カナディアンロッキーで暮らす

カナディアンロッキーで暮らす茶道とカルトナージュ愛好家の日々

5月になっても雪!

2024-05-03 04:49:00 | 出たっきり邦人・メールマガジン
#237

こんにちは、お元気ですか?
タイトルにしました「5月になっても雪」ですが、4月30日から3日間降り続きました。
幸い気温が0℃〜2℃くらいなので舗装された道路やハイウェイ上の雪はすぐ解けて問題
ありません。周囲の山はまたきれいな雪を被って美しい風景を見せています。
2週間ほど前には日当たりの良いトレイル脇で春告草のプレイリークロッカスの産毛に
包まれた可愛い蕾が沢山出ていましたが、この雪でどうなっているでしょう、明日は天気
が回復するらしいのでチェックに行ってみなくては。


前号は日本帰国直前に配信したので、少し日本でのお話をしますね。
2月のロッキーは暖かい日もありましたが、3月になってやっぱり日本で言う「寒の戻り」
みたいなのがあり、日本へ出発の日も−10℃くらいでした。
きっと日本は春めいているだろうな…と勝手な期待をしていたのですが、甘かったです。
ついた日の東京はなんとうっすら雪が積もっていました。
今回は夫はカナダでお留守番、ひとりで帰国したので横浜に住んでいる姉の家に寄って
から京都へ移動しました。

日本着は18:45、すっかり日も暮れてから横浜の家に着いたのですが、もう分厚いコート
は要らないと思い薄手のものを着ていったのが大きな間違いでした。
なんでも季節先取りの日本ですが、よく見ると皆さんまだ冬の装いに分厚いマフラーを
巻いて歩いているではありませんか!洋服選びに失敗した〜!と思っても時すでに遅し
でした。
翌日にでも何か暖かさそうな素材のマフラーを買って首周りだけでも暖かくすれば…と思
いあちこちお店を覗いてみましたが、どこもすっかり春物になっていて薄いスカーフや
ストールしか見つかりませんでした。

東京も寒ければ、京都も然り、4週間借りた友人所有のゲストハウスも古い家屋で2階に
ベッドルームが3部屋もある一軒家なので、私ひとりで過ごすには広過ぎて余計に寒さを
感じました。京都に着いた翌日も寒さは緩まず、仕方なく風を通さない素材のトレンチ
コート(春色のベージュにしました)をZARAで見つけて購入、でも暖かい素材のマフラー
はあちこち探しても見つからず、ユニクロのヒートテック素材のハイネックプルオーバー
が大活躍でした。

そんなわけで、昨年は3月20日にはもう桜が咲き始めていたと言うのに、今年は25日に
なってもゲストハウスから程近い哲学の道沿いの桜は蕾がやっと大きくなってきたくらい
で、このままだと満開になる前にカナダ帰国となってしまうのではと心配になりました。
救いだったのは堀川通で「河津桜」が咲いていると聞いたので行ってみると濃いピンクの桜
がたった一本でしたがすでに満開!嬉しくて何枚も写真を撮りカナダにいる夫に送りました。
河津桜は鴨川沿いにも数本あってバスに乗っていても確認できたのでとても嬉しい気分に
なりました。




日本行きの目的は昨秋の帰国中に人工股関節のオペをした脚の経過受診、オペのため遅れた
歯のインプラント治療の続き、胃と大腸の内視鏡検査、などであって「桜」ではなかったの
ですが…実は私の中での本命は「満開の桜」を観る!だったのです。
前回春に帰国したのは2018年でしたから、6年ぶりの日本の桜をとっても楽しみにしてい
ました。バンクーバーやオレゴン州ポートランドでも綺麗な桜を観ていましたが、京都で
見る桜は何処で見る桜よりも私を癒してくれるような気がします。

結局今年の京都の桜はカナダ帰国日の4月5日には満開にはならずでしたが、ほぼ8部咲き
にはなってくれたので最後の日は早起きして哲学の道から南禅寺まで歩いてゆっくりお花見
をしました。

今回はなんとか時差ボケを早めに克服できたのは幸いでした。秋はカナダに帰ってから平常
な生活に戻るまでかなり時間がかかるような気がします。春は今の時点で夕暮れが21時ごろ
夜明けも早くなっていますが、冬は16時時過ぎるともう暗くなるし朝も明るくなるのが9時
ごろですから、体調が平常に戻るのが遅いのは日照時間のせいもあるのかも知れません。

