レトルトパックの「豚肉生姜焼き」、コンビニで発見。焼き魚のレトルトパックにも驚いたけど、調理ハショリ版もここまで来ちゃったの?
「いくらなんでも、やりすぎ。さすがに、これはダメでしょ」と思いつつも、生来の新し物好き。ついつい買い物かごに入れてしまった。
結果は、予想の通り。途中から食べることが、苦痛になってきた。
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そもそも、調理方法の中でも特に「焼き」はインスタントには向かないのではないか。
一番に思いつくのが、カップめんの「焼き」そば。
食べ物は、それを食べてきた文化、歴史をはらんでいる。私は、焼きそばには焼きそばなりの精神性を求めたい。
お祭りのパンチパーマのあんちゃんの鉄板焼きそばで育った者としては、焼きそばとは、ちょいと「ワル」くて、それでいて、ちょいと「誠実」な食べ物。
世をすねた、少し暗い目をしたあんちゃんが「ガキに食わせるもんじゃねぇ」っぽく、両手のコテで乱暴に麺を返し、しかし、反面、「アツアツのうまいの食わしてやるからな」という熱意をもって、仕上げに一升瓶のソースをいかにもまじめな顔でふりかける。それが焼きそば。
暴排条例の施行以後、お祭りからあんちゃんの姿が消え、婦人会のおばちゃんが鉄板焼きをやっているが、品がありすぎる。焼きそば屋は、あんなに健康的な笑顔で作ってちゃいかん。
ましてや、お湯でふやかしたカップめんは「焼き」を名乗ってはいけない。
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しかし、そんな個人的な思いも絡めて食べ物をとらえているが、あくまでも個人的な印象、もしくは感傷なのかもしれない。
思い返すと、「第2のビール」や「第3のビール」だって、出始めは「飲めたもんじゃない」と感じていたが、現在はなんとか飲めているし、慣れてしまえばうまい。
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「豚肉生姜焼き」レトルトパックは、現時点では確かに「まがい物」。でも、世にはびこればそのうち主流にもなるかもしれない。
豆腐「ステーキ」やいわし「ハンバーグ」なんて、いまや独立したメニューのひとつ。古くは「ガンモドキ」なんて「モドキ」という言葉を冠しながら、すでに本物を凌駕する勢いで食べられているではないか。
ともかく、開発者のチャレンジ精神は見事だと評価するほかないだろう。俺みたいに、必ず否定する奴がいると知ったうえで発表しているのだ。
現段階では禁じ得ないちょっとの違和感を我慢しつつ、挑戦者たちに拍手を送りたい。
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