8月14日(火)から17日(金)までの3泊4日の日程で、小学3年生の息子と2人、宮城・七ヶ宿、福島・いわき遠野のキャンプ行脚をしてきた。
放射線被ばくを逃れるために昨年から始めた夏休みのキャンプ場巡り。
猛暑の中の貴重なお盆休み。正直なところ、家でゴロゴロして、夕方になったら缶ビールを開けてぼんやりとゆるい本を読む、そんな生活を夢見ていた。原発事故の直後だった昨夏ほど避難する意義が薄れてきているし、逆に「休日避難」ばかりしていて、生活が不安定になっているという感があった。
猛暑の中の連日キャンプ、大いに躊躇した。
が、息子にとっては待望のキャンプ。学校は夏休みだが、母親も仕事だったので、いつも学校内にある児童クラブに預けられていたから、私の盆休みこそ、息子にとっても、学校から離れられる真の夏休みだった。
息子はよく我慢していたものだ。そう考えると、来月で51歳になるこの老骨に鞭を打つほかはなかった。
◇
8月14日 10:00
郡山市の自宅を出発。
愛車の初期型プリウスの後部座席はテント、タープ、多めのペグとポール、折り畳み式のテーブル、イス、クーラーボックス、調理器具、虫捕り網、バット、フリスビー、花火、バケツなど満載。さらに車体後部に自転車キャリアを設置して子供用自転車1台。
野外活動に向いているとは決して言い難い初期型プリウスに、かわいそうなくらい荷物を積んだ。
実際、これまでたくさんのキャンプ場に出かけたが、どのキャンプ場でも違和感ナンバーワンの車だった。キャンプ場に置いておくと、えらく地味なのだ。ジープタイプやワゴンタイプのかっこいい車と並ぶと、なんだか疲れ切ったサラリーマンの様相なのだ。
そういえば、調理器具も私が単身アパートでふだん使っている片手鍋とフライパンのみ。こちらもオートキャンプ場では相当に地味だ。が、特に不自由は感じない。家のローンが終わったら、かっこいいのを女房に買ってもらおう。
◇
国道4号を北上し、国見町から山間部へ西進。
14:00 宮城県・七ヶ宿キャンプ場 到着
ハイシーズンのためオートサイトは満杯だったが、フリーサイトはかなり余裕があり、予約なしでも問題なく入れた。
フリーサイトではあっても、入場口に自動チェーンロックがあるし、駐車場から荷物を運ぶためのリヤカーも準備されているし、かなりユーザーの目線に立った運営がなされているという印象。
満杯のオートサイトに比べてフリーサイトは広い敷地に3組だけ。広々とした原っぱでおもいきりキャッチボールやフリスビーを楽しめた。
夕食のための水の調達は息子にやらせた。共用の炊事棟の水道を使うものと思っていたが、説明が足りなかった。オートサイトに行って、そのサイトのご主人に断って水道を貸してもらっていた。まぁ、知らない人にもものを頼めることに、少し安心。水タンクを運ぶのにも、私の助けを求めずに自分でやった。
夜になっても気温はあまり下がらなかった。暑さと、アブに刺された足のかゆみで私も息子も寝つくのに苦労したが、それでも息子は午後9時には眠りについた。
午後9時過ぎからは、涼やかな空気がキャンプ場に下りてきた。
テントの外は虫の声、テントの中は子どもの寝息。夜の森に静かに流れるカノン(輪唱)。
◇
8月15日 5:00 起床
「お父さん、フリスビーやろう」
(いきなり?)