スキーをしていた頃は冬のロッキー暮らしもそんなに苦に感じることはなかったのに、今は
1、2月の極寒の頃にちょっと暖かいところへエスケープしたい、と思うようになりました。
でも、夏のロッキーは山火事の煙害さえなければ、やはり最高に暮らしやすいところですね。

今年もコミュニティガーデンのメンバーになりました。夏に向かってそろそろ種植の時期なの
ですが、里雪のために作業が少し遅れています。ゴルフコースも週末からオープンの予定で
したが、これもまた少し遅れるとニュースレターが届きました。

昨年4−5月、友達とひと月ロッキーにやってきてバケーションコンド暮らしを体験した姉が
今年は5−6月ひとりでやって来ることになりました。今回は我が家に逗留するので一緒に
あちこち出かけようとただいまプラン中です。日本は今ゴールデンウイークの後半ですね!

ではまた次号で!お元気でお過ごしください。

カナダで茶道を愉しむ 

2024-03-08 04:58:00 | 出たっきり邦人・メールマガジン

No.236

        
こんにちは、お元気ですか?
カナディアンロッキーは2月上旬~中旬にかけて一時的に暖かく(といっても0℃前後)
になったのですが下旬になりまた寒波がやって参りました。
朝から0℃で太陽が出たら日中は+5~10℃、そうなるともうジャケットは必要なく
中には半袖で外を歩いている人さえいました。
もうそろそろ春の兆し?と思っていたら、ロッキー、そう甘くはありませんでした。
最近のお天気予報は的中率が高くなったのでほぼ予測はできていましたが、税金申告で
カルガリーに出かけた週末、帰りに吹雪始めホワイトアウト(雪が降り前が見えなくなる)
現象が起きて、夫は緊張してハンドルを握っていました。
一週間続いた寒波、朝夜は-20℃、調理後早く凍らせたいものはまだ暖かいものでも
デッキに放り出しておけば1時間内に完璧に凍るのでそれからフリーザーに入れています。

何度も話していると思いますが、ロッキーの家は殆どがセントラルヒーティング(これっ
て今や死語?)なので、家中が常に22-23℃に設定され暖かいのは良いのですがお肌が
乾燥しがち&よく喉が渇きます。
我が家では真冬も冷たい「麦茶」を常備していますが、煮出すタイプのお茶なので熱々の
ボトルをデッキに出し、うっかり2時間くらい忘れているともうカチカチに凍ってしまう
のでまた室内で溶かして冷蔵庫へ…といった感じです。

いつもなら1月中に催す「初釜」、本年は私の新しい股関節の馴染みがちょっと遅れたので
2月にはいってからとなりましたが、いつものシニアメンバー+前日日本から帰ったばかり
のお弟子さん1名も加わり、宗順先生は大忙しでしたが、楽しいひと時を過ごしていただけ
たようで、まさしく「亭主七部、客三部の喜び」を味合わせて頂きました。
今年は大徳寺縁高弁当に、初釜らしい紅白なますや黒豆、ごぼうの牛肉まき、蛸のなます
など、全て手作りしたものだったので喜んでいただけました。材料の多くは現地(カルガリー
に出かけて調達ですが)で揃えることができるようになったので、段々日本から持ち帰る物
が減ってきました。



そうはいうものの、クオリティを求めると、やはり帰国の際日本から持ち帰りたいものは
色々あって、23kgのラゲージ2個に詰め込むための選択は難しいのです。
食品だけではなく日本から持ち帰りたいものは衣類や生活用品もあります。
昨年夏、カルガリーにも大型ショッピングモールにUNIQLOがオープンしました。これで
いつでも普段着が買えるなぁ~と喜んで出かけてみてびっくり!価格が日本の2倍くらいに
設定されているので、これはやっぱり帰国した時に買わなきゃ…となりました。

日本でも今やポピュラーになったCOSTCO、夫と2人暮らしですが、かなり利用しています。
キャンモアからドライブで1時間15分ほどかかる為、2-3週間に1度しかカルガリーに買い
出しに出かけられないので、量が多くても消費できますし、生鮮食料品はご近所と半分づつ
にすることもできるので、お互いに出かける時は声を掛け合って買い出しに行くのが当り前
になってきました。

日本のCOSTCOに行く機会があり、ちょっと(いえ、大いに!)感動しました。私が買い
たいものの殆どがビッグサイズで売られていたからです。焼肉のタレ、抹茶デザートの素
夫の好物の柿の種、年一回の帰国者には本当に有難い!

