住宅として使用していた。
以前は母屋の隣に倉庫があったが取り壊されている。
 
玄関横の張り出した洋間が特徴的で中の意匠も良さそうです。
和の玄関と隙間少なく並ぶ姿はとても印象的。
窓の造作も洋風であり、普通の番屋とは一線を画すようだ。
 
平成11年にすし職人の方が購入し茶屋として営業したが現在は閉店しているようです。
残念ながら本に載っている写真より劣化が多くみられ崩壊の可能性もありそうだ。
直に見たい人には早めにをお勧めします。
 
 
2021年5月撮影
 
 
 
 
 
 

江別市の建築探訪②

2021-05-01 15:52:37 | 江別市

 

 

「岩田家住宅」NO-116      
       
 
所在地 江別市萩が丘17
建築年 大正5(1916)
指定等 
館時 一般公開はしていません
 
 
 
 
 
 
 
岩田醸造はJR江別駅のすぐそばにあり列車内からも見える味噌を醸造する会社です。
住宅は本宅であり和風住宅であるが洋風の南京下見板張りである
木々でよく見えないがベイウィンドウもあり細かな造作が邸内にも見られるようだ。

黒褐色で立派な堂々とした本宅と脇に印象的な蔵があるのが見える
後から本宅と棟続きにしたようだ
蔵の妻面には丸の中に平仮名の「の」一文字の屋号を持つ
 
 
2020年9月撮影
 
 
 
 
 
 
 
 
「旧岡田家住宅・倉庫」NO-117      
       
 
所在地 江別市2条1丁目5
建築年 昭和10(1935)
指定等 
館時 一般公開はしていません
 
 
 
 

うだつは隣家のもの
 
 
 
 
JR江別駅の北側はすぐそばに千歳川があり、石狩川の合流点が近い
ゆえに古くから開発され、倉庫は川側に面しているものが多い。
 
岡田家宅は穀物商で衆議院議員を務めた、故岡田伊太郎氏の事務所兼住宅であった。
主屋は道路面が印象的で2階には吹き抜けで天窓がしつらえている部屋もあるそうで洋間もあるとのこと。

倉庫は商品の収蔵庫として建てられた
妻面には四角い枠の中に「岡田」と縦書きで刻印されている。
 
 
現在の所有者は江別市であり「NPO法人やきもの21」が貸借して使用している。
 
2020年9月撮影
 
 
 
 
 
 
 
「旧大久保家倉庫」NO-118      
       
 
所在地 江別市2条1丁目2
建築年 大正11(1922)
指定等 
開館時 *現存していません
解体年 2020年
 
残念ながら訪問時は家屋の新築中で住宅から倉庫まで取り壊しが終わった後であった。
この倉庫も川に向かって建てられ妻面には丸の中に「大」の文字が白いタイルか小口レンガで描かれていた。
 
 
 
 
 
 
「JAZZハウス」NO-119 旧江別郵便局      
       
 
所在地 江別市2条2丁目7-1
建築年 大正11(1922)
指定等 
館時 一般公開はしていません
 
 
 
 
 
 
JR江別駅の北側から旧江別郵便局の前の道路は旧国道12号線であった。
かつては郵便局は正面中央に大階段とジャイアントオーダーがあり軒廻りに蛇腹装飾も見られた
昭和25年頃の道路拡張に伴い削り取られ現在の姿になったようである。

側面に残る軒蛇腹にわずかに当時の面影を見ることが出来る
レンガにツタの印象的な建物はしばらくの空き家のあと、ライブハウスのJAZZハウス、後に現在は演劇、喫茶、ギャラリーの「ドラマシアターども」が使用している。
 
 
2020年9月撮影
 
 
 
 
 
 
「OLD-e」NO-120 旧十二銀行江別支店      
       
 
所在地 江別市2条2丁目6
建築年 大正8(1919)
指定等 登録有形文化財
開館時 11:00~17:00
休館日 火曜日
入館料 飲食・雑貨店です
 
 
 
 
 
 
 
旧十二銀行の現在は北陸銀行である。
昭和18年から北陸銀行江別支店となり、昭和41年まで銀行として使用された。

土蔵造風の外観は、地方における銀行の支店建築に見られるものだそうで
内部には鉄製の建具があるらしい。

2階建てでそう大きな建物ではないが、大正から昭和の初めまで舟運の要衝として栄えた条丁目地区の歴史を物語る数少ない建物。
裏手に廻ると一部を取り壊したのが痕でわかる。
 
 
現在は「ビストロカフェ スープ」が営業しています。
 
 
2020年9月撮影
 
 
 
 
 
 
 
 
「筒井産業倉庫」NO-121 解体      
       
 
所在地 江別市3条1丁目12
建築年 大正期
指定等 
開館時 一般公開はしていません
 
 
 
 
 
 
千歳川沿いに建ち、川側にも入口がある
レンガの倉庫では珍しく妻面に柱が凸型で飛び出している。

修復の跡が生々しいが、100年は経過するレンガ具合が歴史を物語るように益々渋く見えるのが頼もしい。
 
 
2020年9月撮影
 
 
 
 
 
 
 
 
「町村農場第一牛舎・同居宅・同製酪室」NO-122       
       
 
所在地 江別市いずみ野25番地1
建築年 昭和4(1929)年
指定等 
開館時 10:00~17:00 4月29日~11月23日(公開期間中は原則休館日なし)
休館日 上記
入館料 無料
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
町村農場はかつて別の場所にあったが条件が悪く昭和3年に建物ごと移転した。
その際に一度解体され木材等を移動後に新築したのが現在残っている施設だそうです。
 
その後、平成4年に篠津に移転し江別市が現状施設を取得して、修復等をしながら「旧町村農場」として一般公開を始めた。
どの建物も修復と改築などで創建時とは変わったところが多いようだ。
 
住宅の屋内も見学用に改装したようだがペチカは現存しているし
高名な人が多い記念写真なども興味深い。
また石造りとレンガ造りのサイロが並んでいるのも珍しい。
 
市民や見学者の憩いの場としても利用できるので古き時代の牧場を味わってはいかがか。
 
*創業者、町村敬貴氏は後に参議院議員、江別名誉市民になった。
北海道知事であった町村金吾氏は実弟、国務大臣であった町村信孝氏は甥で町村家は政治家一族でもあった。
 
 
2020年10月撮影
 
 
 
 
 
 
 
以上で「江別市の建築探訪」記載分は終了だが、JR江別駅付近を探索していて気になった建物を載せて行きます。
 
*一般個人住宅で現在も家人が住んでいそうな家は写真のみにします
 
 
JR江別駅付近で旧国道12号線沿いに建っている「木村書店」
蔵と裏に繋がる住宅がいい感じ
 
 
 
旧岡田家と大久保家の間にある洋館 アトリエとして使われている「アートスペース外輪船」
 
 
 
レンガで建物の意匠が気になる「旧高橋歯科」
 
 
 
 
 
お隣の住宅 一部改装
 
 
 
 
「旧久木歯科」
 
 
 
 
好きな住宅 空き家かも?
 
 
 
 
タイル貼りの家 2台分のガレージはすごい
 
 
 
 
こちらはネイルサロン「Neoss」
 
 
 
 
立派な建物の「林商店」
 
 
 
 
 
増築と思われる大きな美容室と住宅 縦長の窓がオシャレ
 
 
 
 
大通りの角に立つ家 裏が複雑
 
 
 
 
 
飲み屋さんのビルは味がある 隣が幼稚園なのがちょっとだけ気になった
 
 
 
「日本カトリック江別教会」
 
 
 
 
撮影はすべて2020年9月でした。