おはようございます。
前回から始まった滋賀の旅2017夏編、とは言ってもまだ滋賀県には入っていません、前回は伏見街道を駆け抜けて途中東福寺に立ち寄りました、今回はJR東海道本線の下をくぐって京都市内の中心部へ、ここからは木屋町通りを進んで行きたいと思います。
木屋町通の始まりは七条通から、鴨川のすぐ西側に高瀬川と言う小さな川と風情のある家屋の軒並みに沿って狭い道が北へと伸びている、その落ち着いた雰囲気はいかにも京都らしいと言う風景として良く語られる道である。写真1枚目、2枚目は五条通、木屋町通のお馴染みの風景はここからが本番と言う感じ、夏になると鴨川に納涼床がせり出すがその料理屋の入口がこの通りに並んでいる。自分(一人称)にはまるで縁のない高級そうな料理店、ここは建物の外装と川の水が流れる音を楽しんで先へと進んで行くことにしましょう、落ち着いた雰囲気もすぐに四条通界隈へと差し掛かった辺りでたくさんの人と車で賑やかになってくる。
四条通を過ぎるとまた静かな道となり更にいい雰囲気の風景が続いていく・・・と思いきや何かそうじゃないんだよな~。風景的には上に並べた写真にある通りこれぞ京都やな~という感じなのですが、狭い道には車が我物顔で入って来て走りの行く手を遮ってしまう。それにゴミが多い、繁華街の真ん中と言うことで料理屋以外にも風景的にはあまりよろしくない店があって夜遅くまで騒がしい所なんだろう、大概そう言う所は朝になると散らかっていてカラスが寄り着き異臭もしてくる、京都の落ち着いた雰囲気を楽しみにしていたらとんでもない!と言ったところだ。それでも見所は多く特にこの辺りは幕末に大きな出来事があった場所に近い所、その大きな出来事とは御存知坂本龍馬暗殺、それはひとつ西側を通る河原町通りで起こった事件だが、それまで坂本龍馬が身を隠していた「酢屋」がこの通りに接した所に建っている、「酢屋」と言うからお酢を売っている店かと思ったら材木商なんですね、酢屋は屋号でこの店の人の名前だと言うこと、や~知らなんだ。
三条通と交差する辺りは午前中とは言っても人がいっぱいで賑やか、昼間にここを自転車で走るのは少し気が引けるので静かな時間を見計らって走ったのですが、先述したとおりゴミとカラスと異臭であまりいい気分ではありません。しかし歴史的にはここは幕末の志士が駆け抜けた道、何とか気分を変えて150年ほど前の風景に思いを馳せて走って行くことにしよう・・・とは言ってもこの辺りは幕末でも血生臭い出来事が多かった所、坂本龍馬の他にも大村益次郎、本間精一郎、佐久間象山などが災難に遭い、池田屋騒動があったのもこの近く、御池通の北にある料亭「幾松」は桂小五郎が潜居していた所、と歴史の一幕を垣間見ることができる道でもある。涼やかに水が流れる高瀬川はそんな時代をずっと変わらず見てきたことだろう、しかしその流れが見ることができるのはすぐそこまで、二条通に差し掛かる手前で川は姿を消してしまう。その場所には高瀬川を貿易の手段として開削した角倉了以の居住跡の碑があり、水の流れは暗渠となって疏水を辿って琵琶湖へとつながっている。木屋町通はその少し先のT字になった交差点で終わり、この突き当たった道が二条通で右に曲がると南禅寺、疏水方面へと続いている。さて、走りの方もそちらへと向かっていよいよ大津を目指して行くこととなるのですが、京都市内の走りはまだまだ次回に引き続きのお送りとなりそうです、またお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。 まちみち
前回から始まった滋賀の旅2017夏編、とは言ってもまだ滋賀県には入っていません、前回は伏見街道を駆け抜けて途中東福寺に立ち寄りました、今回はJR東海道本線の下をくぐって京都市内の中心部へ、ここからは木屋町通りを進んで行きたいと思います。
木屋町通の始まりは七条通から、鴨川のすぐ西側に高瀬川と言う小さな川と風情のある家屋の軒並みに沿って狭い道が北へと伸びている、その落ち着いた雰囲気はいかにも京都らしいと言う風景として良く語られる道である。写真1枚目、2枚目は五条通、木屋町通のお馴染みの風景はここからが本番と言う感じ、夏になると鴨川に納涼床がせり出すがその料理屋の入口がこの通りに並んでいる。自分(一人称)にはまるで縁のない高級そうな料理店、ここは建物の外装と川の水が流れる音を楽しんで先へと進んで行くことにしましょう、落ち着いた雰囲気もすぐに四条通界隈へと差し掛かった辺りでたくさんの人と車で賑やかになってくる。
四条通を過ぎるとまた静かな道となり更にいい雰囲気の風景が続いていく・・・と思いきや何かそうじゃないんだよな~。風景的には上に並べた写真にある通りこれぞ京都やな~という感じなのですが、狭い道には車が我物顔で入って来て走りの行く手を遮ってしまう。それにゴミが多い、繁華街の真ん中と言うことで料理屋以外にも風景的にはあまりよろしくない店があって夜遅くまで騒がしい所なんだろう、大概そう言う所は朝になると散らかっていてカラスが寄り着き異臭もしてくる、京都の落ち着いた雰囲気を楽しみにしていたらとんでもない!と言ったところだ。それでも見所は多く特にこの辺りは幕末に大きな出来事があった場所に近い所、その大きな出来事とは御存知坂本龍馬暗殺、それはひとつ西側を通る河原町通りで起こった事件だが、それまで坂本龍馬が身を隠していた「酢屋」がこの通りに接した所に建っている、「酢屋」と言うからお酢を売っている店かと思ったら材木商なんですね、酢屋は屋号でこの店の人の名前だと言うこと、や~知らなんだ。
三条通と交差する辺りは午前中とは言っても人がいっぱいで賑やか、昼間にここを自転車で走るのは少し気が引けるので静かな時間を見計らって走ったのですが、先述したとおりゴミとカラスと異臭であまりいい気分ではありません。しかし歴史的にはここは幕末の志士が駆け抜けた道、何とか気分を変えて150年ほど前の風景に思いを馳せて走って行くことにしよう・・・とは言ってもこの辺りは幕末でも血生臭い出来事が多かった所、坂本龍馬の他にも大村益次郎、本間精一郎、佐久間象山などが災難に遭い、池田屋騒動があったのもこの近く、御池通の北にある料亭「幾松」は桂小五郎が潜居していた所、と歴史の一幕を垣間見ることができる道でもある。涼やかに水が流れる高瀬川はそんな時代をずっと変わらず見てきたことだろう、しかしその流れが見ることができるのはすぐそこまで、二条通に差し掛かる手前で川は姿を消してしまう。その場所には高瀬川を貿易の手段として開削した角倉了以の居住跡の碑があり、水の流れは暗渠となって疏水を辿って琵琶湖へとつながっている。木屋町通はその少し先のT字になった交差点で終わり、この突き当たった道が二条通で右に曲がると南禅寺、疏水方面へと続いている。さて、走りの方もそちらへと向かっていよいよ大津を目指して行くこととなるのですが、京都市内の走りはまだまだ次回に引き続きのお送りとなりそうです、またお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。 まちみち