おはようございます。
今日が10月22日と言うことでいつの間にか10.19も過ぎていました。プロ野球は今クライマックスシリーズですがパ・リーグはソフトバンク(H)と楽天(E)が対戦、工藤監督と梨田監督との対戦は当時しのぎを削っていた西武(L)と近鉄(Bu)の代理戦争と言った感じです。最初は楽天が2勝して昨日、今日とソフトバンクが連勝日本シリーズに大手をかけました、何とか楽天に頑張ってほしいんやけどねえ~。思えば梨田監督て選手、監督として日本一になったことがないんだよねえ、窮地に立たされたとは言えまだチャンスは残っているわけだし、何とか一矢を報いてほしいところです。それにしても10.19からもう29年か~、自分(一人称)も歳をとったわけだ・・・
「This is プロ野球!!打ちも打ったり新井、捕りも捕ったり水上」
第2試合で実況中継していた安倍さんも今年の春に亡くなられた、この試合の後のニュース番組で一躍全国的にええ加減なおっさんやと知られることになった仰木監督はその後オリックス(当時Bw)を日本一に導いたもののその数年後に亡くなられた。第1試合の9回表、梨田のヒットで必死に走ってホームに帰って来た鈴木貴久も40歳の若さで逝ってしまった、勝ち越しのホームを踏んだ後、嬉しそうに中西コーチに体当たりしていった姿は今でも鮮明に覚えている。第2試合7で一時勝ち越しとなる本塁打を打った吹石徳一氏は今や福山雅治の義父であります、もう29年やもんね~、他のチームの監督やコーチ、解説者になった人もいるし、甲子園優勝投手の肩書でバラエティー番組に出ている人もいます。
今でも色褪せないで残っている場面、記憶、名調子、あの日自分(一人称)は近鉄上本町駅のテレビで最後の場面を見ていた、羽田選手がダブルプレーに打ち取られた瞬間西武球場の歓喜の場面が映し出されたが、それを現実として受け止めることができなかった。近鉄の優勝がなくなったんやな~と思いながら近鉄電車に乗って帰って、平端駅で最終の天理行を待つ間、何気なく見ていた伊勢志摩キャンペーンのポスターに写っていた女の子が可愛かったので、駅員さんにこのポスターが欲しいと言ったんだっけ。無名のその女の子がその後リンドバーグのボーカルとして活躍するなど夢にも思わなかったわけでして・・・ってこの話、前にもここで紹介したっけ、どっかに残っているはずです。ああ~、またまたまた思い出話が長くなってしまった、ここからが本文、サラリと行ってみましょう↓↓↓
滋賀の旅2017春編の続きです、前回は小谷城から北近江の素朴な町並を走り抜けて来ました。高時川の西側、高月町は雨森芳洲所縁の地、と言っても雨森芳洲て誰やねん?まあ詳しいことはこちらをご覧いただくとして、雨森の町へと差し掛かって行く、この辺りでも道の横に小さな川が流れている。旧街道の雰囲気が漂う町並の中を進んで行くと写真3枚目にある今風の道標が立っている場所へとたどり着く、標石の後ろには分水路があり、さっき通って来た道の横を流れていた川の水がここに轟音をあげて注ぎ込まれて、この先で町やその付近の田畑へと分水されていく。春照付近から水を巡ると言う隠しテーマを以て走って来たがそれもこの場所で一応ひと段落、町中を抜けるとここの水が流れついていると思われる田畑が広がる風景となり、北へと向けて進んで行く。
関ヶ原からずっと走って来た北国脇往還もここ木ノ本で終わりとなる、旧街道は国道365号線が真っ直ぐ伸びる所をまとわりつくような感じで、地図に階段のような経路を描くようにして進んできたが、その道筋は最後の最後まで変わらず道を直角直角に曲がりを繰り返して、この旧街道の終わりとなる木ノ本宿へとたどり着く。この宿場町については以前にもフォトチャンネルでもお送りしているのでもうお馴染みな所、それでも改めて走ってみるといろいろと写真を撮ってみたくなりました。まあいつもと変わりない、旧街道の雰囲気が漂う町並をただ気ままにに写しただけなのですが、上にズラリと並べてみました。北国脇往還、水を巡る旅は一応ここで終わりとなり、滋賀の旅春編はここから折り返して長浜、米原方面へ折り返しの走りとなります。ただ走るだけでは味気ないのでここから先はJR北陸本線、長距離路線のほんのちょびっとの数駅だけですが各駅巡りで長浜の市街地を目指して行きたいと思います。ああ~、楽天(E)ボロ負けしてるわ、こりゃ~やっぱりソフトバンク(H)かな、野球はやめて秋華賞でも見とこ・・・次回もお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。 まちみち
↑↑↑ああ、間違えた、秋華賞じゃなくて菊花賞やっや、これはしたり・・・と言うことで再送信、改めて次回もお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。 まちみち
