アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

震災記 その3

2011-05-14 | Weblog


 【5月5日の記述】


 五月晴れ 真っ青で どこまでも高い空 山肌をなでる清風 淡紅色の山桜。


 磐梯熱海の温泉街から北に上ること10キロ。「石筵(むしろ)ふれあい牧場」は、ゴールデンウイークが桜の盛り。


         ◇



 「早蕨(さわらび)の 握りこぶしを振り上げて 山のほおづら 張る(春)風と吹く」


 何だかは忘れたが、古典落語のどれだかに出てくる都都逸。ここ十年ほどは、春を迎えるときのマストアイテムとして使っている。


 山に向かって、これを一発、がなる。握りこぶしではなく、演歌調のこぶしで。そうすると、「春」が起動する。


           ◇


 ゴールデンウイークは、カレンダーの色どおりに休みを取れた。5月3日から5日まで、3連続で息子と石筵ふれあい牧場。


 3日とも天候に恵まれ、冒頭の景色を堪能し、息子が遊んでいるすきに、前述の都都逸をがなって、遅ればせながら春を迎えた。



 山は、ほほ笑んでいた。



         ◇


 「海が、怒っている」と思ったのは、4月の初め。いわきの海を久しぶりに見たときだ。陸上には津波の爪あとの残るが、春を迎えたふるさとの海は一見して穏やかさを取り戻してはいた。ただ、海面の下には「怒り」をたたえたままだった。


 桜は、石筵もいわきも、同じように満開だった。


 津波は過ぎ、すでに穏やかな様相を呈していた春の海。それでも、青である色が、黒に見えてしかたがなかった。



         ◇


 石筵での山々は淡いピンクに見えた。3日間のうち5日のみ同行した義父は、そんな穏やかな山々を見ても「春の海を見てぇなぁ」とつぶやいた。船乗りだったのだ。どんなにか、やはり海が恋しいのだ。




         ◇


 小動物たちも元気だった。

 ウサギやポニー、ヒツジ、アヒルなどのいる家畜動物園、おもしろ自転車コーナー、マウンテンバイクコース、さらには敷地内の小川の川遊び、緑の広場のボール遊び。


 息子のお気に入りは変遷した。1日目は小動物、2日目と3日目はマウンテンバイク。


 3日間とも夜9時に就寝したが、間もなく50歳を迎えるこの身だ。筋肉痛は加速度的にわが身を蝕み、いまも進行形である。


           ◇


 石筵の3日目。猫魔ホテルに避難している親戚と落ちあう事も目的だった。


 富岡町で被災した母78歳、息子54歳の親子。


 海のそばでずっと暮らしてきた親子は、山の中での避難生活、もう2ヶ月。「ホテルも飽きてきた」と母親。


 息子たちの無邪気に遊ぶ様子に笑みを浮かべながらも、その母子に降り積もった「疲労」は明らかに見て取れた。


          ◇


 高原の春の中、能天気に楽しんでいたのは自分たちだけだったかもしれない。


 山がほほ笑んでいると感じられたのは、私だけなのかもしれない。


 「2人とも、まだ、避難所にいるんだ」。


 富岡の母子に、山が、さらには、海がほほ笑みかけてくれるのは、いったいどれだけ先になるのだ。
 



【5月10日の記述】


 やっぱり、音楽は不可欠だな。


 5月10日の火曜日。震災後、初めてのヴァイオリンレッスンが仕事を終えた午後7時半から行われた。ちょうど2ヶ月ぶりだ。


 久しぶりに先生に調弦してもらって、楽器も調子が良くなった。音が明るくなった。


 気持ちの良い澄んだ音が、戻ってきてくれた。



         ◇


 2ヶ月という時間で、精神が荒んでいた気がする。


 精神の除洗、というやつかな。1時間を終えると、豊かな心もちが沁みてくる。


 やっぱり、音楽ってのはすごいなぁ。


           ◇


 ヴァイオリンを楽しめる日なんて本当に来るのか、と震災直後は思った。いま思えば、ヴァイオリンはそばにあったのだから、弾く気になれば弾けた。でも、そんな気になれなかった。


 音楽を楽しむ精神に戻れたこと、さらに、そんな環境をととのえてくれた家族に感謝。





 【5月12日の記述】


 郡山市で、放射線量が高い小学校で校庭の表土を削って放射線量を低減する措置がとられたのは4月25日のこと。


 当時、政府は「自治体が勝手にやっていること」と郡山市の措置を批難した。国の見解を追従して「過敏になりすぎ」という世論もあった。


 それが、今になってみると、自治体より遅れに遅れながらも、国は放射線量の基準を示して表土削りを評価することになった。


 政府の愚鈍さと、郡山市の俊敏さ、この両方が際立つことになった。

 以前から、郡山市の行政は県や国より優秀だ、という評価が地方マスコミの中にあった。それが顕れた。


          ◇


 最初に表土を削った小学校は、息子の通う小学校の隣の学区。すぐに、息子の学校でも表土削りが行われた。


 その表土の廃棄場所をめぐって、地元で論争が起こった。


 いまのところ、廃棄場所は棚上げとなったままでシートを被せて校庭に仮置きしてある。


 後続した他市では、校庭に穴を掘って汚染度を埋めるという。


 でも、ちょっと、待って。


 そもそも事業所が排出した放射線に汚染された土。かつて、いわき市で炭鉱跡に産業廃棄物の廃油が不法投棄されて大きな社会問題となったが、それによって汚染された土と同種ではないか。


 産業廃棄物の不法投棄では、投棄者だけでなく、産業廃棄物の排出事業所の責任も問われた。


 (ちなみに、いわき市の場合はA社だったが、朝日新聞は「A化成」と非常に分かりやすい「匿名報道」をしたので、かなり笑わせてもらった)


 今回の場合に照らして考えるとどうか。放射性物質を撒き散らすことのできる業態の事業所などは、あまりに特殊すぎて匿名にすることさえ意味をもたないが、その排出事業所「TK電力」にこそ責任を負わせるべきだろう。


 つまり、郡山市はTK電力に廃土を預けるのが筋論だ。市内に埋設処理してあげるなんて、優しすぎる。


 郡山市と市議会は、市民同士の小競り合いにならぬよう、市民を調整しながら、この筋論を完遂すべきであろう。


 20年前、廃油に汚染された土地の農民を取材し、国が不作為の機関であることを痛感した者として強く思う。


 まずは、郡山市の英断に感謝する。そして、いまだに国が、力を持たぬ一般市民に対しては特段に冷淡で、かつ、TK電力など大きな力には寄りそい守ろうとする体質の行政機関である以上、地域の住民の立場を理解できる地域の行政機関として、不作為の国から地域社会を守っていってほしい。


 そのときは、全国展開の報道機関はさておき、地方の報道機関も力を合わせて。
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