湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

三年前の母と紫陽花

2019-07-26 10:22:00 | 日記
三年前に書いたもの
 
 
母は小さくなった
その背中が大きいと思ったのはもう随分と遠い昔になってしまったね
この頃母は可愛らしくて
私がお風呂に入ろうかって言うと一息ついて
自分の体に聞いてみるようで静かに答える
『今日は大丈夫そうだから、入れてもらおうかね~』と
か細くなった腕で服を脱ぎ始める
けれど
お風呂場まで一人では行けず手を取り連れて行って座らせる
順番に洗っていく
『気持ちええなぁ~』
『ああ、気持ちええなぁ~』
湯船にそっと浸からせる
肩に湯をかけてやる
私は長袖を着ている
母が私の腕を掴み
素肌では滑ってしまうかもしれないから
長袖なら濡れても余り滑らないだろうと。
しかし、この夏のこと私は汗だくになりながら
全ての工程をケガなく済ますことに今まで、
神経を使いすぎていたのね
母が繰り返す『気持ちええなぁ~』って相槌を打つのが精一杯だったのに
今日は
これは、
私の至福の時なんだと心の底から思えたのだ
至福の時、
これ以上悪くなっては私がお風呂に入れてあげられることはできない
今だからこそ感じること。
最大の幸せなこと。
ちょうど、サランラップの芯ほどの範囲しか見えない母は
目の前に物を差し出すととてもとても驚いてしまう
片耳が潰れて、良い方の耳でさえ聞こえにくくなった身には
先に分かるほどに、
大きな声をかけて片一方の手に
ものを握らせて
私のもう一方の手で母の目の前に持っていく
その方法が一番、すんなり小さな視野に入っていくようで
母のストレスも小さいようだ
何事にも同じ。
熱い味噌汁さえ、すぐには差し出さず本人が確認できるまで、置いた場所から私はお椀は離さないでいる
ひとつひとつこなしながら
それでも、こんなささやかな幸せがあるのに
ただ、介護が大変だからと一括りでは言えない
もちろん、決して楽ではないけれど。
まして、父の今回の癌が発覚してからの相方である母の憔悴は凄まじい
毎日が生き残らす願いに満ちているかのように歯を食いしばって戦っている私がいるけれど、
今日のように至福の時だと思えるプレゼントみたいな日は
大事に大事にしたいと思う
いづれこの世から追い出してしまいたくなるような思いに駆られてしまう日が来ないとも限らない
だれもが通る道だという
しっかり歩こう、歩いて行こう。
母が大事にしていた紫陽花を私は枯らしてしまったよ。しっかりしなさいと言われたようだった。
 
 
三年前の私と母のワンシーン
 
いまでも、
お風呂に入ると
母の声が聞こえてきそう
 
 
次の年も
次の年も
 
母が大事にしていた紫陽花は
綺麗に咲かなかった
 
枯れたと思ったものの中に
生き残ったものが小さく芽吹いて終わっていたけれど
 
今年は
すごく早くに咲いたよ
 
あまりに早く咲き始めて
梅雨寒にやられても頑張ってきた
 
しかし、
紫陽花は、もう終わってしまったから
私が責任をもって
来年の為に切り込んだから
 
 
そう
みんな、みんな、頑張っていたね
 
すごく、すごく、頑張っていたね
 
小さな命の灯火のようにね
 
 
私は随分と元気になったけど
手を合わすたびに
頬に伝うものは隠せない
 
けれど
ほんの少し
ほんの少しだけ
三年前のことが懐かしい
 
懐かしいとすこしでも
思える自分が
半分悲しくて
半分嬉しい
 
 
そう言えば
この世から
早く追い出してしまいたくなる日は
とうとう最期の日まで訪れなかった、、、。