母の押し花額のほとんどには制作日時が書かれていないので、いつ頃の作品かわかりません。
でもどこかに出品した作品でしょう。年齢が書かれていました。
65歳と書いてあるので、今から25年前のものです。
25年経ってるとは思えないほど色鮮やかです。
他のも今でも十分楽しめます。
母は先月、90歳で永眠しました。
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60歳から始めた押し花ですが、花の採取や細かい手作業が難しくなり、10年ほど前にやめてしまいました。
母が押し花教室をしている頃は、私は仕事に忙しく、母の作品を見ることはほとんどありませんでした。
やめてからかなりの年数が経っているので、色あせてしまっているだろうなぁ、と思いながら、納戸の棚にギッシリ詰め込まれた額の整理を始めてみたら、意外にも色鮮やか押し花の額がたくさんあります。
今更ですが、母がこんなにも素晴らしい作品を作っていたのを知って感動しています。
良かったらご覧ください。
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母は毎年ヘチマを育てて、ヘチマ水を作っています。
そのせいか、90歳になってもシワもほとんどなく綺麗な肌をしています。
今年は大腿骨骨折で入院中なので、代わりにヘチマ水の採取です。
少しでも水が入るとカビが発生するというので、ビニール袋で保護しています。
1日で矢印のところまで溜まりました。
いつもは一晩でいっぱいになるそうですが、
お天気続きで量が少なかったようなので、
明日まで採取することにしました。
奥のビンにも同じくらい溜まっているので、私の分も取れそうです😀
そのせいか、90歳になってもシワもほとんどなく綺麗な肌をしています。
今年は大腿骨骨折で入院中なので、代わりにヘチマ水の採取です。
少しでも水が入るとカビが発生するというので、ビニール袋で保護しています。
1日で矢印のところまで溜まりました。
いつもは一晩でいっぱいになるそうですが、
お天気続きで量が少なかったようなので、
明日まで採取することにしました。
奥のビンにも同じくらい溜まっているので、私の分も取れそうです😀
26日にはあもにいで四賢婦人の朗読劇と講演会があり、その時に紹介された益城町の四賢婦人記念館に行ってきました。
地震前に古い生家の一部を移転させてあった家へは行ったことがあったのですが、それが地震で壊れて、新たな場所に生家が復元されています。
熊本空港から近いのですが、道がわかりにくくて迷いながら到達しました。
矢嶋家の四人の姉妹が四賢婦人と呼ばれていて、女性の地位向上や女子教育に力を注ぎ、熊本女学校や東京の女子学院の設立に尽力しました。
兄も惣庄屋として、財産を投げうって地域に貢献しています。そんな子どもたちを育てたお母さんがすごい!と思います。
生活面では味噌、醤油、漬物、糸紡ぎ、機織り、裁縫など、自給自足の暮らしが出来るように指導し、論語の暗唱はもちろんのこと、自筆の百人一首や古今和歌集を与えて教養を身につけさせています。
明治時代に熊本出身の女性たちが古い慣習を打ち破り、女子教育、婦人解放運動に大活躍をしたことがあまり知られていないのが残念です。
特に六女の矢島楫子は三度もアメリカを訪れています。当時は船で行くしかないので、数ヶ月の旅です。
明治39年、73歳 7/28〜12/19
アメリカ ボストンに行き、ルーズベルト大統領と会っています。
大正9年、87歳 3/13〜9/4
アメリカへ行って、そこからイギリスに渡り、第9回万国矯風会ロンドン大会に出席したあと、ヨーロッパを周り、アメリカに戻って帰国しています。
大正10年、88歳 4/20〜5/30
満州、朝鮮を40日間で巡っています。
大正10年、88歳 9/30〜翌年1/21
ワシントンで開催された平和軍縮会議に、東洋の平和を祈る婦人の1万人分の署名を持って参加、ハーディング大統領から記念の花器を贈られています。
アメリカでは新聞や雑誌に数多く取り上げられて、当時の楫子の映像も残されています。
これほどアメリカで話題になった日本の女性はいないのではないでしょうか?正に日本の最先端を行った女性で、熊本の誇りですね。
帰りに、会館の方に道路に案内板を立ててもらうよう、お願いをしてきました^_^;
地震前に古い生家の一部を移転させてあった家へは行ったことがあったのですが、それが地震で壊れて、新たな場所に生家が復元されています。