昨年秋の帰国で人口股関節になったことはすでにお伝えしていますが、今回はオペ後3ヶ月の
検診と、歯科のインプラント治療、そして3月28日に長年の茶友が喜寿祝いの茶会を大徳寺
で催すこととなり、水屋のお手伝いをするという目的もあるのです。お互いにまだ30代の若
かれし頃から同じ先生に師事して以来長らく「茶道」を学び、嗜み、50代になって教授者と
して後進を指導するという立場も同じであったので、カナダに移住後も帰国するたびに彼女
の家の茶室で相伝もの(点前に関する教本やビデオなどがなく先生から直接指導を受けて習得
する上級点前)のお稽古をさせてもらっています。

京都での茶道の稽古は地方に比べ茶道三千家の家元がおられる土地柄、大変厳しく、表千家
茶道の指導をする先生方の多くは三八(サンパチ)稽古、毎月3と8のつく日に家元で行われ
る厳しい稽古を受け研鑽を積んでいます。裏千家の家元のお稽古は4と9に行われていると
聞いています。私は18年前に移住して以来、厳しい稽古から身を引いて、カナダでは親しく
なったシニアの友人たちを時折招いて「茶の湯のお楽しみ会」を催し、ほぼほぼ自己満足の
世界に浸っています。



和服を着て京都の茶友の茶室で、昔身につけた点前のお稽古をするときは、心地よい緊張と
静寂の中で無心になり一碗のお茶を点てる、カナダでは味わえない贅沢な時間を楽しませて
もらっています。カナダの自宅で茶の湯の指導をするときも必ず和服を着ています。
そうすることで自分も日常から気持ちを切り替えることができるし、お稽古に来る側として
も先生が身をただして迎えてくれることで「非日常的なひと時」を味わって帰っていただける
のではと思って続けています。
季節の和菓子も茶道稽古の中で大事な役目をしてくれるので、カルガリー在住の友人が美味
しい手作りの生菓子を提供してくれることを心から感謝しています。

実は今バンクーバー空港で日本行きのフライト待ちをしています。国内線が早めに到着した
ので十分な待ち時間があり、いつもならクレジットカードで利用できるラウンジに入るの
ですが、フリーパス4回分を前回の日本行きで夫と共に使い果たしている為、ゲート付近で
無料のWi-Fiが使えるソファー席を見つけて、そこでスタバのコーヒーを飲みながら3月15日
配信予定の「出たっきり邦人」の原稿書きをしています。
そろそろボーディンタイムが近づいたので、この辺で一旦終了します。


日本に到着したらすぐに予約配信をするつもりが、あれこれ所用に追われ、気づけば1日遅れ
の配信となってしまいました。
京都に落ち着きましたが、滞在中の家の周辺(哲学の道近く)の桜の蕾はまだまだ固いまま。
ここ数年3月末には満開になっていたのですが、今春の満開は少し遅れるかもしれませんね。

また次号で、お目にかかりましょう、お元気でお過ごしください。
Canadian Rocky@Junkoでした。

2024 始まりました

2024-01-26 20:00:00 | 出たっきり邦人・メールマガジン
        
No.235

みなさま、新年明けましておめでとうございます。
元旦に起きた能登半島地震、続いて羽田空港の航空機事故と年明け早々の大惨事に遠方の
地にいる身では細やかな金銭支援以外にできる事もなく心痛める日々を過ごしています。
被災された方々へ温かい支援が早く行き届きますように…。

約2ヶ月の日本在在を経て12月8日に帰国。年末まで-10℃以下になる日は少なく暖冬でし
たが、1月10日からやっぱりやってきました-30°C!最低気温-37℃と表示される夜もあり
ほぼ1週間は「家にお籠もり」の日々でした。

クリスマスイブにVictoriaから孫のSorataが帰省。長らく夫婦2人だけの年末年始を過ごし
ていたので3人暮らしは久しぶり。食事も2食で済ませていたのが朝昼晩作るようになり
一日中何かしら食べることを考える日々でした。驚いたのは彼は両耳にピアスを装着、左
の二つが化膿?しているみたいで、私は毎日その手当てもして10日後帰る頃にはなんとか
傷も癒えてきたので一安心。みんなやってるからという理由だったけれど、最初のピアス
は昨夏日本帰国中に父親に穴を開けて貰ったと聞いて「あらまっ!」そういえば彼の父親
も大学生の間は金髪&ピアス君でした。

