最初は室町時代の食膳に
不浄を払うために小皿に塩を置いたことをさすらしい
次第に、調味料として、自ら、味を調えたり
自分で世話をするようになったことから
いまでは
植物や子供を大切に育てる様を
『手塩にかける』ということになったらしい。
結局は何事も
良い塩梅ということか。
いまだに
子供が大きくなったときに
よく言われたりする言葉だが
結婚式も、結婚自体も省略化されたり
挙式もない場合も増えてきて
こんな言葉は
もうすぐ死語になるのじゃないかと思う。
子供は
手間がかかるもの
強弱はそれぞれの家に考えがあるのか
無いのか
悲惨な事故は絶えないし
独り立ちしていく子供はかなりの精神力と
根性を必要とすることになる
いかに
どんなふうに
手塩にかけたのか?
親は戦ったのか?
親はどれほど忍耐したか?
うちの娘は高校生になっても
気は強いが内弁慶だったため
お店に行っても
お店の人に
『これ下さい』
『これをお願いします』
『メニューを下さい』
全く言えず
私の陰に隠れては
私に言ってと催促した
高校に入ってからも
学校内では、自分の意思を示すことが出来たが
外敵な人には
全くの無口になる子だった
そんなはずではないとは思いつつも
思い当たる節があった
いじめから
不登校になったときに
刃物を振り回し
自らを傷つけた
私が産んだ可愛い子を
自ら傷つける様を見たことは
私が傷を負うほうが良いとさえ思ったり
刃物を問答無用で
泣き泣き取り上げたり
取り返されて、血を見る羽目になったり
そんなこんなで
血を流しながらの娘を何度抱きしめたことだろう
そんな中学、高校時代を過ごし
休みながらの登校を送ったが
自ら、彼女は心理学を学びたいと
大学を志した。
さて、この子を一人で都会に出せるのか?
可愛い子には旅をさせろと昔から言う。
もし、帰ってきた時は
優しく迎えてやろうと
今までの私の全て
彼女にかけてきた愛情の答えが出てくるのだと
私も腹をくくることになった。
一人ぐらし
なんとかなるように願った。
少しづつ生活には慣れてきた
とある数年後の
帰省してきた彼女を車に乗せている時だった
とあるブランドの靴の店へ電話をかけるからと
静かに黙っているように言われた。
同じ車の中である
嫌でも、その交渉が耳に入ってくる。
『ヒールのかかとが取れてしまったんです。
昨日、おろしまして、2日目に普通に歩いていたら取れてしまったのです。レシートはあります。
そちらで、なんとかしていただけないかと
お電話しました』
電話の向こうの店員さんが、いくつかの確認をしたのち、
再び娘は
『はい、同じものの交換とおっしゃいましたが、
おたくのブランドのものが2日目にダメになったというのが私もショックで。
申し訳ないですが、返品して代金を返して頂くということにすることはできませんか?
また、機会がありましたら、そちらのブランドのものを購入したいと思いますが、いかがでしょう』
う⁈ 返品で、代金を返金!!
すごい。
あの、メニューさえ、告げれなかった子が。
都会の一人暮らしは
彼女を強くしたようだった
情けない親で申し訳ないと
何度思ったことだろう
この子の手首から血が流れたとき
私の目から血の涙が流れていた感覚の日々
この電話を境に
もう大丈夫だと頼もしく思えた
私は、どこで
手塩にかけたのか?
おそらく
彼女の苦しい時間を
自分の苦しい時間として過ごしたことか。
実際には手塩にかけたというより
彼女自身が育ったのかもしれないが
親の気持ちとしては
育てるあげる=手塩にかける
可愛い子供だもの
無くしたくもないし
全力で愛したことを
全力で示したかっただけなのだ
しかし
しっかりしたと言っても
私が死ぬまで、娘は娘
私の親がそうだったように
娘のために祈り、願い、愛する。
写真は今日の収穫
いかにも
手塩にかけた野菜
野菜は、ものは言わないし
感情はあるかもしれないが(笑)
人間ほど複雑ではない
いま、野菜を育て
穏やかな日々が
とても有り難いと思う