今日が10月22日と言うことでいつの間にか10.19も過ぎていました。プロ野球は今クライマックスシリーズですがパ・リーグはソフトバンク(H)と楽天(E)が対戦、工藤監督と梨田監督との対戦は当時しのぎを削っていた西武(L)と近鉄(Bu)の代理戦争と言った感じです。最初は楽天が2勝して昨日、今日とソフトバンクが連勝日本シリーズに大手をかけました、何とか楽天に頑張ってほしいんやけどねえ~。思えば梨田監督て選手、監督として日本一になったことがないんだよねえ、窮地に立たされたとは言えまだチャンスは残っているわけだし、何とか一矢を報いてほしいところです。それにしても10.19からもう29年か~、自分(一人称)も歳をとったわけだ・・・
「This is プロ野球!!打ちも打ったり新井、捕りも捕ったり水上」
第2試合で実況中継していた安倍さんも今年の春に亡くなられた、この試合の後のニュース番組で一躍全国的にええ加減なおっさんやと知られることになった仰木監督はその後オリックス(当時Bw)を日本一に導いたもののその数年後に亡くなられた。第1試合の9回表、梨田のヒットで必死に走ってホームに帰って来た鈴木貴久も40歳の若さで逝ってしまった、勝ち越しのホームを踏んだ後、嬉しそうに中西コーチに体当たりしていった姿は今でも鮮明に覚えている。第2試合7で一時勝ち越しとなる本塁打を打った吹石徳一氏は今や福山雅治の義父であります、もう29年やもんね~、他のチームの監督やコーチ、解説者になった人もいるし、甲子園優勝投手の肩書でバラエティー番組に出ている人もいます。
今でも色褪せないで残っている場面、記憶、名調子、あの日自分(一人称)は近鉄上本町駅のテレビで最後の場面を見ていた、羽田選手がダブルプレーに打ち取られた瞬間西武球場の歓喜の場面が映し出されたが、それを現実として受け止めることができなかった。近鉄の優勝がなくなったんやな~と思いながら近鉄電車に乗って帰って、平端駅で最終の天理行を待つ間、何気なく見ていた伊勢志摩キャンペーンのポスターに写っていた女の子が可愛かったので、駅員さんにこのポスターが欲しいと言ったんだっけ。無名のその女の子がその後リンドバーグのボーカルとして活躍するなど夢にも思わなかったわけでして・・・ってこの話、前にもここで紹介したっけ、どっかに残っているはずです。ああ~、またまたまた思い出話が長くなってしまった、ここからが本文、サラリと行ってみましょう↓↓↓
滋賀の旅2017春編の続きです、前回は小谷城から北近江の素朴な町並を走り抜けて来ました。高時川の西側、高月町は雨森芳洲所縁の地、と言っても雨森芳洲て誰やねん?まあ詳しいことはこちらをご覧いただくとして、雨森の町へと差し掛かって行く、この辺りでも道の横に小さな川が流れている。旧街道の雰囲気が漂う町並の中を進んで行くと写真3枚目にある今風の道標が立っている場所へとたどり着く、標石の後ろには分水路があり、さっき通って来た道の横を流れていた川の水がここに轟音をあげて注ぎ込まれて、この先で町やその付近の田畑へと分水されていく。春照付近から水を巡ると言う隠しテーマを以て走って来たがそれもこの場所で一応ひと段落、町中を抜けるとここの水が流れついていると思われる田畑が広がる風景となり、北へと向けて進んで行く。
関ヶ原からずっと走って来た北国脇往還もここ木ノ本で終わりとなる、旧街道は国道365号線が真っ直ぐ伸びる所をまとわりつくような感じで、地図に階段のような経路を描くようにして進んできたが、その道筋は最後の最後まで変わらず道を直角直角に曲がりを繰り返して、この旧街道の終わりとなる木ノ本宿へとたどり着く。この宿場町については以前にもフォトチャンネルでもお送りしているのでもうお馴染みな所、それでも改めて走ってみるといろいろと写真を撮ってみたくなりました。まあいつもと変わりない、旧街道の雰囲気が漂う町並をただ気ままにに写しただけなのですが、上にズラリと並べてみました。北国脇往還、水を巡る旅は一応ここで終わりとなり、滋賀の旅春編はここから折り返して長浜、米原方面へ折り返しの走りとなります。ただ走るだけでは味気ないのでここから先はJR北陸本線、長距離路線のほんのちょびっとの数駅だけですが各駅巡りで長浜の市街地を目指して行きたいと思います。ああ~、楽天(E)ボロ負けしてるわ、こりゃ~やっぱりソフトバンク(H)かな、野球はやめて秋華賞でも見とこ・・・次回もお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。 まちみち
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