アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

避難者からのお中元

2012-08-26 | Weblog


 7月13日夜、福島の単身パートから郡山の自宅に帰る。お中元が届いていた。


 差出人の住所欄には、江戸川区小松川とある。が、法律の言葉を使っているなら、正確には居所(きょしょ)。住民票の「住所」は「双葉町」の方からの、お中元であった。


 原発事故から1年半、未だ避難中のご夫婦からの包み。中身は、私の好物であるビールだった。


 震災直後の1週間ほどを一緒に暮らした、80歳超のご夫婦である。


          ◇


 あの日、津波に追われて逃げてきた。


 浪江、川俣、福島、二本松…。渋滞の中を、ともかく海から遠くへ、原発から遠くへ、と逃げた。


 この間、原発は爆発、メルトダウン、放射性物質が大量に放出した。放射能汚染の拡散の地図をたどるように。


 避難ルートは、まったく拡散ルートをトレースすることになった。


 この拡散予測地図が公表されなかったことは、被ばく当事者にとっては痛恨事である。


 多くの避難民は避けられたはずの放射線に身を曝した。


           ◇


 郡山の私の家にたどり着いたのは、3月14日。ご夫婦のほかにも避難者がおり、申し訳なかったが6畳部屋に5人で寝てもらった。


 それから1週間ほど、わが家に滞在し、その後、首都圏に住む長男が迎えに来た。後に公営住宅に移ったと聞いた。今は、夫婦で2人暮らしという。


 双葉町でずっと暮らしてきたカップルが、80歳を超えていきなり東京で2人暮らし。


 つらいに違いない。


 お中元には、「感謝」よりも「つながりを求める心」を感じ取った。


 原発事故は、いったいどれほどの不幸を生み出したのだろう?


 放射能と悲しみを拡散させた。


 全国にたくさんいる避難者のことを、ずっと忘れてはいけない。
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