20歳の食べっぷりはすごい!朝ごはん8時に食べても10時半ごろには
「お腹すいた~、なんか食べるものない?」
年子の男の子2人育てた経験ありの私ですがすっかり昔のことを忘れていました。
お米のなくなるスピードがめちゃめちゃ早かったのは覚えています。

日頃は自炊で週末に1週間分作って、ほぼ同じメニューで過ごすと聞いたので我家にいる間
は好きな物を食べさせたいと「今日は何食べたい?」と聞きました。
「じゅんばーのコロッケ」は上位に出てきて、これは息子が来た時と一緒でした。
楽しい3人暮らしはあっという間に終わり、SorataはまたVictoriaに戻っていきました。
一緒に過ごすのは去年6月末以来でしたが、すっかり大人びて(20歳になったんだし当前
だけど)ちゃんと目を見て話せるようなって、率先してお手伝いもしてくれる「役立つヤツ」
に変身していました。

Victoriaのステイ先は以前のホームステイ先のママのお母さん95歳のお家です。
同じ敷地内に長女が住んでいるのですがおばあさまは別棟に一人暮らし、Sorataはそこへ
おばあさまの夜の見守り役として無料で住まわせて貰っているのです。
2階の広い勉強部屋に専用バスルームとキッチン付き、を使わせてもらう厚遇を受けています。

おばあさまはとてもお元気で一人暮らしを望んでいらっしゃるため、日中はほぼ毎日朝から
夕方までヘルパーさんや身内の方々がお世話に来ているのですが、夜間はおばあさまひとり
になり、転倒や急に助けが必要になった時のために、Sorataは寝るときだけ彼女のすぐ隣の
部屋に降りて寝ています。

一度だけいつも朝早いおばあさまがキッチンにいないので様子を見に行ったら部屋で転んで
起きられなくなっていたので、すぐ起こしてあげて怪我もなさそうだったので近くに住む娘
さんに知らせて事なきを得たそうです。

一瞬911に電話しなきゃ!とドキドキしたのとその後学校に遅れそうになって急いで自転車
に乗ってバス停に向かうときにカーブでスピード制御できず転倒、顔面の半分を擦りむいて
怪我したと、ママに自撮りの画像を送って、それをママから私に…かなり腫れてて可哀そう
でしたが、大事にならずホントによかった!!

その後、家族揃ってのクリスマスパーティがあり、Sorataはおばあさまから
「いつも傍にいてくれてありがとう」と現金で100ドルのギフトを頂いたそうです。
おばあさまはヘルパーさんたちにも同じようにプレゼントをあげていたそうです。
私も年取っても元気だったら一人暮らしをしたい、と思っているのですが、みんなに見守って
もらえるようなチャーミング&少々は蓄えのある年寄りでいたい、と思います。

近況としては
寒波が去って少しづつ気温が上がってきたので、バンフの友人の誘いがあり「鍋パ」に参加。
シニアの友人カップル4組がバンフの公園にある屋外シェルターに集い薪ストーブで暖を取り
ながら、それぞれ調理した食材を持ち寄りストーブの上のお鍋に加えて温めていただくという
スタイルで楽しみました。


話題は「孫」。2月末にイギリスで初産を迎える娘さんのところへお手伝いに行くと言う
カップルに経験者の2カップルが色々とアドヴァイス。トロントとケベックでお産のお手伝い
経験をされた「じいじとばあば」のお話はかなり参考になることが多かったようです。

思い起こせば、息子2人の私も12年前にSorataの妹が生まれるときにお嫁ちゃんからお手伝
いを頼まれ帰国。
ちょうど福島の原発事故直後で帰国も危ぶまれましたがなんとか予定通り成田空港に到着
その時の異様な光景をいまだに忘れることはできません。
カナダからのフライトは300人以上乗れる機材に僅か30名いるかいないか。

東北大震災が起きてまだ3週間もたたない頃でした。成田上空に近づき機材が硬度を下げ始め
窓から見えた海を覆い尽くした漂流物!を見て背筋がぞ~っとしました、空港内の通路は
照明が半分以上消えていて薄暗く、到着フライトもあまりないのか入国審査場には人がほとん
どいない、今までに見たこともない閑散とした光景に起こった災害の大きさと影響を怖いほど
認識した瞬間でした。

