【7月4日の記述】
ようやく、森雅子参議の国会質問が、日の目を見た。本日、7月4日放送の「たけしのTVタックル」だ。
福島県選出の森議員が、しばしば声を詰まらせながらも、切実に訴えかけた質問。
ベント開閉のタイミングが、実は菅直人の現場訪問に絡んだ都合で恣意的に操作され、それによって、放射能漏れが海側でなく、陸側に流され、不要な被曝が陸側に拡大した、というものだ。
当然、海側へ流すと予測したアメリカ海軍は避難したが、官邸は陸に流した。
◇
森議員の質問をリアルタイムでラジオで聞いて、驚愕した。
こんな非人道的なことが日本で行われていたのか。
さらに、翌日。こんな重大なことを報道しないのか、国会で出ているのに。新聞も、テレビも…。
◇
森議員の質問から。
陸側に流された当時、校庭から原発の建屋を望むほど近くに位置する浪江町立幾代橋(きよはし)小学校では津波を生き延びた人たちへの炊き出しが行われていたという。
その人たちは、菅直人が現地を去ったあとに行われたベントによって、陸側に流れた放射性物質に無防備のまま身をさらしながら、炊き出しをしていた。
本来は避けられたはずの大量被曝が、発生したのだ。
さらに、多くの地域の多くの人々が無用の被曝に付き合いながら、線量の高い地域へ、高い地域へと避難し続けていった。官邸だけが情報を握ったまま。
◇
被曝の拡大は、菅直人による犯罪である。
大量被曝、さらに高線量地域をたどって避難してきた人たちの怒りはいかばかりか、察して余りある。人間としての尊厳と、自分の健康を否定された人の思いは…。
私自身、高線量地域で無防備に生活していた「被爆県」の民として、また、自分の無知のために子供を無防備にして外出させた自分に対して、情けなさと同時に御し難い怒りを感じる。
◇
森議員が指摘して、もう1カ月も過ぎていた。これをどのマスコミも扱わなかった。
ようやく。本当にようやく、テレビタックルで扱った。
新聞もテレビも、気が付かなかったはずがない。恣意的に取り上げなかったのか。
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ともかく、「TVタックル」に敬意。
これまで周知の事実ながら各マスコミが遠慮していた、中曽根康弘の「日本核武装計画」についても、これまで以上に踏み込んだ伝え方だった。
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このテレビ番組でも、コメンテーターとして出演した民主党議員が、「政治家としての良心」を捨て去り、使い古しのディベート的な便法を講じて、空虚な言い訳を繰り返していた。恥ずかしいヤツらだ。
この種の政治家や、ちょうどこの日、被災地に来てまでわざわざバカっぷりを振りまいていった九州の老害「復興担当相」などはもはや、語るに落ちたの観。
松本龍のごとき老醜の言などは、もはや議論の対象外。彼は介護の対象だ。
◇
ロバート・マクナマラ以来、目先の事象、利益ばかりに目をとらわれて大局観を持たない人々が、核を広めてきた。
湯川秀樹の言。「破滅するからやめようと言っている。私は当たり前のことを言っているだけなのだが、それが理解されないのが不思議なのだ」
◇
破滅への道を選択し、そうして、われわれ人類は生命として、その歴史を終えようとしているのかもしれない。
そんな考えをしてしまう。
大きなスパンで地球と生命の進化を考えるとき、生命があふれかえると地球規模の生命量の調整が始まる。絶滅危機が起こり、その中から生き延びたごくわずかな生命によって、新たな生命の進化が始まる。
恐竜後の哺乳類もそうだったのだろう。
◇
ヒトが増えすぎたことは、地球にとっては不都合なことだ。
現在、地球は久しぶりの大規模地殻変動や異常気象、そしてヒトの「核」によって、久しぶりの絶滅危機を迎えるのかもしれない。
それを新たな進化のきっかけとして、これまでにないDNAが生まれるのかもしれない。
◇
このところの、ビッグバン的にバカな政治家や官僚、科学者の言動を見るにつけ、50年くらい後に来る人類破滅への導線づくりに思えてならないときがある。
増えすぎたネズミが大群で海に突入し、数を減らして、自らの種を守るように、われわれはすでに、数を減らす段階に入ったのではないか。
自らを滅ぼすために、人類はバカな政治家や官僚を出現させたのではないだろうか。
◇
ともかく、生命である以上、私は生き延びる努力をする。そして、種を維持していくために、子供を守り続けていく。本能として。
子供を守るためには、手を尽くす。親として。
もし、子供に危害を加えようというものがあれば、たとえ、相手が地球であっても、宇宙であっても、逆らう。生命として。
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