このところ、子どもの成長のスピードに驚きつつ、同時に、自分の老いのスピードにも少しばかり驚いている。
取っ組み合いをしていて息子の体を持ち上げようとしたら、上がらず断念。抑え込んだつもりで、いつの間にか逃げられ、逆に反撃を食らう。
走っているつもりでも足が前に出ていかなかったり、ちょっと照明が落ちただけで読み聞かせの本が見えなくなってしまった。
生き物としての性能が一歩一歩、着実に落ちている。少々、ショックだ。
ただ、もっと衝撃なのは、親の衰えのスピード。
前述した私自身の衰えのすべてをさらに加速度的に感じさせる。
◇
3月31日の土曜日、いわきの実家に出かけた。
母親80歳、自分50歳。
希望的観測として、母があと15年生きてくれると仮定する。別居状態である私が盆暮れに必ず帰省するとして、母とこれから共有できる時間はおおむね30日間。
ずっと一緒にいられる、と漠然と信じていた親と、実はあと1カ月程度の時間しか一緒にいられない。
◇
一緒に過ごせる時間は、もう少ない。そんなことを思い、3月末、母と、母の姉妹たち、つまり私にとっても叔母・伯母たちに会いにいった。
かつてはやんちゃをするたびに叱られた人たち。が、みな、手すりや杖を頼りに歩く生活。寝たきりの人もいた。
久しぶりの来客だからと、お茶を入れてくれようとした。が、つい今まで持っていた急須をどこに置いたかが思い出せない。
「あはは、見つからないよ。お茶はごめんね」。自嘲気味の笑みに、寂しさに翳る。
◇
みな、老いの襲来に怯え、それをそらすために笑いを求める。
話題をそらす素材として格好なのが、子どもの話。「何年生になった?」「いいなぁ、毎年、大きくなって。私は毎年縮んでるからね」
◇
父親が倒れたとき、母と母の子どもである私たちを助けてくれた伯母・叔母たち。
彼女たちの衰えぶりに、寂しさを禁じえない。
◇
伯母・叔母宅への訪問に出発したばかりの車中、助手席の母がバッグから携帯電話を取り出した。
昨年末に重病に罹ってから、緊急連絡用に80歳にして初めて携帯電話を持つようになったのだ。
「まず○○おばちゃんの家か」
「ええと」と言うなり、母は携帯電話によどみなく数字を打ち始めた。
「これから行くから。長居しないから、お茶の用意はしないでね」
次の訪問先へ行く時も、携帯電話に数字をすらすらと打ち込んで、「あと10分くらいで着くけど、玄関先で話すだけでいいから、無理して外に出なくていいよ」
訪問先の電話番号をすべて暗記していた。
◇
急須の置き場所を思い出せない彼女たち。しかし、頭の中には知人宅の電話番号が複数入っている。
相手の電話番号を電話機の中に記憶させてばかりで頭の中に残っていない私と、携帯電話のメモリに頼らない彼女たち。脳内メモリ容量が大きいのは、はたしてどちらか?
遅くはない。良い模範が近くにいるのだから。
手遅れになる前にもっと脳を鍛えなくては、と強く感じたふるさと行であった。
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