Sorataのママは予定日から2日後、無事元気な女の子を産み、私はママが入院中の1週間
小2になったばかりのSorataの面倒を見て過ごしました。プールの送迎やご飯作り宿題の
お手伝い?
『宿題が終わらないとママの病院へ連れて来ちゃダメ』とママから言われていたので早く行き
たくて「じゅんばー嫌い」と泣きながら宿題に向かっていたSorataのことを懐かしく思い出
しました。

その時の孫も今春には中学生。数日前に私立中学の合格発表がありました。
私のカナダ暮らしはゆっくり過ぎている気がしますが、周囲はどんどん変化して行き、その
スピードに追いついていない自分がいます。
昨秋はマカオにいる長男家族に4年振りに会うことができました。コロナ前‘19秋に会って以来
だったので、孫のKafuがママの身長を越してもうすぐ私も追い越しされそうに大きくなって
いたのにびっくり。
会えなかった4年間って本当に長かったんだ!と思い知らされました。

4年前Kafuはまだ広東語で話したことをママが英語で私に伝えてくれていたのに、今回は英語
で直接コミュニケーションが取れるようになっていた喜びはなんとも大きいことでした。
Kafuと同い年の京都の孫Yuzuも毎日30分ネットで英会話の先生と話しています。
将来は3人の孫達が共通の言語「英語」で「カナダのじいじやばあば」の思い出話をしてくれる
のではないかと密かに思いを馳せています。

前回お話しした新しい股関節、正直言って違和感なく歩けるには至っていませんが杖は必要なく
雪道を転倒防止のアイゼンをつけた靴で歩いています。ゴルフシーズンが始まる4月末くらい
にはすっかり違和感もなくなり自分の脚として馴染んでいる事と思います。
帰国してすぐに「parking permit for people with disabilities」のカードをもらい車のフロント
に表示するとお買い物の時など一番お店に近い駐車スペースに停められるので、認定期間は
6ヶ月ですが雪がある季節の間は大変助かりです!

2024年、コロナから抜け出した途端にオーバーツーリズムといわれる日本ですが、さてどんな
風になって行くのでしょう。古巣の京都へ、また3月に短期間ですが帰る予定があり、しばらく
振りに日本で桜を見ることを楽しみにしています。

また次号で、お目にかかりましょう、お元気でお過ごしください。


2023 日本滞在記No.2

2023-12-08 12:46:00 | 出たっきり邦人・メールマガジン
No.234

みなさま、こんにちは。

この記事は12月8日配信ですが、ちょうどカナダ帰国と重なるので11月26日まで
の様子を投稿することにしました。

京都、やっと朝晩例年通り冷え込んできたので紅葉が一気に進んでいます。
実は私、今とある病院の整形外科病棟に入院中です。
今回はここに至る経緯やカナダと日本の医療システムの違いなどお伝えしたいと思
います。

今春くらいから右の股関節に軽い痛みを感じるようになっていたのにも関わらず
今夏は普段通りゴルフも楽しみましたが、自分の判断でハーフラウンドは「歩き」
18ホールの場合は「パワーカートを使う」と決めていました。

自覚症状としては右側だけですが、自分で靴下が履けなくなった、足の爪が切れなく
なった、しゃがみ込む動作が出来なくなった、長く歩いていると股関節に鈍い痛みを
感じる、などなど、じわじわでてきて…
両側に人工股関節置換手術を受けた茶友がいて、彼女に何度か電話して色々教えて
もらい、股関節専門の先生を紹介していただけるように手配もしてもらっていました。

カナダの医療については以前も触れさせていただきましたが、最近の日本と一緒で
専門医の受診は家庭医からの紹介書と予約が必要です。急を要さない状態であれば
MRI、CTスキャンなど、高度な医療機器を使った診断の予約待ちが半端なく長い
のが問題です。その点、日本は家庭医からの紹介も精密医療機器での診断もかなり
スピーディーにことが運び、カナダのように半年とか一年先などと、予約したことも
忘れてしまうくらい待たされることなどあり得ません。ただし生死に関わる場合は
ヘリで設備の整った病院へ搬送してくれるのも無料ということもありですから一概に
システムの優劣はつけ難いところがあります。

この程度の痛みなら手術はまだ数年先、とか言われるのかも、と思いながら股関節の
専門医を受診したのが10月31日。ですがMRI画像を見た医師はその場で「右股関節
いつ人工関節に変えてもいい状態になってますね」とサラリと言ってのけました。
あとは私の返答次第。来年に先延ばしもできますが痛みは増すばかりで良くなること
は決してないと聞き、覚悟を決め「滞在期間中に手術とリハビリができるのであれば
宜しくお願い致します」という事になりました。

