3月で、単身赴任を終えることとなった。
4月1日付で自宅のある郡山市に異動。今春から小学4年生になる息子と、妻と、また一緒に暮らせる。
ただ、ただ、感謝。
◇
22日の金曜日に郡山の職場の歓送迎会があり、続く土日は休めるので、ついでにアパートの小荷物を自宅に運んだ。
23日の午前、前夜から車に積んだままになっていたカラーボックスを2階の自室に運ぼうと階段を昇っていると、2階から息子が降りてきた。
「お父さん、ぼくが運んであげる」。息子はクラスで一番の長身で、力持ちでもあるらしい。
「おお、ありがとう。助かる」
数年来の腰痛持ちで、加えて、歓送迎会明けの午前の力仕事。躊躇もなく息子に託す。
「うわっ、軽い!」
予想していたよりも荷物がはるかに軽くて息子は少しバランスを崩した。
で、ちょっと壁にぶつけた。ボコッ。クロスに大きめの穴が開いた。
◇
息子の顔がみるみるうちに蒼白となり、一階の居間に下りて泣き伏してしまった。「お母さんに怒られる」。
えっ?
そんなくだらないことで叱られてたのか? おれの不在の4年の間に。
◇
確かに、以前から妻は新築の家を大切にしすぎていると感じていた。壁にポスターやカレンダーを張ることさえ嫌がっていた。
妻にとっては、初めて住む新築の家なんだそうだ。が、家をかわいがって人をかわいがらずの典型だな、と思っていた。
◇
「わざとやった傷じゃない。きっと怒りはしないよ。お父さんを手伝ってくれて、間違って壁にぶつかっただけ。何も問題はない」
が、息子は顔を床に伏せたままだ。
◇
「こんなくだらんことで叱られてたら忙しくてしょうがないだろうなぁ」と思いつつ、息子の妻への恐怖はいささか尋常な様子じゃない。
(しょうがない)
「失敗は誰にでもある。失敗のあとにどう対応するかが重要なんだ」。妻の帰宅前に壁を修理してしまおうと提案した。「お手伝いをしてできた壁の穴なんかで叱られてたまるか。そんな穴、もみ消しちまえ!」
◇
私はホームセンターに修復道具を買いに行った。
が、その間、息子は妻に電話をして壁に穴を開けたことを告白したようだった。
ホームセンターから帰ったら、息子が報告してくれた。
息子の説明によれば、新築の家を溺愛している妻だが、さすがに息子のお手伝いや正直な告白と家の壁とどちらが大切なのかくらいは、了解していたらしい。
◇
おれは、穴を修理しないことにした。
修理道具は1500円もした。しかし、息子の報告を受けて、直す気が失せた。
おおむね次のようなことを、息子に話した。
「お父さんは4年間の単身赴任を終えて、来月からようやくお前と一緒に暮らせるようになる。荷物を運ぶのもうれしいんだ。きょうお前が手伝ってくれた。この壁の穴は、単身赴任が終わる日にお前が荷物運びを手伝ってくれた証拠として残しておく。4月からお父さんはまた仕事が大変になる。夜、疲れて帰ってきたときに自分の部屋に入る直前にこの壁の傷を見て、きっと元気になれるはずだ。お前が中学生になっても、高校生になっても、大人になっても、ずっとこの傷を見て、お父さんは元気になれる。だから、この穴をなおすのはやめる。この傷はお父さんの宝物だ」
◇
9歳の息子に「傷」の価値を理解してもらえたかどうかは分からない。が、自責ばかりの態度がちょっと変わったと感じている。
「柱の傷はおととしの…」の歌にある。家の傷は家族の歴史だ。こんな美しい飾りつけ、どんな優秀な建築家も創れない。
「穴のわきに日付も書いておこうか?」。そうささやいたら、伏したままの顔に少しだけ笑みが浮かんだ、と息子の後頭部に感じた。
◇
しかし、あの津波や原発事故で家を失った人たちの家には、思い出の傷がたくさんあったんだろうなあ。彼らにとって、あれらは「瓦礫」ではないんだろうな。
◇
で、4月1日。朝、息子を学童保育に送っていった。
「お父さんに送ってもらうのって、ずいぶん久しぶりな気がする」「4年ぶりだ。お前は幼稚園だったよ」「きょうは、家に帰ったらお父さんはいるの?」「お父さんはもう福島のアパートには戻らない。今日からずっと一緒だ」「やったー!」
感謝!
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