熊本空港から近いのですが、道がわかりにくくて迷いながら到達しました。
矢嶋家の四人の姉妹が四賢婦人と呼ばれていて、女性の地位向上や女子教育に力を注ぎ、熊本女学校や東京の女子学院の設立に尽力しました。
兄も惣庄屋として、財産を投げうって地域に貢献しています。そんな子どもたちを育てたお母さんがすごい!と思います。
生活面では味噌、醤油、漬物、糸紡ぎ、機織り、裁縫など、自給自足の暮らしが出来るように指導し、論語の暗唱はもちろんのこと、自筆の百人一首や古今和歌集を与えて教養を身につけさせています。
明治時代に熊本出身の女性たちが古い慣習を打ち破り、女子教育、婦人解放運動に大活躍をしたことがあまり知られていないのが残念です。
特に六女の矢島楫子は三度もアメリカを訪れています。当時は船で行くしかないので、数ヶ月の旅です。
明治39年、73歳 7/28〜12/19
アメリカ ボストンに行き、ルーズベルト大統領と会っています。
大正9年、87歳 3/13〜9/4
アメリカへ行って、そこからイギリスに渡り、第9回万国矯風会ロンドン大会に出席したあと、ヨーロッパを周り、アメリカに戻って帰国しています。
大正10年、88歳 4/20〜5/30
満州、朝鮮を40日間で巡っています。
大正10年、88歳 9/30〜翌年1/21
ワシントンで開催された平和軍縮会議に、東洋の平和を祈る婦人の1万人分の署名を持って参加、ハーディング大統領から記念の花器を贈られています。
アメリカでは新聞や雑誌に数多く取り上げられて、当時の楫子の映像も残されています。
これほどアメリカで話題になった日本の女性はいないのではないでしょうか?正に日本の最先端を行った女性で、熊本の誇りですね。
帰りに、会館の方に道路に案内板を立ててもらうよう、お願いをしてきました^_^;
バーベナが咲き誇っています。
小さな花を一つずつ、ハサミで切り取り、それを台紙の上に重ならないように並べます。
一かたまりになって咲きますが、先に咲いた花からだんだんと色が変わってくるので、
一つの花でいろんな色が楽しめます。
押し花しおりを作るのに、とても重宝する花なので、これから何回かに分けて、たくさん作ります。
小さな花を一つずつ、ハサミで切り取り、それを台紙の上に重ならないように並べます。
一かたまりになって咲きますが、先に咲いた花からだんだんと色が変わってくるので、
一つの花でいろんな色が楽しめます。
押し花しおりを作るのに、とても重宝する花なので、これから何回かに分けて、たくさん作ります。
緑川の堤防沿いに赤い絨毯が…
正式名称はクレムソンクローバー、俗名ベニバナツメクサ、またの名をストロベリーキャンドル。
まさにイチゴって感じです。
押し花用に、小さい花を選んで採取。どうなるか楽しみです。
その中にはウマノアシガタも。
ミツバツチグリもかわいいです。
モミジの新芽は小さくて押し花しおりにピッタリ!実家の庭にたくさん芽を出しています。
ついでにシバザクラとナデシコの花ももらって押し花にしました😊
正式名称はクレムソンクローバー、俗名ベニバナツメクサ、またの名をストロベリーキャンドル。
まさにイチゴって感じです。
押し花用に、小さい花を選んで採取。どうなるか楽しみです。
その中にはウマノアシガタも。
ミツバツチグリもかわいいです。
モミジの新芽は小さくて押し花しおりにピッタリ!実家の庭にたくさん芽を出しています。
ついでにシバザクラとナデシコの花ももらって押し花にしました😊
近くの空き地は押し花材料の宝庫です。
菜の花は盛りを過ぎてるけど、先端のツボミの部分がちょうど良い感じ。
スミレの花はうっかりすると見落としそう。
踏まないように注意して探しました。
スカンポの穂が伸びてます。押し花にすると
「これ、何ですか?」とよく訊かれます。
菜の花は盛りを過ぎてるけど、先端のツボミの部分がちょうど良い感じ。
スミレの花はうっかりすると見落としそう。
踏まないように注意して探しました。
スカンポの穂が伸びてます。押し花にすると
「これ、何ですか?」とよく訊かれます。
向かいの空き地にツクシがびっしり。
踏まずに歩くの無理です。
毎年、ツクシは出てるけど、今年は更に増えてます。
胞子が飛んだ後の小さめのツクシを採取して、押し花にしました。
ついでに
ユキヤナギ
アリッサム
ハナニラ
踏まずに歩くの無理です。
毎年、ツクシは出てるけど、今年は更に増えてます。
胞子が飛んだ後の小さめのツクシを採取して、押し花にしました。
ついでに
ユキヤナギ
アリッサム
ハナニラ