数年前に
とあるSNSで
西洋占星術の占いをする女性と知り合いになった
単なる趣味ではなく
とある名前の通った場所で占星術をされて
それを生業とされている方
その頃は毎週そのSNSに
1週間の星読みを書いていた
バッチリと当たる日、当たらない日
占いは当たるも八卦当たらぬも八卦と言われる
どんな占い師さんとて
大きなくくりとしての占いには限界があり
パーソナルにみてもらったとしても
色んな誤差が生じるものである
誰でも、ちょっと経験あることかもしれないが
今週の占いが先週当たっていたとか
一年の占いが半年ズレた感覚だったりとか
星の動きの角度を読むことが
ザックリしてること
その星の影響の及ぶ時間の狭間
それが『単なる星占いでしょ!?』と
思わせてしまうのかもしれないが。
ドンピシャのとき
何故、星を読むことで
運勢やその身に起こることがわかるのか、、。
不思議で仕方なかった。
昔から、一つの希望として
占いを見つけては読んだりしていたものだ
ホロスコープというものに興味が出て
資料を読み漁る
何故?なぜ?
次から次に疑問の日々。
しかし、
生まれた時の星の位置によって
その人の性格、家庭、考え方
はては、容姿に至るまである程度分かるようになった
ホロスコープの星を読むこと
それを趣味として
色んな本をよみ、資料を読み
まだまだ、深い読みはできなくても
出会えて良かったと思うことは
不幸せばかりだと思っていた自分の人生が
案外、そうではない。
考え一つ
心がけ一つで
案外、幸せの近くまで行けることが
わかったから。
抗えない事もあるのは事実。
近しい人に人生を分からせるために散るだけの命もあることは確かだから。
しかし、他人事でもない
まして、自分一人でもない。
様々な人間模様があること。
一つのホロスコープは、生まれた日、場所、時間が同じでも、違う人生が待っている。
自分の手で、選択し、歩いていく人生。
困難な星があっても
我が身のことだけでなく
人のこと、感謝し謙虚であれば
悪い星回りの中でも掴み取っていけるものがあるということ。
地球を真ん中にして
惑星はうごいていると考えてみる。
吉と凶が絡み合う星
吉と凶の星の比率は違えども
誰しも、大吉の木星は12年に一度やってくる
凶をもつ土星は、29年に一度やってくる
他の星の手助けや邪魔をかいくぐって
巡り巡って回り続けていく
人は、自分だけが悲しいと辛くなる
人は、自分だけが幸せだと他人に心を寄せなくなる
不幸せは自分だけでなく
幸せは自分だけでもない
まして、そこに至るには
長い時間や辛抱や努力や感謝の比率もありつつ
平坦な人生だけでは
誰しも
いや、ほとんどの人は終わらない
『良い星のもと生まれたかったなぁ』なんていうけれど、
だれでも問題を抱えてる
それを知った時
自分で掴み取っていくもの
抗えない時はじっと我慢で
嵐の通り過ぎるのを待つ
自分に目を向けて謙虚になる
ホロスコープによって
より沢山の人の苦しみが読めたこと
それを知ったこと
まだ半人前にも足りない私だけれど
考え方が寛容になったこと
単なる『占い』
そんな軽さではない奥行きのある様々な人生
しかし、占い依存してはいけない
身動きが取れなくなるのは
一変通りだけの方角のものしか見えてないから
一つの指針、一つの希望として。
信号で言えば
黄色を見すえつつ
赤や青を
自分に取り入れられる時に取り入れていかなきゃいけない
世の中には
膨大な資料が溢れてる
それを読み解く人も溢れる
けれど、間違いなく
占星術をする人、しない人。
だれにでも、12年に一度の幸運が必ずやってくる
それだけ信じていれば
頑張ろうと思えたわたし。
趣味として始めた星読みが
人生を考えるキッカケを私にくれた
小さな幸せのタネを拾いあつめて
植える時に植えよう
やがて
それぞれがそれぞれの時期を得て
綺麗な花を咲かすのだと思いたい
疑問はまだまだあって
まだまだあるからこそ
自分自身も精進していける
感謝や謙虚、慈悲、愛、許し、誠実さ
他にもいくつかあるでしょう
それを無くしては星の恩恵も受けられないばかりか、
人として、自分なりの人生を
より良くしていきたいと思う。