中学の時
誰もが通る高校受験の壁
とある日
担任に呼ばれ職員室へ
私が志望校としてる商業高校からバレーボール部の監督さんが
『名前を書くだけで、合格させるからとの話が来ているがどうする?
もちろん、そこの商業高校は、県内屈指のバレーボール部の厳しさ、順位を誇るのは、知っているだろう。
公立高校は、推薦はしていないから、名前を書くだけで合格っていうのは良いものだと思うけれど、どうかな?受けてみるか?ご両親と相談して決めてきてくれないか?あちらの監督の先生も是非にと言ってくれているから』
当時の家庭の事情さえ、うまく担任には話せてないと言うのに
そんなこと話せるわけがない
結局、担任には親には話さなかったこと。
そこの商業高校には行かないこと。
ランクを落として、普通科の高校を受験することを担任に話をした。
すると、受験を決めた高校は
全国でも珍しい保健体育科のある高校
それならば、普通科より、そちらの学部の方が良いのではないかと提案されたけれど、それも、高校の部活に所属すること自体を回避したい、いや、回避しないと立ち行かない家庭環境だと説明しても、なかなか先生は分かってくれなかった。
半ば怒り心頭ぎみに、
頑なに『普通科で』と私が言い切った。
そのまま、その高校の受験となった。
もとより、ランクを落としたぐらいなので
気楽に受験できたので、楽勝だった。
と、合格の時
かつてない受験率になってしまった高校は、受験した友達の3分の1 が不合格となったために、自分は浮かれモードにはなれなかった
ただ目の前の『高校に行かなきゃ世の中渡っていけないよ』
そんな風潮に乗っかるだけだと虚しく高校に入った気がした
さて、
高校に入った途端、
体育の先生はいきなり、あの断った商業高校の監督の先生の親友。
マズイと思いながら
すでに、私が居ることがわかっていたらしく、体育の時間の一番初めに、それらしきバレーボールの話から
私を名指し、いきなり、みんなの前で対人パスをさせられた。
そうして、また此処でも
バレーボール部への誘い。
実際、バレーボール部の方と対人パスをさせてもらったけれど、
ん?これが、、、、。程度だった。
残念ながら。
しかし、私の家庭の事情は変わらない。
その体育の先生には困らされた。
プールの時間では
ただでさえ、水着であるし
プール初陣の時は、何故か水泳部が出揃って居る中で、また、私を名指し。
廊下を歩けば
ほかの学生から
何故、商業高校を断ったのか
何故、今の保健体育科に行かなかったのかを聞かれる始末。
目立って仕方ない
目立ちたくない
なるべく静かに学校生活を送りたかった。
とにかく
体育の時間とプールの時間が苦痛だった。
毎回、何故ここに居るの?
と思うぐらい水泳部の面々が勢ぞろい。
その前を水着で横切る時がなおさら苦痛は強まる。
プールの授業は初夏から夏休みまでの間だったので、それまで我慢すればいいんだと。
なんだか、商業高校を蹴ってしまった『罰』のような期間だった。
体育の先生は、悪気はないのは分かる。
いじめではなく、いつも優しかったから。
ただ、自分の部である、バレーボール部に入れたかったばかりに
先生の言動だけが、一人歩きしてしまったようだった。
思わぬ形で目立ってしまうことから
回避したくて
小さく小さくなって
こじんまりしたままの高校生活が続いた。
後々、水泳部の1人から熱烈ラブコールを受けたが、バリバリのリーゼント、長ランで、前カノを連れての告白。
彼からでなく、ほとんど前カノから頭を下げられたこと。
あり得ないシチュエーション
国体の飛び込みの選手だったけれど
申し訳ないことに一年に渡る説得も
度々断る私には苦痛でしかなかった。
太陽もギラギラ感じる日が増えてくる時期。
もう少ししたら『プール』が始まるような時期になると思い出す苦い思い出たち。