11、12月の先生のスケジュールは午後ほとんど毎日オペで空白がないような状況で
した。それでも私の帰国日を考慮してオペは20日、入院は19日ということに決まり
ました。

そこから、毎年帰国の度に購入している1週間乗り放題できるJR Passを早く使って
しまおう!と翌日から無計画に出かける事になり、1日目は名古屋の徳川美術館へ。
2日目は金沢に出かけお気に入りのお店で「お寿司」を食べた後、私は県立美術館へ
夫は撮影に。3、4日目、私はちょっと体調が悪くなり、風邪でも引いたらた手術
出来なくなるのでゲストハウスで休憩。元気な夫はカメラを持って早朝から四国
方面へ日帰りで2日間お出掛け。

5日目、元気を取り戻した私の希望で「長崎」まで1泊2日で遠出しました。
中学の修学旅行で一度訪れていた長崎ですが、ほとんど記憶になくて、特に行って
見たい!という目的もありませんでしたが一つだけ「美味しいカステラが食べたい!」
がありました。

九州新幹線「さくら」と長崎新幹線「つばめ」を乗り継いで4時間足らずで到着しま
した。まだ路面電車が活躍していて駅からホテルまで利用しました。長崎の印象は
海と山が迫り神戸を小さくしたような感じの街でした。
いつもならガイドブックで先に学習して出かけますが、今回のように調べもしないで
急に出かけると、ホテルに着いてから駅の観光案内所で貰った地図や案内パンフレッ
トなど広げてみた次第です。

幸い、お部屋が19階で眺望もよく大変居心地が良かったし、夫はすでに4日間出ずっ
ぱりで疲れていたのでしょう、気持ちよくお昼寝してしまって…起き出したのがもう
薄暗くなる頃でした。さあどこで食事をしようか、慌ててネットで見つけたのが江戸
街にある中華料理店でした。歩いて5分内だったので即決定!小さなお店でしたが
10分ほど待って直ぐに座れ食べログで高評価の料理を3つ注文。3種盛りの前菜は
ボリュームがあり評判どおり美味しくて大満足でした!


ホテルへ帰る途中、ど~ん、ど~ん、という音に驚いて空を見上げると綺麗な花火が
上がっているではありませんか!後で分かったのですが11/4、5と「Lovefes2023」
 秋の夜空の大花火大会が開催されていたのです。約30分、何発もの大型花火が連続
で打ち上げられ、長らく日本の華麗な大玉花火を観る機会がなかった夫と私は最後ま
で出島に近い川べりから見惚れていました。


花火を見た感動と余韻の中、ホテルに戻り、最上階22階の大浴場へ。これがこのホテル
を選んだ決め手だったので、夫婦(男女別ですが)でまったりと広々とした湯船に浸かり
露天風呂から長崎の夜景を眺め「あ~、これだけでも日本の旅気分を味わえるわぁ~」
と大満足でした。無論朝風呂も楽しみ食事つきプランだったので21階のこれまた眺望
の良いレストランでバフェスタイルの朝食をゆっくりといただき、またほっこり。

お部屋プランがシニア特典「朝食&レイトチェックアウト付き」だったので慌てること
もなく目的の長崎にしか店舗がない老舗のカステラ店へ出掛けました。歩いて15分位で
開店時間の10分前に到着したのですが、なんと早10人くらい並んでいるではありま
せんか!でも開店後は順調に進み、すぐに順番がきて、冷凍もできるので4箱ほど購入
することができました。


カステラを買ってホテルに戻る途中から雨が降り出し、あっという間に本降りになった
ので長崎市内観光は次の機会にしましょうとあっさり諦めて12時にチェックアウトして
そのまま路面電車で長崎駅へ。また「つばめ」と「リレーつばめ」「さくら」と乗り継
いで京都に戻りました。
そしてJR Pass7日目。また夫と別行動、彼は姫路へお城の撮影に、私は旧友と会うため
上京。行きは雲に隠れて見えなかった富士山、帰りはクッキリ姿を現してくれましたが
久々頂上付近に雪がありませんでした!

