きょうは早く帰って来れた。奇跡的に。
妻と私で息子の機嫌を取りながら、なんとか、息子が私と入浴することになった。私と息子との入浴復活は、特に妻の念願だった。
息子の入浴を私が受け持つと、その時間を家事に当てられる妻の負担は相当に軽減する。家の中で起きていられる時間が少ない妻にとって、息子との入浴とそれに伴うお世話の時間は大変な負担だ。それを旦那に任せられるのは大きい。
◇
自宅の風呂に、息子が私と入ったのは7月以来。実に約5ヶ月ぶりだ。平日に入ったのは、多分、初めてだろう。
原因は今も判然としないのだが、7月以来、息子はずっと私との入浴を拒否していた。
それまでは土日にはいつも一緒に入っていたのに。
突然のことだった。7月の夕方。一緒に入浴していた。息子は浴槽のなか、私は浴槽の外で洗髪していた。ら、息子は唐突に浴槽を脱出し、体をぬらしたままで台所の母親のもとへ逃げていった。
◇
事象に理屈を付けなくては気がすまない大人には理解は難しいのかもしれない。
ただ、子が突然に衝動的に親に、特に母親に会いたくなる。「理屈」を超えた部分で「納得」はできる。
◇
入浴は、生活の節目である。どんな一日でも、入浴によってある程度、気分を変えられる思う。
その日のそれまでの気分を切ることもできるし、しみじみとかみ締めることもできる。大人は、多分、風呂の中で自分を微調整して、明日への精神的なリセットをしているのではないだろうか。晩酌に似ている。
◇
正直なところ、息子との入浴で一番救われたのは私である。
気分をシフトできた。
いやでいやで仕様がなかった職場。愛想笑いが一番大切な職場。反吐が出る。こんな歪な人間関係は経験がない。というか、遠ざけていたから縁がなかった。
◇
生活のために我慢するつもりでいる。しかし、毎日、毎日、出そうな反吐を我慢するのは、相当に大変だったのも事実。
それを息子は払ってくれた。やっぱ、すごいは。子供は。
私の頭の中には、またパッヘルベルの「カノン」。
ありがとう、息子よ。
妻と私で息子の機嫌を取りながら、なんとか、息子が私と入浴することになった。私と息子との入浴復活は、特に妻の念願だった。
息子の入浴を私が受け持つと、その時間を家事に当てられる妻の負担は相当に軽減する。家の中で起きていられる時間が少ない妻にとって、息子との入浴とそれに伴うお世話の時間は大変な負担だ。それを旦那に任せられるのは大きい。
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自宅の風呂に、息子が私と入ったのは7月以来。実に約5ヶ月ぶりだ。平日に入ったのは、多分、初めてだろう。
原因は今も判然としないのだが、7月以来、息子はずっと私との入浴を拒否していた。
それまでは土日にはいつも一緒に入っていたのに。
突然のことだった。7月の夕方。一緒に入浴していた。息子は浴槽のなか、私は浴槽の外で洗髪していた。ら、息子は唐突に浴槽を脱出し、体をぬらしたままで台所の母親のもとへ逃げていった。
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事象に理屈を付けなくては気がすまない大人には理解は難しいのかもしれない。
ただ、子が突然に衝動的に親に、特に母親に会いたくなる。「理屈」を超えた部分で「納得」はできる。
◇
入浴は、生活の節目である。どんな一日でも、入浴によってある程度、気分を変えられる思う。
その日のそれまでの気分を切ることもできるし、しみじみとかみ締めることもできる。大人は、多分、風呂の中で自分を微調整して、明日への精神的なリセットをしているのではないだろうか。晩酌に似ている。
◇
正直なところ、息子との入浴で一番救われたのは私である。
気分をシフトできた。
いやでいやで仕様がなかった職場。愛想笑いが一番大切な職場。反吐が出る。こんな歪な人間関係は経験がない。というか、遠ざけていたから縁がなかった。
◇
生活のために我慢するつもりでいる。しかし、毎日、毎日、出そうな反吐を我慢するのは、相当に大変だったのも事実。
それを息子は払ってくれた。やっぱ、すごいは。子供は。
私の頭の中には、またパッヘルベルの「カノン」。
ありがとう、息子よ。
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