前日の夕方、サイドスローのコツをつかんだようだ。なによりもまず、それを確認したいらしい。朝霧の中、フリスビーを約30分。
朝食のあともフリスビーを楽しんだ。
七ヶ宿では連泊も考えていたが、天気予報がよくないので宿営地を変えることにした。午前10時までにテント、タープを撤収し、天気予報の良い福島県いわき市へ向かった。
◇
15:00 遠野オートキャンプ場到着
お盆の渋滞を見込んで高速道路を避けたので、想定より到着が遅れてしまった。それでも、高速を使わずによかった。この区間には20キロもの渋滞が発生していたらしい。高速を遣っていたら、キャンプどころではなかったはずだ。
キャンプ場全体が山に囲まれた狭い盆地にあり、七ヶ宿よりも相当に暑い。テントとタープを大急ぎで設営。いつ夕立が襲ってくるか分からない。
前日と違って、この日はオートサイト。電源と水道が各サイトに設置されている。車がテントの隣にあるというのは、実に楽だ。
◇
夜になってからも、非常に暑かった。就寝は午後10時ごろになった。
◇
8月16日 5:00 起床
「お父さん、ブランコやろう」
(また?)
隣のサイトは千葉県からの家族連れ。若い夫婦と小学校高学年のお兄ちゃん、低学年の女の子。前日のうちに息子はすっかり仲良しになり、一緒にブランコ遊びをして、むこうのお兄ちゃんにブランコの「跳び下り」を伝授してもらった。
朝霧の中、ブランコを約30分。
朝食はハヤシライス。米の水加減を失敗し、かなり固めのご飯になってしまった。おこげはうまくいったが、息子は半分を残した。
11:00 キャンプ場を出発して、いわき市内の私の実家へ。
12:00 実家到着。8歳の息子と81歳の母親が背比べをした。わずかだが、息子の勝ち。孫に抜かれた母のうれしそうな笑顔。
ここで妻が合流し、午後4時にキャンプ場に戻った。
夕食は親子丼。この夜もかなり暑かったが、息子は午後8時に就寝。私は、妻がいるので安心して晩酌。それまでは、万が一の事態には車を運転しなくてはいけないので、晩酌なしだった。
夜、一時的に雷鳴を伴う激しい雨があった。30分程度で止んだ。昨年のキャンプ行脚に続いて、今年も妻が参加した時のみ「雷」が落ちた。単なる偶然ではあるが…。
◇
17日 6:00起床
「お父さん、ブランコしよう」
(また? お母さんもいるんだぞ)
前夜、妻がいるので安心しきって23:00過ぎまで飲んだ。調子が悪い。
が、息子と遊べる時間は単身おやじの私にとって本当に貴重な時間。
30分ほどブランコで遊んだ。
朝食後、サイト内のトイレへ。
流されないで残っていた、すごいのが。不快なので、管理棟のトイレに行ったが、やはり残っていた。
管理人さんに告げると、キャンプ場全体の水が止まっているとのこと。
お盆休み期間中、連日の盛況で水道使用量が予想を超えたらしい。サイトの上方にある水タンクが空になってしまったという。
復旧の見通しを聞いたが、明確な回答を避けている様子がありあり。
あと1泊するつもりだったが、水がないなら仕方ない。テントとタープとを撤収し、正午にキャンプ場を離れた。通常のチェックアウトは午前10時らしいが、水がないので朝食片付けもはかどらないし、汚れたペグを洗うこともできない。キャンプ場側がチェックアウトの時間を延ばしてくれた。
妻は暑さに耐えきれず、10:00には別行動でキャンプ場を離れた。暑さで体調が悪くなってしまった。
私と息子は、1日早いが、自宅へ戻ることにした。本当は4泊5日のキャンプ行脚の予定だった。
◇
17日 15:00 郡山の自宅到着
キャンプ道具の片づけもそこそこ、息子は久しぶりのDS(ゲーム機)に没頭した。
まぁ、いいだろう。猛暑の中で不平も言わずにキャンプの手伝いをしてくれたし。
◇
今回は、ただただ猛暑。決して楽しいキャンプ行だったとは表現できない。いや、後半は体調面で苦しかった。熱中症の初期症状も経験してしまった。
ただ、家族と時間を共有できたことは単身おやじとしては最も重要なこと。息子とは4日間の96時間、ほとんどの時間を一緒に過ごせた。
感謝。とにもかくにも、この一言に尽きる。
生まれてきてくれて、ありがとう。
最高の夏休みでした。
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