話は股関節の手術に戻ります。手術前日の午後入院、夜の食事は提供され、その後9時
から翌朝10時までは水分OK、その後はお水も飲めず…。翌日午後2時半に手術開始。
手術室までは看護師さんと歩いて行き、手術台にも自分で上がって横たわりました。
左手に点滴右手は血圧計、おでこには麻酔の効き具合が数値で表示される器具が貼り付
けられ、酸素マスクを付け終わったらす~と記憶がなくなり…

NZの茶友から届いたお花💕

名前を呼ばれて一旦覚醒し、私の顔を覗き込みながら執刀医の「無事終わりましたよ!」
という声を聞き「ありがとうございました」といった記憶はありますが、次に気づいたら
もう病室に戻っていました。それから翌日までの長い一夜は結構点滴や導尿といった管を
つけられ不快そのもので眠りも浅めでしたが、翌日午前中には導尿がはずれそこからもう
車椅子でトイレに行けるようになりました。


3日目から点滴のチューブが外れ、車椅子で自由に動けるようになり、4日目の午後から
は歩行器を使っての移動も許可され、今は6日目ですがすでに片杖を使って歩いています。
右脚は左に比べるとまだずいぶん腫れていますが左右の脚に均等に100%体重をかけて良い
のでかなりのスピードで回復できている実感があります。この調子なら通常2~3週間入院
のところもっと早く退院も可能かと密かに期待しているところです。

カナダの場合、人工股関節置換手術は一泊入院です。家で寝ていても病院で寝ていても回復
速度は殆ど変わらない?!いえいえ、術後の経過を体験すると丸2.5日の抗生物質や痛み止
めの投与がなければ相当苦しいのではと実感します。
在宅でもリハビリはフィジオセラピストが毎日訪問という形で可能ですが、周囲に家族が
いてくれるのも心強いけれど、術後の経過に関する専門の知識がないので、やはり患者自身
は不安なのではないかと思います。

そして大きな違い。日本では執刀医はたいてい外来で術前も患者と何度も接しているので
徐々に信頼関係が生まれ、術後も毎日病室を訪れ経過を見て縫合部位の消毒などしていただ
ける、なんて手厚いんだろう!と、感激です。日本の先生方は非常に忙しい、いえ、忙し過
ぎる、と感じながら、心から感謝しています。


次回の配信日は御影ですが、2024年1月の予定です。
みなさま、どうぞ良き新年をお迎えください。


今は日本(京都)のCanadian Rocky@Junkoでした。

Macauから日本へ

2023-11-19 21:15:00 | 出たっきり邦人・メールマガジン

No.233

こんにちは。
今回の記事は日本からお届けしています。
昨年もほぼ同時期に帰国したのですが、今回は先にマカオ在住の長男家族と会って数日を過ごしてから日本に到着しました。
コロナの規制で4年ぶりに会えた孫は小2から小6になっていました!

カナダのカルガリー空港からバンクーバーに飛んだのですが、前日WEBチェックインを済ませていたので空港では受託手荷物
のタグをプリントアウトするだけで、セキュリティチェックもそれほど混雑しておらず、順調にゲートに行くことができました。
バンクーバーにも定刻着、乗り継ぎの関西空港行きフライトまで3時間近くあったのでラウンジで軽食をとりながら時間を潰しました。
最近日本行きはANAかJALを利用していたのですが、今回久しぶりにエアカナダで飛びました。理由は、単に運賃が一番リーズナブル
だったと言うことでしたが、受託手荷物は1つのみ無料。カナダ帰国時はどうしても荷物が増えるので追加料金$100は覚悟の上です。

昨秋も日本に帰国していますが、マカオはまだ海外からの旅行者を受け入れておらず、でもマカオ居民や在住外国人は海外へ出る事は
可能でした。ですが帰国時に2週間の隔離義務が課されていたため、ほとんどの人はマカオから海外へ出かけていませんでした。
それどころか1時間内でいける香港へすら出かけていなかったようです。
マカオも現在は全てが平常に戻り、以前にも増して韓国や中国本土からの観光客が増加しどこもコロナ前と同じか、さらに混雑していました。

今回関西空港到着が夕方で、最終目的地の香港へのフライトが翌朝だったため、空港近くのホテルで一泊しなければなりませんでした。
ホテル泊は問題なく、翌朝空港ターミナルへ余裕を持って出かけたのですが、最も驚いたのは、セキュリティチェック待ちの行列が何重
にも折れ曲がって、ものすごく長くなっていることでした。今までかなりの海外旅行経験をしていますが、こんなに長い列を見たのは初めて
でした。セキュリティチェックする空港職員の人手不足?旅行者の急激な増加?
原因はわかりませんが、出国手続きまで1時間以上かかった経験はありませんでした。

