7月13日夜、福島の単身パートから郡山の自宅に帰る。お中元が届いていた。
差出人の住所欄には、江戸川区小松川とある。が、法律の言葉を使っているなら、正確には居所(きょしょ)。住民票の「住所」は「双葉町」の方からの、お中元であった。
原発事故から1年半、未だ避難中のご夫婦からの包み。中身は、私の好物であるビールだった。
震災直後の1週間ほどを一緒に暮らした、80歳超のご夫婦である。
◇
あの日、津波に追われて逃げてきた。
浪江、川俣、福島、二本松…。渋滞の中を、ともかく海から遠くへ、原発から遠くへ、と逃げた。
この間、原発は爆発、メルトダウン、放射性物質が大量に放出した。放射能汚染の拡散の地図をたどるように。
避難ルートは、まったく拡散ルートをトレースすることになった。
この拡散予測地図が公表されなかったことは、被ばく当事者にとっては痛恨事である。
多くの避難民は避けられたはずの放射線に身を曝した。
◇
郡山の私の家にたどり着いたのは、3月14日。ご夫婦のほかにも避難者がおり、申し訳なかったが6畳部屋に5人で寝てもらった。
それから1週間ほど、わが家に滞在し、その後、首都圏に住む長男が迎えに来た。後に公営住宅に移ったと聞いた。今は、夫婦で2人暮らしという。
双葉町でずっと暮らしてきたカップルが、80歳を超えていきなり東京で2人暮らし。
つらいに違いない。
お中元には、「感謝」よりも「つながりを求める心」を感じ取った。
原発事故は、いったいどれほどの不幸を生み出したのだろう?
放射能と悲しみを拡散させた。
全国にたくさんいる避難者のことを、ずっと忘れてはいけない。
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