家族で過ごした盆休みから、単身生活に戻って早や2週間。残暑の日々の中で、ただ336時間という「時の塊」だけが通り過ぎた、という感覚だ。
子どもとほとんどの時間を共有した6日間の休暇と比べると、単身のこの14日間の、何と素っ気のないことか。
「面白み」もしくは「趣き」。ともかく、機微というものがない。
◇
何のための単身か?
そう問われれば躊躇はない。「生活の糧を得るため」。親として当然の選択だ。子どもを育てるためには、まず餌を運ばねばならぬ。
が、そこで思考を止めていいのか、と最近思う。
では、「親」とはなんだ?
子を産み、育て、巣立たせて果てゆく者。「種の保存」という観点からならば、親は子どものためにのみ存在すればいい。
しかし、もう少し踏み込んでみよう。
当たり前だが、「子」は「親」とは違う個体だ。ならば「親」も「子」とは違うように努めなくてはならぬ。子どもを親の複製にしてはならない。
子は、変化し、進化していく。親は子の変化を促すべき者なのだ。
親が子の変化に対応するのは、容易ではない。子の成長速度には、本来、対抗しようがない。だから、「経験」を武器に足掻く。
そう、足掻かなくてはいけないのは、親。子どもではなく、親の方だ。
親自身、自身の変化に努めなくてはいけないと思う。
「糧を得るためだけ」の生活など、実は、子どものためにもならないものなのだ。
◇
ならば、単身生活などというものは、自分のためにも、子どものためにもならん。
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子どものころから、興味のあることしか覚えられない。興味のないことにも反応できるような器用な脳は、持ち合わせていない。
まずは、子どものためにでなく、自分のために自分の興味のあることを生活の真ん中に据えなくてはいけない。
◇
「子どものためだけに」なんて言ってるような親は、だいたい子育てに失敗している。子どもも迷惑だ。
単身赴任は家族が幸福になる率が低い、と経験的に思う。これは、あくまでも自分の中の統計だが。
◇
興味の湧出を待つのか、それとも、その泉を追うのか。
たくさんのお父さんたちが悩んできた課題。
答えは、シンプルだと思う。
家族は一緒にいる方がいい。
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