関西空港から香港はキャセイ航空でした。機材も新しく機内食もまあまあ。快適な4時の空の旅を終え、香港に到着。香港とマカオを
結ぶ「橋」が数年前に完成したので、息子夫婦が迎えに来てくれて、フェリーに乗らずに車でマカオへ移動しました。香港空港から
橋に出るところで一度チェックポイントがあります。下車しなくても車に乗ったままパスポートを見せれば通過出来ました。橋を走っている
間は「中国」ということで右側交通香港とマカオはイギリスとポルトガル統治の名残があり、左側通行。橋の前後で左右通行が切替わる
ので慣れないとドライブはちょっと面倒だと息子は話していました。



橋脚は海の真中に建っていて、2車線ですが交通量も少ないためドライブはとても快適30分ほどでマカオの国境に到着。そこでは海外から
の旅行者も一旦荷物を持って入国審査場へ向かいます。自家用車のマカオ居民、永住権保持者も一旦降りるそうですが入境手続きはとても
簡単なのだそうです。息子は永住権があるので車を別のところへ止めて入国審査場へ。今回はお嫁ちゃんが私と一緒に降りて案内してくれ
たので迷うことなく入境はスムーズでした。

帰りも香港まで車で送ってくれたのですが、マカオ出国の外国人は一旦下車して出国手続きが必要でした。居民の出国はIDを見せるだけで
簡単なのだそうです。荷物を持ってVISITORのラインに並び、パスポートに出国印を押してもらって、先に手続きを終えた息子の車に
戻って橋を渡りました。でも香港入境は車に乗ったままパスポートを見せるだけで通過出来ました。マカオの出入がもっと簡単になれば
橋の利用も増えると思いますが、フェリーも減便になってはいても運行していて、暫くは両方の手段での入境が続くようです。

さて、コロナの影響で4年振りとなった孫との再会、小学2年生だった彼は今6年生。身長もグンと伸びて小柄なママを追い越していました。
空手のクラスを続けていて、今度は黒帯にチャレンジするそうで、華奢だった体もすごく逞しくなっていました。何より嬉しかったことは
英語で授業をするカトリック系の学校なので今回孫とは英語で会話ができました!4年前はまだ広東語でママの通訳が必要だったのに、今回
はひとりでホテルを訪ねてくれてラウンジで一緒に食事をしたり、プールに泳ぎに来てくれたり、彼と触れ合う時間が増えてとても嬉しい
バァバでした。



コタイ(新市街)にあるマリトット系のホテルに4泊しました。息子が仕事の関係でよく利用するらしく、お部屋は最上階の眺めの良い
お部屋にアップグレードされ、マーケティングマネージャーからメッセージとWelcome サービスで果物やスイーツが用意されていました。                                                                                                   
クラブラウンジで、朝食・アフタヌーンティー・カクテルタイムと呼んでいますがディナーと言える十分な料理とお酒やデザートが用意されて
います。そのほかの時間もラウンジはいつでも冷めたい&温かい飲み物とスナックが用意されていてホテル直結のGalaxcy  Resortsのショッピ
ングモールを見て歩いた後など、ラウンジで冷たい飲み物をいただいてお部屋に帰り、少しお昼寝…という、カナダでも日本でも味わえない
優雅で贅沢な時間を過ごしました。


マカオへ行くようになってもう13、4年経ちますが、旧市街はあまり変わらないのに比べ、新市街の発展ぶりには目を見張るものが
あります。新しいホテルがどんどん建ちそれらはリゾート開発グループごとにブリッジでどんどん繋がれていきます。最近出来た
サンズグループの最新ホテルRondonerはParisianというホテルの真ん前にできました。
Big Benと呼ばれる有名なイギリスの時計台を模した大型ホテルとショッピングモール道路を挟んで向いには1/2サイズのエッフェル塔
と巨大ホテル&ショッピングモールが建ち、そこと繋がるのはベネチアの運河が流れるショッピングプロムナードと巨大ホテルという
マカオならではの摩訶不思議な世界が広がっています。ちなみに私は泊まったGalaxcy グループの6つのホテル郡は約7万5,000平方
メートルという広大な敷地面積をもち、プールの広さは世界一だそうです。

次回は日本滞在のあれこれを、お伝えすることになります。
数日前から京都に滞在していますが、周囲の社寺仏閣のお庭はまだまだ青紅葉。哲学の道に近いところに滞在中なので市バスに乗ると
海外からのツーリッストで混み合っています。もうすっかり元の京都の賑わいに戻っています。

ではまた来月。