子育てにおいて、特に重要視しているのは、他者の立場にたって考える力を身につけることだ。
が、社会全般にその能力が著しく劣化していることを実感させられる事件が起きた。
大津市でのいじめは、被害者が亡くなったあとも尚、加害少年もその保護者も、そして致命的なのは教育関係者もまったく自分の立場でしか事件をとらえるばかりで、まったく被害者の立場に立てない無能力・無反省であるということこそ、衝撃的である。
加害少年たちは、被害少年の死後も死者に鞭打つごとき行動をとっていたらしい。まったく許しがたい人間たちだが、開き直っている教育長や校長は、加害少年に輪をかけて他者の立場からものを見られない、無能力の極みではないか。
やつら、それを恥じない。
テレビでは他者の失敗や落ち度を笑いものにするお笑い番組が人気を集める。彼らを「芸人」と呼んでいるのだからがっかりする。
この国は、もはや品格を論じるレベルの国ではなくなってしまったのかもしれない。
「国家の品格」をもう一度、書棚から引っ張り出してみよう。トルストイをもう一度、子どもに呼んであげよう。
自分も含め、猛省しなくてはいけない。
大津市の事件は、原発事故とその後の官僚や政治家たちと同様、誇りと正義を失った者たちの醜さを示しながら、私たちにそう訴えかけている。
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