【5月13日の記述】
「ちゃぶ台」という単語を、7歳の息子はきっと知らないだろう。しかし、息子にとって有為なアイテムになっている、と、このところ感じている。
◇
震災後、妻の実家からおじいちゃん、おばあちゃんが我が家に避難して来た。
ただでさえ手狭だった家に住人2人増。食事は朝晩とも、居間に折りたたみ式テーブルを広げて、みんなで座って取ることとなった。休日は昼も。
独身用のコタツよりも少し小さめのテーブルに5人分のご飯、味噌汁、おかずが並ぶ。
狭い。鶏舎の中心に据えられたエサ箱をつつくニワトリたちのような食事風景である。
◇
でも、不思議と、その猥雑な雰囲気が楽しい。
その食卓を囲みながら、私自身が就学前だったころの家族の食事風景を思い出した。
毎朝、長方形の折りたたみテーブルを父親が広げて、母親と姉が食事を運んで、4人でご飯を食べた。
狭い食卓を丸く囲んで、お父さんとお母さんと姉と一緒の食事。多分、楽しいことばかりだった子ども時代の中でも、特に幸福だった時間ではなかったか。
私が小学4年生のころから、我が家からはそういう風景は消えた。
◇
いま、震災のおかげといってはなんだが、おじいちゃん・おばあちゃんの避難によって、我が家から子どもの「孤食」がなくなった。
食事のあとには、小学2年生の息子が食器を片付けるようにもなった。
私は「ちゃぶ台効果」だと思っている。
◇
5月9日からは、我が家には双葉高校のサテライト校に通うために、高校一年生の姪っ子が住むようになった。
私は単身アパート暮らしとなったが、プラスマイナス・ゼロだ。にぎやかな食卓は維持されている。
◇
現代の家族と、NHKの「朝ドラ」や橋田寿賀子シリーズの中の家族との大きな違いは、食卓だと多くの人が言っている。私もそう思う。
「みんなで食べると、おいしいね」。2年前、5歳の息子が誕生日のケーキを食べながら言った。
当時、私も妻も仕事に忙殺されて息子を「孤食」に追い込んでいた。
いま、息子は「ちゃぶ台食」ができる環境にいる。
ありがたい事である。
【5月15日の記述】
先週の1週間まるまる、息子は学校を休んだという。
発熱とのどの痛みだったという。
13日の金曜日夜に単身先のアパートから自宅に戻ると、息子が報告してくれた。
1週間、妻からは何の話も聞いていなかった。
聞いていたからどうか、は別として、1週間もかかる病気を患っていたことを親として知らなかったことは、残念だ。
◇
きょうは、回復したので息子と私の2人で石筵ふれあい牧場で遊んでくる。
開園したらすぐに入場して遊べるように、昨晩は早めに寝た。
もう6時半、そろそろ準備だ。
週末の土日が、とても大切だ。時間を無駄にはできないぞ。
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